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心の在処(4)

 ◆ ◆ ◆




 昼過ぎのいつもの時間、いつもの広場でゼグが待っていると、シュエはいつもと同じように現れた。


 シュエルバ姫の姿をした、別人。


 邪魔にならぬよう金の髪を後頭部でくくり、動きやすい訓練着を纏っている。


 剣を腰に佩き、真っ直ぐに歩いてくる姿は、シュエルバ姫なのに、シュエルバ姫ではなかった。


(見るたびに、現実を突きつけられるな)


 何度、同じ言葉を脳裏に浮かべたかわからない。


 最初の頃、ゼグの胸は引き裂かれそうなほどに痛み、呼吸が乱れるほど苦しくてたまらなかった。


 魔獣の影が城内に現れた日に、ゼグの日常は瓦解したのだ。


 疑念が確信に変わり、本人の告白によって確定した事実を前に、ゼグは目の前が真っ暗になるという言葉を身をもって体験することになった。


 腹に力を込めていなければ、膝から力が抜けそうだった。


 間に合ったと思っていた。


 大怪我をさせてしまったが、一命を取り留め、目覚めてくれた──はずだった。


 後悔と喜びと、それ以上の絶望。


 部屋に入るまではあった煮えるような怒りなど跡形も無くなり、体を鉛のように重くする感情を処理しきれず、廊下に逃げた。


 そして、飾られていた絵画に描かれていた鳥を凝視し、呆然と扉の脇に立ったのだ。


 いつもとかわらぬ事をすることで、ゼグは冷静さを保とうとしたのだ。


 そうしなければ、発狂してしまいそうだった。


 主を失った悲しみと、自責の念に囚われて、息がうまく出来ない。


 その足掻きを、己の不甲斐なさへの怒りを、シュエにぶつけずにはいられなかった。


 恥の上塗りのような言動を思い出すと、自分で自分の首を落としたくなる。


 だがそのいたたまれなさよりも、シュエに剣をはじき飛ばされたときの腕の痺れのほうが、ゼグの中でより鮮烈に残っていた。


 怒りに染まった青い瞳は、見たことがないほど生命力に満ちて輝き、華奢な体が稲妻のように肉薄したときの衝撃は、筆舌に尽くしがたい。


 あの瞬間、ゼグは間違いなくその姿に見惚れたのだ。


 それがシュエルバ姫の姿だったからか、シュエだったからかは、わからなかった。


(わからない、はずだったんだが)


 対峙する位置に立ったシュエが、スッと抜剣し、半身を下げる。


 今朝のゼグの発言を受けてか、常ならあった軽い会話がなかった。


 そのことに、そう願ったはずのゼグの胸がざらつく。


 シュエルバ姫として違和感を抱いていたときから、シュエは一貫して真っ直ぐな気性の持ち主だった。


 パナもスィルカも、なぜあの変わり様を受け入れられるのか理解出来ないほど、姿以外は別人だったのだ。


 実際、ゼグは一度だけスィルカに「シュエルバ姫は死んでいて、魔物に体を弄ばれているのではないか」と、青ざめながら進言すらしたのだ。


 そんな気配はないと一蹴されたが、結果としては半分正解だったのだ。


 自分だけが抱いた疑念と、それの正しさ。


 どれほどシュエルバ姫を観察していたのかを突き付けられた結果だったが、それだけ、ゼグはシュエルバ姫を大事に思っていたのだ。


 己の境遇を恨まず、嘆かず、ただ受け入れて、けれど国への貢献は惜しまない姿に胸打たれ、敬愛していた。


 ただ付き従うには情が湧きすぎて、最後の生贄となる決断をしたシュエルバ姫に、ゼグは何度も意見した。


 それをいさめず、困ったような顔で否定だけされる。覚悟しつつも不安を隠せない姿に、胸が痛んだ。


 だから諦めずに、一人だけだったとしても、その時が来たら抵抗しようと、ゼグは決めていた。


(決めていたのに──)


 細月のささやかな明かりが綺麗な夜だった。


 陰りがちだったシュエルバ姫の表情も、静かな夜に幾ばくか凪いでいたように思えたのだ。


 だから、勅使が来ているという言葉の力以上に、少しだけ一人にしてさしあげたいと、ゼグは思ってしまったのだ。


 その油断が、簡単に主を奪い去っていた。


 そしていつの間にか、この少女が現れていたのだ。シュエルバ姫の遺した役割を、肩代わりするために。


 シュエとの鍛錬は、乱れた心を整理する手段として、大いにゼグを手伝ってくれた。


 気性そのままに真っ直ぐなシュエの剣と打ち合う度に、余計な霧が晴れていく。


 少しでも隙があれば躊躇わず踏み込んでくる潔さが、心地よかった。


 頭が澄んでくると、思考が働くようになってくる。なぜシュエは鍛錬するのかと、ゼグは今更のように考えた。


 才能がありすぎて、ひたすら高みを目指す姿に、勝手に理由を見いだしてしまっていた。


 屋敷に入ると傍付きを命じられない限り、何をしているのかはわからない。


 仕方なくパナにそれとなく水を向けると、日が落ちてからは研究室に入り浸っていると知ることができ、ゼグは一つの推測にたどり着いた。




 この娘はただ生贄になるのではなく、戦おうとしているのではないか?




 シュエルバ姫のままだったならば、あり得なかった選択肢だ。


 だがもしかしたら、シュエルバ姫ではなくなってしまったことで、出来なくなったこともあるのではとゼグは考えたのだ。


 シュエルバ姫は己が犠牲になることで、魔獣を討伐可能にする策があるようだった。


 儀式から一日経ってから討伐せよと、準備を進めている騎士団は通達を受けている。


(そもそも、シュエはシュエルバ姫の策を知ることが出来ているのだろうか?)


 それについて問いかけ、鍛錬の真意も聞き出し、可能な限り協力しようとゼグは思っていた。


 いつのまにか、シュエルバ姫を失った苦しみも、その体が別人によって生かされている怒りも、胸の底で溶けていた。


 消えることは決してないが、気持ちの整理はついたのだ。


 だから前に進もうと思えた。


 しかしそのゼグを、予想外の感情が邪魔したのだ。


 別人だという認識はとっくにできていたはずなのに、真っ直ぐに向き合おうとした途端、シュエが驚くほど眩しく見えるようになってしまったのだ。


 あの日、怒りに燃えていたはずの瞳は、いつの間にかシュエの心を素直に映して憧れに輝き、シュエルバ姫の時は見たこともなかった動きでくるくると表情を変える。


 笑い、拗ね、怒り、悪巧みする。


 その豊かさに、ゼグの感情も引きずられる。


 そして昨日、シュエを思いがけぬほど勢いよく転がしてしまい、慌てて助け起こしたときに向けられた顔が、夜になって眠ろうと瞼を閉じても消えなかったのだ。


 ひどいと拗ねながら、乱れた髪を直す横顔に触れたくなった自分に、動揺が収まらない。


 シュエルバ姫に触れたいなどと、ゼグは一度も思ったことがなかった。


 ただ寄り添い、進む道の供として連れて行ってもらえればよかった。心から敬愛していた。


 それなのに、中身が変わったことで芽生えた感情が、ゼグの理解を拒否したのだ。


 シュエルバ姫の姿なのに、まったく違う方向で惹かれることに恐怖した。


(だが、もっと違う理由があったはずだ)


 とにかく距離をとらなければと、ゼグはもっともらしい理由に逃げてしまった。


 焦燥のまま、口から零してしまった言葉。


 その瞬間の、シュエの表情。


 僅かに瞳孔が開いたが、すぐに元に戻り、ただ了承の言葉を返された。


 ゼグの心はその一瞬で、後悔と罪悪感と不安でぐちゃぐちゃになったが、シュエの心は微塵も読めないまま、立ち去られてしまったのだ。


 ゆえに、こうして稽古の時間に再び顔を合わせるのがゼグは不安だったのだが──。


(俺が後ろめたいから、不安になっているだけだったか)


 ゼグの要望を聞き入れ、無駄口を閉じて対峙するシュエの眼差しは、むしろより澄んでいて、強い集中を感じる。


 これは気を引き締めなければ一本とられてしまうと、ゼグも気持ちを切り替えた。




 隠されてしまった涙など、知りようがなかった。








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