はじまりの丘
どちらかというと、疎ましそうにこちらを見ていたのを覚えている。
その視線を不快に思い、より一層鍛錬に勤しんだ。
好きか嫌いかと問われたら、嫌いだと言える相手だった。
けれど、二人きりで話がしたいと、無骨だが品のある文字で書かれた手紙をもらってしまったら、ドキリとしてしまうのが乙女心というものではないだろうか。
王族を警護する近衛騎士団に所属する父と、それに見初められたちょっと天然気味なご令嬢だった母を持つ、ごく普通の貴族の娘──とは少し、いやかなり違うという自覚がある。
ゆえに、初めてもらった恋文に舞い上がった。
六人姉妹の末娘として生まれ、男児が生まれないことに業を煮やした父が、母の制止を振り切って騎士として育てたのがこの私なのだ。
姉たちが綺麗なドレスに身を包み、甘いお菓子や紅茶を楽しんでいる時間、私は訓練着で木剣を振るっていた。
父方に脈々と受け継がれてきた騎士の血は間違いなく私にも流れており、その才能は誰もが父の所行を制止するには惜しいと考えてしまうほど現れたからだ。
姉たちがうらやましかったが、母がよく話してくれた物語に登場する騎士に憧れたおかげで、訓練は苦痛とはかけ離れていった。
本当は、その騎士に護られていたお姫様に憧れていたのだけれど……。
その気持ちをねじ曲げたのは、間違いなく幼い私の健気な逃避だ。
騎士に憧れることで、己の立場を喜ばしいものだとした。
父の厳しい訓練を耐え抜き、士官学校で卑屈な男どもの嫌がらせもねじ伏せ、堂堂と首席で卒業した私は、晴れて幼い姫君の傍付きを任命された。
騎士として育てたくせに、比較的平穏な場所に配属されたことに父が安堵していたことに呆れたが、大変栄誉ある任務に私は胸躍らせた。
だって、本物のお姫様だ。
憧れた騎士が三百年前に命がけで護った、尊い血を受け継ぐ、本物の姫。
嬉しくないわけがない。
そうやって、胸に喜びが満ちていたからこそ、その手紙の真意に気がつけなかったのだ。
ああどうして、あの瞬間、私の乙女心がときめいてしまったのだろう。
向けられていた疎ましさを含む眼差しを、あらやだ、本当は淡い恋心だったの? なんて思い直せたのだろう。
誰にも秘密にして来てくれと、指定された丘の美しさに浮かれて、導かれるまま端に立って。
あの瞬間の自分の頭を、木剣でかち割りたい。
「じゃあな」
口端を歪め、嘲笑を滲ませた声音で男が呟く姿を、私は体を空に踊らせながら呆然と見るしかなかった。
私という存在が、殺せるほどに憎かったのだろう。
あらゆる才能を上回り、膂力の差も技量で打ち負かされ、なにより女であるこの私が。
哀れな男。
私を殺した犯人を、父が見つけられないわけがない。
あんたをどうやって殺すのかが、見られないことだけが残念だわ!
あとはただひたすら、己の愚かさが呪わしい。騎士として、本当に情けない。
「ああ、私の姫。貴方の傍に控えることすらなく死ぬなんて!」
しかもこの若さで!
絶望よりも滑稽さが勝って、両手で顔を覆う。
その両手が震えていることに気がついて、一気に恐怖が胸に満ちた。
思い出したように喉奥から悲鳴を上げようとした瞬間、思いがけないほど近くで誰かの声が鼓膜を震わせた。
『おねがい。誰か応えて! 助けて!』
切羽詰まった、若い女の声。
語尾が少し掠れ、怯えている。
父に教え込まれた騎士道精神の賜物か、持ち前の正義感か、とにかく助けを求める声を聞かされて、無反応ではいられなかった。
己の状況などすっかり忘れて、叫ぶ。
「待ってて、今行くわ!」
カッと目を見開き、そして現実を思い出す。
めいっぱいに広がった瞳孔には、近すぎてピントが合わない地面が迫っていた。
「──っ」
目を閉じられたのかすらわからない。ただ、その瞬間は驚くほど無音だった。
肉が潰れ骨が砕ける音も、醜く喉奥から絞り出される断末魔もない。
それを知覚する余地などないほど、一瞬ですべてが潰れたのかもしれない。
想像しかけてしまい、ぞっとする。
身震いしようとして、今更のようにその違和感に気がついた。
(あれ?)
状況が飲み込めない。
意識はあれど、あらゆる感覚がふわふわとしており、視界は真っ白に塗りつぶされている。
未知への恐怖が意識を支配するより先に、先ほどの女の声が割り込んできた。
『ありがとう、見知らぬ貴方。そして、ごめんなさい。だけど、私では私の体を護れない。残酷な願いですが、どうか──』
まって、まって。
声が出ないの。この状況を説明して。一方的に話し続けないで。
『どうか、どうか国の為。そのときがくるまで貴方が──』
この体を護ってください。