曖昧になる妄執(ゆめ)と現実(いま)の境界線③
放課後、光流達は、谷中霊園の近くにある行き付けのカフェに集まっていた。
理由は勿論、光流が居眠り中に見た夢の内容と今年のセミナーの目的地である志賀高原は白蛇ヶ原の関係性について話し合う為だ。
彼等は、お気に入りの席でもある、カフェの中庭に作られたテラス席に腰を下ろすと、早速、日之枝がくれたパンフレットや、光流が見た夢の内容をメモした紙をテーブルの上に広げ始める。
本来であれば、カフェやファミレス等で最も敬遠される『学生が勉強やお喋りをしながら、テーブルに色々と並べ、長時間居座る』という行為も、互いによく顔も気心も知れた所謂『地元の顔馴染み』が経営するこのカフェでは特別で、敬遠されること等なくーーー寧ろ、「おお、なんだかよく分からないけど今日も頑張ってるなぁ」という温かい空気で受け入れられるのだ。
故に、光流達は心置きなくノートやスマホ等もテーブルに並べると、ああでもないこうでもないと活発に議論を始める。
すると、彼等の野外会議が始まってややした頃
「ほい!冷やし甘酒に水出し宇治煎茶お待ち!それとエルダーフラワーティー二つにアイスコーヒーな!・・・あとは・・・ああ、忘れてた!ビーフストロガノフもだった!ほら」
ジャンケンで惨敗し、注文係になった達郎が大きなトレーに乗せて光流達がそれぞれ所望した飲み物(一部、如何見ても立派な食事が混ざっているが)を運んでくる。
ちなみに、冷やし甘酒を頼んだのは葉麗で、水出し宇治煎茶は華恵、エルダーフラワーティーがコーデリアとその真似をしたシャーロットで、アイスコーヒーは光流、そして・・・ご多分に漏れず、ビーフストロガノフは最早安定とも言える楓と美稲の注文だ。
そのビーフストロガノフに入っているかなり大きな牛肉をぱくつきながら、楓がふと、自らが疑問に感じていたことを光流に訊ねて来る。
「ねぇ、そう言えば如何して光流くんなんだろうね?」
「如何してって・・・如何いうことだ?」
余りに唐突な為、楓の質問の意図がいまいちよく分からなかったのか、よく冷えたアイスコーヒーのグラスを持ったまま、鸚鵡返しにそう問いを返す光流。
すると、そんな光流に、まるでリズムを取るかの様に分厚い牛肉が刺さったままのフォークをひらひらさせながら、楓が答える。
「だから、蛇に『祟られた』のが、さ。如何して光流くんなんだろうね?ってこと」
彼女のその発言に、口に含んでいたアイスコーヒーを勢いよく噴出する光流。
「うっわ!汚い!ちょっと光流くん、何してるの!」
制服の胸ポケットからハンカチを取り出しながら、目を三角にして怒る楓に対し、光流もトレーに乗っていたペーパーナプキンで口の周りを拭きつつ言い返す。
「何してるってなぁ、それはこっちの台詞だよ。なんだよ、祟られたって。行きなり変なこと言い出すなよ」
びっくりしただろうがーーー全く。
そこまで言うと、深く溜め息を吐く光流。
しかし、光流の言葉に、楓は更に目を吊り上げると、負けじとばかりにそんな光流に言い返してきた。
「だって、夢の中で変な蛇が絡み付く樹の所に連れて行かれて、真っ二つにされて殺されたんでしょ?!如何考えてもヤバい夢じゃん!白蛇の祟りとしか思えないよ!光流くん、昔、蛇をいじめたりとかしてたんじゃないの?」
楓のその言葉に、むっとした表情を浮かべるや、今度は光流が彼女に向かって遣り返す。
「はぁっ?!何だよ、それ。つーか、夢で僕を斬った奴と蛇は別だ!僕は蛇に怨まれる覚えもなきゃ苛めた覚えもないぞ。大体な、そもそも僕は、あんな馬鹿でかい蛇が生息出来る程の田舎や山中に住んでたことはない」
そう告げた光流と楓は互いに一歩も自身の主張を譲らず、暫し睨み合う。
まるで、今にも取っ組み合いの喧嘩になりそうだ。
と、黙って今まで二人の幼稚な喧嘩を静観していたコーデリアが、優雅にエルダーフラワーティーを飲みながら口を開いた。
「はぁ・・・こんな公衆の面前でやれ祟りだの殺されただの、本当に品のない方々ですわね。もう少し、周囲の環境というものに配慮して頂けませんこと?此処が他に余り人が来ない様な空間だから良かったものの・・・同じ学園の方々に聞かれていたら、貴殿方、完全に狂人扱いでしてよ?」
彼女のその尤もすぎる程御尤もなーーー至極真っ当な意見に、直ぐに言葉に詰まり、閉口するや、分かりやすく下を向く光流と楓。
けれど、本当に全ては彼女が言う通りで。
確かに、このカフェが、谷中霊園の大通りから一本横道に入り、更にその突き当たりにある様な、まさに此処を目的地にした人しか来ない様な裏路地の店だから良かったものの、もしも、此処が大手のチェーン系カフェの様に大通りに軒を連ねる様な店だったならばーーー。
恐らく、コーデリアの言った通り、先程の醜い喧嘩や、常人からすれば考えられない発言の数々を道行く人々や櫻高生に聞かれ、明日からは学園中から好奇と哀れみの眼差しで見られる様なことになっていただろう。
コーデリアに厳しく正論を告げられ、まるで甲羅に篭った亀の様に肩身を狭く、小さくする光流と楓。
すると、不意に彼等の仲間の誰の物でもない腕がテーブルに伸びるや、パッと真ん中にあった光流の夢について記してあるメモ用紙を取り上げる。
「誰だっ?!」
慌てて腕が伸びてきた方向を振り向く光流。
其処に居たのは
「へぇ、何々?蛇の祟りぃ?!はぁ~、進学クラスの皆さんはクラス替えや大学受験なんて関係ないから平和でいいよなぁ!国立なんてもう余裕ってか?」
メモをわざとひらひらさせながら、生理的嫌悪感しか覚えない嫌みったらしい顔でにやつく、同じ櫻高の男子学生であった。
と言っても、こんな生徒等同じクラスで見たことがないし、そもそもーーー彼の『進学クラスの皆さん』という物言いから、光流達の居る進学クラスよりは上級のクラスに在籍していることは確かだろう。
「徳永さんもさ、こんな奴等と一緒に居ると馬鹿がうつりますよ!馬鹿が!ああ、お前らじゃ自分達が馬鹿だってことも分かってなさそうだよな!」
未だメモ用紙を取り上げたまま、平然と・・・悦に入った様な調子で光流達を見下し、馬鹿にしてくる男子生徒。
また、華恵に絡んでくる辺り、大方、彼も以前述べた華恵のファンの一人かファンクラブの会員なのだろう。
(・・・こんな奴、無視するに限る)
航海中の船が嵐が過ぎ去るのを待つ様に黙ってコーヒーに口をつける光流。
(こういう奴は、言い返したりすると付け上がるんだ。だから、落ち着いて無視をしていればーーー)
すると、光流がそう自身に言い聞かせているのをぶち壊す様に楓の怒声が響き渡る。
「ちょっと、あんたそれ返しなさいよ!」
如何やら彼女は空気を読む力だけではなくスルーする力も何処かに忘れてきてしまったらしい。
まさに怒り心頭といった様子で立ち上がった楓に対し、男子生徒は尚も挑発を続けてくる。
「やだね!こんな面白いもん返すかよ!大量に印刷してお前らの写真と一緒にばらまいてやる!」
そう言いながら、本当にズボンのポケットからスマホを取り出すと、光流達の写真を撮り始めた男子生徒に、流石にこれ以上静観出来なくなった光流や、此方も親友を馬鹿にされて怒り心頭状態の華恵が立ち上がり、声を上げる。
「おい、写真は流石に止めろって」
「楓ちゃんを馬鹿にする人は許しません!楓ちゃんは馬鹿ではないし、お友達思いのとっても優しい素敵な子なんですよ!謝ってください!私は貴方にハラキリを要求します!」
「・・・いや徳永、それもなんか違う。それ流石にまずいから。あいつ死んじゃうから」
光流が華恵のとんでも発言を訂正している隙に、メモ用紙を持った生徒は光流達の姿を撮ったスマホを持ったまま、カフェの店内を通り抜け、外へと走り出す。
「あいつ、逃げる気だよ!きっと本当にばらまくつもりなんだ!」
「はぁっ?!マジふざけんな!俺のモテ期が遠退くじゃねぇか!」
そう口々に叫びながら、男子学生を追って走り始める楓と達郎。
そんな二人の発言に脱力しそうになりながらも、光流も彼等の後を追って走り出す。
ちなみに、コーデリアや葉麗は未だ優雅にそれぞれのドリンクを口に運んでおり、ついてくる気は全くなさそうだ。
(まぁ・・・あいつらなら、写真なんかばらまかれた所で、自分達の術で如何とでも出来そうだよな・・・)
と、言うか、そもそも如何にか出来るのなら、今僕達を助けてくれても良いものだがーーー。
そんなことを考えながら光流が走っていると、彼等が追走している男子生徒が店の前に停めてある自転車に跨がりながら、勝ち誇った様な声を上げる。
恐らくあの自転車はあの生徒のもので、自転車がない光流達には追い付かれることはないと踏んだのだろう。
男子生徒は、メモを持ったまま、醜く顔を歪ませ、心底見下した様な様子で光流達に告げた。
「お前ら、メモなんか書いちゃってマジで祟りとか信じてんのかよ!だったら超ウケるわ!妄想おつ!祟りなんてある訳ねぇだろ!しかも蛇とか!蛇なんか地面を這う虫けらと同じだろうが!この科学が発達した時代になぁ、蛇ごときが人間様を襲うとかマジ有り得ないから!お前ら、もう一度幼稚園からやり直した方が良いんじゃねぇの?!」
そう言いたい放題に言い散らかすや、自転車を漕ぎ出す男子生徒。
全速力で漕いで一気に逃げる算段なのだろう。
と、男子生徒の胸ポケットから何か白いものがするりと落ちたのに目を留める光流。
「なんだ・・・?今、なんか落ちた様な・・・」
目を凝らしてよく見てみると、それは、白くて長いスマホ用のイヤホンだった。
しかし、それを見た瞬間、何やら言い知れぬ嫌な予感に光流の胸がざわつき始める。
光流は我知らず全速力で駆けると、自転車を漕ぐ男子生徒に向かい、ありったけの大声で声をかける。
「おい、止まれ!!やばいって!!絶対良くないことになる気がすんだよ!なぁ!止まれってば!!」
けれど、祟り等を妄想としか受け止めない男子生徒が止まる訳がなく、彼は一目散に猛スピードで遠ざかっていく。
すると、その時ーーー急に男子生徒の自転車を漕ぐ足が止まる。
同時に、自転車が大きく前のめりに傾くや、勢いよくそのまま前方に投げ出される男子生徒の体。
と、次の瞬間ーーー宙に投げ出された男子生徒に向かって、大きなトラックが突っ込んでくる。
「あっ・・・!」
光流がそう声を上げると同時、辺りに響き渡る、グシャッという何かを引き潰す様な音。
其処には、トラックの巨体に撥ねられ、更に引き摺られた為、正しく磨り減り、腸という腸を辺り一面に撒き散らした『男子生徒だったモノ』とーーーまるで、それこそ白い蛇が絡み付いているかの様に、車輪やペダルに白いイヤホンが絡み付いた、主を喪った自転車が、静かに横たわっていた。