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12/21

心の在処(1)

 日差しは強いが乾燥しているため、木陰にいれば涼しい。


 北側の庭園の東屋で、シュエは研究室から持ち出した魔導書を読んでいた。


 つかつかと、わざとらしく接近を知らせる足音に促され、顔を上げる。


 不機嫌を隠しもしないゼグが間近で立ち止まり、一振りの剣をテーブルに置いた。


 パナが所用で離席しているからか、態度に遠慮がない。


 苛立たしげな視線をあえて無視して、シュエは置かれた剣を手に取った。


 鍔のなめらかな曲線を指先で撫で、握りを掴む。注文した通りの太さを確認し、柄頭に填め込まれた魔石の純度を太陽光に晒して確認した。


「さすがというか、鞘まで綺麗ね」


 なめらかに編まれた革製のそれをゆっくりと引いて剣身を顕わにすると、青白い輝きにシュエの顔が映り込む。


「うん。いい剣だわ」


「当たり前だ。国宝に劣らぬ品だぞ。それを二振りも用意させ、そのうちの一振りを一介の兵士に下賜するなど……」


「シュエルバ姫の命を救った者に、それを賜る価値がないと?」


 冷ややかにシュエが告げると、ゼグは反論しようとしたが、すぐに口を閉じた。


 悔しげな口端が、歪に歪む。


 お前はシュエルバ姫ではない、と言いたいのだ。


 それは真実だが、事実にはできない。


 それをシュエルバ姫が望んでいないからだ。


「あまり調子にのるなよ。姫様の名を穢すような行いは、絶対に許さん」


 ゼグの強い口調に対し、シュエは長いため息をついた。


 ゆっくりと剣を鞘に戻し。立ち上がる。


 少しでも顔を近づけたかったが、シュエルバ姫の身長は低いので、それでもかなり見上げなければならなかった。


「貴方が姫様をどれほど敬愛していたかなんて、今までの態度で痛いほど理解してるわ。だから、私を敵視してしまう気持ちもわからなくはないの。だけど気をつけて。私を注意深く監視することと、侮蔑することは別の問題よ」


 しっかりと目を合わせて、警告を込めて告げる。


 ゼグはそれでも不服を態度から消さず、シュエを睨み返してきた。


「だが、お前の行動は目に余る。その格好といい、魔導銀製の剣の所望といい──」


 シュエルバの格好は、今までのゆったりしたワンピースドレス姿ではなくなっている。


 ゼグに正体がバレたことと、目標を定めたことで、シュエの中で少し開き直りが出たのだ。


 シュエなりにシュエルバ姫の願いを叶えるためには、こそこそとしている時間などないと判明したのもある。


 そのため身に纏う服を、ブラウスとパンツ姿にブーツという、運動しやすいものに変えたのだ。


 それを身につけ、練兵場に向かった。


 一度襲われたことと、魔獣の影騒ぎに巻き込まれたことを理由に、身を守る術を学びたい──と思い立った形だ。


 見学しかさせてもらえなかったし、五日目で訓練の邪魔になるからと、ゼグに止めさせられたが。


 シュエとしても、シュエルバ姫が「剣技に興味を抱いている」という印象付けを行いたかっただけなので、素直に従った。


「立場を利用させてはもらっているけれど、考えがあってのものよ。私は私で、シュエルバ姫様の願いに応えるために動いているの」


 だから邪魔するなとシュエが暗に告げると、ゼグは真意を見極めようとしてか目を細めた。


「……エンデが選ばなかった一振りを持ってこいという指示だったが、触って気は済んだか。俺は保管庫の役人に一刻でも早く戻すよう泣きつかれてるんだ。回収させてもらうぞ」


 差し伸ばされたゼグの手から、そっと剣を遠ざける。シュエの行動に、ゼグの眉間の皺が増えた。


「それは魔獣討伐の際に必要不可欠な武器だ。相応しい者に与えられる。意図があるにしろ、剣が必要なら魔導銀製ではない物にしろ」


「私が、一番最初に貴方に言ったことを覚えている?」


「なに──?」


「まだ私自身も事態が飲み込めていなくて、混乱していた」


 シュエの問いに対して、ゼグは黙考したが、本当に思い出せないようだった。


 シュエの言葉の内容よりも、ゼグのことを誰だかわからなかった事の方が衝撃だったのだろう。


 それは仕方のないことか、とシュエは微笑した。


「私は貴族の娘だけれど、騎士でもある──そう言ったのよ」


 ゼグの目が、くるりと丸くなる。


 だがすぐに合点がいったというように、肩をすくめた。


「なるほど、それであの動きか。手慰みに剣技を習っていたにしては随分と度胸も才能もあるようだが、騎士を騙るのはやめたほうがいい」


「真実よ」


「頼むから、嘘を重ねるな。その姿で、その声で、俺を侮辱する言葉を吐くな」


 常ならぬ怒りが声音に滲み、ゼグの誇り高さを感じさせる。


 けれどそこには、シュエという存在を認められない、哀れな男の姿もあった。


「貴方はどうしても、私を否定したいのね。私を認めたら、本当に消えてしまうから」


 誰が、とはあえて言わなかったが、伝わらないわけはない。


 シュエが突きつけた言葉に、ゼグが絶句する。


 庭園の木々を照らす日は高く、その下に零れる光が薄緑の影を伴ってきらきらと輝いていた。


 吹き抜ける風がそれらを揺らし、踊らせる。


 乾暖季の空は青く高く、無言で退治する二人の心とは裏腹に、どこまでも爽やかだった。


 ゼグは暫く俯いていたが、遠くで鳥が鳴いたのを機に、ゆっくりと顔を上げた。


 拳は強く握り込まれたまま。眉間に刻まれた皺も深く、眦は憤りに赤く染まっている。


 瞳に滲むのは、憤怒なのか悔恨なのか、シュエには判別できなかった。


 あるいはその両方なのかも知れない。


「従騎士の務めも果たせなさそうな小娘が、シュエルバ姫の体で生きながらえるとは、恥を知れ」


 ゼグの低い声が、侮蔑の響きを宿してシュエに向けられる。


 シュエとて嫌みを口にしたが、女であることと年若いことを否定要素として蔑んでくるとは予想外だった。


 煽ったのはこちらだが、許せるかは別だ。


 相手が憧れた騎士であるならば、なおさらシュエの心は強い落胆を覚えた。


「──その言葉、侮辱と受け取りました。一度警告したのに、ご理解いただけなかったようで残念です。私、シュエ・セシエドは、騎士ゼグ・タルジュに決闘を申し込みます」


「なに?」


 シュエの言葉に、ゼグが僅かに目を見開く。


 そんなことを言われるとは微塵も思ってもいなかったという態度が、シュエの怒りを後押しした。


 ゆっくりと鞘から剣を抜き、切っ先をゼグに向ける。


「決闘を申し込みます」


 怒気の込められた声音と眼差しに気圧されるように、ゼグの手が腰に佩いていた剣の柄にかかる。


 それでも握ること躊躇った指先を咎めるように、シュエは再び口を開いた。


「応じぬなら、その腕斬り落とすまで!」


 宣言し、踏み込む。


 抜剣を躊躇った代償を、喰い込んだ刃が鞘に刻む。


 ゼグの瞳には、間違いなく驚愕が宿っていた。


 シュエが飛び込んだ勢いを利用して、後ろに跳躍する。


 それを追いかけ、三度斬りつけたが、すべての斬撃が鞘に吸い込まれた。


 分厚い獣の革を丁寧に鞣した一品に、無残な斬り込みが入り、飾り紐が切れて舞う。


 最後の一撃をいなさず力で押し返し、セグはようやくシュエと間合いを取ることに成功した。


 その間に鞘を投げ捨てるようにして抜剣する。


「どうしたのかしら。お遊びのお嬢さんの踏み込みごとき、もっと華麗にあしらってくれなければ。貴方のその、騎士の称号は飾りなのかしら?」


 シュエはあえて、挑発する言葉を選んだ。


 侮辱に対する怒りは本物だが、憧れの騎士と対峙できるなどまたとない機会だ。


 こちらの姿がシュエルバ姫である以上、ゼグが躊躇うのは当然なので、せめて少しでも本気を引き出したかったのだ。


 それは功を奏したようで、ゼグの腰が僅かに落ちる。


 表情が、声音が、選ぶ言葉が。目の前で対峙する女が|シュエルバ姫ではないと、認識してくれたようだ。


 僅かな喜びが吐息として零れた瞬間、ゼグの姿が視界から消える。


 鋭く速く踏み込むために、考えられないほど上体を低くしたのだと理解したときにはもう、切っ先がシュエに肉薄していた。


 足を狙った下段斬りを、飛ぶことで避ける。当然のように動きを見越していたゼグの体が、すぐさま迫ってきた。


(あの勢いで突っ込んできておきながら、上に体を持っていけるなんて)


 そもそも長身のゼグが下段を狙ってきた時点で、シュエの予想を裏切っている。


 とっさに避けはしたが、次いだ行動への回避は不可能に近かった。


 せめてと突き出した切っ先が左腕で弾かれ、反射の速度で胴を薙ぐ一撃が迫る。


 シュエの首筋に寒気が奔り、とんでもない痛みが脳天まで突き抜けたが、それは焼き付くようなそれではなかった。


 明滅する意識をかき集めながら、着地と同時に体勢を立て直し、対峙する。


(決闘だと言ったのに!)


 脇腹に突き込まれたのが柄頭だとようやく理解し、シュエに苛立ちを募らせる。


 互いの立場的に、どちらかが死ぬまでと考えていたわけではもちろんない。


 それでも、決闘は決闘なのだ。


 どちらかが戦闘不能になるまで、シュエはやめる気はなかった。


 柄頭を突き込むなら突き込むで、意識を奪う勢いでやるべきだったのだ。


 怒りのままに、四肢に魔力を集中させる。


 口内で囁いた言霊によって構築された魔導式を、シュエは剣を強く握り直した瞬間に発動させた。


 シュエルバ姫の体では、まだ一瞬しか効果がないが、それで十分だった。


 初撃を上回る速度でゼグに肉薄し、強化された膂力で振りかぶる。


 その動きにゼグがつてきたことに感動しながら、目の前で散った火花ごと、シュエはゼグの剣をはじき飛ばした。


 青白い剣身が陽光を弾いて輝きながら弧を描き、遠くに落下する。


 カカンッと広場に敷かれた石畳を少しだけ欠けさせて、剣は地面に落ちた。


 視線は尻餅をついたゼグに固定したまま、剣を鞘に収める。


「……冷静になってみると、剣をはじき飛ばしたことより、貴方に一撃いれさせたことこそが、私の実力の証明になった気がするわね」


 脇腹への一撃は、シュエの攻撃に対してゼグが反応してしまった結果だ。


 そうしなければ危ないと、本能が体を動かした。


 それ以外で、ゼグがシュエルバ姫の体に攻撃を加えるなんてことはあり得ないだろう。


 そのことが嬉しくて、シュエの中で怒りが霧散した。


 ふーっと長い息を吐くと、ゼグがようやくといった体で口を開いた。


「なぜ、言わない」


「なにをです」


「……姫様が死んだのは、お前が間に合わなかったからだと」


「私は、恥を知っておりますので」


 シュエの痛烈な皮肉に、ゼグは黙り込んだまますっと視線を地面に落とした。


 肩を落として座り込んだままの姿に、さすがに罪悪感を覚えて、シュエは咳払いした。


「──私には、四人の姉がいます。五人目も娘が生まれたことで、父は焦ったのでしょうね。セシエド家は代々、有能な騎士を輩出してきた家柄でしたので。三つの頃から木剣を玩具として与えられ、五つになると鍛錬が開始されました」


 そのままひたすら体を鍛え、基礎を叩き込まれ、シュエは十二で士官学校に入った。


 本来ならば親類である辺境伯が統括する騎士団に従卒として放り込まれ、従騎士を経て騎士となるのだが、父親がそれを望まなかった。


 シュエの時代でも、女の身で騎士を目指すには決死の覚悟が必要だったのだ。


 シュエが年頃になったことで冷静になった父親に、無理に騎士を目指す必要はないと言われた時、シュエは激怒したが父親も譲らなかった。


 結果として、辺境伯の騎士団ではなく、士官学校に入ることで折り合いがついたのだ。


 シュエの父親からすれば、士官学校という教官の目がある学びの場の方が、よほど安全に思えたのだろう。


 シュエとしては、騎士になれるのであればどちらでもよかった。


 士官学校では卒業後、推薦によって三名が近衛騎士団に従騎士として所属する機会を得られるのだ。


 主席だったシュエには、当然その機会が与えられたが、末の王女に気に入られたことで、従騎士期間を免除されるという異例の配属となった。


 大躍進への祝福の影で、お守りか飾りかと陰口は叩かれたが、シュエは幼い姫君を前に、立派に騎士の誓いを立てた。


「叙任式で見た父親の誇らしげな顔を、私は一生忘れないと思います」


 あのときの達成感と高揚を、シュエは一生忘れないだろう。


 ゆえに、シュエは幼い姫君への忠誠と同時に、かの騎士へも誓ったのだ。


 憧憬によってシュエの心を支え、導いてくれた貴方のように、「護るべき者を護って死ぬ盾となる」と。


 そうして決意も新たに、城仕えへの準備をしていた期間に、あの手紙は届いたのだ。


 推薦から漏れた男からすれば、シュエはどれほど憎かっただろう。


 ただでさえ少ない騎士への道を、他者からみれば他で得られる機会のある血筋を持つシュエが奪ったのだ。


(少し考えればわかることなのに、本当に間抜けだった)


 自分をどんなに責めたところで、もう遅い。


 もしもを考えたところで虚しいだけだと、シュエは短く嘆息した。


「……どうした」


 急に黙り込んだシュエに、ゼグが声をかけてくる。


 シュエは殆ど独り言のつもりで身の上話をしていたので、耳を傾けてくれていたことが嬉しかった。


「ごめんなさい。少し、当時を思い出していたの。まあ、つまり、貴方から見れば、二十歳にも満たぬ女は確かに小娘でしょうが、それでも私は騎士なのです。この命を、シュエルバ姫に捧げると誓ったことに、相応の信念と誇りというものはあります」


 シュエがはっきりと宣言すると、セグはようやく地面から腰をあげ、立ち上がった。


 少し気まずげに向けられた瞳と、ようやく目が合う。


 思わず微笑むと、ほんの少しゼグの表情に照れが見えて、シュエはどきりとした。


 なんて可愛い顔を不意打ちでするのかと、にやけそうになる唇を噛みしめる。


 ここはそういう場面ではないと、必死に握った手の平に爪をたてた。


「──侮辱した……ことを、謝罪する。私は、己への怒りを御せず、貴方へぶつけた愚か者だ」


「その謝罪、今より私の師となってもらうことで受け入れます」


「え?」


 その瞬間のゼグの顔を、シュエは「間抜け」という言葉でしか表せなかった。


 こらえきれず、口を手のひらで覆う。


 隙間から空気がもれたが、声だけはかろうじて防いだ。


「私は目的の遂行のために、強くならねばなりません。そのために、貴方にも協力してもらいます」


「いや、何を言っているのか、理解が──」


 戸惑うゼグが何か言葉を重ねていたが、無視して剣を拾いに行く。


 それを手渡しながらしっかりと目を見据えて、シュエは一語一句はっきりとセグに伝えた。


「この体に痣をつくる覚悟を、しておいてくださいね」




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