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優しい手(3)

「ユウゼン様ちょうどよかったさあどうぞ馬車までお越し下さい皇妃様がご所望ですよ!」

「ぐみっっ!!」


 そして外に出た途端腐れ従者モリスに笑顔で捕獲された。

 ユウゼンは盛大に奇声を発し、寄ってきた馬車に詰め込まれる寸前に慌ててぶちキレる。


「なんじゃい突然ゴルァ! もはやお前は殺人鬼か!? そんなに俺を過労死させたいんかい!?」

「なに口調ですかそれは。失敬ですね。前々から約束してたじゃないですか皇妃様に舞台を紹介するって。もしかして社交上の適当な口約束だったんですか? 八方美人ですか? 自業自得ですか? 因果応報ですか?」

「くっ……うぅ……」


 そんな、三つも四つも、心をざくざく突き刺す言葉を並べなくても……しかも無邪気な疑問系って……。

 ユウゼンが撃沈し、モリスは物でも運ぶように主人(一応^^)を馬車に放り込み発進させた。

 身体の沈む柔らかな座席は緑と金で縁取られ、窓枠まで美しい。行く先々で人も馬車も道をあけ、都の夜景は流れ、静かな振動だけが確かな現実にかわる。正直なところ疲労を口にした瞬間、さっきからの緊張が解けたせいもあり抵抗する体力も気力も失われ、下手すると数秒で眠ってしまいそうになった。

 モリスは失笑というか苦笑いというか、そんな表情をしてため息を吐いた。


「……なんだよ」

「いえ……決めたんですか?」


 何を、と聞いて無駄な悪あがきをしそうになった自分に、ユウゼンは苦笑した。あんなに背中を押してもらって手を差し伸べてくれる人がいて、それでも変化と拒絶が恐くてたまらない。望むこと。手を伸ばすこととは、なんてなんて大変なのか。知らなかった。全然、知らないふりをしていたんだ。

 ユウゼンは従者の人の良い顔を見つめて、困ったように笑ってみせた。


「ありがとう。決めたよ。馬鹿でもいいから、……一目でも、会いたい」

「本当に、ほんとーーーに馬鹿でしょう。あなた馬鹿でしょう。むしろ馬鹿といえばあなたでしょう」

「連呼! 馬鹿の象徴にまで!?」

「冗談ですよ」

「立ち直れねえ!」


 それはかつて毎日のように繰り返していた会話なのだった。からかわれながらも嫌いではなかった。ああそうか、久しぶりなんだな。ユウゼンは長いこと自分をサポートしてくれたモリスのどことなく寂しげな顔を見ながらそんなことを思う。

 悪態をついたり感情を見せなかったり基本的に容赦ないが、結局のところ──


「心配性すぎるんだって……モリスはさ。俺なんか、もっと傷付いてぼろぼろになって思い知った方がいいんだよ。そうしないと何にもわかろうとできない。今回のことで痛感した」

「そんなことはないと思いますけど」

 モリスは不満そうに首をかしげ、ユウゼンは笑いそうなのを堪えて指摘した。

「ほら、そういう所が過保護なんだ」

「まあ……思うところは膨大にありますが、あえて言えば僕はあなたの従者なんだから当然です。多少の誇りと愛着くらいあったっていいでしょう? ほら、皇妃にはアイボリー・ピアロの悲喜劇エアリアルスノウを鑑賞してもらう予定ですから、適当に案内して後は睡眠確保して体力温存して明日にでも備えてください」

「……はいはい」


 ありがとうなんて、言われるのは嫌いな人種なのだろうとユウゼンはいつものように返事をしながら、また一つ心が軽くなるのを感じていた。

 そしていつの間にか浅い眠りに落ちていたらしく、しばらくして起こされ、朦朧とする頭で地面に足をつける。目の前には灯に浮かび上がる絢爛なサン=ドレイア劇場がそびえていた。引きつった笑顔で皇妃をなんとかエスコートし、華やかな回廊・バルコニーにも目をやるような気力なく、やっとの思いで貴賓席に身を沈める。この夜がこれまでの自分の最後の休息になるかもしれないと実感もなく思っていた。

 すぐに開演時間となり、本命の題目「エアリアルスノウ」が上演される前に、短い前座が行われる。その間ぐらいは寝るのは我慢しようとユウゼンはぼうと舞台に立つ二人の男女を眺めた。主人公は神と人の間に生まれた美しい少年で、彼に人間の少女と精霊が恋をする。少年と少女は互いに惹かれあうが、それに嫉妬した精霊は少年に決して愛を告白できなくなる呪いをかけてしまう。そして何度目かの邂逅の末、不安になった少女はついに尋ねる。わたくしのことを好きになってくれたのですかと。肯定したいのに呪いのせいでどうしても出来ない少年は散々苦心したあげく、言葉を絞り出す。人が好きかどうかとは、どうしたらわかるのですか──





「え?」



 するりと耳に飛び込んできた言葉に絶句した。それは──懐かしむほど遠い記憶ではない。忘れたくても忘れられず刻み込まれた声が、重なって動揺をもたらしユウゼンの思考を完全に静止させた。今、なんと言った? 

 舞台の上では悲嘆にくれる二人が演技を続けているが、もう何も耳には入ってこなかった。今の台詞。まだ彼女の悲しい秘密が存在していたとき、シルフィードの口にした──


 ああ、まさか。まさか、まさかまさか……。


 眠気など一気に吹き飛び、ユウゼンは動ける最大限の速さで席を立つと、唖然とする周りの観客など気にも留めず舞台裏に向かって猛然と走りだしていた。ばくばくと、運動のせいとは別に心臓が壊れそうに鼓動を刻んでいた。急所を強く指で押されたような圧迫感。友人である劇作家のアイボリー・ピアロに、一刻も早く事の次第を聞き質さなければ死んでしまいそうだった。


「ピアロ……! ちょっと、いいかっ……」


 廃材やら器具やら縄から煩雑で迷路のような舞台裏に駆け込んで、舞台を邪魔しない最低限の声量で叫んだ。裏方や控えの役者たちがユウゼンを見て微かにざわめき、やがて次々と礼を取る。それを尻目に何事かと振り返るピアロに走り寄った。


「悪い、……その、この、今やってる舞台って、一体っ……」

「どうしたんだ? 藪から棒に。これは古いオードを基にしたものだが。アドニスのオードという。アドニスはアネモネとも言うあの赤い花の名前だな。起源である神話を描こうと……」

「わ、わかったそれはいいんだけど、さっき、さっきの男の台詞は」

「アドニスの台詞?」

「あの、人が好きかどうかって、どうやったらわかるのかって奴だよ!」

「ああ、山場だな。それがどうかしたか?」


 どうかしたのだ。だから聞いているんじゃないか。もしシルフィがこの物語を知っていたとしたら。いやもしなんて、こんな偶然あるはずがない。


「どういう意味なんだっ?」

「意味? 解釈ということか?」

「そうだよなんでもいいから早く!」

「理不尽な奴だな、見ていたんなら大体分かるだろう……あれはアドニスなりの精一杯の告白さ。アドニスは呪いのせいで愛を伝えられない。だから考えた末、人が好きかどうかとはどうしたらわかるのですか────つまりあなたが好きだということを、どうやったら証明できるのですか。自分の思慕をどうしたら相手に伝えられるのか、信じてくれるのかと、告白の代わりに言ったんだ。まあ、結局想いは届くはずもなく勘違いした少女は──……」


 

『シルフィード殿下は最初から兄さんにはっきりとアプローチしていたじゃないか。それからもずっと。好きだって言われたんじゃないの?』


 カラシウスに言われた言葉が蘇る。本当、だったとしたら。国のためでも、それとは別に僅かでもシルフィードが自分に恋心を持っていたのだとしたら。ユウゼンは信じなかった。シルフィードの言葉は本心ではないと決め付けていた。シルフィードほどの人が自分を慕うはずはないと。いや、それもあるが、やはり皇帝となる未来を予想し皇妃の苦労を考え涙を飲もうと考えていたのだ。それが結果的にはシルフィードのためと決めつけて。彼女はカラシウスや他の有力貴族には近づかなかった。シルフィは、受け入れながらも根底では拒絶するユウゼンをどんな思いでみていたのだろう。希望、よりももっと薄くて小さくて見えないような夢。最後に疑って問うた時、シルフィードは泣いていた。きっと悲劇であるこの古い物語の結末を予想して、それでももしかしたら気付いてくれるかもしれないと思ったのかもしれない。なんて、ひどいことを────




 人が好きかどうかって、どうやったらわかるんですか?

 ……あなたが好きだということを、どうやったら証明できるのですか……



 

「っ……!」

 飛び出して、劇場の外へ出るまでの記憶さえなく。眠気も疲労も全部麻痺して、誰かの呼び止める声も耳をすり抜けて、装飾品でもなんでも御者に押し付けアレクサンドリア城まで限界を超えて急がせた。走って走って門を潜り抜け、呼吸さえ忘れそうになりながら弟の部屋のドアを開け、


「カラシウ──ごぱっ!!」

「おっそーーーーーーいっ!! 遅い遅い超遅すぎる! ユウちゃんのバカたれがぁーー!!」


 顔面殴られた。

 ユウゼンは一度床でバウンドして三回床を転げて死体になった。


「ちょっとは思い知ったかっ! 人がどんな気持ちでっ……我慢して優しい言葉掛けてやってたんだから地の底まで感謝しやがれ! ああもう、ああもうああもうっ……!」

「ね、姉さま……もうそのへんで……きっとユウ兄さんも反省してますよ……」

「セラちゃん甘いよぅ。砂糖まみれだちくしょうがっ」

「まあ兄さんにしては早かったほうなんじゃないの?」


 暴走するラティメリアに引き気味のセラストリーナと泰然としたカラシウス。兄弟全員集合。

 なんで? 思考が追いついてくれない。


「な……なんだよ、みんなして……もしかして、待ってた、のか……?」


 ユウゼンは頬を擦りながら立ち上がって三人を見回した。そうだ、そもそもラティメリアがアレクサンドリアに来ること自体珍しい。もしかしてわざわざ自分に会いにきたというのか。

 その姉が怒りで頬を紅潮させながら、つかつかと歩いてきてユウゼンの胸倉を掴みあげた。


「ま、待ってたなんてさぁ、そんなんじゃ言い表せないわよぅ……! わたしはもうシルフィちゃんが可哀想でキミを引きずってでもっ……」

「シルフィ!? どうしたんだよ!」

「どうしたじゃないっての! なんかマゴニアで超非難されてるしさっ」

「っ……」

「しかも新王レリウスの母親斬ったらしくて、」

「なっ……」

「命に別状はなかったらしいけど、それで今牢に繋がれてて、」

「そんな……!」

「しかもしかもなんかとにかくもうすぐ無理矢理葦原に嫁がされるっていうし! それも側室っ」

「う」


 ユウゼンは頭が真っ白になって、ラティメリアを振り払うとカラシウスに詰め寄っていた。


「そっ、本当にっ? なんで早く言わなかった!」

「無茶苦茶だよ言ってることが。なんで僕が一々。僕は認めないうちは例え兄さんでも教えない。夕方に言ったこと忘れたの?覚悟したみたいだから今こうして明かしてるけど」

「それに……お兄様はこうして、すぐ協力できるように……呼びかけても下さったのですよ?」


 セラストリーナがおずおずと口をはさみ、カラシウスは余計なことを言うなと苦々しい表情をした。セラストリーナは一瞬口ごもったがすぐに顔を上げ、発言を続ける。


「いえ……こういうことは、言っておいた方が今はユウ兄さんにとってはいいんだと思います。最大限に上手くいかないといけないこと、なんですよね?」

 カラシウスはぴくりと眉を上げ、面白くなさそうな無表情で肩をすくめた。

「ふうん……まあ、そうかもね。セラストリーナもそこそこいい女になってきたかな」


 そんなことはどうでもいいから、とは言っても今の発言で頭に冷水を浴びせられたような気分になり、ユウゼンは嫌な汗を拭う。シルフィ。頭の中で何度も呼んだ。あなたはそんなところにいてはいけない。こんな気持ちになるなら自分が牢に繋がれたほうが何百倍もマシだった。

 言葉が漏れた。


「マゴニアに、いるんだな? シルフィは」

「かろうじてね」


 もう、いい。どこにいようと関係ない。どんな手段を使ってでも、自身も捉われていた絶対の孤独から彼女を奪い返そうと決めた。カラシウスとラティメリア、セラストリーナに向けてためらいなく頭を下げる。


「協力してくれ。一生の頼みだ。今だけでいい、力を貸して欲しい」


 ユウゼン一人の問題であったら、きっと一生そんなことは言わなかっただろう。頼むイコール自分のために望む行為だから。

 そして一瞬の痛いほどの沈黙に三人のため息が混じる。

 馬鹿みたいに分かりやすい、安堵の吐息だった。


「最初から素直にそぉ言えばよかったんだこのチキン野郎ーーーー!」

「兄さん、僕はまだ実質何もしてないのにすごく疲れたよ……もう無駄な弁解して逃げるのは勘弁してね」

「微力ですが、出来る限りのことはしますから、今までお世話になった分協力させてください……」

 

 号泣するラティメリアに押し倒されながら、憎まれ口の合間にも部屋を出て行くカラシウスにユウゼンは大声で礼を言い、微笑むセラストリーナに口元だけ無理矢理笑ってみせた。







 未来が変わった日。

 このときだけでいいから、どうか、世界が自分に従うことを望んでいた。





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