閃光と咆哮(2)
◆ ◆ ◆
静かな夜だった。
暖かだった空気はいつの間にか夜になると冷えるようになり、湿寒期の訪れを予感させる。
運命の日が近づくにつれ、ゼグの眠りは浅くなっていた。
自らがそう仕向けたにもかかわらず、会話が減ったことでシュエの感情が読めなくなり、必要な言葉すら告げにくくなる。
「馬鹿げたことだ。こんなことに惑っている場合ではないのに」
シュエルバ姫の姿が、シュエルバ姫に見えなくなっていることに気がついたのは、いつからだっただろうか。
敬愛した主を失い、嵐のようだった悲憤も今は凪ぎ、ゼグは遺された使命を全うするために前を向けている。
この穏やかで強い心を持てているのは、シュエがいたからだろう。
同じようにシュエルバ姫に運命を託され、真っ直ぐに応えようと懸命になっている姿を見せられて、絶望していられるわけがない。
(助けられた、とても。シュエがいなければ、俺はこんなにも澄んだ気持ちで魔獣討伐に挑めなかっただろう)
シュエルバ姫が生きていたとしても、彼女を助けたい一心で、無謀な戦いを挑んでいたはずだ。
そしてそれは、もしかしたらシュエルバ姫の賭けを妨害していたかも知れない。
「伏せられたが、やはり洞窟へ行く前に仔細を把握しておくべきだな。俺だけなら、シュエとて問題ないだろう」
おそらく、まずはシュエとゼグが魔獣と戦うことになるのだ。
一日後、討伐部隊が確実に魔獣を仕留められるように。
(魔獣を弱らせる方法、か)
シュエルバ姫は、それを己の身を犠牲にすることで実行しようとしていた。
そしてその方法にシュエは気づいた上で、「倒してしまったらごめんなさい?」と言ったのだ。
勝ち気な顔を思い出して、思わず微笑む。
さすがに冗談だろうが、シュエルバ姫が一人で抱え込もうとしていた手段よりは、ずっと現実的な気がしていた。
「本当に、倒してしまえればいい」
そうすれば、誰も死ななくて済む。
大きく息を吐き出してから、何度目かの寝返りを打つ。
ゼグは微かに訪れた眠気に従って目を閉じたが、不意に思い至った考えに意識がスッと冷えた。
目を開くのと同時に、起き上がる。
焦燥に駆られるまま手早く身支度を調え、ドアを開けた。
一歩踏み出した廊下の暗さで、我に返る。
「何を考えているんだ。夜中だぞ」
確かめるのは、明日でいい。
明日の朝、シュエが走り込みに乗り出すまえに捕まえて、誤解を正す。
(それで問題はない──はずだ)
そう自分に言い聞かせたが、ゼグは廊下から足を戻せなかった。
なぜ気づかなかったのかと、己の間抜けさに嫌気がさす。
「俺と共に戦うつもりでいたら、あんな言い方はしない」
シュエの言葉は、ゼグに向けられていた。それはつまり、一人で戦おうとしているということだ。
(俺が悪い。俺が自分の感情から目を逸らすために、彼女の罪悪感を利用した)
シュエから言葉をかけにくい状況を作った上で、ゼグもまた言葉を選びあぐねて交わすべき言葉を交わしていなかったのだ。
魔物と戦い慣れているゼグですら、魔獣相手では恐怖が拭えない。
それは覚悟や決意とは別に存在する、当たり前の感情だ。
その恐怖を、数奇な運命によって同じ立場に立たされてしまっただけの、十七の少女にたった一人で抱えさせていた。
国王に拾われ、シュエルバ姫と年月を共に過ごして育んできた忠誠や敬愛があるゼグとは、支えとなる想いの強さが根本的に違う。
託されたからという信念や、騎士としての誇りだけで剣を握らせるには、あまりに酷だ。
(それでも君は、あの言葉を笑って言ったんだな)
なんという眩しさだろうと、改めて思う。
ゼグは迷いを捨てて、暗い屋敷の廊下を歩き出した。
真夜中に主君である姫君の寝室へ向かうなど、あらぬ誤解を招きそうだが、見られなければいいのだ。
ゼグはただ純粋に、一刻でも早く、隣に自分がいることを伝えたかった。
その言葉が、シュエの恐怖を和らげると信じて。
(本当に馬鹿なことをした。惹かれることを恐れずに、もっと会話をすべきだった。あからさますぎて気になったシュエという名の由来すら、問いかけていない)
足音を殺すのがもどかしくなり、少し大股で歩き出す。しかしその歩調は、シュエルバ姫の居室に入るなり戸惑いに鈍った。
「パナ……?」
手燭を持ち、寝室の扉の前をうろついていたパナに声をかける。
驚かせてしまったのか、パナは「ひぁえ!?」と奇声をあげながら飛び跳ね、手燭を床に落とした。
「すまない、そんなに驚くとは──」
「どうしてここに!?」
火の消えてしまった手燭を拾おうとしたゼグの腕を、パナが掴む。
その剣幕で客観的な状況を思いだし、ゼグは気まずさで声をうわずらせた。
「違う、誤解だ。姫様にお伝えしなければならないことがあって」
「なぜここにいるのです!!」
瞳にめいっぱいの不安を滲ませたパナの表情が、月明かりでかろうじて見える。
嫌な予感を助長するように耳鳴りがして、ゼグの感情を揺らした。
まただ、と思う。
またしても、護ろうとする腕から大切なものがこぼれ落ちようとしている。




