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心の在処(2)

 身支度を調えて、北側の庭園へ向かう。


 シュエが広場へつくと、珍しくパナが強い口調で喋っていた。


 庭師が何かヘマでもしたのかと視線を向けると、意外なことに相手はゼグだった。


「しかし、姫様のご命令で」


「言い訳は結構です。いいですか、今後、二度と、絶対に! 姫様の体にかすり傷一つつけてはいけません! 痣なんてもってのほかです!」


 侍女が騎士にたてつくなど、本来ならばあり得ない構図だが、パナのシュエルバ姫への傾倒ぶりは、その身に染みこまされているシュエである。


 今朝、腕についていた痣を見咎められて、何も考えずに原因を口にしたことを、シュエは後悔した。


「だがそれでは、訓練にならない」


「なにが訓練ですか! あの御方はレザレス国第一王女、シュエルバ姫様ですよ!? その玉体を護るのは貴方の役目でしょう!」


「それはその通りだが、これは姫様のご意志で」


「姫様が願ったというのなら、お怪我をさせずにお教えしなさい!」


「そんな甘い訓練では、意味がないのよ」


 止めなければ永遠にゼグを糾弾し続けそうだったので、シュエは手袋を填めながら口を挟んだ。


 はっとパナが振り返り、ゼグが困り果てた顔のままシュエを見た。


 笑いを堪えつつ、ゼグに準備をするよう手で促す。


「姫様! こんなことはお止めください。いくらお元気になったとはいえ、剣士の真似事などなさっていては、いまに大怪我をします!」


「パナ、貴方が私を心配してくれていることはわかっているの。でも、遊びじゃないのよ」


「尚更いけません! もっと他に、姫様に向いていることがあるはずです」


 必死に、純粋にシュエルバ姫を心配している言葉だが、盲目的でもある。


 シュエは興奮するパナを落ち着かせるために、そっと両手を握った。


「パナ。必要だから、訓練しているんです。真似事ではなく、真剣に、命をかけて、私はゼグに師事しているのです」


「……姫様、ですが」


 シュエなりに、真摯に言葉を向けたつもりだったが、パナの気持ちから心配は拭えそうになかった。これ以上、パナの気持ちの整理に付き合っている時間はない。


「パナ、仕事に戻って。私の邪魔をしないで」


 心苦しくはあったが、常になく厳しい口調と眼差しで命令する。


 パナははっと息を呑み、一歩下がると深々と頭を下げた。


「己の立場を弁えず、差し出がましいことをいたしました。頭を冷やして参ります」


「近いうちに、理由はわかるわ。どうかそれまで、見守っていて」


「……はい」


 意気消沈した様子の背中を見送り、気持ちを切り替えるように両手で頬を張る。


 既に広場の中央で待ち構えている男の元に、シュエは早足で向かった。


「待たせたわね」


「酷い目に遭った。今日は俺に木剣をたたき落とされないよう気を引き締めてくれ」


「ッ──わかってるわよ」


 パナに絡まれた意趣返しのように、意地悪くいわれてカッと頭に血が上る。


 その瞬間、コンッと剣先をぶらされて、シュエはあやうく木剣を取り落とすところだった。


「未熟者」


「──っ」


 返す言葉もなく、ただしっかりと柄を握り直す。


 改めて対峙し、シュエはゼグを意識の中心に据えつつ、周囲にも気を配った。


 相手が格上であればあるほど、その存在に集中しすぎてしまう。


 そうすると、些細な段差に蹴躓き、不利な場所に追い込まれ、最終的に剣を落とされるか転がされて終わってしまう。


 あの日、剣をその手から落とせたことが夢に思えるほど、ゼグという騎士は強かった。


 敵わないことを喜んでいる場合ではないのに、剣を交えられていることが嬉しくて、憧れと興奮に集中が乱れそうになる。


「足」


「あっ」


 呼吸が僅かに浅くなった隙に、ガッとつま先を蹴られて体勢が崩れる。


 士官学校時代、教官にすらここまでいいように遊ばれたことがなかっただけに、シュエは上には上がいるものだと痛感していた。


(まだまだ、鍛錬が足りないわ)


 シュエルバ姫の体格が、本来のシュエよりも二回りは小さいことも理由だろうが、それを言い訳にはできない。


(この体で、魔獣と戦うのよ。無い物ねだりをしてられないわ)


 寝る前に欠かさずしている初期魔法の実験では、だいぶ出せる水玉が小さくなってきている。


 もう二、三日もすれば、シュエの魂にシュエルバ姫の体の魔力が馴染むだろう。


 そうなるまでに、ゼグの動きについていける程度にはなっていたかった。


「そういえば、お前はなぜ騎士を目指したんだ」


「え?」


 シュエの鋭い斬り込みをあしらいながら、ゼグが急に問いかけてくる。


 シュエは気が逸れそうになったが、すぐさま強い力で木剣を打ち据えられて、慌てて構え直した。


「騎士の家系だったとはいえ、娘に木剣を握らせるなど、普通はあり得ないだろう? 母や周囲の反対があれば、逃げられたんじゃないか?」


「確かに、本気で嫌がれば逃げられたと思います。家中が父の正気を疑ってましたからね。けれど私は、着飾った姉たちを羨ましく思いながらも、木剣を握るのをやめられなかったんです」


「なぜ」


「母が読み聞かせてくれた物語に、お姫様と騎士が出てくるのですが、その騎士にとても憧れてしまっていたんです。最初はお姫様すてき! かわいい! って思ってたんですけどね」


「憧れ、か。女の身で実際に騎士になったことを考えると、お前の根性と努力は尊敬に値するが、その決意を支えたものが、物語の登場人物とは」


「驚きの単純さでしょう? けれど、本当に憧れだった。史実を元にした物語だったので、実在の人物ではあるんですよ。美化されていた部分もあると思いますが、格好いい騎士だったんです。彼のように信念を貫いて死のうと思えた」


「死ぬのか」


「死にますよ。昔の人ですから」


 それもそうかと、隙を突いたはずの一撃を相づち混じりに弾かれる。


 めげずにシュエが踏み込むと、僅かな動作で躱され、剣を持つ手を捻り上げられてしまった。


「くっ──やしい」


「まだまだ。俺としても、あの日の失態を忘れて貰わないといけないからな」


「最初は姫様の体だからと躊躇ってたくせにっ」


「最初はな。だが、お前が素を出すようになったからか、姫様に見えなくなってきた」


「そういうものなのかしら」


「同じ容姿に別人の魂が入るという現象を目の当たりにしたからか、表情、仕草、言動──そういうものが、個としてとても重要な要素なんだと痛感している」


「ふぅん」


「──まあ、お前が陛下に会いに行くと言ったから、確信できただけに過ぎないがな」


 その一言に、シュエは少し驚いた。


 剣の扱いを見せてしまったのが決定打だと思っていたが、どうやら違ったらしい。


 思い返してみれば、シュエが王様に会いたいと言った時、ゼグはとても驚いていた。


 会うのかと、確認するほどに。


(ああ、そうよ。日記に書いてあったじゃない。陛下への最大の罰として、二度と会わないと決めたと)


 それはおそらく、別れの挨拶すらしないという、シュエルバ姫の覚悟だ。


 それを本人がなんでもない顔で破ると告げたら、別人だと思わざるを得ないだろう。


「それがなかったら、俺はきっと違和感を抱きつつも、姫様が姫様ではなくなったことに気づかなかっただろう。それが、とてつもなく恐ろしい」


「ゼグ」


 腕を下ろされてしまっては、稽古を続けられない。シュエは仕方なく構えをといて、息を吐き出した。


「私はそうは思わないわ」


「なぜ」


「だって確信できた(丶丶丶丶丶)って言ったから」


 シュエの言葉に、ゼグは目を瞬かせた。


「え?」


「貴方はずっと、自問自答していたんでしょう。姫様が変だ。なにかが違う──って。パナとスィルカは、その疑念を抱くことすら拒否して、受け入れてしまったのに。死にかけたから、記憶がないから、心持ちが変わったから──。それで受け入れるには、私はあまりにもシュエルバ姫じゃなかったと思う。笑い方も、喋り方も、食事の仕方も、歩き方も。全部、全部違ったでしょう?」


「……」


「私を受け入れる二人を見て、貴方はいつも怒ってた。いえ、自分の抱いた違和感と戦ってた、のかしら」


 シュエの言葉に、ゼグが目を見開く。それが図星だったとわかり、シュエは少し目を伏せた。


「せめて貴方にだけは、正直に言えばよかった。それが辛い事実だったとしても、貴方の忠義を思えば、騙そうとするべきではなかった。私は浅はかにも、気づかれなければ誰も傷つけないで済むって思っていたの。彼女になりきる演技すらできないのに──」


「お前……。いや、パナやスィルカが、姫様の変化をあれほど素直に喜んでいるのに、俺だけに事実を告げるというのも、難しかっただろう。告げられたところで、冷静にお前の言葉を聞けたかも、正直わからない」


「実際、確信したあとも私の話を聞く気があまりなかったものね」


「その代償は大きかったな。腕を千切られるところだった」


 わざとらしく利き腕をさする姿に、思わず笑う。


 シュエの笑みにつられるように、ゼグも口端を僅かに上げた。


 なるようにしかならなかったのだと、互いの空気が告げている。


 それは少し苦くて、悲しい気持ちをシュエに抱かせたが、こうして心情を吐露できる関係になれたのだから、結果としては上等だろう。


「さて、休憩はこれくらいでいいわね?」


「もちろんだ」


 改めて木剣を構え直し、対峙する。


 ゼグの真剣な眼差しを受け止めると、常とは違う熱を持って胸が騒いだ気がしたが、シュエはあえて無視した。


 集中しなければならない。


 その命を、失わせないために。


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