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犠牲と対価(1)

 軽い昼食を終えると、シュエは中庭に出た。


 あれからさらに三日ほど経ち、体力もかなり回復してきたので、散歩を始めたのだ。


 シュエの後ろから、少しはらはらとした様子でパナがついてきている。


「姫様、本当にご無理はなさらないでくださいね。暖かい季節になってきましたが、元よりあまり丈夫なお体ではないのですから」


「そうなの?」


 意外な事実に驚いて思わず問い返してしまい、シュエは慌てて口を押さえた。


 けれどシュエの間抜けさよりも、パナのほうが輪をかけておっとりとしているらしく「そこもお忘れなのですね」と同情の眼差しを向けられる。


 この数日で同じようなやりとりをしており、その度にシュエは冷や汗と安堵を繰り返していた。


「お天気が悪いと、すぐに体調を崩されていたんですよ。医師が太鼓判を押されるほど回復なさったのは喜ばしいことですが、無理をしては熱が出ます」


 かなり華奢な体つきだと思いはしたが、それは一ヶ月も寝たきりだったからだとシュエは判断していた。だが、そうでもないらしい事実を知り、眉間に皺を寄せる。


(傷の治癒力は高いのに、体が弱い? なにか特殊な病を患っていたのかしら。このまま少しずつ体を鍛えようと思っていたのだけれど)


 真剣に思案しだしたシュエを見て何か思ったのか、パナが慌てた様子で手を振る。


「いえ、その、少し大げさだったかもしれません。今回は大怪我もされて、本当に心配したので。今年に入ってからは、とても体の調子が良かったんですよ。必須だった飲み薬も不要になりましたし、寝込むこともなくなりました」


「それなら、あまり神経質にならなくてもいいのかしら? 疲れやすいけれど、不調を感じたことはないわ」


「本当に、ご自身のことをお忘れなのですね。生活に不自由がないのは幸いですが、気を落とさないでくださいまし。身の回りのお世話は私がしますし、御身はゼグ様が今度こそしっかりと! 絶対に! お護りしますから!」


 ゼグに対して棘があるのは、シュエルバ姫を大事に思えばこそなのだろう。


 彼女の立場からみれば、傍を離れたゼグに事件の責任はあるのだ。


「そういえば、結局あのときの襲撃者は何者だったの?」


 不意に今更な疑問に気がついてシュエが問うと、パナは困ったように眉尻を下げた。


「それは……私も気になるところですが、ゼグ様にお訊きになったほうが情報が得られるかと。私は侍女ですので、噂話しか届きません。もちろん、必要な情報であれば知らされましょうが」


「ああそうか、そういうものよね」


 シュエルバ姫の生活環境を鑑みるに、相当大事に──というか過保護にされていたことが、周囲を散策できるようになったことでシュエにも察せられた。


 どうやら彼女は城の敷地のなかでも、特に奥まった場所に屋敷が用意され、そこに住んでいるようなのだ。


 屋敷の周囲には広い庭があり、それぞれ違う趣向が凝らされている。


(体の弱い娘の慰めにと、陛下がご用意されたのかしら。外出がままならないほどの病を患っていた感じはしないのだけれど)


 改めて己の体に意識を集中してみたが、シュエには特に何も感じられなかった。


 体はすぐに疲れてしまうが、気分が悪いということもなく食欲も旺盛だ。


(ああ、心の病という可能性もあるわね)


 精神に強いショックを受けると、それに関連するものに対して強い恐怖を感じるようになり、特定の行為が困難になる者がいることを、シュエは思い出した。


 士官学校時代に、心の病についてまとめた本を読んだことがあるのだ。


 理由も症状も様々で、中には馬鹿馬鹿しいものもあったが、心の傷を他者の物差しで測るのは愚かなことだ。


(シュエルバ姫も、なにか深い心の傷を抱えていたのかしら)


「ねえ、私が飲んでいた薬って、どんなものだったの?」


「ああ、そうですよね。ご自身が飲んでいた薬を思い出せないのは、不安ですよね。私ったら、中途半端にお伝えして申し訳ありません。実際には薬と言うより、滋養効果の高い栄養薬です。より詳しくお知りになりたい場合は、スィルカ様にお訊きになるのが一番だと思います」


 そもそもが彼の説明で、専門知識のない侍女に対してわかりやすく説明しているだけのはずだと、パナが笑う。


 鎮静や精神を安定させる類いの薬だと思っていたので、シュエは内心で首を傾げたが、王女が心の病だということは、隠すことなのかも知れないと思い至る。


 侍女から噂が流れることを忌避し、嘘の説明をされた可能性は高い。


 どちらにしろ心の問題であるならば、魂が別人の時点で問題ないのかも知れない。


(試しに体を動かしてみてから、様子見でもよさそうね) 


 ひとまずの答えを出し、周囲を見渡す。


 現在シュエがいる南の庭園は、暖色系の花が咲く植物で満たされており、腰までの高さの垣根で迷路のように道が作られていた。所々に蔦薔薇のアーチがあり、非常に美しい。


 広さのわりに足を休められる場所も多く、ゆっくりと散策するにはいい場所だった。


「まだ蕾みも多いけれど、綺麗ね。それに良い匂い」


 手近にあった花に手を添えて、香りを胸一杯に吸い込む。どこか懐かしい匂いに、シュエは無性に母に会いたくなって奥歯を噛みしめた。


 おそらくはもう二度と会えないだろうと覚悟はしているが、それに胸を痛めずにはいられない。


(でも本当なら、こんな風に思うことすらできなかったのよね)


 間違いなく、即死の高さだった。無残な遺体を父は確認するだろうが、母に見せることはしないだろう。


(父様も、きっととても嘆かれるわ。立派に育てていただいたのに)


 思い返せば思い返すほど後悔ばかりが胸に滲んで、シュエの眦を熱くする。


 慌てて何度も瞬きをし、熱を払った。


「気に入られたのなら、お部屋にお持ちしましょうか」


 そう問われたことで、随分と長く花を見つめていたと知らされる。


 シュエは気持ちを切り替えるように口端に力をいれて、笑みを作った。


「そうね。では一輪だけ。あとで寝室に届けてもらえる?」


「喜んで」


 本当に嬉しそうに返事をされて、少し驚く。そんなシュエの反応で己の態度に気づいたのか、パナは恥ずかしそうにはにかんだ。


 歳はシュナよりもかなり上だろうが、そうすると少女のようだ。


「申し訳ありません。なんだかとても嬉しくて。姫様はその、なんというか、変わられましたね」


「そう、かしら?」


 別人なのでと同意するわけにもいかず、シュエは言葉を濁した。


「悪い意味ではありませんよ? 以前の姫様は、なんというか、色々と諦めておられるようだったので──。お体のことを思えば仕方がないことだとも思うのですが、でも、それでも、お庭のお花は美しいですよね? 太陽は輝いておりますし、風も気持ちがいいです、よね?」


「ええ。それに、貴方が淹れてくれる香茶もおいしいわ」


 あまりに必死に何かを伝えようとする姿に感化されて、シュエがひとつ付け足すと、驚いたことにパナの両目から大粒の涙が溢れた。


「え、え、パナ?」


「もうし、申し訳ありません。光栄です。そう、なんです。そうです! 姫様はもっと、幸せになっていただかなければならないんです! でも、幸せって、自分で気づかないと、ないのと同じで、だから──うぅ」


「おちついてパナ、ああほら、そこの東屋で休みましょう」


 今にも泣き崩れてしまいそうなパナの手を引いて、一番近くにあった東屋に移動する。椅子に腰掛けることをパナが頑なに固辞したので、仕方なくシュエは命令することで座らせた。


「申し訳ありません。私、お体が弱いことを理由に外出を禁じられ、軟禁生活をなさっていた姫様がお可哀想で、ずっと悔しかったんです。でも、姫様はそれを当然と受け入れておられた。軟禁が解かれたときも、喜んだのは私だけで、姫様はなぜか、お体の調子とは裏腹に鬱ぎ込むようになられていって」


 じっと腿の上で握り込まれた己の手を睨みながら、パナが鼻をすする。ごくりと唾を飲み込んでから、意を決するように続く言葉を口にした。


「烏滸がましいとは思いつつも、私はその理由を聞こうと思ったのです。語れずとも、案じる者がいることを伝えたかった。なのに、あんな事件が起こって、私、姫様はこのまま生きるのを諦めてしまうのではないかと思わずにはいられなくて、怖くて。怖くて」


 おそらくはずっと溜め込んでいた想いだったのだろう。


 パナの言葉は涙と共に次々と溢れ、シュエルバという器に注がれていく。


 本人に届かぬとは知らぬパナの愛情を無駄にしてはならないと、一語一句逃さず聞くことに集中しながら、シュエは己の知るシュエルバ姫との違いに驚いていた。


 物語では、魔導研究が趣味の天真爛漫なお姫様だったのだ。


 それに振り回される近衛騎士との日常描写が、シュエは好きだった。


 だが、パナの話を聞く限り、実際のシュエルバ姫はかなり消極的で、己を諦観していた印象を受ける。


 そしてなにより、気になった一言がシュエにはあった。


(外出を禁じられていた?)


 心の病が原因なら、わざわざそんな命令をする必要があっただろうか。


(本当に、お体が弱かったのかしら)


 そしてそれは既に快復している。ゆえに、シュエにはそれを感じられない。


 結果として問題はないが、心の病ではと安易な憶測を混ぜてしまったせいで混乱してしまい、シュエは一度思考を整理しようと唇を引き結んだ。


 眉間に寄りそうになった皺を隠すように、額に指先を当てる。


「なにが、なにが姫様を変えたのですか?」


 少し落ち着いたらしいパナが、目尻をエプロンで拭いながら問いかけてくる。黙考しかけていたシュエは、


「へ?」


 と、少し間抜けな声を出してしまった。


「私に促されるまでもなく、ご自身の意思で庭園に出てくださり、花を愛でる喜びを感じてくださるなんて。今までを思えば、とても信じられません」


 パナは別人のようになった主人の態度を、心境の変化と判断しているらしい。


(とても悲しいことだけれど、主人がもう死んでいて、別人が動かしていると気がつくよりはいいのかも)


 たとえそれが、パナにとって望ましい変化を|シュエルバ姫(丶丶丶丶丶丶丶)がしていることで、彼女を盲目にしているのだとしても。


 真実を知ることだけが、正しいとは限らない。


 シュエにとってそのほうが都合がいいのも事実だが、この優しい侍女を傷つけたくはないという思いの方が強かった。


 そしてそれは、ゼグに対しても同じだ。


(そういう意味でも、言動の変化に理由があるのは良いことかもしれないわね)


 そう結論づけて、シュエはもっともらしい理由を探したが、実際に口から出たのはあまりに間抜けなものだった。


「……そう、ね。死にかけたからじゃないかしら?」


 背中に冷や汗をかかずにはいられなかったが、これが一番、理由としては強いと思ったのだ。


 実際、パナはやはりという顔で、納得してくれたようだった。


「手放しでは喜べませんが、死を強く感じたからこそ、姫様の|生きたい(丶丶丶丶)という気持ちが解放され、世界の見え方が変わったのかもしれませんね」


 そういうお話、よく聞きますし! とパナが頷く。


 赤い目尻のまま嬉しそうに微笑むパナにつられて、シュエは微笑みを返した。


 同時にしくりと胸が痛んで、少しだけ口端が震える。


 シュエルバ姫が愛されていたと知るたびに、シュエはこの痛みを味わうことになるのだろう。だからこそ、しっかりしなければと拳を握り込む。


(ゼグと話をしなくちゃ)


 おそらく、ゼグだけが知っている、シュエルバ姫の決意がある。


 それはパナと同じようにシュエルバ姫の変化を指摘しつつも、まったく違う態度を取ったことからも明らかだろう。


(それが、シュエルバ姫がこの(うつわ)を護りたかった理由に繋がるはず)






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