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海を見に行く

 ドラゴンライダーの育成とドラゴンの停留所設置について、ニダヴェル国がムスペル国と提携を結び許可が下りてからというもの、ニダヴェル国の上空をドラゴンが飛ぶのも珍しくない光景となった。

 馬で行くには数日かかるニダヴェル国の北の端からムスペル国の南の端まで、ドラゴンでなら半日もかからない。生鮮食品が新鮮なまま届けられると農家からの人気も高く、流通は盛んに行われた。そこへニヴル国も介入したことで、ニヴル国特産の乳製品が入手しやすくなり、ヴォルヴの教会の食卓も一段と賑わいを見せるのだった。


「ミルクなんていつぶりかしら。保存期間が短いから、どうしても手に入らなかったのよね」


 リンデルはそう言うとカップに入れたホットミルクをミハネに差し出す。ふんわりとかき混ぜられたスクランブルエッグとそれに添えられた春野菜のサラダ、白パンとキイチゴのジャムが食卓に並んでいる。

 初めてムスペル国に赴いてからもう一年近く経っていた。初夏の太陽は輝きに満ちていて、畑の作物に豊かな実りを与えてくれたが、それでも早朝にはまだ少しひんやりとしている。ミハネはリンデルからカップを受け取ると、少しずつそれを飲んだ。濃くまろやかな口当たりとほのかな甘みが朝の清掃での疲れを癒し、ぽっと体を温めてくれる。リンデルは熱い紅茶をポットからカップに半分注ぐと、そこにたっぷりのミルクを加えて飲んだ。


「美味しい」


「ミハネちゃん、ミルク気に入った?冬の寒い日なんかには、ショウガと蜂蜜を入れても美味しいの。とても温まるのよ」


「ええ。とても。・・・あのう、ニダヴェルでも乳牛を育てたりはできないんでしょうか」


「そうねぇ。今なら余力のある農家の人たちなんかだと育てることは可能かもしれないけど、やっぱり前例のないことに踏み切るのは難しいのかもしれないわね。それはとても勇気のいることだから」


 ミハネは相変わらず教会のお世話になっていた。仕事の仕方は完璧に覚えていたし、町人の畑仕事が忙しくなったために兼業でシスターをしていた人の手が畑に取られてしまい、慢性的に人が足りないのだ。

 とはいえ、少しずつ自分の家を造る計画は進めようとはしていた。場所はミルの村の畑の横に空いている土地にしようと考えていた。図書館に通いながら建築の仕組みを勉強し、大工業を復活させ、ヴォルヴの村のあちこちで修理施工を行っている親方に話を持ち掛けた。

 畑を復活させた立役者というふうに親方はミハネのことを理解していたので、話自体はスムーズに進んだ。ただ、お金がなくて修理ができなかった家のあちこちを豊かになった今になって治したいという話が舞い込んできているため、彼は日々忙しく過ごしていた。ミハネのことは気にかけてくれていたが、今進んでいるのは家の土台となる土地の基礎固めと、間取りの確認のみで、ここからさらに時間がかかると言われているのでミハネはのんびり待つつもりでいる。


 物流ばかりではなく、ドラゴンは人も運んでくれる。ムスペル国の大都市ラズダーザへ行くのにも、だいぶ気負わない旅路となった。そのため、タイミングが合えばサペインと同行することもあるが、マリスに薬草を納品に行くときはドラゴンに乗って行くのだった。

 初めて空から大地を見下ろしたときの感動を、ミハネはドラゴンに乗るたびにいつも思い出す。ドラゴンが大地を蹴って翼を強くはためかせると、風が巻き起こり体がふわりと浮いた。自分が地面からどんどん離れていくのが怖くて手綱を握りしめたが、上空がこんなにも近くに感じると知ると感動で魂が抜けそうになった。ドラゴンの翼が気流に乗り安定しだしたとき、ようやく彼女は空から下に広がる”世界”を見ることができた。慣れ親しんだニダヴェルの地からムスペル国へと続く道筋、その先の大都市。その道すら飲み込まんとする圧倒的な存在を放つ、慣れ親しんだ森。上空からは森の中の様子など絶対にわからないように広葉樹の葉が懸命に枝葉を拡げてさざめいているのがわかった。森の奥深くには、陽の光が届かない場所だってあったのだ。その深遠な様子とミハネの心の奥深くがリンクしたのか、思わず堰を切るようにしてあふれ出た気持ちが涙となって表れた。それが感傷であるという事に、彼女はまだ気づいてはいない。森を越えたずっと向こう側に視線を向けると、そこには空と海との二層にくっきりと分かれた青が見えた。初めて目にする絵画の様な光景を、彼女は長いことそのまま眺めていた。。世界は気が遠くなりそうなほどに広大で美しかった。


「あらそう。貴方、海を見たことなかったのね。・・・まぁ、生まれてこの方森育ちだったっけ?見ずに一生を終える人もいると思うけど」


 こともなげにマリスは呟く。商談と魔術についての講義が済み、ゆっくりとお茶を飲んでいる時間の事だった。ミハネの持ってくる薬草の種類も以前と比べれば格段に増えたので、この機会に効果の出やすい組み合わせや調合の仕方を彼女に教えていた。魔術についても高等な術について口にすることも増えてきた。こちらはまだ座学が多く、実践となると基礎の域を出ないでいるが、基礎となる四大元素の生み出す魔法であれば、ほんの少しずつだが成果は出始めていた。マッチ一本程度の火や、両手に収まるほどの水が出せるようになるだけでも、機転が利かせるのであればだいぶ実践で役に立つ。

 その機転とやらがミハネにどれだけ備わっているのかは未知数だが、彼女の真面目に取り組む姿勢だけはマリスも一目置いていた。

 多くの者が魔法や魔術にあこがれを抱き、膨大な魔術についての資料や解釈の仕方や材料を集める困難さ、簡単に言うと見た目とは違う面倒くささに匙を投げてやめてしまう。根気だけはあっても、努力に見合うだけの魔力が備わっていなければ魔術書の通りに実践しても事は動かすことができないし、逆に素質があってもそれに見合った努力をしなければ力に振り回されて精神に異常をきたすことだってある。精神力、想像力、向上心、持続力は必要不可欠な要素だ。そして思うとおりに行かなかったとしても腐ることなく純粋に頑張ることのできるひたむきさ。それらはミハネには十分備わっているように感じられた。

 成長を期待したいがために多少の幼さには目をつむってきたマリスだが、彼女の態度にはいい加減辟易してきている。


「じゃあ私、見られてラッキーですね。本当に青くて素敵だったんですよ。マリスさんは海に触れたことはありますか?砂浜ってどんな感じなんですか?私、一度でいいから海が視界いっぱいに広がっているのを見たいなって思っているんですよ」


 よほど感動したのだろうなというのは見ていてわかる。今までの生い立ちや境遇から察するに余りある事情だって理解しているつもりだ。だが、ドラゴンに乗ってやってくるたび話題と飛び出るセリフはこれである。マリスはいい加減食傷気味に感じていた。


「そういえば東のミズガル国だったら海の景色が綺麗だって昔は有名だったわね。ここいらでもよく旅行に行く人がいたわ。でも、海以外何もないところらしいわよ。薬にもお金にもならないことってあたしは興味ないから、どうでもいいんだけど」


「海があるなら他に何もいらないじゃないですか!旅人が行きたがる場所なんだったら、きっと素晴らしいところなんですよきっと!」


 若い子特有のキラキラした表情を向けられて、マリスは思わず目を瞬かせた。


「今はどうかは知らないわよ。そんなに気になるなら行ってみればいいじゃない。貴方はもう何もできない子供じゃないでしょう?そろそろ自覚しなさいよ。行こうと思えばどこへだって行けるんだから」


 ミハネはその言葉を聞いてショックを受けた。いつの間にかマリスに姉のように頼り切り、甘えてしまっていることにようやく気づいたのだ。薬草の事や魔法の事、ともすれば生き方についてだって聞けばマリスは割と何でも教えてあげている。けれども、少し考えれば自分で出来ることですら人にやってもらおうとしたり、聞いて知ろうとするのは違うとも彼女は考えている。人は賢さゆえに怠惰になる。これは進化による退化とも言えよう。ここで少しは自分の頭と体を使って鍛えてもらわねば。そう思いミハネをちらりと横目で見る。彼女は明らかにしゅんとして見えたが、そのうち口元がほころび始めた。


「そう・・・ですよね。確かに私には自分でできることが増えました。ごめんなさいマリスさん。私ずっと頼り切ってしまっていて。そうか。行こうと思えば行けるんですよね、海・・・」


 うふふ、とミハネはにやけだす。マリスはもう諭す気力もなく閉口した。きっとこの子、大物になるわぁ。そう彼女はひとりごちるのだった。


 ムスペル国の大都市ラズダーザには娯楽に関する様々な物や情報があちこちで売られている。一応この国にも様々な文献や本を収集し収めている図書館はあるのだが、有益な情報は口コミによるものが多く、また更新が早いのであまり利用はされていない。ミハネは情報を集めるため、早朝の市場に出かけることにした。マリスとレストランで夕食をとると、別れてそのまま宿泊施設へと赴くのだった。

 ラズダーザは商業都市の為、買い物を楽しむ旅行客の為のゴージャスでサービスの豊富にそろったラグジュアリーなホテルと、商売人の為のほぼ素泊まりのリーズナブルなホテルの二種類に分類される。ミハネの泊まるのはもちろん後者だ。部屋でくつろぐための茶器と茶葉、それと部屋の明かりをともす為の火のついている蝋燭をフロントで受け取ると、そのまま示された部屋に続く階段を上っていった。入り口近くにあるランプに火を灯すと、シンプルな部屋の中に明るさが広がる。荷物を降ろして入浴の為の準備を済ませると、水の入った茶器に茶葉を入れて水出し茶の準備をして置き、再び階段を降りて行った。隣接している大衆浴場で大きな石造りの露天風呂に浸かる。さすがに男女別れてはいるが、他人と顔を合わせることもあるからという理由で、下着の上から薄手のワンピースのようなものを着用して入るのがラズダーザでのルールらしい。以前ここを訪れた際に、衣類を全て脱ごうとしているところを、同じ時間帯に入浴しようとしていた老婆に慌てて止められたのだ。この大陸は一枚のプレートで出来ており、それを四つの国で分け合い、それぞれの領地で異なるルールの元で人々が暮らしている。土地柄によって感じる者や教わるルールは違う。皆元は同じ人間のはずなのに。そう考えるとなかなか不思議な様にミハネは思えた。

 入浴後部屋に戻ると、水出し茶を一杯だけ飲む。ほんのりと塩気の在る不思議なお茶で、ひやりとしたのど越しが火照った体によく沁みた。ミハネは今日マリスに習った薬草や魔術についての知識の書かれたノートを読み返すと、蝋燭を吹き消し眠りについた。

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