マリスの魔術講座
マリスは魔女の母とドラゴンの父の間に生まれた亜人だ。
マリスの母は北のニヴル国と東のミズガル国の国境の境目にある閉じられた村に住んでいた。魔物の多く出る環境下で暮らすため、村では魔術と共に村に根付いた独自の土着神話があった。それはかつて人間と共に生きてきた赤い竜の姿をした守り神がこの村を護るというものだ。村の民は善良であったが、余所者を嫌い外部との繫がりを持ちたがらなかったので、時が経つにつれて廃れていき、周りの街からは邪教を妄信する民として忌み嫌われるようになっていった。こういった村の存在は当時さほど珍しくはなく、ケイオスの森のふもとや国境の端や町の外れなどに点々と存在しては廃れていくのを繰り返していた。
やがて教会と教会が布教する神の教えが国を挙げて広がりだすころ、教会側は改宗を迫り、土着神話は偶像崇拝であり、唾棄すべきだと忌み嫌った。改宗を拒む村落は次々と迫害を受け、しまいには村を焼き払われ、人々は町に保護される代わりに信仰を手放さなければならなかった。
信仰というのは明日をよく生きるための一つの指針である。一神教を流布した一つの理由としては、指針を上から下まで一つ所に倣わせることで国からの指示をより良く浸透させ従わせることが可能である、という意図があった。そして、土着神話を許さない信仰の統一には見えざる者の存在を封じる働きもあったのだ。民の信じる心と信仰する力を失った存在達もまた、その土地へは居られなくなり、森へ逃げ込むようになった。信仰を手放さざるを得なかった者達は苦肉の策として語り継がれた伝説はおとぎ話として後世に語り継ぐことで、辛うじて見えざる者たちは存在することを許された。
マリスの母親もそのような当時の混乱から命からがら逃げた中の一人だった。彼女は村でも有名な魔術を操る者だったが、村に火が放たれようとしていることを夢枕に出てきた竜のお告げで知ることができた。翌朝それを村びとに知らせると、村は散り散りになって解散した。彼女は今までの予言やお告げ、魔術のことを書き記した書物だけを持ち、ケイオスの森へ逃げた。森で一番高い木に登り、村の様子を眺めていると夜中にポッと火が燃え上がるのが見え、村が燃やされたのがわかった。
グルル・・・と背後で唸り声がした。振り返らずとも彼女には誰だかわかっていた。誰にも見つからぬよう、ひそやかに二人は森で過ごし、やがて春が来て身籠ったことを知るのだった。
生まれた子供を抱えて、三人で森を抜け生活することを考えた。まだ混血という概念のなかったニヴル国やミズガル国で生活をするのは厳しかった。マリスの瞳は人々の好奇の目や排他的な態度を目の当たりにして人間を学んでいった。人々に心無い言葉を投げかけられては心を閉ざし冷静にしている娘の姿に心を痛めながら、両親は南に移動を続けた。
信仰心の著しい欠如のせいか父親のドラゴンは滅多に姿を現せなくなり、母と共にここに来るまでにずいぶんと迫害を受けた。終の棲家にすべくここに家を建てた後、母親は体を壊して呆気なく亡くなった。ドラゴンの血が流れているせいか、力が強く寿命も長いマリスは、ここでも様々な目に遭いながらかれこれ100年は生きている。
マリスに対してミハネは今まで自分の身に起きたことを包み隠さず話した。自分がこの世界に生を受けるまでの前世の記憶があることも彼女には伝えた。
「なるほどね・・・。そんな紆余曲折があって薬草屋さんをしているわけね」
「はい。でも・・・」
「でも?」
「あの、薬草を作るのってとても楽しいんです。苗がすくすく育って、水をやったり雑草を抜いたり、虫がいないか見たりして収穫まで待つのがとても好きで。好きなんですけど・・・私、どこか自分が空っぽのような気がして。すごく不安になるときがあるんです。このままでいいのかなって」
「うん」
「ラヴィが傷つけられたとき、すごく怖かったし、死んじゃったときはとても悲しかった。自分の無力さが、自分が何も持っていないのが悔しくて悔しくて自分が嫌いになりそうでした。それなのに、その気持ちはまだあるのに、だから、時々私はここで薬草なんて作っていていいのかなって気持ちになるんです」
ミハネは苦しみをこらえるようにして言葉を吐き出した。10歳でバリー達に助けられてからもずっと言えなかった本音だ。
「だから知りたいんです。世界のことが。あの時何が起こったのか。それを知るための力が私は欲しいんです」
「あぁ、だからふわふわしていたのね」
マリスはミハネに切り出した。
「なんかどっか地に足付いていないと思っていたのよ。クォリティの高い薬草を作るのにどこか上の空で、ぼーっとしててさぁ。わかったわ。ちょっと整理しましょう」
そう言うと、マリスは紙にペンを走らせた。
「あなたが悩んでいるのはこの世界に来て何をしたらいいのかと、何故ラヴィの石が無くなったのか、この二点よね」
「そうです」
「なのにその核心に迫れないままにいろんな出来事が押し寄せてきて今こう言う状態になっているのね」
「はい・・・」
「何その溺愛過保護な癖にスパルタ設定・・・」
「溺愛・・・?」
「あなたの周りに色んなものがいるの。土や風のせいれ」
バァン!と凄まじい衝撃が店の窓ガラスにぶつかってきた。
「な、何?なんですか今の」
「今日は風が強いのね。まぁいいわ。とにかくせい」
ガタガタガタガタッと風は窓を震わせている。
(精霊は言ってはいけないキーワードなのね。厄介だわぁ・・・)
「まぁ・・・・あなたの周りに関しては、風が話を運んでくれるみたいだから、今まで見たいに受け身でいいとして。魔法の基礎を学んで帰る必要がきっとあるのね」
「本当に・・・ありがとうございます」
(・・・素直な子)
自分が14歳だった頃、こんなにも素直だっただろうかとマリスは振り返ってみる。あの頃は町から街へと転々としていて、自分も父親そっくりの目玉も嫌いで、満たされるという感情も知らなかったように思う。母のことはとても大切で、いつも気遣っていたけどれも、これだけ素直に気持ちを伝えたことはあっただろうか。母親に甘えたいという気持ちを表情と共に殺していなかっただろうか。
14歳だった自分は、ただ、生きるのに精いっぱいな人生を駆け抜けていたのだと、マリスは気づいたのだった。
「じゃあ、気を取り直して魔術講座をはじめます」
マリスはコホンと咳払いをすると、新しい紙を出してペンでさらさらと図式を描いていった。
「魔法の出し方には色んな方法があるんだけど、基本中の基本をざっくりいうと、空中の気と、水、火、土、風の四大元素を自分自身の”魔力”つまり力を発生させるための生命エネルギーと融合させ、イマジネーションを駆使して”何か”を創り出し、それを動かしたり体に作用させたり攻撃したりすることなの。と、言葉で言うと簡単に聞こえるけれども実際にそれだけでやろうとしても出来ないじゃない?それを可能にするのが”魔術”ってわけ。例えば魔法には呪文が必要不可欠じゃない?あれは言霊の力を借りて魔法を発生するトリガーを引いてるの。杖は魔力の増幅装置。ここまではいいかしら?・・・続けるわね。今言ったその通りに魔法を起こそうとするじゃない。するとできたとしても蝋燭の火をともすとか、そよ風を吹かせるとかそれくらいの力しかないわけ。このままじゃ敵を攻撃なんてできっこないの。じゃあどうすればいいかわかる?」
「・・・力を借りる?」
「そう。世界っていうのは思いのほか複雑にできていてね。見える者、見えざる者、生者、死者。ほかにもいろいろあるけど、それぞれがそれぞれの世界で生きていて、且つそのそれぞれの次元が幾重にもなって重なりあってるの。それが、ふとした時に重なり合って違う次元の存在と繋がることがあるのね。魔術の基礎をちゃんと理解してトレーニングを実践していると、自分が希望して繋がったものの力を借りたりすることができるわけ。そしてその繋がれる次元ってやつを作りだせるのが魔法陣。さっきのゴーレムを作った時もこの仕組みを使うのね。でも、これは慎重に行わないといけないの。うっかり悪魔と繋がっちゃったら下手したら魂を差し出さなくてはならなくなったり、そういうこともあるの。ほかの次元と繋がりを持つという事は、この世界にはいないものと”契約を結ぶ”という事だから」
「だんだん複雑になってきましたね」
「当たり前でしょ。手品じゃないんだから命懸けよ。空気中の気や四大元素、その融合のさせ方、イメージの練り方や魔法を発動させる呪文、違う次元のそれぞれの存在、それぞれの存在の呼び出し方や対応の仕方、そのすべてのパターンを何通りにもシミュレーションして作成された魔法陣が掲載されているのが魔導書なのね。これを何度も何度も読み直して、そらで魔法陣を描き呪文を詠唱できるようになってからが魔法使いとしての第一歩、というわけよ」
見て、とマリスは手のひらを向けてミハネの前に差し出した。両手には複雑な図柄の魔法陣が筆のようなもので書かれている。
「私はダンジョンでアイテムを取りに行くこともあるから、敵に遭ったらすぐ発動できるように描いてあるの。天然素材の落ちにくい絵の具みたいなもので描いているから徐々に落ちていくんだけど。ちょっと外に出るわよ」
二人は店の外に出た。陽はだいぶ傾き始め、強い風が海岸側から吹いてくる。
マリスは片手を遠方に向けると、海の向こうにそびえるムスペル国の城に向かって呪文を唱えた。手のひらからが熱気が発生し燃え盛る火の玉になったかと思うと、それはマリスがロックオンした方向に真っすぐに飛んでいき、城付近のレンガ造りの建物に命中した。遠方から低くくぐもった爆発音が響き、崩れていく城の一部がここからでも見えた。
「あっはっはっはざまぁ!!まぁこれくらいはできるようになるわ。優れた魔法使いほど、いとも簡単に魔法を使って見せるけど、そうなるまでに並大抵じゃない努力をしているの。基礎を磨いて磨いて練っていく。これが魔術なのよ」
「マリスさんお城が・・・燃えてますけど・・・」
「大丈夫よ。あそこどうせ倉庫だし何回か爆発させてるわぁ。たまに虫唾が走るのよ。自分たちが率先して亜人や人型の魔物を狩っておいて、今になってみんな仲良くしようなんて。差別してきた側と差別された側が同じ景色を見ることなんてありえないの」
そういったマリスの唇は強く引き締まっていた。
「まぁ気を取り直して。長々と魔術について喋ったけど、あなたなら多分向いている方法がもう一つあるわ」
「今の方法以外にもなにかあるんですか」
「今言った方法は魔術の基礎になるんだけれど、召喚術っていうのがあるのよ。力ある見えざる存在のエネルギーを違うところから引っ張り出してきて使うのが魔術だとしたら、召喚術は力ある見えざる存在そのものを引っ張り出してきて使えるわけ。両者は似て非なるものでね、前者は素質さえあれば訓練に訓練を重ねることで習得するものなんだけど、召喚するのはそのスキルが身についていないとダメなのよ。もしかしたらあんたはそっちかもしれないのよね」
ミハネの背後の光に向けてマリスは言った。
(これでいい?)
大小様々なミハネの背後の光は、金色の粉を振りまきながらキラキラと輝いている。




