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騎士様が悪魔すぎる  作者: 水田まり子
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1.塔の中の少女


王都の西のはずれ―芸術の街マテーラを見下ろす高台に、ひっそりとした石造りの塔がある。

森に囲まれたその塔は、今にも崩れそうで…しかし何百年もそこに在りそうな不思議な様子を醸していた。


その塔に今、歌声が―石の壁や床に染み入るように響いていた。

静めるように、美しく、

旧い要塞のような塔の中に流れていく。

しかしその実、それは歌声ですらない。

詞もなく、気まぐれなテンポでくり返されるこれは、無自覚な鼻歌だった。


されど美しい―女神が歌うように美しい鼻歌を、ふいに少女はやめた。

視線の先には、雑然とした机上の本の下からのぞく乳白色の封筒がある。

彼女―フィリア・ミッチェルはゆるく波打つ銀髪を背に払うと、アッシュグレーの瞳で宛先と差出人をかえすがえす確認した。


フィリア・ミッチェル令嬢様宛

コーギー・スプラウトより


スプラウト?コーギー?誰かしら。

そしてふと、その内容を思い出す。

「あっ…夜会の招待状…。こんな所に置いてたのね。危ない危ない。捨てちゃうところだった…」

フィリアは少し迷って、けれどやっぱり机の上にそれを戻した。


『六つ時に子爵邸に集合。僕と乗り合わせて伯爵家のパーティーへ。これはお披露目ではない―ただのブランクを取り戻す練習の機会だと思って気軽に誘われてほしい―』


初対面とは全く違う、丁寧な招待状の内容をフィリアは完璧に覚えていた。

それは楽しみで仕方がないからではなく、むしろその逆―思い出すだけで気分が沈むからだ。


「今さら、やっぱり行きたくありません。なんて言えないわよね…」

そう石壁に向かって一人愚痴を漏らすと、憂鬱な予定を頭から追い払うようにハタキを手に掃除を再開した。


彼女の名前はフィリア・ミッチェル。今年で17になる少々特殊な男爵家の令嬢だ。

特殊といっても、ここロウェーナ王国で著名な芸術家を代々輩出した家柄というだけで、他に彼女自身に特別なことはなにもない。


―既製服がぴったりの背丈に、誉められも貶されたこともない頭脳、髪や目の色も別に珍しい訳ではなく、身内以外からかわいいと誉められたこともない。極めつけに、ミッチェル家に期待された芸術的才能はすべて兄が持っていた。


人並み以上―もしそんな特技が私にあるとしたら、それはきっと、歌うことくらい。

しかしこの女神の国ロウェーナの、芸術の街として名高いここマテーラでさえ、歌は芸術として見なされてない。

詳しいことは分からないが、大昔に起きた国を二分するほどの民族の大移動によってロウェーナ王国での音楽は衰退してしまったのだ。

そして今やこの国で女性歌手は、声で男を呼び込む娼婦として軽んじられている。

どこよりも美を愛しているこのマテーラでも画家や彫刻家のアトリエ、宝石や武器の工房ばかりが建ち並んで、ピアノの音ひとつ聞こえてこない。

「はぁ…。私も、お兄様みたいに好きなことをして身をたてられたら…。」

―よく知りもしないお見合い相手と夜会に行かなくてすむのかしら…。

フィリアは、そう思わずにはいられなかった。


「お嬢様?」

ふとコンコンと自室の扉をノックする音が聞こえた。

「入っても大丈夫かしら?」

「え、えぇ、マリー。もちろん。」

そう言うと、ブリキのバケツと箒を持ったマリーがメイド服の裾を翻して入ってきた。スレンダーな彼女の細い指先が扉をパタンと閉める。そして部屋の中を一目見るやいなや、華やかなつり目を下げた。

「お嬢様…お歌が聞こえてこないと思ったら、また考え事してたの?」

「うっ…ごめんなさい。すぐに終わらせるわ。」

つい色々と思い出して手が止まってしまったみたい。まだ窓際の本棚のほこりを叩いて、ラグを干して、床を拭かなきゃいけないのに…半分も終わっていない。

「いいえ、もうここの掃除は私に任せて…書斎の方をお願いしてもいいかしら?お部屋にいると、お嬢様を悩ませてしまうみたいだし」

もうかれこれ5年の付き合いになる古い侍女、というより友人のようなマリーは、机から掘り出された招待状を見逃さなかったらしい。

ああ、もうすっかり見通されている。

「…ううっ、本当にごめんなさい。マリーにばかり仕事をさせて…」

暇だから仕事を手伝いたいと言い出したのは私なのに…。

「全然!とんでもない!お嬢様に使用人の仕事を手伝ってもらうなんて、ありがたいけど、本当はやっぱり心苦しいもの…」

「ありがとう。でも、あなた一人でこの塔を掃除して、ご飯も用意して、洗濯も、諸々の雑事もするなんて、無茶でしょう?」

マリーは仕事に妥協しない。手を抜けば、そこからずっと見られている気がするそうだ。これはもう自分の性分だと、昔言っていた。

「それはっ…それは、そうだけど…」

活発で勝ち気な性格のマリーには珍しく、次の言葉を探している。

「私だって分かってるのよ。暇を持てあました私が手伝うより、人を新しく雇った方がいいって。今なら私の考えだけで決められるし…。でも、ここには、できるだけ他人を入れたくないの…」

「フィリアお嬢様…。」

しまったと、マリーが表情を歪めた。それを見ていたくなくて、私はうつむいた。


幼い頃から、お兄様と私はこの塔で暮らしてきた。

元々は何代か前の当主が建てたアトリエ兼別宅。

マテーラの古い住人にとっては『嘆きの塔』。

私にとっては砦だった。

ここでの一番幼い記憶は、とても真剣なお兄様の顔だ。

私とは違う優しい枯草色の瞳がじっと見つめる。

『いいねフィリア。この塔から出ちゃいけない。外には恐い人が君を待ってるんだ。ここでお兄様と一緒に暮らそう。ここなら、大丈夫だから。』

そう言ってお兄様は私を抱き締めた。

―だからここは、私にとって唯一安心できる砦だった。


けれど、幼い少女は今や17。

もう十分思い知っていた。

自分はなにも特別なんかじゃない。

ただの幼女をねらう恐い人なんてどこにもいない。

あれは、お母様の死に心を病んでしまった父と妹を会わせまいとするお兄様の思いやりだったのだと。


実際3年前に父が亡くなってから、お兄様は頻繁に絵の修行として塔を空けるようになった。

真冬のキルヘ山、うららかなロアーヌ川、国境沿いのオスチロル渓谷…たまに帰ってきては、見てきた風景を生き生きと私に語り、夜はマテーラの屋台で飲み明かして、また旅に出る。


お兄様は解放されたのだ。

夜毎廊下を這い回る父とツインテールができなくて泣き出す妹から。

それでよかったのだと思う。

本当に、そう思う。


もう守られていた幼い女の子は、ぼろぼろに傷ついた砦から脱け出さなきゃいけない。たとえ一人でも。


「フィリアお嬢様…?もしかして体調が悪いの?」

私はハッとした。マリーが今度は心配そうにこちらを見ていた。

「―っドレスを脱いで、夜着に着替えましょう!ショウガの紅茶をいれるから。残念だけど、市場へ行くのはまた今度ね。埋め合わせは必ずするから」

「ま、ま、待って!違うのマリー!少し夜会のことを考えてしまって、ぼうっとしてたの。体調は万全なのよ、本当に!」

「…本当に?ちょっとじっとしててね、フィリア様。」

マリーはひんやりする手を私のおでこにあてて、難しい顔をした。

「確かに…熱はないみたい…」

「ね?だから市場に連れていって。約束だったでしょう?ずっと。」

フィリアお嬢様に何かあったらお兄様に申し訳ないからと、マリーは私を外に出したがらない。

でも月に一度の自分の休暇の後は、楽しい事のお裾分けと称して、私をこっそりお買い物のお供に加えてくれるのだ。

昨日がマリーの休日、だから今日は―

「…そうね。…分かりました。お嬢様も楽しみにして下さってたし…物思いなら、街に出た方が気分が変わってきっといいわ!」

よかった。こんなことで月に一度の楽しみがなくなったら悲しい。

私はほっと息を吐いた。

「それなら、もう行く?早く行って、早く帰ってきて、早く寝る方がいいんじゃない?掃除は後でもできるし。」

やりかけの仕事を放置して行くのは忍びないけど…。またぼうっとしているところを見られたら今度こそベッドに押し込まれかねない。

「えー、そうね。そうしましょう!」

私はこれ以上やらかさないうちにと、頷いた。




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