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心の在処(3)



 その日、いつも通り日が落ちると、シュエはシュエルバ姫の研究室に足を運んだ。


 ゼグに鍵を返せとは言われていないので、そのまま調べさせてもらっている。


 ある程度整理されているとはいえ、膨大な量の書類の中から有用性の高いものを見つけるのは結構な重労働で、シュエの額には汗が滲んでいた。


「よい、しょ」


 睨んでいた資料がかなり古いものだと、一時間も経ってから気がついて、箱ごと退かす。


 汗を拭いながら、シュエは顔が不機嫌になるのを止められなかった。


「この箱が、そもそも廃棄書類をまとめたものだったのね。もう!」


 専門分野ではないので、瞬間的な判断ができないのがもどかしい。


 この時代の最先端だからこそ、余計に専門性が高く、難解なのだ。


「少し気分転換しましょ」


 パナが用意してくれたティーポットから、香茶を注ぎ、クッキーを囓る。


 砂糖の甘さが口に広がると、シュエの体からふぅーっと力が抜けた。


 誰もいないのをいいことに、だらしなく椅子にもたれながら、室内を見回す。


 書斎机の上にある日記が目について、なんとなく手を伸ばして表紙を撫でた。


 なめらかな手触りを指先で確かめていると、その下に敷かれているのが封書だと、今更のように気がつく。


 美しい蔦模様で縁取られた真っ青なそれは、目立つからこそ書斎机に馴染んでいて、敷物のように見えていたのだ。


「やだ、なんて間抜けなの」


 手に取り、中身を取り出す。


 その書類の束に目を通した瞬間、先ほど思わず零した言葉が鈍器の威力を持ってシュエの頭を殴った。


「魔獣に関する資料じゃない! ほんっとうに、なんて間抜けなの!」


 シュエルバ姫が自分の運命を決めたとき、集めさせたのだろう。


 現状でわかる限りの魔獣に関する情報が、綺麗にまとめて書かれていた。


 生贄を捧げる周期は二年に一度。国で最も魔力量の多い者であることが条件。


 影の襲撃時期に規則性はないが、出現場所の近辺で生贄の対象となる者が存在していることが多い。生贄の祭壇は魔獣の指示により、ララスィーヤ山の中腹にある洞窟に用意されている。


 関係者の証言によると、魔獣はその洞窟の奥を住み処としている可能性が高い。また、生贄の回収は必ず夜にされていることから、魔獣が陽光もしくは光に弱い可能性が考えられる。


「光精霊、陽光、爆破、毒、浄化。陽光そのもの、もしくは光属性の浄化作用に弱いのか、視覚的に強い光に弱いのか。灯りでも代用できるのか」


 最後の一文の脇に、シュエルバ姫の文字で、そうメモが書き添えられていた。


「光。そうよ、そうだったわ。光が重要なのよ」


 少なくとも物語では、魔獣の弱点は光だった。


 魔獣の体は暗闇では影のようなもので、なんらかの光源で照らさないと実体を捉えられないのだ。


 魔獣がゼグを殺すことよりも地面に転がった松明の炎を消すことを優先したため、シュエルバ姫が秘密に気づく──という展開だ。


「史実だとなんて書いてあったかしら。読んだ時はまだ子どもだったから、難しくて記憶が曖昧だわ。明かりによる実体化と、光属性の魔法だったかしら? 魔物はそもそも浄化作用のある魔法を嫌うし。でも、私の適性は雷と風なのよね」


 最も有用な光属性の魔法は使えない。


 シュエは青ざめた顔で机に突っ伏し、頭を抱えた。


 しばらく悶々と思考を巡らせたが、どれも無謀無理という結論にいきついてしまう。


「剣の腕を鍛えたところで、当たらなければ意味がないわ。どうすれば──」


 眉間に皺を寄せたまま、己の影を見つめる。


 そこでふと思いついて、シュエは顔を上げた。


「ランプ──!」


 当たり前のように部屋を照らしている物体のことをようやく思い出して、シュエは立ち上がった。


 壁に掛けられた一つをとり、眼前にぶらさげる。


 見た目はランプだが、油が入る部分に魔石が填まっており、その上で炎が揺れていた。


 金属部分に魔導式が刻まれており、それに魔石の魔力が流れ込んで、綺麗に魔法が発動している。


 普通のランプに魔導式を刻んでも魔石から魔力が流れ込んでくれないので、シュエルバ姫はなにかしらの工夫をしているはずなのだが、シュエでは見当も付かなかった。


 シュエの時代にいる魔具師の技術と類似する加工が、ランプに施されているのだろう。


「もしかしたら、魔具師の技術の発端だったりして」


 シュエルバ姫が遺した魔導研究の成果は、シュエの時代では古い情報でしかない。


 そのため、シュエはシュエルバ姫が魔導技術のどの分野に貢献していたかまでは詳しく知らないのだ。


 もしかしたら、発端がシュエルバ姫の研究であることすら残っていないかも知れない。


「って、今考えることじゃないわね」


 我に返り、シュエはおもむろにランプを高く掲げると、そのまま手を離した。


 ランプは鋭い音を立てて床に転がったが、炎は消えることなく発生し続けている。


「うん、問題ないわね」


 頷きながら拾い、机に置く。


 衝撃で壊れてしまう可能性を危惧しての行為だったが、炎は希望のように赤々と燃え続け、シュエを勇気づけてくれた。


「松明や通常のランプに比べたら十分だわ。破壊されない限りは活用できそう」


 数を持って行けば怪しまれるので、頼りないと言えば頼りないが、ないよりはマシだ。


「他にも、使える物があるといいのだけれど」


 シュエは漁る対象を書類から研究素材が詰め込まれている場所に切り替えて、作業を再開した。




 ◇ ◇ ◇




 研究室で見つけた魔獣の資料によると、シュエに与えられた猶予はあと一ヶ月もなかった。


 焦りを必死に宥めつつ、一日を基礎能力の向上とゼグとの鍛錬、そして研究室の物色に費やす。


 それは不思議なほどシュエに充実感をもたらしており、胸に巣くう恐怖を和らげてくれていた。


 救うと決めた相手と、友好な関係を築けている喜びも大きい。


 早朝の清々しい空気を肌に感じながら、シュエは北側の庭園の外周を走っていた。


 シュエルバ姫の小柄な体にもすっかり慣れ、今ではそれを活かした動きすら考えられるようになっている。


 無心で走っていたら何周したかわからなくなってしまい、シュエは少しだけコースを外れた。


 わざわざ視界に入らない位置に立ち続けていた男に近寄り、ひょいと顔をのぞき込む。


「今、何周してた?」


「十七周。二周余計に走っていたな」


「止めてよ」


「そう命令されていない」


 冷ややかに返されて、面食らう。


 ゼグに対し、何かやらかしたかとシュエは思考を巡らせたが、すぐには思い当たらなかった。


「どうしたの。夢見でも悪かった?」


「……何も」


 ぼそりと呟かれ、それで会話は終わりだという空気を作られる。シュエは今度こそ態度に出して戸惑い、背筋を伸ばした。


 シュエの困惑を如実に感じたからか、ゼグが気まずげに言葉を付け足した。


「すまない。ただ、少し──俺も戸惑っている」


「なに? 私は姫様じゃないんだから、気になることは遠慮なく言えばいいわ」


 シュエの何気ない言葉に、ゼグの表情が歪んだ。


「お前は確かに、姫様じゃない。だが、だからといって──いや、だからこそ、こうして普通に接されるのは正直辛い」


 その一言で、シュエは己がどれほど無神経で愚かだったかを思い知った。


 友好な関係を築けていると思えたのは、ゼグが己の苦しみを押し殺してくれていたからに過ぎなかったのだ。


(なんて馬鹿なの。大切な人を失って、その姿をした他人にへらへら親しげに接されて──。平気なわけないじゃない!)


 その苦しみと悲しみを、理解しているつもりでいた自分にぞっとして、シュエの指先が痺れる。


 憧れの騎士に師事できている喜びと、彼を助けるのだという決意に酔っていた。


「すまない。俺の弱さの問題だ。だが、どうにも整理がつかなくてな」


「馬鹿言わないで。悪いのは私だわ──ごめんなさい、本当に」


 この姿で謝ることすら、ゼグにとっては傷を抉るようなものだろう。


 それでも、そうすることしかできないことに、シュエはぎゅっと唇を噛みしめた。


「稽古はきちんとつける。だが、それ以外では、あまり俺に話しかけないでくれ」


「……わかったわ」


 強く頷き、努めて冷静に告げる。


 傷ついた己の片鱗すら見せるわけにはいかなくて、シュエは息を止めたままその場を離れた。




 ◇ ◇ ◇




 汗を流すための湯が張られた浴槽に、頭まで沈める。


 あの日以来、パナはシュエの行動の補佐を徹底的にしてくれていた。


 早朝と夕方と、夜。


 三度の湯の支度に、栄養価の高い食事。丈夫で柔らかい素材の稽古着。


 いつのまにか、すべてが用意されている。


 先ほど、ゼグに苦痛を告白されるまで、シュエはパナに対しても「私を理解して支えてくれるなんて、侍女の鏡だわ」と奢った考えを抱いていた。


 心から、納得しているわけなどないのに。


 ただ、シュエルバ姫のため、シュエルバ姫の覚悟のため、その意思を曲げてくれているだけなのだ。


(恥ずかしい。自分が誰よりも努力している気になって、協力してくれている人たちの心を都合良く受け取って)


 浮かれていたのだ。


 間違いなく、浮かれていた。


 立場も運命も忘れたわけではないが、シュエは一人の娘として、ゼグと親しくなれたことに高揚していた。


 憧れが手の届く場所にいて、心が近づいた気になっていた。


 だから盲目になって、欲がでたのだ。


 最初は胸に燻り始めた熱から目を逸らせていたのに、少しくらいはいいのではと、いつの間にか思うようになっていた。


 からかうと赤くなる顔に、横顔にときおり感じる視線に、期待が混じってしまった。


(なにも起こらないし、交わらないし、始まらないし、ありえないのに)


 どうしてシュエルバ姫の姿なのかと、本末転倒な悲しみすら湧いて、シュエを打ちのめす。


 どうにもならないほどに膨らんでいた感情に、名前だけはつけるものかときつく目を閉じて拒絶する。


 それでも、涙だけは堪えきれなくて、シュエは勝手に溢れて湯に落ちるそれを、しばらく見つめていた。


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