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黄昏姫の最後の魔法(1)

 その一撃は、魔獣に大量の血と瘴気をまき散らさせ、その有用性を示した。


 しかし、裂けた胸元の傷は見る間に塞がり、鼓膜が破れそうな咆哮がシュエの全身を叩く。


「ぐっ、なんだそれは、なんだ──っ」


 空間に広がった光の精霊王の祝福の影響で影に溶け込めなくなった魔獣が、狼狽も顕わに吠える。


 しかしその輝きも視認できたのは数秒で、シュエの視界は再びランプが頼りとなった。


 苛立たしげに振り下ろされた前足を寸前で避け、斬りつける。


「くそっ、くそっ! 小賢しいまねを!」


 闇雲に振り回される四肢と尾に恐々としながら、シュエは魔獣から距離を取った。


(もしかして、目が?)


 先ほどの閃光を直に喰らったのか、視界を失っている動きに気づいて、シュエはそれが戻る前にと魔獣の背後に回った。


(まずは尾を!)


 四肢に比べて長く、強靱にしなるそれは驚異だ。


 シュエは瓦礫のように積まれた財宝を駆け上り、四肢に筋力強化の魔法を発動させた。


 ランプを空中に投げ、照らされた尾の付け根に、両手でしっかり握った剣を振り下ろす。


 魔導銀の剣は強化されたシュエの膂力に応え、魔獣の尾を切断した。


「ぎゃあぁ! きさまッ」


 衝撃に身を躍らせた魔獣の巨体が、洞窟の側面に当たり、爪が地面を抉る。


「っ!」


 まき散らされた土砂と財宝に運悪くランプが弾かれ、シュエはその行方に気を取られた。


 その隙を狙ったように、切断されてもなおうねり暴れていた尾が迫り、シュエの体をはじき飛ばす。


「しまっ」


 川面に投げられた平石のように地面を跳ね転がり、祭壇にしたたかに背中を打ち付ける。


 衝撃に止まった呼吸に喘ぎながら、シュエはかろうじてそこに踏み下ろされた一撃を避けた。


 鋭い爪でバターのように祭壇の石が裂け砕け、飛沫がシュエの顔に傷をつける。


「げほっ、ぐっ」


 噎せるたびに脇腹が鈍く痛み、シュエの全身にびっしりと脂汗が浮いた。


(骨が──)


 罅か、折れているか。その判断をする間もなく、二撃目が迫る。


 地面を蹴って避けたが、強化された四肢に対して、傷を負った胴体では支えきれず、シュエは再び派手に転がった。


「餌のくせに、俺の尾を……よくも、よくも」


 赤く光る瞳が闇に浮かび、そこに滲む濃い影がざわめく。


 怒りに呼応するように瞬く間に再生された尾が、シュエの体を叩きつぶす意図を持って振るわれた。


「シュエ!」


 地面に尾が叩きつけられた轟音に、もう聴くことはないと思っていた声が混ざる。


 足下に落ちたランプが、間一髪で尾の軌道を逸らしてくれたゼグの姿を照らしていた。


 信じられない光景に対しての感情が湧く前に、本能がシュエの体を突き動かす。


 背後から体当たりする勢いで、ゼグと共に転がり、頭上を薙いだ尾を避ける。


 すぐさま互いに身を起こし、魔獣と間合いを取った。


「一人増えたところで!」


 新たな邪魔者に、魔獣が不機嫌に咆哮する。


 しかし次の瞬間、怒り任せに叩きつけられた前足は、ゼグの刃によって斬り飛ばされていた。


「ぎゃっ……くそっくそ!」


 本来は影に溶け、必要に応じて実体化して相手を嬲ってきたツケか、それが不可能となったときの魔獣の動きは獣のそれよりも単純だった。


 こんなにも慢心した魔獣に、国がいいように脅かされていたのかと思うと、シュエは悔しさでいっぱいになる。


 恐怖はそれほどまでに、人間の心を縛るのだ。


 それを巧みに利用した、この化け物が許せなかった。


(絶対に、お前にゼグを殺させはしない!)


 来てくれると思っていなかった。


 一人だろうと精一杯戦って、少しでも弱らせられればと、己を奮い立たせていたのだ。


 恐ろしくて震えてしまいそうな足に、必死に力を込めて、剣を構えた。


 そうしなければ、明日ゼグが死んでしまう。


 そう思ったからだ。


 けれどなぜかゼグはシュエの元に駆けつけてくれ、共に戦ってくれている。


 彼の中でどういう心境の変化があったのかはわからなかったが、それだけでシュエの力は何倍にもなった気がした。


 それこそ本当に、ここで倒してしまいたい。


 そういう願望に火が灯る。


(だって、ここにゼグがいるということは、今勝たなければ、死ぬってことじゃない!)


 助けに来てくれたことが嬉しいのに、己の願いを叶える難易度が上がるなんてと、シュエは苦い笑みを口端にたたえた。


 恐怖とは違う震えが、全身を襲う。


 しっかりと剣を握り直し、ちらとゼグを横目に盗み見る。


 その眼差しがひたと魔獣だけを見据えていることが、嬉しくてたまらなかった。


 この瞬間に、シュエを気にかけていない。


 それは何物にも代えがたい信頼だった。


(その期待に、応えてみせる!)


 魔獣は相変わらず、前足を振り下ろし、尾で薙いでくる。


 単純といえど、その威力は凄まじい。


 当たれば肉は潰れ、骨が砕けるだろう。


 しかし対峙した二人は、視界の悪さすら己の神経を研ぎ澄ます要素に昇華させ、互いを補い合うように避けては浅い傷を魔獣に与えていった。


 前足を完全に再生させる間を与えずに血を流させ、消耗させる。


 シュエが再び尾の半分を薙いだことで、後ろ足の腱を斬りつける好機が生まれた。


 ゼグがその隙を逃さなかったことで、不安定になった巨体がとうとう地に伏す。


「首を!」


 シュエの声に、ゼグが疑問も抱かず動く。


 そのことに震えるほど歓喜しつつ、シュエは脚力を利用して魔獣の背に駆け上り、頭上に向かった。左手に水晶を握り込み、攻撃と同時に叩き割れるよう準備する。


(強化魔法の効果もそろそろ切れる。決着をつけなければ!)


 首元に剣を突き立てようとした瞬間、魔獣がざわりと毛を逆立てた。


「ふざけ、やがって!」


 最後の足掻きにしてはたちの悪い勢いで、瘴気がまき散らされる。


 咄嗟に腕で顔を庇ったが、それで防げるものではなかった。


「ぐっ」


 ゼグが呻き、顔を覆う。皮膚が焼け焦げているのがわかり、凄まじい激痛を伺わせる姿に、シュエは戦慄した。


「ゼグ!」


「お前からだ!」


 たまらず膝を突いたゼグに、魔獣のあぎとが迫る。


 その瞬間、シュエは迷わなかった。


 最初に祝福を全身に浴びていたからか、それとも水晶を呑み込んでいたおかげか。シュエは瘴気の穢れを受けずに動けたのだ。


 魔獣の頭部から滑り降り、加減できぬことを詫びながら、ゼグの肩を蹴り飛ばす。


 勢いよく吹っ飛んだゼグの姿が、左右から迫る牙の奥に消えた。


「ぐ、あがっ──」


 噛み砕かれた右足が、激痛を訴えてくる。


 意識が飛びそうな痛みに叫びたかったが、叫べば手に力が入らない。


 シュエは己を押しつぶそうとしてくる口内でもがき、最後の力を振り絞って喉に剣を突き立てた。


 同時に、握っていた水晶を柄頭に叩きつける。


 魔獣の体内でそれが炸裂した刹那、間を置かずに迸った咆哮が、シュエの全身をもみくちゃにした。


 シュエの視界に、半分吹き飛んだ魔獣の後頭部が見え、そこに追い打ちをかけるように、青白い閃光が走り抜ける。


 シュエの意図を違わず察したゼグの刃が、魔獣の首を断ったのだ。


 己を圧迫していた舌が弛緩し、すぐに強い衝撃が全身を叩く。


 魔獣が倒れたのだとわかったが、シュエは自分で動く力が残っていなかった。


 しかしこの洞窟は今、魔獣から溢れた瘴気混じりの血に塗れている。


 多少は先ほどの光で浄化されるだろうが、すぐに逃げなければ、ゼグは無事では済まないだろう。


「いいから、逃げて」


 どうせもう助からない。


 その確信が、シュエにそう口走らせる。


 その声を無視するように、強い力がシュエの腕を掴み、口腔内から引きずり出した。


 驚きつつ見上げると、鬼の形相をしたゼグが何か怒鳴っていた。


「ごめんなさい、よく聞こえないの」


 鼓膜が破れているのだと、その一言で察したのか、ゼグの表情が歪む。


 そのままシュエを担いで、ゼグは洞窟の外まで逃げ出した。


 腥く、息が詰まりそうだった空間から解放されて、シュエは深呼吸しようとしたが、腹部の痛みに邪魔される。


「ああ、もう。忘れてたわ」


 気づいてしまえば、ずきんずきんと、脇腹も右足もひどく痛んだ。


「シュエ、すまなかった。まさか一人で戦わせるなんて!」


「なんでそんな顔をしているの。大丈夫よ。勝ったじゃない。貴方がいたから、勝てちゃったわ」


 信じられない、とシュエが笑っても、ゼグの表情は変わらなかった。


「くそ、くそ! 俺は、また間に合わなかったのか……俺は」


 聞き取りにくくはあったが、少し落ち着いたからか、ようやくゼグの声が言葉として聞こえてきて、シュエは眉尻を下げた。


「間に合わない……? 心変わりして、一緒に戦う気になってくれたんじゃないの?」


「なにを、言って」


「ゼグが護りたかったのは、シュエルバ姫でしょう? 私じゃないわ……だから、明日、編成部隊に混じって来るんだろうって、思って──」


「そんなわけ! いや、そんな風に思わせた、俺が悪い。──本当に、俺は最低だ」


 ゼグの一言よりも、俯いたことで見えた左目が、シュエに衝撃を与えていた。


「ゼグ、目が!」


 瘴気に焼かれたのか、瞼が赤く腫れ、瞳も白濁している。それはシュエに凄まじいショックを与え、動揺を抑えきれなかった。


「ああ、嘘でしょ。腕は!? 腕はついてる!?」


 体を動かそうとしたが、身じろぐことすらできない。


 シュエの言動に面食らった様子で、ゼグは手を掲げて見せた。


「なんだ、急に。腕はちゃんとある。お前に蹴られた肩はひどく痛むが。目も潰れてはいないから、おそらくは大丈夫だ。視力は落ちるかも知れないが」


「……はぁ、理想とはほど遠いけれど、私にしては頑張った、という事にしておくわ」


 悔しさはあれど、強い安堵を感じて、シュエは息を吐き出した。痛みが遠のき、腹部にじんわりとした熱を感じる。


 呑み込んだ時点で、覚悟していたのだ。


 それはどういう結果になろうとも、時間が経てば、シュエの中で必ず砕けるものだ。


 そして、魔獣との戦闘で受けた何れかの衝撃が、その時を早めた気配を、感覚で察する。


 時間がないと思うと、少し早口になった。


「ゼグ、助けに来てくれて、ありがとう。とても嬉しかった。貴方は来ないと思ってたから」


「そんなわけがない。知らなかったんだ」


 ゼグの言葉に、シュエは瞠目した。


 だがすぐに、二人の騎士の様子が少しおかしかったことに納得がいく。


(そうか、ゼグは生贄に反対していたから、作戦が破綻しないよう、隠したのね)


 若い騎士がシュエの供についたのは、団長が動くとゼグに動きを悟られてしまうからだろう。


「そうだったの。というか、よく考えれば、シュエルバ姫の体が犠牲になるのに、来ないわけがなかったわね」


「そういう意味では──」


「いいの。貴方も私も、大切なものを護れた。騎士として、これほど誇らしいことはないわ。それに、本当を言うとね、シュエルバ姫に与えられた使命を、全うできたことより、貴方を──救えたことが、嬉しい」


「シュエ……?」


「たぶん、このままで、いれ、ば、貴方が負った瘴気の穢れも、傷、も、癒やせる、から──どうか、このまま、抱いていて」


 末端から、体の感覚が抜けていく。


 そのすべてが腹部に集まっていくのを、シュエは心地よくさえ感じていた。


「貴方は、あり得ない、と、笑ったけれど、片目と片腕を、失っても、命がけで、シュエルバ姫を、護ったのは、貴方よ──私は、そんな貴方に、憧れて……だから、たすけ、たかったの」


「待て、まて。どういうことだ」


「あと、お前じゃ、なくて、シュエと──呼んでくれて、ありがとう」


「おい、まだ話が。俺は、シュエルバ姫の体だから助けたかったわけじゃ」


 どちらかというと、顰め面か不機嫌な顔を見ることが多かった男の顔が、焦燥に歪む。


 それが少し楽しくて、シュエは微笑んだ。


「大好きよ。私の──憧れの、きしさま」


 言いたかった一言を告げるをの待ってくれていたかのように、シュエの腹部でパキンっと砕ける音が響いた。





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