ミハネ、文明に触れる
リンデルにミハネちゃん、お風呂に入らない?と聞かれたとき、ミハネは飛び上がるほど喜んだ。
現代の記憶を持ちながら異世界へ転生してまず困ることは、お風呂に入れない事だと思っていたからだ。
ミルの村で生活していた時はお風呂自体がなくて、お湯を沸かしてたらいに入れ、ちょうどいい温度になったら布を浸して絞り、それで体を拭いていた。残りのお湯におでこを付けるようにして頭を入れ、上から手桶で母にお湯をかけてもらい、綺麗になったら終わりだった。
森の中では気温の高い初夏から夏の終わりまでしか水浴びができない。石鹸もないので泥などの汚れは綺麗になったかもしれないが、脂っぽい汚れは落とせない。それだけはどうにかしたいと思っていた。
「お風呂にはいれるんですか?お風呂があるんですか?もちろん入りたいです!!」
と言ったとき、リンデルはそっと目頭を押さえたが、すぐににっこり笑って脱衣所へ案内した。
「食物が育たないから食べるものには困っているけど、幸い水は豊富だし、ケイオスの森で薪になる木の枝や枯れ木などはよくあるから、お湯を沸かすことはできるの。とはいえ、かなり労力がかかるから、毎日入るのは無理だけどね・・・」
脱衣所で服を脱ぎ、お風呂場へと進む。お風呂場の中は白塗りの壁で覆われていて、広さは大体医務室のベッドを三つ重ねたくらいの広さがあった。奥にベッド一つ分ほどの陶器でできた猫足の、たっぷりとお湯の溜められたバスタブがあり、木でできた手桶といす、体を洗うための木綿の布、そして、石鹸がある!初めて見る石鹸に、ミハネは感動すら覚えるのだった。
たっぷりと泡立てた石鹸で頭から足のつま先まで洗い、泡をすべて洗い流してバスタブに浸かる。しゅわしゅわと染み入るような湯のぬくもりと、森でいる間に知らない間についた擦り傷などの痛みがひりひりとミハネに伝わってきた。積年の疲れが全部溶けて流れだすんじゃないかと思うほど、心地が良かった。
一人きりに慣れてようやくじっくりと今後のことを考えられるようにもなってきた。
まずはバリーとヴェインの事。悪い人ではなさそうだけれども、何故森に入って自分を見つけたのか、聞かなければならない。彼らが魔物をどう思っているのかも聞いておきたい。もしも彼らがハンターなら、気まぐれに魔物を倒して経験値を稼いできたかもしれない。場合によってはルーファスとロメロに助けてもらったことを隠しておかないといけない。私が眠ってしまった後、ラヴィがどうなったのか、ルーファス達は今自分が居なくなったことをどう思っているのかも気になる。リンデルもバリーもヴェインも、おそらく根っからの善人だ。そして信心深い人たちでもある。もしも魔物がこの人達にとって”悪”であるとすれば、どういう反応を示すのか、ミハネには測りかねた。
お風呂から上がると、体を洗うタオルのほかに、真新しい服が用意されていた。子供用の下着に、白くてパリッとしたシャツ、そして毛で編まれたセーターとフェルトのロングスカートだった。着ていいものかどうか迷ったが、着古したものを着るよりも新しいものを着てさっぱりとしたかった。
おずおずと食堂へ向かうと、リンデルはミハネを暖炉の前まで連れて行き、髪の毛を拭いて乾かしてくれた。
「リンデルさん、お風呂ありがとうございました。それと・・・この服、着ちゃってよかったですか」
「ええ、いいのよ。ミハネちゃんにとてもよく似合ってるわ。その服ね、今年のバザーの為に作ったんだけど、売れ残ってしまったものなの。最近は子供自体が少ないから、どうしても余ってしまうのよね」
リンデルは少し寂しそうに言った。
ミハネが生まれ育ったミルの村では、仕事と言えば畑仕事だった。余計な石を除いたり、土を耕して畝を作り、種をまいた後は、作物につく虫を取り、天気によって手入れの方法を変えたりと、日々忙しかった。ミハネにとって農業が仕事であり、他の仕事の可能性などあまり考えたこともなかった。けれども今、不思議な感覚に囚われていた。
「リンデルさん、服を作っているんですか?」
「ええ、そうよ。修道女のお仕事の一環で、手作りのものをバザーで出すの。今よりもバターやお砂糖が手に入りやすかった昔はお菓子だって作っていたわ」
「すごい。もしかして、この町の家とか、バスタブとか、そういうのを作ったのって、この町の人たちですか?」
「ええ、この町の人たちはね、農業が中心にはなっているけど、もともと職人さんも多いの。農作物が豊豊作だった時には、北や南の町にも売ることができたから、出来たお金を資金にして大きな工場を造ったり、材料になるガラス粉や鉱石を買ったりね。」
「すごい。私、服を当たり前に着ていたけど、作る人の事なんて考えたことなかったです。家とか、バスタブとかも、作れる人がいるってすごいじゃないですか。すごい。私の食べるものや着るもの、過ごす場所や眠るところも誰かが仕事で作ってくれたものなんですねぇ」
しみじみとミハネが感動していると、リンデルはクスリと笑った。
「まだ小さいのに明るくてしっかりしていて、ミハネちゃんって不思議ね」
リンデルにお礼を言って医務室に戻ると、ミハネはもそもそとベッドにもぐりこんだ。目を閉じてゆっくりと呼吸をして眠ろうとしたのだが、目が冴えてしまってなかなか寝付けなかった。ミハネは目を閉じて夢の中で見た光景を回想した。10歳の誕生日。それは自分にとって特別な何かが起こる前触れなのだろうか。確かに森の生活とは一時離れることになった。これからどんどん森や、ルーファスやロメロとの生活から離れて行ってしまうのだろうか。それを想うとミハネはとても寂しくなってしまうのだった。
考えれば考えるほど、思考の沼は深くなっていき、ミハネはとうとう一睡もできないまま朝を迎えることとなってしまった。しんと深まった夜の闇から、唐突にさぁっと部屋に薄明るいぼんやりとした光が広がり、何も見えない所に部屋の輪郭が浮かび上がってきた。急に夜明けが来たことに驚き、ミハネは窓の外をじっと眺めた。空はじわりじわりと明るさを帯びてゆき、鳥の鳴き声が聞こえる頃にはずっと遠くの地平線から薄く太陽が姿を見せ、強い光を放っていた。
部屋が明るくなったため、暇を持て余して起き上がることにしたミハネは、本棚にしまわれている本をいくつか物色した。この世界の文字は小さいころにこの世界の文字のアルファベットを母親に習ったぐらいで、いくつかのスペルなら見覚えがあるので拾えるが、文章はとなると全く読めない。ただ、繊細な挿絵がとても綺麗で、妖精や天使の事の書かれた本であるとか、編み物の仕方や服の作り方、城や建築物のデザインの本であることが何となくわかった。ふと、この世界に学校があるかどうか気になった。
完全に目が冴えてしまったので、身支度を整え、歯を磨くために洗面所へ向かう。この世界に”水道”は存在しない。そのために桶に汲み置いた井戸水をひしゃくに取り、ひしゃくから手に流して口をゆすぐ。歯を磨くのは木の枝の先を繊維状にほぐしたものでこする。使いにくいけれどもないよりは全然マシだ。汚れた水は一度地下の用水路で何か所かに集められ、砂利でろ過された後に川に流されるそうだ。これもモノづくりの賜物なのかと、ミハネは頭の下がる思いで口をゆすいだ。
朝早くにうろうろしすぎてリンデルに見つかってしまい、朝食はまだよと諫められた。仕方がないので外套を着こみ、外へと出てみることにした。森の中でも痛感したことだが早朝は凍てつくほどに寒い。日光の恵みに期待してほんの少しだけ辺りを散歩する。教会の周りをぐるりと回り、教会の扉から伸びている小道の上を歩いていき、小さな階段を下りていく。窓から見えたのと同じ屋根の連なる町が、変わらない姿で並んでいる。ここからではミルの村はほとんど見えない。ケイオスの森もここでは小高いてっぺんに生える大樹の頭の部分だけがかすんで見えた。
ずっと景色を眺めていると、連続で金属のぶつかるような音が聞こえてきた。教会の裏手のほうだ。教会の壁に隠れてそおっと様子を覗いてみると、バリー親子が剣術の稽古をしていた。ヴェインが振りかぶり、バリーがそれを制する。刺そうとするのを受け流す。踏み込むのを読まれていて後ろに飛んで避けられる。ヴェインは真剣にバリーに一矢報いようと必死だ。背中から熱気による湯気が立ち上る。バリーのほうは冷静に打つ手を読んで行動している。まるで歯が立たない。やがてバリーはヴェインの動きを制して稽古は終了した。ヴェインは荒く肩で呼吸をしていた。
「負けん気だけは認めるが、剣術に必要な動きも理解していないし、技術も拙い。お前の動きがこっちには出す前からわかってしまう。もう一度基礎からやり直し、体も作り直せ」
そういうとバリーはミハネがいるほうとは逆に行ってしまった。
「・・・クソッ」
バリーが見えなくなると、ヴェインは悔しさをあらわにした。大剣を操る剣豪の息子でありながら、体格も剣技もいまいちで、練習すればするほど自分が向いていないのがわかり嫌気がさすのだった。
「あのう・・・」
「あぁ!?」
いらだちに任せてつい声を荒げてしまう。声を掛けたミハネは思わずびくついてしまった。
「おはようございます・・・」
「・・・」
「リンデルさんが、朝食の準備が出来たっていうから・・・ヴェインさんもどうかなって」
こんなに小さな女の子がびくつきながら声を掛けに来ている。ヴェインは八つ当たりしている自分が少し情けなくなった。
「俺と親父の分はいいんだよ。どうせ朝飯食べてから来てるんだし」
「・・・リンデンさんがもう作っちゃったしどうしてもって」
「わかったよ行くよ!」
練習用の剣を腰に差し、扉へと向かう。ミハネは少し離れて、やっぱりおずおずとついてきた。
「・・・ミハネ」
「は、はい」
「・・・悪かった。きつく当たって・・・」
そういうと彼は顔を耳まで赤くした。八つ当たりは情けないが、素直に謝るのもまた恥ずかしいのだ。そんな彼が、ミハネには少しほほえましく映った。
「気にしてないですよ」
歩きながら、二人はぽつりぽつりと会話を交わした。
「しかし、あんな深い森の中で、よく何年も生きていたな」
「はい。運がよかったんです。きっと。ヴェインさんとバリーさんはどうして森へ?」
「なんか町のおばばに言われてさ、ちょっと気になるから見てきてくれって。親父、守衛団だから町の顔なじみにいいように使われることもあって、俺も連れてけって言われてついてったんだよ」
「守衛団?」
「そう、森にはいろんな生き物がいるだろ?絶滅危惧種とか。そういうのを狙うハンターから生き物を護るのが親父の役目なんだよ。月に何度か、提携している4つの国がローテーションで見回るんだけど。なんで今まで見つからなかったんだろうな」
「それは不思議ですね。・・・じゃあ、ヴェインさんは魔物を倒すために森に入ったわけじゃなかったんですね」
「あぁ、魔物っぽい視線を森で感じることはあるんだけどさ、実際に攻撃を受けたことはないし、親父も”悪意がないものを殺めるな”っていうんだよ。だから気が付かないふりしてやり過ごしてる」
「それはよかったです」
「?」
ヴェインの言葉を聞いて、喉につかえていたものが解けて消えていく。ようやくミハネは安心できた。
「ヴェインさん、大事なお話があるので、バリーさんを呼んでもらっていいですか?また4人で朝食を食べましょう」




