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雨と光と恋心(1)

 目が覚めたとき、耳に微かに聞こえる雨音に、シュエはため息をついた。


 一昨日の午後に降り出した雨が、まだ続いている。


 早朝の走り込みを諦めて、筋力トレーニングのセットを増やすしかない。


 パナに起こされるよりも早く起きるようになって暫く経つが、今日は起き抜けに温かい香茶を飲みたい気分だった。


「マフィンも食べたいわ。蜂蜜がたっぷり混ざってるやつ」


 肉体的なものよりも精神的な疲労がきつい。


 シュエは何度目かの溜め息をぐっと堪えて、身支度を調えた。


 居室の呼び鈴を鳴らす方が手間だと思い、調理場へ向かう。


 その途中の廊下で、幸いにもパナに遭遇できた。


「おはようございます、姫様。今日も生憎の雨ですね」


「ええ。おかげで気が滅入って、貴方の作ったマフィンが食べたいの。蜂蜜をたっぷり練り込んだやつ。頼めるかしら」


 シュエの願いに、ぱっとパナの顔が明るくなる。


 シュエルバ姫が何か願うことを喜びとしてくれるその姿に、シュエの心は少しだけ温かくなり、そして切なくもなった。


「すぐに焼いてお届けします。どちらに──ああ、そうでした。これを。やっと届きましたよ」


 言葉の途中で、パナが手に持っていた小包を差し出してくる。受け取って小包についていた札を読むと、差出人どころか受取人の名前もシュエの知らないものだった。


 パナが渡してきた以上、シュエルバ姫が偽名を使ってやりとりしていた相手なのだろう。


「ありがとう。随分かかったわね」


 パナの言葉尻に合わせるようにシュエが相づちを打つと、「本当に」とパナは同意した。


「至急と姫様がおっしゃったのに、半年もかかるなんて! あら、そういえば、この事は覚えていらしたんですね。やはりとても大事な──っと、申し訳ありません。私ったらまた余計な詮索を」


「大丈夫よ、気にしてないわ」


「温情に感謝いたします。では、マフィンは研究室にお持ちすれば?」


「ええ。お願いね」


 多少ぎこちなくなった返事に冷や汗をかきつつ、小包の中身が魔導関連のものだと察する。


 シュエルバ姫が急いで手に入れようとしていたものである以上、すぐに確認すべきだろう。


 シュエは朝の予定を脳内で変更して、研究室に向かった。


 執務机の椅子に腰かけて、小包を開ける。


 予想以上に厳重に梱包されていた小箱の上に、手紙がついていた。






 親愛なる同士 アメイシャへ


 届けるのが遅れて申し訳なかった。貴方が至急と頼んだことは今までなかったから、きっと本当に必要な物なのだろう。だからこそ、精製に慎重になってしまったんだ。


 催促の手紙がないので、間に合っていることを願う。


 ついでに失敗作も入れておいた。君は面白い思いつきをする人だから、遊んでみてくれ。


クレイン。


 追伸


 前回教えてくれたランプ、残念だが私では巧く造れなかった。より詳しい仔細がもらえるとありがたい。可能なら実物を送ってくれ!






 綺麗に整った文字からは几帳面さが、言葉選びには愛嬌がある。


 文面の親しさから、何度もやりとりが交わされていることが窺えた。


「きっとこの方も、優秀な魔導師なのね」


 身分を隠すことでそこに縛られることなく、互いに得意分野で協力していたのだろう。


「……返事が来ないことを、きっと残念に思うでしょうね」


 しんみりした気持ちになりつつ、シュエは箱を開けた。箱の中からは小箱と、布に包まれた何かが入っている。


 先に布のほうを取り出して、開く。


 野いちごほどの大きさの水晶が三つ、ころころと手のひらの上で転がった。


 球状に加工されており、中心から外側にかけて無数の亀裂が走っている。


「なるほど、確かに失敗作ね」


 水晶は希少な宝石と比べても遜色ないほど、魔力を蓄積させるのに向いている鉱石だ。


 しかし蓄積させる量を見誤ると割れてしまい、魔力を蓄積させる器としての意味もなさなくなってしまう。


 この水晶はかろうじて割れてはいないため、まだ魔力を留めているようだったが、どういう性質を持っているかまではシュエにはわからなかった。


 シュエの時代では、その入手のしやすさと加工のしやすさから、人工魔石として利用されることが多い。


 魔石に手が届かない層にとっては欠かせないものなのだが、さすがにこの水晶は、魔石の代わりとして作ったものではないだろう。


 シュエルバ姫の研究室には、質の良い魔石が山ほどあるのだ。


「仕方ない、ひとまず小箱の方も確認して──」


 小箱に気を移したからか、手のひらの布から水晶が一つ転がり落ちる。


「あっ」


 それは床に落ちると同時に砕け、まばゆい光を放っていた。


「──っ」


 咄嗟に延ばしていた手が影になっていなければ、目が眩んでいたとわかるほどの光量に驚く。


 幸いなことにそれは一瞬で収まったが、残滓のように黄金色の粒子が部屋中に舞っていた。


「ああ、驚いた。浄化の輝きだわ」


 害のあるものではなかったことに安堵はしたが、閃光を放つほど強烈な浄化の力など、シュエは見たことがない。


「もしかして、光の精霊王(ソルルリチ)の祝福なんじゃ」


 いつだったか、風の精霊王(バロノア)の祝福が封じられたとされる翡翠が、とあるオークションですさまじい値段で落札されたという記事を読んだことを、シュエは思い出した。


 それと同等のものが手のひらの上にある可能性に、シュエの体が勝手に身震いする。


 布の上で揺れたそれを見て、シュエの喉奥からヒッと悲鳴がもれた。


 可能な限り素早くかつ慎重に、布に包み直して机に置く。


「やだこわい。小箱の中身を見たくないわ」


 俗っぽい恐怖にかられたが、シュエルバ姫の日記が目に入り、それどころではないと思い直す。


「よく考えたら、これって魔獣討伐にものすごく役立つじゃない」


 閃光を放つ上に、強い浄化作用があるのだ。


 魔獣にとって、これほど苦痛を与えられるものはないだろう。


 うまく使えば、大きな隙をつくれるはずだ。


 そう思うと、一つ無駄にしたことが非常に悔やまれたが、それがなければ水晶がどんな作用を持っているかわからなかったのも事実だ。


 必要な消費だったと割り切って、シュエは改めて小箱を手に取った。


 小箱にはクッション代わりに布が詰め込まれており、その中心に他と同じ大きさの水晶が一つ鎮座している。


 そっとつまみ上げて眼前に晒したが、シュエの目では失敗作との違いがまったくわからなかった。


「うーん、並べてみると、亀裂がより外側にまで入ってる、のかしら」


 衝撃から護られるように梱包されていたことを考えると、あながち間違いではない気がするが、より脆く加工されている意図がわからない。


「何にどう使うために頼んだのかしら。特別な研究のためだったのかもしれないけれど、私ではもうわからないし、魔獣と戦う時にこれも一緒に使ってしまってもいいわよ、ね?」


 熱心な研究の痕跡を目の当たりにしているだけに、多少の後ろめたさがあるが、背に腹は代えられない。


「確かちょうどいい大きさのポーチがあったわね。パナに頼んで、内側にクッション代わりの毛皮を縫い付けて貰わないと」


 パナの名前を口にしたからか、不意に「半年もかかるなんて」と言っていたことを思い出す。


 その瞬間、ようやくシュエルバ姫がやろうとしていたことを理解して、膝から力が抜けた。


 浮かしかけていた腰が椅子に戻り、深い溜め息がでる。


「馬鹿ね、魔獣討伐に使うために用意したに決まってるじゃない。……そうね、ええ。間違いなく、この身が犠牲になることで、最初の大打撃になる一手だわ」


 眉間に指先をあてて、ひとりごちる。


 シュエの頭の中では色々な考えが渦巻いたが、すべてが上滑りしてまとまらなかった。


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