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ミズガルの地へ

 恋愛というものは大半の人が興味を持ち、また、気が付けば落ちているものらしいという事をミハネは何となく知っていた。白い病室のなかで長く生活していると、年頃になった兄が持って来てくれる、クラスの女子に教えてもらったというゲームや漫画の大半に恋愛要素が絡んでくる。不思議と”何故”恋に落ちるのかを教えてくれるような作品はなかったが、とにかく人と人とが出会えば何かしらの化学反応的なものが起こるらしかった。あまりに恋愛を前面に出しているような作品は、家族がなるべく見せないようにしていたのだろう。そうやって心を砕いて守ってくれていたというのに、どんな作品でも誰かと誰かが出合い、恋に落ちていた。例えば魔王の城に囚われている姫を助けるゲームがあるとする。主人公の勇者は姫を無事助け出した後、二人は結婚して子供ができ、幸せに暮らす。恋愛の延長線上に結婚があるのだとすれば、子孫を後世に残すためにも恋愛は必要不可欠。つまりは、そういう事なのだ。

 出会ってしまえば何かが起こるというのなら、今の自分は誰かに出会ってしまってはいけないのだなとミハネは感じていた。彼女の心臓には穴が開いていて、いつそれが悪化するかわからない。恋人というのは出会った喜びや幸せを共有できる間柄なのだろう。だとすれば、いつ死ぬかわからない自分では、悲しみや喪失感しか提供できないのではないだろうか。少なくとも自分は未来を託せる子供を産むことなどできないだろう。そういう結論に達した彼女は、作品は楽しむが恋愛については深く考えるのをやめることにした。


 異世界に転生し生活を続け、気が付けば彼女は14歳になっていた。草ばかり食べてだいぶ体の丈夫になった魔法も少し使える14歳だ。しかも、一向に死ぬ気配のない14歳だ。死ぬ気配がないという事は、恋愛しても悲しむ人はいないのだ。それがミハネにはとても大切なことのように思えた。

 この世界に来て、ミハネは新しいドアを次々と開けている。それは、好奇心や勇気や度胸が必要なものだった。目の前のドアは星空のなかガラス張りの扉をしていた。開けるとチカチカと瞬きながら大小沢山の星が飛び出すような世界が広がろうとしていた。

 しかしながら、ミハネはヴェインが恋の相手だとは思っていなかった。彼といるとまるで兄といたときのように落ち着くし、出会った頃よりも話しやすくなった。会うたびに逞しく格好よくなっていくけれども、一緒に居ても恋のような何かが落ちてくる気配は一向になかった。

 ヴェインと一緒に行くとなると、シグマは絶対にからかってきそうだから、それを考えると少し気が重たいのだった。


 ミズガル国へはまず旅行代理店のシグマのいるムスペル国へ赴き、ドラゴン航空便を利用して入国する。それから半日かけて主な施設や国についての説明をした後、シグマはムスペル国へと帰国する。そして一週間後に迎えに来てもらうという寸法だ。

 リンデルに荷造りを手伝ってもらい、着替えや体を拭く木綿の布を用意した。すべてをトランクに詰め込んで鞄ひとつで行こうとすると、


「貴重品は身に付けておいたほうがいいわよ。宿に置きっぱなしじゃなくてね」


 そう言って小型のショルダーバッグを持って来てくれた。柔らかな革で出来ていて、留め金と止め紐のついたしっかりとした造りのものだ。ミハネはその中に財布と紙とペン、グノーにもらったものと、お気に入りの石をいくつか入れた。

 次の日の早朝、教会の掃除をし、リンデルと食事をしていると、バリーとヴェインがやってきた。

 冷たいジャガイモのスープと焼きたてのサツマイモの入ったパン、ベーコンエッグを平らげる。


「ミハネ、そんなに荷物を持っていくつもりなのか?」


「一週間分の服が入っているのですからこれぐらい当たり前ですよ」


「いやでも海を見るだけだろう?そんなに何着も服いらねぇだろ」


「あらやだ、女性には必要よ。日々気持ちは変わるもの。気分次第で着たい服って変わるじゃない?ミハネ、水着はラズダーザで買うといいわ。今ちょうどシーズンだから。ヴェイン、可愛いの見繕ってあげてちょうだいよ」


「なんで俺が・・・」


「い、いえ、大丈夫です一人で見れますから!」


 顔を赤くして答えるミハネにリンデルはニコニコしている。どうして大人たちはそこはかとなく私たちに恋愛を結び付けようとするんだろう。前世と今とで周りの対応が異なるため、ミハネは混乱するのだった。


「ヴェイン、ミズガルは色々問題もあると聞く。くれぐれも油断はするなよ」


「わかってるよ」


 朝食を食べ終わると、二人は教会を出てドラゴンの停留所に向かった。

バリーとリンデルは食堂に残り、静かにお茶を飲んでいた。


「あの二人がいないと静かね」


「・・・ああ」


「どうしたの?なんだか今日はいつもと違うみたい」


「ちょっと考え事をしていてな」


「そうなの。どんな事?ようやく子離れできるようになったことかしら?」


「いや・・・。うむ。まぁ、そんなところだ」


「そうね。あの子ももう19になるんですものね」


 リンデルは微笑みながらお代わりの紅茶をバリーのカップに注いだ。



 ヴォルヴからニダヴェルへ移動し、ドラゴンの停留所に行く。平らにならされた地面に大きな岩や丸太が設置され、その上でドラゴンは好き勝手に遊んでいた。気に入った場所と餌さえ確保できるのであれば、ドラゴンは逃げ去りはしないらしい。ヴェインは停留所に駆け寄りドラゴンを呼ぶ。ヴェインの声に反応した一頭のドラゴンがこちらへやってきた。眼のくりくりとした人懐っこそうな子だ。ガルルルゥと甘えるような声で鳴く。


「ミハネ、こいつの名前はイーヨっていうんだ。一番俺に懐いてる」


 ニダヴェル国にドラゴンの停留所が設置される際、新しく乗り手の育成が始まった。ヴェインは乗り手に応募し、勉強と練習を重ねてつい最近試験に合格したところだ。

 ミハネはそっとイーヨの頬を撫でた。イーヨは気持ちよさそうにミハネの手に頬ずりする。優しい子だ。人とドラゴンの相性の良し悪しは飛翔する際のコンディションに直接影響する。人間と同じで性格や個性の多様性を秘めている為、乗る際の相性の見極めはとても大切だ。


「できればミズガル国までもこいつで行きたいんだけどな。じゃあ、飛ぶぞ」


「はい!」


 ヴェインは手綱をイーヨに向けて振り下ろした。


 今日は風の調子がいい。ニヴルから吹き抜けるのが追い風となってドラゴンを乗せて運んでくれる。イーヨも心地よさそうに鳴いている。空は綺麗に晴れていて、上から見る森は相変わらず生き生きと葉を茂らせ、風に揺られてざわめいていた。森の向こう側にかすかに水平線が見える。もうすぐに待ち焦がれていた海に入ると思うと、胸が張り裂けそうになるのだった。

 ムスペル国の大都市ラズダーザに到着したのはお昼前で、集合時間までまだ少し時間があった。ミハネとヴェインは屋台で軽く食事をすると、お目当ての水着を購入してシグマのところへと向かった。

相変わらず眼光は鋭く表情は固かったが、口調は軽く優しかった。


「あれ~、やっぱり彼氏いるんじゃない。良かったよ一緒に来てくれてさぁ」


 シグマは想像以上にミハネがヴェインを連れてきたことを喜んだ。


「いえ、兄のようなものです」


「こいつは妹みたいなもんです」


 二人同時に言って思わず顔を見合わせていると、シグマは腹を抱えて笑った。


「仲いいねぇ君ら。相性ばっちりじゃん。じゃあ、停留所まで行こうか」


 停留所では相変わらずマイペースな顔をしてイーヨが餌をもらって食べていた。ヴェインの顔を見つけては甘えた声で鳴く。シグマは目を細めてイーヨを撫でた。


「今日は人懐っこい子がいるねえ」


 イーヨとシグマの間に割って入るようにヴェインが口を出した。


「俺がニダヴェル国から乗ってきた奴です。もしよかったら、運転させてもらえませんか」


「え、いいの?君も資格持ちなんだね。どれくらい乗ってる?」


「春に合格したばかりです」


 シグマは顎鬚に触りながら考え込んでいる。


「今年の合格者か・・・。ヴェイン君だっけか。ニダヴェルからなら、なだらかで素直な風が吹くところだろう?汐風を受けながら運転したことはあるかい?」


「いえ、ありませんが・・・」


「ミズガルの風は一定じゃない。極端なことを言うなら、追い風と向かい風がいっぺんに来るような見えないうねりを乗り越えて行かなきゃいけない。コツを教えてあげるから、行きはちょっと任せてくれるかい?」


「・・・わかりました」


 渋々、といった具合にヴェインはシグマに手綱を譲った。


 ムスペル国へ来た時の飛翔とは違い、ミズガル国へ向かう際のシグマの手綱さばきは恐ろしいほどだった。なんせ突風があちこちから吹いては突き上げられたり振り落とされそうになるのを、彼があの手この手で避けていく。シグマが高度なテクニックを駆使すればするほど、イーヨの体は左右上下にブンブン高速移動をし、ヴェインもミハネもイーヨの体にしがみつくようにして落とされないように堪えなければならなかった。まるで暴れ馬にでも乗っているかのような乗り心地に、ミハネはそこはかとなく既視感を覚えるのだった。

 死に物狂いで張り付いて突風暴風をやり過ごし、到着した頃にはすでに夜中となっていた。

シグマとイーヨはご機嫌でぴんぴんしていたが、ミハネとヴェインはげっそりとしていた。ドラゴンで空を飛ぶだけで、体力をごっそりそぎ落とされてしまったかのようだ。


「大丈夫かい?それじゃあこれから宿に荷物を置きに行くからね~!」


 彼らの荷物を両腕にひょいと持ち上げると、軽々とした足取りで宿へと向かうのだった。


「ば、化け物かあの人・・・」


 ヴェインがぼそりと呟いた。


 案内された宿の扉を開けると、間隔を開けた二つのベッドがまず目に飛び込んできた。木を縛って組み立てられたところに木綿の布を重ねて敷いてある。空いているスペースには小さなテーブルといすが置かれ、そこが食事をするスペースのようだ。テーブルの上には小さな焼き菓子の入った包み紙と、茶器が置いてあった。鞄や衣類を入れておくクローゼットも宿の端に備え付けられている。疲れた体を引きずって、そこに倒れ込みたかったが、シグマが待っているので貴重品だけを持ってよろよろと外へ出た。


「俺たち同じ部屋だったな。あれ、別々の部屋に変えられるのかな」


「そうですね。シグマさんに聞いてみましょう」


 シグマを見つけて声を掛けると、彼は夜釣りをしている旅行客に交じって一緒に釣りを楽しんでいた。

餌を釣り針に器用に着けては投げ、海に落とすと、すぐに反応がありサッと釣り上げる。それを見て客も機嫌だった。


「兄ちゃんやるなあ」


「いえいえそれほどでも。ちょっとしたコツがあるんです」


そういうと旅行客のおじさんに釣りのコツを説明しだした。


「今の時間帯に釣れるヨワウオは目が良くないので、海に投げ込まれたものに反射的に食らいつく習性があるんです。なので、投げ入れてからクッと反応があった時はすぐに海から引き揚げてください。それで釣れます。リズムが掴めるようになると入れ食いになるんで、それをめざして頑張ってください!」


 シグマがあまりに楽しそうに話しているのをぽかんと見ていると、彼のほうが気づいてやってきてくれた。


「やぁやぁごめんね、釣りなんて久しぶりなもんだから、つい夢中になってしまって」


 時間がないので手短に行きましょう、と施設の説明を始める。


「今あなた方が出てきたところがミズガルの宿・甲殻類の間です。この辺りは二人用の宿泊施設が長く伸びていて、もう少し南側に行くと家族用の少し大きめの宿が連なっている場所があります。ここから北側には先ほど私も楽しんだ釣りのできるスペースがあります。夜も出来ますが朝や昼でも釣れますよ。さらに奥まったところにプライベートビーチがありますね。食事は宿でご用意がありますので、そこで食べてもらうんですが、朝と昼は出ませんので、外のお店を利用してください。何かありましたらミズガルの宿のおかみさんに聞いてください。では、一週間後に!」


「ちょ、ちょっと待ってください」


「何か?」


「僕達別々の部屋で泊まりたいんですが、出来ますか?」


「基本的にここ、ミズガル国にはカップルか家族連れしか来ませんので、一人で一つのお宿には泊まれないことになっています。まぁ、犯罪防止的な役割もあるんですけどね」


 何かあればおかみに、と言い残し、イーヨに乗ってシグマは嵐のように去っていった。

二人は何も考えられず、とりあえずはとしっかり施錠をすると、そのままベッドに倒れ込むのだった。

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