夢想する白蛇
ーーー光流は、夢を、見ていた。
何処か禍々しく、それでいて、そこはかとなく漂う悲哀と寂寥感に思わず泣き出したくなる様な、そんな不思議な夢を。
夢の中、光流は、とても開けた場所にある小高い丘の上に立っていた。
「綺麗だな・・・」
目の前に広がる、爽やかな緑が美しい一面の草原に、そう感嘆の声を漏らすと大きく伸びをする光流。
すると、そんな光流の腕を引く者が在った。
か弱く、しかし止めどなく、先程から自身の腕を引っ張る力に気付いた光流はそちらをーーー自身の腕を引く者が居るであろう方向を振り返る。
「えっ・・・?」
誰だ、お前ーーー?
思わず喉まで出かかった言葉を飲み込み、頼りない力で自身の腕を掴む者を見つめたまま固まる光流。
其処に居たのは、一人の小さな少女であった。
恐らくシャーロットや吉乃よりも幼いのではないかと思われる少女は、よく見ると、その髪から着物、果ては瞳に至るまで全てが純白に染まっており、彼女が常人ではないことを窺わせた。
けれど、悲しいかな妖の類ならば光流にはばっちり免疫がある。
何せ、担任も妖ならクラスメートにも妖がいるという毎日が妖づくしな環境な上、逢魔宵という人間と妖の混成部隊にも籍を置いている身だ。
妖とのコミュニケーション等朝飯前ーーーの、筈だった。
そう、その筈だったのにーーー少女の全身から漂う何か・・・そう、強い悲壮感の様なものが光流が容易に話し掛けようとすることを許さない。
「・・・・・・」
少女の放つ底の見えない悲壮な空気に気圧され、まるで金縛りにでもあったかの様に、少女に話し掛けようとした体勢のまま動きを止める光流。
すると、少女は、そんな光流に向け、悲しげなーーーそれでいて何かを伝えようとしている様な眼差しを送るや、直ぐに視線を逸らし、くるりと背を向けると、滑る様に丘を下っていく。
生い茂る夏草や芝生をあれだけ踏み締めているというのに、足音や踏まれた草の音すらしないのは、やはり、彼女が人ならざる者だからなのだろう。
と、少し丘を下った所で少女が足を止め、光流の方を振り返った。
先程から身動き一つせず、ただ少女自身を見つめるだけの光流を、悲しげな眼差しで見つめ返してくる少女。
その眼差しは何かを非常に強く訴えかけてくる様で。
「・・・もしかして、ついて来いって言いたいのか?」
光流がそう理解した瞬間、まるで先程までの重苦しい・・・全身に纏わり付くかの様な悲壮な空気が嘘の様に軽くなる。
同時に、少女に誘われるかの様に一歩、また一歩とーーー丘の下へと勝手に進んでいく光流の足。
そうして、足の向くまま動くまま、まるで転がる様に足早に丘を下る光流。
そんな彼が丘を下りきると同時ーーー急に、それは光流の目の前に姿を現した。
「・・・な、んだ・・・これ・・・?」
まるで、二匹の巨大な白い大蛇が絡み合っているかの様な、巨大な白い古木が其処には在った。
古木は恐らくこの土地のご神木か何かなのだろう、よく見ると太い幹に年季の入った注連縄が巻かれているのが分かる。
するとーーー不意に、誰も居なかった筈の光流の隣から声がした。
「ねぇ、君?この縄をもしも断ち切ったら・・・とても面白いことになりそうだとは思わないかい?」
「はっ・・・?!」
その声に、慌てて隣を振り向く光流。
すると、其処には、月虹の様に静かに輝くーーー腰まである長い銀髪を肩に垂らした、美しい青年が立っていた。
やや深みのあるコズミックブルーのスーツに身を包んだその青年は、自身の纏うスーツの色によく似た蒼い瞳を愉快そうに細めると、再度光流に問い掛ける。
「だから、さ?この縄を断ち切って・・・この木に宿る者達を自由にしてあげたら・・・とても面白いことになりそうだよねぇ?」
そう光流に問う青年のその瞳にーーー無邪気な悪意と底知れぬ深い闇を垣間見た光流は慌てて頭を振るう。
「いやいやいや、祀ってあるもんを勝手に切っちゃ駄目だろ!!!」
すると、光流のその答えを聞くや、青年は心底つまらなそうに瞳を細めると、なんとその左手に真紅の炎を宿してみせた。
「全く・・・あの子が選んだパートナーがどんな奴かと思えば・・・。こんなに面白味のない奴だったとはね。がっかりだよ。非常に」
瞬間、青年は、光流に向かってそう告げるが早いかーーー大鎌の形に変形させた炎を、目にも止まらぬ速さで降り下ろす。
光流の目の前を一面の赤が塗り潰すと同時、力なく地面に落下する縄の欠片の様な物。
青年が、光流の体ごと古木の注連縄を切り裂いたのだ。
「っ・・・??!」
口からも腹からも溢れる大量の血液に溺死しそうになりながら、必死に青年を睨み付ける光流。
するとーーー青年は、そんな光流を嘲笑うかの様に悠然とした足取りで古木に近寄ると、何かを語りかけ始めた。
意識が薄れ始めている光流には、青年が何を語っているのかは一切分からないが、あの青年の行動から察するに良くないことであるのは確かだろう。
と、まるで青年の言葉を聞き遂げたかの様に、突如として激しく脈動し始める古木。
そうして、次の瞬間ーーー古木は、二匹の巨大な白蛇に姿を変えるや、何かを探し求めるかの様に空の彼方に飛び立って行った。
「はははははっ・・・!それで良い・・・!我々超越種は、人間等に封じられるべき存在ではないのだ・・・!さぁ、行け・・・!現世で愚かな人間共にその恨みの限りを晴らして来るが良い・・・!」
空に消えた蛇達を見上げ青年が上げる哄笑を聞きながら、徐々に意識が薄れていくのを感じる光流。
すると、彼の手に温かく小さな温もりが触れた。
最期の力を振り絞って瞳を抉じ開けて見てみると・・・あの真っ白な少女が泣きそうな表情で光流の手を握り締めているのが見える。
彼女は、やおら自身の髪から簪を一本外すと、それをしっかりと光流の手に握らせる。
そうして、彼の手を握ったまま、語りかけた。
「・・・私は貴方を待っています。私を・・・私達を、この百年の因果から解き放ってくれる力を持つ方を。ですから・・・どうか、私を忘れないで・・・。そして、必ず会いに来てくださいね」
約束ですよーーー?
そう告げた少女の言葉を最後に、光流の意識は闇に飲まれ、深い眠りの中へと再度消えて行ったのだった。