第一話 夜空を貫く火球 ~ 第二話 怪我を負った少年 ~ 第三話 暗雲 ~ アヴェロス祭と戦争
第一話 夜空を貫く火球
この星の人々は、自分たちが丸い大地の上に立っていることも、それが宇宙という巨大な空間に浮かんでいるということも、まだ知らなかった。
雲一つない、青く澄み渡った空。見渡す限りの大草原が広がっている。
「今日もいい天気ねー」
小高い丘で伸びをする少女。齢は十三になったばかり。肩まで伸びた髪が風に揺れている。
「よーし、じゃあ始めよっか」
屈託のない笑顔を浮かべてそう言った彼女の脇には、小型の馬くらいの大きさをした動物がいる。多少ずんぐりむっくりで、ポルランと呼ばれる移動や荷運び用の家畜だ。通常の毛並みは茶色だが、このポルランは珍しく白色をしている。
「ユク、しばらく遊んでらっしゃい」
ユクとはこのポルランの名前で、少女がつけた。ユクは小さい頃からの友人で、いつも一緒にいる。少女はユクから籠を降ろすと、野草を採り始めた。
(トリクゥにリスイートがあるわ。今日はおいしいスープが作れそう!)
鼻歌を歌いながら、そんなことを考える少女。
(いっぱい採れたし、そろそろ帰ろうかな)
野草の採取が終わると、少女は首に提げていた小さな角笛を鳴らした。すると、遠くに遊びにいっていたユクが駆け寄ってきた。少女はユクの背に籠を取り付け、自分も跨がる。
「じゃ、戻りましょう」
そう言いながらお腹を軽く蹴ると、ユクはゆっくりと前へ進み始めた。
さざめく草原の向こうに簡素な建物がいくつも見える。カルタと呼ばれる、分解・組み立てが容易なテントだ。
カルタの前には柵があり、その中では牛をさらに小太りにしたような動物が草を食んでいる。モイと言い、主にミルクを採取するために飼育されているが、肉も美味である。
他にも羊に似た四本角のニックルという家畜もいて、こちらは敷布などの繊維用である。しかし、ユクに跨がる少女が身に纏う衣類は交易によって手に入れた綿などを使用している。少女は短めの懸衣を腰の辺りで帯で結び、その下にズボンとブーツを履いていた。懸衣とズボンは枯草色で帯は赤色だ。
カルタの一つに辿り着くと、少女はユクを紐で繋ぎ、籠を降ろした。それを持ってカルタの入り口の布を上げる。
「母さん、野草採ってきたよー」
「ああ、ミン。お帰り。野草は入り口の所に置いといてくれ」
ミンと呼ばれた少女は母親の言う通りに籠を置く。母親の名はルーアという。優しくも芯のありそうな目元がミンとよく似ている。
カルタの中は質素だ。中心に二本の柱があり、その間に調理場とテーブル、周囲にベッドが配置されている。天井や床はニックルの毛を利用したフェルトだ。
「父さんは?」
「明日出掛けるからその打ち合わせ」
ルーアは炊事周りの掃除をしながらミンの問いに答えた。
「出掛ける? どこに?」
「山さ。越冬の下見だよ」
草原の冬は厳しく長い。山の陰で吹雪に耐えながら冬を越すのが慣例だ。
「あーそっかー。じゃあそろそろ忙しくなるね」
夏は短く、もう少しすると冬支度で忙しくなる。
「ああそうだ、父さんにこれを持っていっとくれ。ジルさんとこにいると思うから」
ルーアが渡したのはモイのチーズとバター茶の入った水筒。
「一緒に食べてくるといいよ」
「分かった。帰りにメナリの所に寄ってきていい?」
メナリというのはミンより一つ上の友人だ。
「いいけど、あんまり遅くなるんじゃないよ」
「はーい」
返事をしつつ、自宅のカルタを出ていくミン。
「おーい、ミン。お出掛けかい?」
途中、老齢の男に声を掛けられた。
「ううん、父さんの所に昼食を持っていくだけ」
「そうかい。じゃあこれも持ってお行き」
差し出されたのはニックルの干し肉。
「いいの?」
「ええよ。ラザックには世話になっているからね。もちろん、ミンにも」
ラザックとはミンの父親の名である。
「ありがとう、ドゥーイさん! 父さんもきっと喜ぶわ」
ミンが人懐っこい性格をしていることもあり、近所付き合いは良好で、外を歩けば必ず声を掛けられる。
ニコニコと笑顔で手を振ると、老人も手を振り返す。
ポルランを囲う柵を通り過ぎると、ジルのカルタに辿り着いた。
「こんにちはー。ミンでーす。父さんいますか?」
入り口に声を掛けると、ラザックが顔を出した。
「どうした? こんなところまで」
ラザックはスラッとした体躯を屈めて問う。精悍な顔立ちも印象的だ。
「母さんがこれをって。あと、ドゥーイさんがいつもお世話になっているからって、干し肉を」
ラザックは微笑む。
「そうか、ありがとう。中に入りなさい」
「はーい。お邪魔しまーす」
中にはラザックと同じくらいの年齢の男性がいた。ジルだ。中肉中背の彼は、目元に皺を作って笑顔で迎える。
「ああ、ミンか。今日も元気そうだね」
「うん、こんにちは! テジャおばさんは?」
テジャとはジルの妻である。
「早めに食事を済ませてモイの乳を搾りに行ったよ。さぁ、食事にしよう」
「はーい」
ジルは自分の分のバター茶とチーズ、それから芋を三人分用意した。茶葉や芋は定住をする部族との交易で入手したものだ。ミンも持ってきた食料をテーブルに広げる。
「草原とアヴェロス神に感謝を」
皆、バター茶の入ったコップを軽く掲げる。これがミンたち遊牧民の慣習だ。アヴェロスは遊牧民が信仰する豊穣の神である。
「山の方にはどのくらいいるの?」
芋を半分にし、チーズを乗せながらミンが聞く。
「長く見て四日くらいかな」
「長いね」
ラザックは干し肉を食べながら説明をする。
「前回の大雨で川ができているらしくて迂回しなくちゃいけないんだ。だから候補地は二つに絞ろうかと思ってる。そうすれば多少早く帰ってこられるだろう」
「ラザックは可愛い娘の姿を見られなくなるのが辛いんだよ」
茶化すジルにはにかむミン。
「ジル、そんなことを言ってないで放蕩息子のイクシャを連れ戻したらどうだ」
「それは言わない約束だろ」
「そんな約束はしていないが、言われたくなかったら茶化すのをやめろ」
イクシャはジルとテジャの間に生まれた子供だ。長い間旅に出ていたと思ったら急に現れて、土産を置いていく代わりに食料を要求していく、ということを繰り返している。齢は今年で十八。ここら辺では変人で名が通っている。
「二人共、本当に仲がいいね」
軽口を叩き合う二人を見てミンが微笑むと、ラザックとジルは嫌そうな顔で否定する。
「腐れ縁だ」
「腐れ縁さ」
見事なハモりにミンはますます笑みを深くして笑った。
「あはは、息もぴったり!」
食事の時間は和やかに過ぎていった。
ミンはジルのカルタを出るとまた別のカルタを訪れた。
「あら、ミン。どうしたの?」
目的の人物はカルタの前にいた。彼女の名はメナリ。後ろで二つに結んだ髪と勝ち気そうな表情、少し高めの身長が印象的である。メナリはミンの友人で歳はミンより一つ上の十四だ。
「もうすぐアヴェロス祭でしょ?踊りの練習をし始めないとって思って」
「アヴェロス祭……ってまだ一月半以上も先じゃない。ミンはせっかちね」
アヴェロス祭とは、いわゆる収穫祭のことで、乳製品作りや冬支度が終わる頃に行われる。
「そうかな? でも今年こそは完璧に踊ってみせたいから」
「何か気合い入ってるわね」
「だって父さんに良いところ見せたいし、下手だったらアヴェロス様にも失礼でしょ?」
メナリはよよよ、とわざとらしくよろけてみせる。
「眩しい、眩しいわ! 眩しすぎてミンの顔をまともに見ていられないわ……!」
ミンはちょっとむくれて、ポコポコとメナリの背中を軽く叩いた。
「もう、メナリったら!」
メナリの小芝居が終わると二人は一緒に吹き出した。
「あははは。いいわ、付き合ってあげる。他の子たちも呼びましょ」
メナリがそう言うと、二人は他のメンバーを呼びにいくことにした。
集落から少し離れた風のよく通る場所。そこには四人の少女がいた。一人はミン、もう一人はメナリ。それから、容姿が瓜二つの二人。彼女たちは双子で、姉がウイカ、妹がレリカ。切りそろえたショートカットや性格もそっくりで、二人とも自分からはあまりしゃべらない。歳は十一。
明確な決まりはないが、舞を踊るのはだいたいが十から十五の間の娘ということになっている。今年のアヴェロス祭はこの四人が主役だ。
「よーし、じゃあ始めよっか。一回通しでやってみて覚えてるか確認しましょう」
メナリが「せーの」と言うと四人はお互いの舞が見えるように円陣になって踊り始めた。アヴェロス祭の舞は静かに始まる序盤、ジャンプや激しいターンが見所の中盤、優雅に踊り終える終盤の三部で構成されている。
皆、昨年の祭りを思い出しながら踊る。
「はい、流れはだいたい覚えてるわね。でも、完璧にはまだまだ遠いわ。練習していきましょう」
メナリは一人一人に指示を出す。
「まず、ミン。あなたは動きは大丈夫だけど、重みが足りないわね。もうちょっと感情を込めて踊ってみなさい。あと、ジャンプの所が多少ふらついてる」
「分かった」
「ウイカは少しあやふやな所があるのと、動きが遅いところがあるわ。ちゃんと合わせていきましょう。レリカはウイカと同じであやふやな所があるっていうのと、動きが小さくなりがちね。手足をもうちょっと伸ばして大きく踊ってみなさい」
「よし、今日はこれで終わりにしましょう。次はまた今度」
メナリの声で練習が終わると、皆息をついた。
「久しぶりに踊ると疲れるね」
額に汗を滲ませてミンが草原に脚を投げ出す。
「うら若き乙女が何を言っているの? これから、練習に冬の用意に大忙しよ」
「そうだった」
今気がついたというようにミンが言うと、メナリは笑う。
「全く、あなたは変な子ね。それじゃ恋も結婚もまだまだ遠いわ」
「そういえば、メナリはイクシャが好きなんだっけ?」
「こ、こら! 今はウイカとレリカがいるんだからっ」
急に慌てふためいて双子の方をチラッと窺うメナリ。
「大丈夫だよ。たぶん聞こえてないから。ねぇ、ウイカ?」
ミンが声量を変えずにウイカに問いかけると、彼女はこくん、と頷いた。
「聞こえてるじゃない! ……いい?ウイカもレリカもこのことしゃべったらただじゃおかないわよ!?」
双子は頷くと「じゃあこのへんで」というようにさっさと帰ってしまった。。
「イクシャ、早く帰ってくるといいね」
ミンの言葉にメナリは顔を赤くして答えた。
「……うん」
その日の夕食はモイのミルクと野草で作ったスープだった。
「ミン、今日はどこに行ってたんだい?」
ラザックが問うと、この地方独特の固めのカムというパンを口に入れながらミンは答えた。
「踊りの練習」
「踊りって……アヴェロス祭の? ずいぶん早いじゃないか。四回目だろう?そんなに練習する必要があるのかい?」
その問いにはルーアが答える。
「今年こそは完璧に踊ってみせたいんだって」
「ははは、気合い入ってるな」
「うん、父さんにも母さんにも今までで一番上手い踊りを見せてあげる」
「期待してるよ」
「うん!」
カムをスープで流し込むと、今度はミンが質問をする。
「父さんは今年もアールの大会、出るんでしょ?」
アールとはこの地方の伝統的な弓だ。アヴェロス祭では、ポルランと並んで移動に用いられる、オリーという馬に乗って的を射る競技が行われる。
「ああ、一応そのつもりだ」
「もちろん、今年も優勝だよね!」
昨年の覇者はラザックである。
「もちろん、と言いたいところだが、今年あたりイクシャに抜かれてしまうかもしれないな」
「イクシャに? 去年は余裕で勝ったじゃない」
「去年はね。しかし、一昨年と比べると格段に上手くなってた。あれは天才だよ」
「ふぅん?」
ミンは納得したようなしていないような返事をし、やがて思いついたように手を叩く。
「じゃあこうしようよ。私は完璧な踊りをして、父さんはアールで優勝する。どちらか一方が達成できなかったら達成できた方の言うことを何でも一つ聞くっていうのはどうかしら」
「じゃあ両方達成できなかったらどうするんだい?」
「それはもちろん、二人とも一つずつ母さんの言うことを聞く」
「はは。こりゃ頑張らないとな」
「面白いわね。二人とも負けたら何をしてもらいましょうか」
ルーアが意味深に笑うと、ミンは少し動揺する。
「や、やっぱりやめておけばよかったかな……」
家族団らんの夜は更けていく。
ラザックがカルタを出てから二日後、ミンはモイのミルクを搾りに行こうとする途中で子供の泣き声を聞いた。
(あれは……トイールとウイカ?)
トイールはウイカとレリカの家の近くに住む夫婦の子供で、五歳の男の子だ。
「どうしたの?」
ミンはウイカに近づきながら聞くと、ウイカは首を横に振る。
「……分から、ない。たまたまここを通ったら……泣いてて」
ウイカは困り果てた表情でトイールを見つめる。元々無口な彼女のことだ。話しかけ方が分からないのだろう。
ミンは腰を落としてトイールに問う。
「どうしたの?」
そう聞いてみたが、トイールは泣くばかりで答えてはくれない。ミンは少し考えるようなそぶりを見せたあと、近くに生えていたハンカという野草の赤い花を摘み、根元を千切って口に咥えた。
「ん、あまーい!」
その一声にトイールの眉がピクリと動く。
「やっぱりハンカの蜜は美味しい!」
トイールはミンの方をチラチラと見る。ミンはそれを確認して問いかけた。
「君も吸ってみる?」
コクンと頷くトイール。ミンはもう一輪ハンカを摘むと彼に渡した。彼は花の根元にそっと口を近づけて蜜を吸った。途端に顔がパァッと明るくなる。
「おいしい?」
ミンが笑顔で聞くと、彼は嬉しそうに頷いた。
「何で泣いてたかお姉ちゃんに教えてくれる?」
トイールはもう一度頷いてから答え始めた。
「あのね、朝ご飯を食べていたら死んじゃったお父さんのこと思い出して『お父さんのスープ食べたいなぁ』って言ったんだ。そしたら、お母さんが急に怒って、それで」
「飛び出してきちゃったの?」
「うん。ただお父さんのスープ食べたいって言っただけなのに」
ミンは顎に人差し指と親指を添えて思案する。
「んー。トイールはお母さんのこと嫌い?」
首をぶんぶんと横に振るトイール。
「そんなこと、ない。大好きだよ」
「じゃあ君は何でお父さんのスープが食べたいって言ったの?」
「それは……また家族みんなでご飯が食べたいって思ったから」
「そっか。たぶんね、お母さんは君が『お母さんのご飯はおいしくないからお父さんのスープが食べたい』って言ったんだと思ったんじゃないかな」
「っ!? ……そんなこと思ってなんかない!」
「うん、分かってる。でも、毎日一生懸命ご飯を作ってるお母さんにはそう聞こえちゃったんだね」
しゅん、と項垂れたトイールの頭を撫でながらミンが言う。
「君は、どうしたい?」
トイールはぽつりと言う。
「ごめんなさい、ってあやまりたい」
ミンは撫でていた手の力を少し強くしてニコッと笑った。
「じゃあ、お姉ちゃんたちと一緒に行こうか」
「うん」
手を繋いでトイールの家へ向かうと、彼の母親がカルタの前で心配そうな顔をしてうろうろしていた。息子を見つけるとすぐに駆け寄る。
「トイール!あんたどこ行ってたの!?」
口ごもるトイールの背中をポンッと軽く叩くミン。
(頑張れ)
「……お母さん、さっきはあんなこと言ってごめんなさい。ぼくは家族みんなでまたご飯が食べたいって思っただけなの。もう、あんなこと言わないから、だから許して……」
彼の言葉に母親がハッとなる。ミンがさりげなくトイールの手を離すと、母親は涙を浮かべて彼を抱きしめた。
「母さんもごめんね……寂しかったんだね……『あんなこと言わない』なんて言わなくていいから、母さんも許しておくれ……」
トイールも涙を浮かべて返事をする。
「うん! ぼくね、お母さんのご飯大好きだよ!」
その光景に目を細めるミン。きっと……。
(きっとこの子は)
「きっとあの子は優しくて立派な大人になるね」
お礼を言う親子と別れてから、ミンはそう言った。
「ん、ウイカ? どうしたの?」
隣で少し俯いているウイカ。
「ミンは、すごいね……」
ミンは首を傾げる。
「すごい?」
「うん、私には……あんな風にできない……」
それを聞いてミンはウイカに抱きついて頬をスリスリさせた。
「ちょっ、ミン! 何して……!」
慌てるウイカにミンが言う。
「大丈夫、ウイカが優しいことはみんな知ってるよ!」
尚も続くミンのスリスリをやっとでかわすと、ウイカは言った。
「私も、ミンみたいにできるように……なる」
ミンはニコッと笑う。
「頑張れ」
ミンは思う。
(きっとあなたも、強くて優しい女性になる)
その日の夜。今日もいつも通り、平和に終わっていく。そう思いながら空を仰いだミンは、それを見た。
夜空を貫く火球。それは流星というにはあまりに大きく、色も炎そのものだった。軌跡を追うミンの瞳には、恐怖でもない、感動とも少し違う、そんな初めての感情が宿っていた。心はいっぱいになっていたのに、なぜだか胸の奥がズキッと痛んだのだ。
火球は空を渡ると山の方向へ消えていき、その少しあとに大きな音が空気を震わした。目撃した者は皆、あれは何だろうと言葉を交わしたが、結局、分かる者はいなかった。
しかし、そんな大きなイベントも次の日の喧噪ですぐに塗り替えられることになるのであった。
第二話 怪我を負った少年
「ルーアはいるか!?」
そう叫ぶ声が聞こえたのは夜空を火球が貫いた次の日の正午過ぎ。声の主はラザックだった。
ルーアとミンが慌てて外に出て行くと、ラザックが見知らぬ少年を抱えていた。
「どうしたんだい、その子!?」
ルーアが驚くのも当たり前だ。少年の衣服は赤黒く染まっている。
「話はあとだ! 応急処置はしたが……ベッドに運ぶから手伝ってくれ!」
「分かったわ! ミン、レングさんを呼んできておくれ」
「うん!」
ミンが急いで医者のレングを呼んでくると、彼は患部に薬草を当てて言った。
「止血はしているようだが、出血がひどいな。熱も出ている」
少年は呻き声と共に大量の汗をかいていた。ミンは心配そうに少年を見つめて聞く。
「助かるんですか?」
その質問には答えず、無言で処置を続けるレングの様子が、少年の容態の難しさを物語っている。
ミンはただ、両手を組んで祈った。
(神のご加護がありますように……)
手当てが終わったのは一時間後。
「できることはやった。しばらくは汗を拭いてやって、夜から脇の下と足の付け根に水を含ませた布をあてがうといい。薬も置いていくから朝昼晩と飲ませてやりなさい。何かあればすぐに私を呼びなさい」
レングはそう言い残して帰っていった。
「ううう……」
深夜になって呻き声で起きたミンは、母親のベッドから起き上がると、ランタンに火をつけて少年の様子をうかがった。汗が額を伝っていたのでふき、ぬれた布も交換してやると呻き声は収まった。
しばらく起きていることにしたミンは、彼をまじまじと見た。歳は十五、六くらいだろうか。今は着替えているが、当初は異国の装束を纏っており、顔立ちもここら辺に住む者とは少し違うようだ。黒く短い髪に、瞳も黒。遙か東方に似たような特徴を持つ民族がいると聞いたことがあるが、どうだろうか。
父親から聞かされた話だと、帰る途中で大きな穴を見つけ、近寄ってみると得体の知れない器が転がっていたそうだ。気になって近づき、取っ手のようなものを回して扉を開くと、中に大けがをした少年が蹲っていたという。
(あなたは……)
ミンの脳裏にはなぜだか昨日夜空に流れた火球が思い出されていた。
「……起きた!」
異国の少年が運び込まれてから四日後、彼は目を覚ました。
「母さーん、目を覚ましたよ!」
ミンが声をかけると、ルーアが駆け寄る。
「良かったわ。このまま目が覚めないかと思っていたから」
ルーアが安堵の声を上げる。彼女が少年の体を支えてやると、彼は何事かをしゃべった。
「××××××」
どうやら異国の言葉のようで、内容は分からない。
「困ったわね、言葉が通じないみたい」
悩むルーアを横目に、ミンが身振り手振りでコミュニケーションを図ろうとする。
「こ・こ・大・丈・夫?」
ミンが自分の脇腹を指さすと、少年は己の同じ箇所を見て触れる。
「××っ」
触った瞬間、苦痛に顔を歪めた。
「見た感じ、痛みはあるようだけど意識しなければ大丈夫なようね。数日は安静にさせときましょう……ミン、バター茶をあげて」
「はーい」
多くは食べられないだろうが、何か与えなくてはならない。バター茶は脂肪分が多いため、栄養にはなるはずだ。
「どうぞ」
ミンがバター茶の入ったカップに両手を添えて、少年に与えようとすると、彼は待ったというように片手で制した。
彼はそのままバター茶の匂いを嗅ぐ。
「大丈夫だよ。これは、バ・タ・ー・茶。毒じゃないから」
「ば・つあ・ちゃ?」
「バター茶」
「ばたーちゃ」
「そ、どうぞ」
ミンが再度カップを傾けると、今度は大人しく飲み始めた。しかし、だんだん彼の顔が渋くなっていく。
「あはは。外から来た人にはクセがあるらしいからね。よし、えらいえらい」
ミンは笑いながら、なんとか全てを飲みきった少年の頭を撫でた。
「?」
少年は困惑顔だ。
「そうだ、私はミンっていうの。ミ・ン」
自分を指さしながら名前を教える。
「み・ん?」
「そう、ミン! あなたは?」
ミンが少年を指さすと彼はためらいがちに名乗った。
「……アド」
名前を聞いてミンは笑顔になる。
「アドっていうんだね! じゃあアドは……どこからきたの?」
しかし、出所を問う質問に彼は俯いた。
「どうしたの?」
彼は首を横に振るだけで何も言葉を発しない。
「んー……ま、言いたくないなら無理に聞かないよ!」
彼が何も話さないのは何か事情があるのだろうと、ミンは話題を変えた。
「その怪我じゃしばらくは動けないだろうから、ゆっくりするといいわ。動けるようになったら、リハビリついでにこの辺のこと色々紹介してあげるから」
もっとも、彼に言葉は通じていないだろうが。
◇ ◇ ◇
意識をすると脇腹がズキズキと痛む。ここはどのあたりだろうか。
起きた時に最初に見た少女は自分より年下のようだった。彼女はミンと名乗った。髪は茶色、瞳は深い青色。人当たりが良さそうで、いつも笑顔だ。どういう訳か、彼女の両親……いや、ここの者たちは全員、瞳が薄い茶色をしている。つまり、おかしいのは彼女の方だ。
(ハーフ……または養子?)
しかし、両親の特徴も受け継いでいるように思える。
(……そんなことはどうでもいいか)
今は他に心配事が山ほどある。自分を助けてくれたのはミンたちで、身の安全はある程度保証されているが、帰る手段がない。自分がいる場所は瞳に埋め込まれたチップで分かるだろうから、救助待ちということになる……。
(来てくれるのか?若造一人のために)
兎にも角にも原住民とのコミュニケーション手段を確立して、シップに戻って通信ができるか確認しなければならない。
(……それにしてもバター茶は不味かったな)
何とも言えない味を思い出して、再び眠りに入るアドであった。
◇ ◇ ◇
「この子たちがモイ。主にミルクを取ってるの。すごく大人しいから、すぐに仲良くなれると思うよ」
でっぷりとした大きなモイを指さして、ジェスチャーを交えながらゆっくり説明するミン。アドはフンフンとうなずいている。彼の来訪から一週間ほどがたち、怪我の具合も良くなってきたようだ。
アドは今、カルタの人々と同じ衣装を纏っている。ラザックのものは少し大きかったので、ジルからイクシャのお下がりを借りてきた。
「こっちがユックルで、これもユックルの毛でできてるんだよ。それから、あれがポルラン、その奥がオリー。ポルランの方がいっぱい荷物を運べて、オリーの方が足が速いんだけど、両方とも移動に使うの」
「ゆっくる……ぽるらん……おりー……」
容姿はミンより年上に見えるが、一生懸命覚えようとする姿に思わずミンは微笑む。
と、そこへ声がかかった。
「ミン?もしかして、その人が運び込まれたっていう……」
声をかけてきたのはメナリだった。
「うん、アドっていうの」
メナリはまじまじとアドを見る。
「なかなか綺麗な顔してるじゃない。まぁ、イクシャほどじゃないけど」
「いくしゃ……?」
聞こえてきた単語にアドが反応すると、ミンが心臓の形を作って教える。
「イクシャはメナリが片思いしてる相手なの」
アドは納得したようにうなずいた。どうやら、ハート型は万国共通らしい。
「ちょっと、何変なこと教えてるのよ!」
メナリが唇を尖らせて言う。
「ごめんごめん、でもアドは真面目だからばらしたりしないよ」
そういうミンは笑っており、本当かどうか怪しい。
「いい? 絶対に秘密よ!」
メナリはアドに顔を近づけて人差し指を縦に置きながらそう言った。
「じゃあ私は用があるから行くわ」
「うん、また」
ミンとアドが手を振る。
しかし、何かを思い出したようにメナリが戻ってきた。再びアドに顔を寄せた彼女は彼にしか聞こえないようにヒソヒソと小声で話す。
「ずいぶんミンと仲がいいようだけど、この子は相当手強いわよ。大人っぽいというか、達観してるというか……そう、婆臭いのよ。いつもニコニコしてるけど本心がどこにあるか分からないわ。今のあなたはいいとこ弟って感じね。まぁ、頑張りなさい」
アドは彼女が何を言っているのか理解できなかったが、とにかく頷いておいた。それに満足したのか、今度こそメナリは去っていった。
「アド、メナリと何話してたの?」
「ミン、『ばばくさい』? って」
「あはは、メナリはひどいなぁ」
あっけらかんと笑う彼女の笑顔に、アドは若干違和感を覚えた。それが何だったのか分からないが、これがメナリの言っていたことと関係があるのかもしれない。
「そろそろお昼にしよっか」
ミンはそう言うと、何事もなかったかのようにカムとチーズを取り出した。
「こうだ」
草原には二人の男が立っていた。
「こう?」
一人はラザック。もう一人はアド。
「そうだ、そのまま引き絞って狙いをつけるんだ」
アドが弓を引き絞って矢を放つと、矢は放物線を描いて飛んでいった。何かあったときに身を守れるようにと、ラザックがアールを教えているのだ。
「うん、筋はいいな。少し休憩するか」
草原に膝をつくと、ラザックはアドに問いかけた。
「アド、君はどこから来たんだ?」
質問に対して、アドは俯く。
「ああいや、無理に聞こうとかそういうことではないんだ。事情があるのは分かっている。だから、提案があるんだよ」
アドは不思議そうにラザックを見つめる。彼は、聞き取りだけならだいぶできるようになっていた。人は、異国の言葉は学ぼうとすると覚えにくいが、必要に駆られると驚くほど上達が早い。
「出会ってまだ間もないが、私たちは同じカルタで暮らしている。君はもう家族みたいなものだ。事情が話せるようになるまでこのまま一緒に暮らさないか」
驚いて目を見開くアド。
「アドが気後れしてしているのは知っている。そのせいで当てもなくカルタを出ていってしまうんじゃないかってミンが心配してたよ」
ラザックの優しい声にアドの瞳が揺れる。
「めいわく、かかる」
それを聞いてラザックは笑う。
「家族とはそういうもんだろう。じゃあ、こういう形にしようか。アドはここに住む代わりに仕事をしてもらう。それでいいだろう?」
しばらく悩んでいたアドだったが、迷った末に了承することにした。
「わかった」
それを聞いて満足そうな顔をするラザック。
「まぁ、もちろん私たちは家族だと思っているがね?ミンなんかは大喜びだろうな」
首を傾げるアドを見てラザックはもう一度笑った。
アヴェロス祭まで二週間を切った日の午後、ミンたちは踊りの練習に励んでいた。
「うん、ウイカもレリカもだいぶ良くなってきたわね。じゃあ、今のを忘れないでもう一回通していくわよ」
静かに流れ始める楽器の音。ポルランのたてがみを用いたリメスクという弦楽器だ。本番も近いということで、今日は演奏者の青年が一人練習に加わっている。
楽器の音に合わせて踊る少女たち。ミスをしないように指先まで神経を集中させていく。一年に一度の晴れ舞台だ。失敗などしたくないという思いは全員同じだった。
中盤の激しい動きを越え、最後は上品に優雅に舞う。
踊りが終わり、一息つくとメナリが神妙な顔でミンに言った。
「私、今年のアヴェロス祭で上手く踊れたら、イクシャに気持ちを伝える」
ミンは驚いてしばらくメナリを見つめたが、やがて微笑んだ。
「分かった。じゃあ、絶対成功させないとね」
ミンが片手をを差し出す。
「応援してる」
メナリも片手を差し出して二人で手のひらを打ち鳴らした。
「そういえば……あんたんとこのアドはどうなの?」
突然そんなことを聞くメナリ。
「アド?」
「そうよ。同じ屋根の下で暮らしてるんだから間違いの一つや二つあったんじゃないの?」
「よく分からないけど元気にしてるよ。弟みたいでかわいいし」
こめかみを押さえて唸るメナリ。
「いい? 言葉がたどたどしいからそうは見えないかもしれないけど、歳は十五、六ってところね」
「十五って言ってたよ」
「そこまで分かってるなら何で気づかないの! 十五って言ったらケダモノよ!」
「ああ、そういうこと」
ミンは今気がついたというように右手を左手の平に打ち付けた。
「心配しなくても大丈夫だよ。アドは弟みたいなものだし」
「振り出しに戻ったわね……」
やはり、ミンは(ある意味)手強い、そう思うメナリだった。
◇ ◇ ◇
(……おかしい)
こんなはずではなかった。
言葉が不自由なせいで年下のミンから弟扱いされてしまっている。でもまぁ、それは生きるために仕方のないことだ。だが、到底納得できないこともある。
「あ、アドだ!」
「ほんとだ、アドだ!」
「こらー逃げるなー」
近所のジャリボーイたちだ。こいつらだけは解せん。隙あらば家畜の糞を投げつけてくる。しかも素手でだ。
「やめろ、うんこ、やめろ」
そうこうしているうちに追いつかれそうになる。原住民は体力オバケだ。信じられない。どこからそんな体力が湧き出てくるんだ。
「捕まえろー」
おい、待て。まさか家畜の糞を触った手で掴もうというのか。それだけはやめてくれ。
「ミン、助けて」
ミンに助けを求めたが、彼女は少し離れた場所で微笑んでいるだけだった。
(もうこんな所は嫌だ……)
ミンたち家族には世話になったが、もう頃合いだろう。脱出できるのなら、あまり情も残さない方が良い。どうせ、彼女らはあと数年でいなくなるのだから。
◇ ◇ ◇
第三話 暗雲
「自分、いた場所、行く。馬、借りたい」
そうアドが訴えたのは、彼が簡単な片言ならだいたいのことはしゃべれるようになった頃だった。
「いた場所って、アドが倒れていたところかい?」
ルーアはそう聞き返す。今は夕食の最中で、アド、ラザック、ミン、ルーアが揃っていた。
「うん」
アドが頷くとルーアも尋ねる。
「またどうしてだい?」
「確認、したいこと、ある」
ルーアはラザックの方を見る。
「それって遠いのかい?」
「オリーを走らせて半日くらいだ」
「朝早く出て一日で帰ってこれるかどうかってところだねぇ。場合によっては野宿が必要かもしれないよ」
「しかし、場所を知っているのは私とジルだけだしな。この忙しい時期にここを空けるわけにはいかない」
腕を組むラザック。すでにカルタの人々は祭りや冬の準備に忙しい。大人が一日まるまるいなくなるのはいろいろと角が立つ。
「大丈夫、心配、いらない。場所、分かる」
ラザックが驚いて聞く。
「アドはここにくるまで意識を失っていただろう。それがどうして『場所が分かる』なんて言うんだい?」
アドはラザックの問いに口ごもる。
「それは、言えない」
ミンが不安そうにラザックを見上げる。彼女の不安が、アドがこのまま帰ってこないのではないかという疑念からくるということが、ラザックには分かった。
「そうだな……。本当に場所が分かるとして、この辺の地理に詳しくないものを一人にさせるのは危険だ。ミン、一緒について行きなさい」
ミンは目を見開く。
「え、私? でも、忙しい時期だし……」
「大丈夫だ、子供二人分くらいなんとかなるさ」
「でも……」
草原は広いが、生まれてからずっと家族と過ごしてきたミンにとって、大事なのはこの場所だけだ。遠出をするのははばかられた。
煮え切らないミンに対して、ルーアが言う。
「心配なんていらないよ、お行き。新しい家族の初めての我がままなんだ。聞いてやりたいだろう?」
(そう、アドも家族なんだよね。なんとなく、いつか、何も言わずに行ってしまうんじゃないかって思ってた)
逡巡していたミンだったが、やがて、頷いて了承した。
「でも、その代わり帰ってきたら二人には二倍働いてもらうからね」
ルーアは最後にそう笑って付け加えた。
翌日早朝、ミンとアドはオリーに乗って出発した。今回はスピードを考えてミンの相棒であるポルランのユクはお留守番だ。オリーは体毛が薄いが、ほとんどはポルランと同じ茶色をしている。体躯はポルランより大きい。
(それにしても、どうやって場所を探してるんだろう)
迷いなく前を進むアドの様子を窺うミン。
「大丈夫?」
ふと、アドがオリーの足を緩め、振り返ってそう聞いた。
「大丈夫って休憩しなくていいかってこと?」
頷くアド。
「大丈夫大丈夫。アドは知らないかもしれないけど、カルタに住む人たちは男も女も子供もみんな馬を使えるんだよ」
「どうして?」
「生活に必要だっていうのが一番の理由だけど、外から敵に攻めてこられたときには馬に乗って逃げたり戦ったりするの。まぁ、ここ四十年はそういうの無いっていう話なんだけどね。でも、小さな諍いは時々あるみたい」
「敵、だれ?」
「前に攻めてきたのは南のアンシー人らしいんだけど、今は国が崩壊しちゃったからあんまり心配はいらないかも」
「カルタ、人少ない、どうやって、戦う?」
「えっとね、カルタの人たちの中には北の山脈付近に定住している人たちがいて、そこを中心に連絡をとりあっているの。どこかの部族が敵に遭遇したら、馬を駆って近くの部族や北の人たちに知らせて、必要だったら一緒に戦うんだよ」
アドはミンの説明を聞いて唸る。
「おもしろい」
「そう?」
攻める側にとって、カルタの人々の兵力を推察することは容易ではないし、どこから敵がくるかも分からない。さらに、ほぼ全員が馬を乗りこなすため、機動力にも優れている。
アドはしばらく何か考え込んでいたが、それきり何かを聞くことはなかった。
目的の場所に到着したのはその日の正午過ぎだった。
「大きな穴」
オリーから降りながらミンはそう感想を述べた。目の前には小規模なクレーターが存在していた。しかし、そこには何もない。
アドについて行くと、クレーターの先に大きな何かが存在していた。何か、としか言えないのは、ミンはそれと類するものを見たことがなかったからだ。その何かはちょうどカルタ一つ分くらいの大きさで、表面は焦げかけていて、所々銀色の鉄のようなものが見えた。
「これって何なの?」
ミンの質問に対してアドが首を横に振る。普通だったらとても気になるだろうが、ミンは深入りしない。こうしてついて行っていることには何も言わないのだから、見ることは良くても、あまり深く知られるのは良くないらしい。ミンは昔から察しの良さと、人との距離感を掴むのが上手い。彼女が多くの人に受け入れられているのはそういった部分が要因だ。
アドが何かを回すと扉が開いた。中に入ると、何やら複雑なものがたくさんあり、ミンは若干目眩を覚えた。さらにアドが何かの操作をすると、突然周囲のものが光り始めた。
「うわっ」
さすがに驚いたミンだが、そのあとすぐに火球を見たときのような胸の痛みを感じた。
(なんだろう……)
原因は分からないが、あの夜から時々こういうことがある。
意識を外に戻すと、アドが何かを呟いていた。
「×××××××××××」
内容は分からない。
しばらくすると、人の声がした。アドの声ではない。ミンは振り返ってみるが、誰もいない。よく耳を澄ませてみると、知らない声は信じられないことに周囲の物体の一つから聞こえているようだ。
『――×××××××』
「××××××」
しかも、アドはそれと会話しているように思える。
アドはひとしきりしゃべったあと、少し渋い顔をして会話を終えた。周囲の物体の光も消え、彼は外に出る。どうやら、目的は達成したようだ。
ミンが外に出るのを待ってから、アドは扉を閉めた。
「なんか、すごいね」
ミンがそう話しかけると、アドは困ったように笑った。
「秘密」
人差し指を口の前に持っていきながら、彼はそう言う。秘密であるはずのことをミンには見せた。それが何を意味するのかは分からないが、無下にすることはできない。
「うん、秘密」
ミンは同じように人差し指を口に当てた。そして、話題を切り替えるように言った。
「そういえば、このあとどうする?すぐに戻ってもいいけど、夜は危険かなぁ。少し走ってもいいけど、野宿にちょうどいい場所が見つかるとも限らないんだよねぇ」
アドは少し悩んだ末に先程出てきたばかりの物体を指した。
「ここ」
「いいの?」
「うん、疲れた」
見ると、アドの顔には疲労が浮かんでいた。それもそのはずだろう。アドは馬での長距離移動に慣れていない。彼は途中、ミンの心配をしていたが、心配をしなければいけないのはアドの方だったのだ。きっと、我がままを言ったのは自分だから、という理由で踏ん張っていたのだろう。
「ごめん、そうだよね。何で気づかなかったんだろう」
いつもなら人の機微には鋭いはずなのに、今日に限ってはなんだか鈍っているような気がする。
(今日? それとも出会って間もないアドだから?)
その疑問に答えは見つからなかった。
早めの夕食をとったあと、ミンとアドは例の物体の中にフェルトを敷いて包まった。衣食住用には作られていないようだが、二人が寝るだけのスペースは充分にあった。
「起きてる?」
「うん」
「何だか、変な感じだね。食事をして、布団に包まって。いつもとしてることは同じなのに。この中だからかな」
返事はないが、カサッと寝返りをうつ音が聞こえた。
「前に話した放浪癖のイクシャのこと覚えてる? イクシャはいつもこんな感じで旅してるのかな。……あ、疲れてるのに話しかけちゃってごめんね。……おやすみ」
返事はなかったが、もう一度寝返りの音が聞こえた。
◇ ◇ ◇
ミンを連れていくことになってしまったが、まぁいいだろう。今さら、見られてしまうからといって、それだけだ。彼女には理解できないだろうし、何もできないだろう。
そう思いながら、瞳に埋め込まれたチップからシップの位置をレーダーマップで投影する。マップも原住民には見えないし、特に問題はない。
しかし、馬というものは乗り物のくせに体力の消耗が大きい。ずいぶん長い時間走っているせいもあって疲労が溜まっていた。ミンは大丈夫だろうかと後ろを振り向けば、彼女は余裕そうな表情をしている。原住民は本当に恐ろしい。
なんとかシップに辿り着いたが、中まで見せても良いだろうか。機器に触らせなければ大丈夫だろう。彼女は察してくれるはずだ。
予想通り、彼女はほとんど何も聞いてこなかった。安心して、起動スイッチを入れると、エラーがいくつもあった。通信機器は生きているだろうか。
「こちら、タチバナ・アドルフ。応答願う。繰り返す。こちら、タチバナ・アドルフ――」
『……ザザ……こちらアルテリア系惑星調査船管制室。船長に繋げます』
どうやら通信はできるようだ。
『……ザザ……船長のカレブ・アーロンだ。生きていたか、アドルフ』
「はい、なんとか生きています」
『そうか。マーカーが動いているのを見て、そうではないかと希望をもっていたんだ。無事で何よりだ』
「ありがとうございます。……それで、あの……」
『聞かなくても分かっている。救助の件だな』
「はい」
『……ザザ……今すぐ助けに行ってやる……と言いたいところだが、そうも簡単にはいかないんだ。分かっているとは思うが、そちらには滑走路も船を打ち上げる設備もない。それなりに特殊な機体が必要になる。私も救助の要請を上に送ったんだが、残念なことに生きているかどうかも分からない者のために大金は出せないらしい。しかし、こうやって君の無事が分かったんだ。何としてでも船を寄こせと再申請しておくから、それまではしばらく我慢してくれ』
「どのくらいかかりますか?」
『……ザザ……それは何とも言えん』
「……分かりました」
『また何かあったら連絡を寄こしてくれ』
「はい」
通信を切ると、ため息が出た。船長は悪い人ではないが、話の内容を推察すると、当分救助は来なさそうだ。
結局、今日は二人で船の中で寝ることにした。まさか、彼女一人を野宿させる訳にはいかない。
布に包まると、彼女が話しかけてきた。返事をしようと思ったが、疲労のせいかひどく眠い。
アドは眠気に抗えず、そのまま瞼を閉じていった。
◇ ◇ ◇
翌日、帰路を行く二人に近づく馬があった。
「誰?」
身構えるアドを横に見つつ、ミンは目を凝らした。
「んーあの黒っぽいオリーは……もしかしてイクシャ?」
目を丸くするミン。それもそのはず、この広い草原で、しかも拠点以外の場所。そんな場所で知り合いに出くわす確率はとても低い。さらに近づくイクシャを見てミンはオリーを止めた。
「うん、間違いなくイクシャだ。アド、昨日話に出たジルさんとこのイクシャ。知り合いだから大丈夫」
その言葉を聞いて、アドはようやく肩の力を抜いた。彼にとって、ここはまだ知らないことが多い土地のため、警戒心が強い。
「やあ、ミン。大人っぽくなったね」
オリーをそばに寄せたイクシャが声をかけた。
「相変わらずだね、イクシャは」
「あはは。元気そうで何より。ところで」
イクシャはそこで言葉を句切って、なめ回すようにアドを見た。
「そこのハンサムな少年はミンのボーイフレンドかい?」
ミンはその冗談に首を横に振って答えた。
「アドはちょっと前に大けがしてるところを父さんが見つけてきて、それ以来一緒に住んでいるの」
「なるほど。じゃあここへは何をしに?」
ミンは逡巡して答える。
「ちょっとね。捜し物」
「ふむ、詮索は無用ということかな」
顎を手でこすりながらイクシャは考え込む。
「とりあえず、挨拶はしておこう。僕はイクシャ。よろしく頼むよ」
差し出された手をしばし眺めたあと、アドはその手を握った。
「自分、アド。よろしく」
それを見てイクシャはにこやかに笑った。
「他にも聞きたいことはたくさんあるけど、僕も今回は事情があって戻ってきたんだ。君たちも今から帰るんだろう?」
「そうだね。忙しい時期だからあまり遊んではいられないし、話はまた帰ってから」
ミンがそう言うと三人は再びオリーを駆った。
カルタに辿り着いたのは正午前。イクシャは長へ会いに行くと言い残し、すぐにミンたちと別れた。
残された二人はすぐに旅の無事をラザックとルーアに伝えたが、ラザックも長のカルタに呼ばれてしまった。
「何かあったのかな」
ミンが心配そうに言葉をもらす。ラザックが出て行ってから小一時間ほどたっている。
「そうね、ちょっと遅いわね」
ラザックが帰ってきたのはさらに倍の時間がたったときだった。
「何かあったの?」
ミンがそう聞くと、ラザックはアドとルーアも呼び、話し始めた。
「バラダーン連邦国が西方諸国を統一した」
ミンとルーアは目を見開いた。
大陸の中央部には牧草地帯がある。ミンたちの住まう場所だ。国家の名称はないが、一般にワンドルクと呼ばれている。ワンドルクとは「さすらう者」を意味する。南にはアンシー人が住み、東には中立国クーデニアがある。クーデニアは大陸で最も発展している大きな国家である。そして、西方諸国。三十もの国が乱立し、度々紛争が起こってきた。
ラザックはアドにも分かるようにその辺の事情も交えながら説明した。
「十一年前、サドラン、レイズ、キーリスの三国が手を結び、バラダーン連邦国が作られた。そのバラダーンが強大な軍事力を背景に建国一年を待たずして周辺諸国に侵攻していったんだ。そしてイクシャが運んできた西方諸国統一の知らせだ。建国からわずか十一年しかたっていない。はっきり言って驚異的な早さだ。今後はさらに東へ勢力を広げるかもしれない」
西方諸国から見て東。つまり、それは他ならぬミンたちの住まうワンドルクを指していた。
「幸い、西方とここでは地形や気候もだいぶ違う。冬には行軍できないだろうし、ここまで来るのは早くて冬が明けてからだろう」
バラダーンの冬は厳しいが、逆にそれが敵の侵攻を難しくしている理由の一つだった。
ラザックの話を聞き、ひとまず息をついた面々だったが、表情は晴れなかった。早ければ一年後、ここは戦渦に巻き込まれるかもしれないという事実が重くのしかかっていたのだ。
いつも絶えることないミンの表情にも陰りがあった。
第四話 アヴェロス祭と戦争
その日、カルタでは家畜の屠殺が行われていた。
「うぇっぷ」
そして、ミンの隣では吐き気を抑えているアドがいる。
「大丈夫?」
アドが屠殺をぜひ見てみたいということで連れてきたが、どうやら限界のようだ。
「戻ろうか」
ミンの提案にアドは渋い顔で頷き、カルタに戻った。
ベッドに横になっているアドに説明するミン。
「冬は餌を調達できないから、増えすぎた分の家畜は殺してしまうの。私たちだって大切に育てた家畜を殺すには思うこともあるし、だからアヴェロス祭には供養の意味も含まれているの」
アヴェロス祭を数日後に控え、その準備も大詰めになっている。
「それにしても、アドの住んでいたところでは肉は食べないの?」
呻き声を上げながらアドは答える。
「自分、住んでた所、家畜、飼う、仕事、ある」
「家畜を飼う専門の仕事があるってこと?」
「そう。仕事、いろいろ、分担」
「へぇ、なんだか面白そう。変わった仕事とかあるの?」
「知り合い、匂い、嗅ぐ、仕事」
「あはは、何それ!」
あまりの変わりっぷりにミンが声を上げて笑う。
「匂い、気にする人、多い。匂い、嗅いで、臭い人、ケアする」
「なるほど……必要かどうかは置いといて、すごく面白いね」
しかし、ミンはそこであることに気づく。
(ということはアドも匂いを気にするってことかな。私は気にしたことないけど、もし臭いって思われてたら……なんか人として終わってる気がする)
ミンは恐る恐る聞いてみる。
「あ、あの」
「何?」
「もしかして、私って……臭ったりする?」
その質問にアドは目を丸くする。
「ミン、気にするの?」
「い、いや気にしたことはないけどもしそう思われてたら、ほら……ね?」
納得したようなしてないような顔のアドだったが、質問には答えてくれるようだ。スンスンと鼻を鳴らしている。
「大丈夫」
「……本当に?」
「うん」
「……じゃあなんでこっちを見ないの?」
「気のせい」
問い詰めようとしたが、彼は寝たふりを決め込んでいびきをかき始めた。
(……臭かったのかな。今度メナリに手入れの方法色々聞いてみようかしら……)
アドは匂いと関係ないところで正面を見られなくなったのだが、ミンがそれに気づくことはなかった。
◇ ◇ ◇
最近、ミンの様子がおかしい……気がする。
ポケーッとしていることや少し暗い表情をすることがあるのだ。アドにとって彼女のイメージは笑顔だ。
何でも平均以上にこなし、周囲からの信頼も厚い。西方諸国の脅威が迫っているからかと考えたが、それだけが原因ではない気がする。
「何か、あった……?」
「どうしたんだい?」
思わず口に出ていたようだ。気づけば、側にイクシャがいた。
アドはごまかそうとした。
「何も、ない」
しかし、イクシャは見逃してはくれなかった。
「嘘だね。君は……そうだな、ミンのことを考えている」
飄々として捉えどころのない印象が強いイクシャだが、時々鋭いところを見せる。お手上げだという風にアドは白状する。
「ミン、おかしい」
「……ふむ。良い機会だ、話してあげよう」
イクシャはそう言うと隣に腰掛けるよう促した。
「アドは、ミンの目の色を不思議に思ったことはないかい?」
ミンの青い目。それは最初に彼女と出会ったときに疑問に思った。アドは頷くと、イクシャは話を続けた。
「先祖返りじゃないかという話だが、まあこれはどうでもいいさ。問題なのは青いということだから」
アドは訳が分からないというような顔をする。
「君はこの大陸にいながら、この大陸のことを何も知らないんだね」
(しまった!)
詮索されることを恐れてアドが身構える。が、イクシャはそれには触れなかった。
「いいさ、誰にだって秘密はある」
アドはほっと胸をなで下ろしたが、続くイクシャの言葉ではっとする。
「この大陸で青い目といったら、それはそのまま西方諸国の人々のことを意味する」
西方諸国、これから敵になるであろう人々と同じ目。それが何を意味するかは想像すれば容易に分かる。
「ミンは幼い頃、奇異の目で見られた。だからだろうね、彼女は人と衝突することを避けるようになった。いつも笑顔で、なるべく余計な深入りもしない。そういう道を選んだんだ」
アドはようやく、時々感じていたミンへの違和感の正体に気づいた。深入りをしないということは、逆に言えば自分をさらけ出さないということだ。確かに、無駄な争いは避けられるだろう。しかし、それでは本当の意味で相手を理解することはできないし、彼女を理解する者もいない。
そして、もう一つの事実に気がつく。自分も異なる目をしているではないか。それでも自分が受け入れられたのは、きっと彼女の歩んできた道のおかげだ。
「だけど、西方諸国と戦争に突入したらどうなるんだろうね。僕は人の心を信じたいけど、人と人の関係など簡単に壊れてしまうということもまた知っている」
イクシャの憂いが痛いほど心に刺さった。でも、捉えどころのないイクシャもミンと同じではないのか、とアドは考える。
「イクシャは?」
気づけば口から出ていた質問に、イクシャは笑う。
「君はなかなかに面白いね!僕の思った通りだ!だけど、僕は君やミンより長く生きている、それが答えだよ」
イクシャは最後に立ち上がって尻の土を払いながらこう言った。
「君とはいい友達になれそうだ」
イクシャを見送ったアドは首を横に振って雑念を追い出した。
(情に流されてはだめだ)
彼女たちを襲うさらに大きな悲劇は変えられないのだから。
◇ ◇ ◇
アヴェロス祭当日、朝からカルタの人々は大忙しだった。準備は午前に行われ、基本的に行事自体は午後から行われる。
西方諸国のこともあり、内心気の晴れない者も多かったが、それを無理やりにでも忘れようと準備に没頭した。
昼の休憩を経たあと、ミンはアールの大会を見学するために、競技場へと足を運んだ。
父親を応援しようとラザックを探していると、競技者の列で思いがけない者を見つけた。
「アド?」
「あら、あなた知らなかったの? てっきり知っていると思ったのだけれど」
いつの間にかメナリがそばに来ていた。
「うん、全然知らなかった。そんなこと言ってなかったし」
ミンは何だか、弟が姉離れをする瞬間を見たようでちょっと悲しい。
「挑戦する分にはタダだしいいんじゃないかしら。まあ、でもイクシャやラザックさんには敵わないでしょうけどね」
元も子もない言い方をするメナリ。
見ると、どうやら先頭はアドのようだ。初参加だから当たり前だろう。
「大丈夫かな。失敗して落ち込んだりしなければいいけど」
「大丈夫よ、失敗しても笑いはとれるから」
そわそわするミンと、辛辣なメナリ。二人が最後の的付近に陣取ると、すぐに競技が始まった。
アドがオリーの腹を蹴ると、オリーが駆け出す。それと同時にアドはアールを構えた。
一つ目の的が近づき、第一射を放つ。しかし、矢は大きく外れ、明後日の方向へ飛んでいく。観客は大笑いだ。
「アド……」
ミンは心配そうに見つめた。
「思ったより肝が据わってるじゃない」
メナリの言葉を聞いてよくよく見ると、アドは全く落ち込む様子はなく、次の的に向かっていた。
アドが二つ目の的に向かって矢を放つと、何と矢は的の端を掠めていった。
「おおっ!?」
最初に笑った観客たちは意外そうな声を出した。馬に乗りながら矢を的に当てるのはかなり難しい。大会中一つや二つ外す者も少なくないのだ。
そして、三つ目。アドが引き絞った矢は的に描かれた複数の円の一番外側に突き刺さった。
「おお!」
いつの間にか観客たちには熱が入っていた。
残すは最後の的のみ。皆、固唾をのんで見守る。
アドが矢を引き絞り、的を見据えた。その表情は真剣で、賑やかしに参加したのではないという思いが伝わってきた。
ついにミンたちの目の前で矢は放たれ、飛んでいく。
ドスッ。
矢が的に突き刺さる音がした。その瞬間だけ、全ての音が止んだように感じられた。
しかし、一瞬ののちに、その静寂はたくさんの声で掻き消された。
「うおおおおおおおおお」
「やりやがったぞ、あのボウズ!」
「すげえな!」
大歓声だった。矢は的の中心を射抜いたのだ。
アドの思わぬ活躍で皆が沸き立つ中、メナリも素直に感心していた。
「やるわね、あの子」
だが、先ほどからミンの声が聞こえない。不審に思って、メナリが見ると、ミンは目を見開いたまま固まっていた。
「ミン? ……おーい、ミン」
「……あ、ごめん。びっくりしちゃって」
やっと我に返ったミンは返事をしながらもその目はアドの姿を見つめていた。
その後、イクシャと優勝候補のラザックが三本の矢をそれぞれ的の中心に当て、さらに会場を沸かせた。結果はあと一つの的の得点で#僅__わず__#かに上回ったラザックの優勝。さすがの強さを見せつけた。
ミンは祝いの言葉を述べに競技を終えたラザックの元へと駆けつけた。
「父さんおめでとう!」
「ああ、ありがとう」
同じく競技を終えたイクシャも近寄った。
「ラザックさん、おめでとうございます。やはり、ラザックさんには敵いませんね」
「いいや、今年は危なかった。来年はイクシャが優勝しているだろうね」
「御冗談を」
「冗談じゃないさ。でもこうやって強敵が現れたのは嬉しいよ」
「そう言っていただけると光栄です」
「あの……」
そこでようやくミンの後ろでモジモジしていたメナリが声をかけた。
「ああ、メナリ。こんにちは」
「ええ、こんにちは。……惜しかったわね。でも……その……かっこよかったわ」
「ありがとう。メナリもこのあとの踊り頑張ってね」
「……うん」
そんなやりとりをミンは微笑んで見つめていた。
「じゃあ、父さん。衣装の準備があるから行くわね」
「頑張っておいで」
「うん!」
ミンとメナリは着替えのため、仮設のテントへと向かった。
「どう?おかしくない?」
メナリが自分の衣装を確かめながら聞く。
「大丈夫だよ。すごく似合ってる」
ミンがそう言い、ウイカとレリカが親指を立てる。
踊りの衣装は普段の服装と違い、鮮やかな色彩を使っている。それぞれ、ミンは青、メナリは赤、ウイカは黄色、レリカは白をメインの色にした懸衣を着ている。いつもはその下にズボンを履いているが、今はスカートだ。頭には皆、同じように赤いハンカの花を刺している。
「……ミン綺麗」
ウイカが声をかけると、ミンはニコニコと笑った。
「ありがとう! ウイカもレリカも似合ってるよ!」
ウイカとレリカは照れくさそうにする。
と、そこで外から呼ぶ声がした。
「おーい、入っていいか?」
アドの声だった。
「どうぞー」
メナリが応答すると、テントの布が開かれた。
◇ ◇ ◇
「あら、アドじゃない。どうしたの?」
テントに入ると出迎えたのはメナリだった。衣装は踊り用に着飾っており、化粧もしているせいかいつもより綺麗に見える。
(原住民でも着飾れば少しはマシになるんだな)
かなり失礼なことを思ったアドだったが、それより今は頼まれ事を完遂しなければならない。
「太鼓が、ここにあるって」
「ああ、そういうことね。てっきり私たちの美しい晴れ着姿を覗きに来たんだと思ったわ」
(そんな訳あるか。原住民の冗談はきつい)
「あそこにあるから持って行きなさい」
「分かった。ありがとう」
酷いことを考えつつも礼儀を忘れないあたり、アドという少年の性格が見えてくる。
すたすたと奥へ入っていくアド。そして太鼓を持ち上げようとしたとき、横から手が差し延べられた。
「重いでしょ? 私も持つよ」
「ありが――」
お礼を言おうと横を向いたとき、アドの心臓が跳ね上がった。
(ミ、ン?)
青を基調とした鮮やかな衣装に、普段のズボンとは異なるスカート。そして、スッと塗られた赤い口紅。
ミンという年下の少女はこんな風だったかと思い出そうとするが、心臓の鼓動を抑えようとするのに必死でよく分からない。
「アド?」
ミンが首を傾げた時に流れた髪がまたアドの心臓を跳ねさせる。
目をそらしてなんとか冷静さを取り戻し、返事をするアド。
「一人で、持っていける」
「そう? 気をつけてね」
そのまま急いでテントを出ていこうとすると、出口付近でニヤニヤ笑うメナリと目が合った。
無性に腹が立ったので、捨て台詞を吐いておいた。
(原住民、余計なこと言ったらその芋臭い顔をザルで洗ってやるぞ)
もちろん心の中で。
◇ ◇ ◇
弦楽器のリメスクが音を奏で始めた。同時に始まる少女たちの踊り。その動きは繊細で、穏やかな夏の日々を表している。踊り手たちは皆、厳かに舞う。
太鼓の音が大きくなると、踊り手たちの動きも変化した。四人で円を描くようにダイナミックに移動しながら、ジャンプや激しいステップを織り交ぜていく。厳しい冬の吹雪を表しているのだ。メナリやミンは何度か踊っているということもあってさすがだが、ウイカとレリカもそれについていく。
曲調がさらに変化し、今度は打って変わって優雅な動作になる。雄大な自然と遊牧民の調和を見事に表現していた。
そして、踊りが終わると観客から大きな拍手が湧いた。
「失敗した……」
日も落ちて宴が始まる中、一人膝を抱えて座り込んでいる者がいた。
「ミン、いつまでそうやってるのよ!失敗って言ったってほとんど見えないところじゃない」
「うう……」
メナリが元気づけるが、一生懸命練習してきたせいもあって中々立ち直れない。と、そこへアドがやってきた。
「ミン、かっこよかった。元気出して」
既に化粧も落とし、服も普段の格好になっていたため、アドは容易に近づけた。
「アド……本当に良い子だねぇ」
なぜか慰めた方が頭を撫でられていた。そして、冷静になったところであることを思い出したミン。
「あ、そういえばメナリ」
「何かしら」
「イクシャ――」
「聞かないで」
「こくは――」
「聞かないで」
凄みのある笑顔で同じことを二度言うメナリ。
「よしよし」
ミンが今度はメナリの頭を撫でてやったところで、早くも酔っ払いと化したおじさんたちから声がかかった。
「おーい、そんなところで何やってんだー。ボウズも今日の主役も早くこっちこーい。若いんだからたくさん飯食えーモイの肉もあるぞー」
それを聞いたメナリがヤケクソで宴に混ざりに行く。
「言ったわねー! おじさんたちの分無くなっても知らないわよー!」
「おーやれやれー」
その様子に苦笑しながらミンがアドに言う。
「私たちも混ざろっか」
宴は盛り上がり、そして、夜は更けていく。
戦いの匂いはすぐそこまで迫っていた。
大陸中央部のワンドルクにはいくつもの山脈がある。特に北中部には大陸で最も大きなメレイェ山が鎮座している。ワンドルクの冬は厳しいが、この山々が北風を遮ってくれる。そのため、遊牧民は冬の間山の麓で暮らす。
アヴェロス祭も終わり、ミンたちの部族もメレイェ山の麓へ向かう準備をしていた。そんなとき、ミンはオリーに乗った人物が慌てて長のカルタに入っていくのを見た。
「誰だろう?」
ミンの疑問にはメナリが答えた。
「あれは近くの部族の人ね。一回だけ見たことある」
「そうなんだ」
「かなり慌てていたわね。悪い知らせじゃなければいいけど」
「うん」
メナリの憂慮は杞憂には終わらなかった。隣人が持ってきた情報はすぐに皆に知れ渡った。「西の部族がバラダーン連邦国の襲撃を受けた」と。
ワンドルクに国家という枠組みは存在しない。そのため、宣戦布告などはなく、突然のことだったそうだ。
どうやら、バラダーンは冬を越さずにワンドルクの西部を掌握するつもりのようだ。思いがけず性急な侵攻に、カルタの人々の恐怖は一気に高まった。
さっそく、部族内の会議が行われ、西部への武力支援が決定した。国家ではない分、横の繋がりは大事にする。それがワンドルクの人々の性質だった。遠征するのは十五名の男たち。ミンたちの部族は百名余りで、大きな方だが、それでも多い。それほど、バラダーンが驚異だということだ。
遊牧民の長所は機動力だ。次の日には出兵の準備が整っていた。
「父さん……」
「大丈夫だ、ミン。草原の民が戦いに負けたことはない」
「でも……!」
「どうしたんだ?今日は珍しく弱気じゃないか。いつもの笑顔はどうしたんだい?」
それは違う、とミンは思う。カルタの人々は横の繋がりを大事にするが、ミンにとっては自分のいるこの場所が大事なのだ。それは、彼女の生き方が深く影響している。自身が異質であることもあり、周りから孤立しないように、不和を生まないようにと常に笑顔で明るく振る舞ってきた。もちろん、うるさくなり過ぎないように。ある意味で完璧主義者であるため、父親が戦争に向かうという大きなイレギュラーを前にして心が大きく揺らいだ。
「私はミンの笑顔が大好きなんだ。悲しい顔はしないでおくれ」
「…………」
ミンの様子を見てラザックは少し考え込むと、思いついたように言った。
「アヴェロス祭の約束を覚えているかい?」
「……約束?」
「お願いの話だよ」
そうだった、とミンは思い出した。
「今そのお願いを聞いてもらってもいいかい?」
「……うん」
「これから私たちがいない間、みんなを笑顔で励ましてほしい」
「……分かった」
「それと、私を笑顔で送ってくれるかい?」
「……それじゃ二つだよ」
「ははは、一つだよ。だってこれはミンへのお願いじゃなくて私の願いだからね」
「父さんはずるい…………でも、分かった」
ミンは一度目を閉じて、微笑んだ。
「じゃあ、私の願いは父さんが無事に帰ってくること!」
「ああ、きっと」
ラザックはミンの頭をなでた。
「そうだ、アドもミンと仲良くするんだよ。ミンが弱気になったら助けてやるんだ」
「はい」
「ルーアも元気で」
「気をつけて」
ラザックに手を振って見送るミンたち。他の皆もそれぞれの家族を見送る。メナリなどは父親とイクシャの両方に手を振っていた。
◇ ◇ ◇
ミンの姿が見えなくなったので外に出て見ると、彼女は遠くを見てボーッとしていた。ラザックを見送ったあと、彼との約束通り、彼女はいつも笑顔で皆を勇気づけた。だから、そんな彼女はここ最近見ていなかった。
(何かが見えるわけじゃないのに)
雪が舞い散る中立っているミンの足は、既にだいぶ埋もれていた。吐く息は白く、寒さで鼻の頭が少しだけ赤くなっている。アドはその姿を見て何となく綺麗だと思った。
「風邪、引く」
そう声をかけても、ミンは振り返らなかった。しばらく、隣で佇んでいると、彼女は前方を指さした。
(……?)
しかし、そこには何も見えない。
「この先でさ、父さんは戦ってるのかな」
「ミン……」
「怪我してないかな」
「…………」
「ちゃんと、ご飯食べてるかな」
「…………」
「風邪、引いてないかな」
「……ミン」
「生きてるかな」
「ミン」
アドはミンの手を下げ、握った。
「外は寒いよ。中に入ろう」
アドにはそれくらいしかかけられる言葉がなかった。ミンはアドの方を見て、微笑んだ。
「うん」
その微笑を見て、アドは胸が苦しくなった。
◇ ◇ ◇