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アドニスのオード(3)

「それって、……まさか、シルフィは」

「あぁ、血相変えて探しに行ってたけど、シルフィード、耐えられるかなア?」


 昼間の穴居の中の犯しえぬ光景が脳裏をかすめ、ユウゼンは血の気が引いた。

 シルフィードは心底喜びアレクサンドリアから駆けつけるほどだったのだ。子犬を抱いていたときの貴重な表情だけでわかった。


「なんでだよ……? 子どもは、異形じゃなかったんだろ!」

 ユウゼンの憤怒は、冷え切った傀儡の嘲笑に掻き消された。

「だから? そんなの殺す側が気にするとでも思ってるのか? 憎いから、汚らわしいから、命令だから、常識だから殺すんだろう? 僕だって、ほら、マゴニア兵を殺した。彼らにだってそれぞれの事情があった。それが不運に終わってしまっただけの話じゃないか」


 それだけの話? かっとして感情の任せるままシアンの胸倉を掴んでいた。ふざけるな、と加減することもなく血に濡れた頬を殴りつけた。鈍い音と拳の骨が軋む痛みが重なって、腹の中が熱くなった。シアンの嘘みたいに鮮やかな青い瞳がガラスのようにぽっかり炎を閉じ込めていた。


「お前のことで、仲間のことで、今だってこれから先も全部関係ある事だってっ……分かった振りして目を逸らして、虚しい正論かざして満足してんじゃねえ……! なんのために生きてきたんだよ? 死ねるのが羨ましいなら今ここで俺が殺してやる」

「ごほっ……、……なにが、わかる、恵まれた人間に……」

「わかるわけないだろ、そんなの当たり前で、不幸比べてどれだけ意味があるっていうんだ? 憎むなら憎めよ! それでもいいから突き放すな……! 最後までソオラを守ろうとしたお前に出来ないはずないじゃないか」

「なにが、できるっていうんだ……誰も守れない私に、なにが、」


 くやしくてたまらなかった。透明な青から溢れ出して目じりを伝った水滴は、煤と血を絡め取って彼の耳を濡らした。老いた少年の見つめる空は真っ暗闇で、星も月もなかった。ソオラ、と呆然と呟く声が空に溶けた。ソオラ、カンパネラ、ヨウ、アルト、セイロン、アツィルト──死んでしまった、殺された者の名前。


「守れる。信じろ。俺を利用してくれ。必ず助けるから。あなたは一人きりじゃない、だから」


 絶望だけで生きて欲しくなく、綺麗事しか口に出来なくて、ユウゼンはシアンの胸倉を強く握り締めたまま短く意味のない叫び声を上げた。力が欲しかった。変えてやる。定められた世界なら、そんなもの終わればいい。

 ぐったりと倒れるシアンを護衛の一人に任せ、ユウゼンは歯を食いしばって立ち上がった。焼け落ちる村を、一人の少女を探して走り回った。踏み荒らされた小さな畑、異形たちの死体、冷たい闇と絶望の炎。女の嗚咽が耳に届いた。恥も外聞もない泣き声は胸をかき乱してユウゼンを打ちのめした。


 シルフィ。


 声も出なかった。

 暗く切り立った崖の前で、何かを胸に抱きしめて少女は泣いていた。その手と衣は血で真っ赤に染まっていた。小さな、赤い肉片と潰れた臓器の塊が彼女の周りの地面を汚していた。蹂躙の跡だった。マゴニアの兵士が数人彼女を取り囲み、罵声を浴びせていた。この裏切り者の偽善者。お前のせいだ。俺の子は異形に殺されたんだ。

 投げられた石がシルフィードの顔に当たった。一人が彼女の身体を蹴りつけ、シルフィードは形のない(むくろ)を抱きしめたまま仰向けに倒れた。カーヤ。カーヤ。誰か、たすけて、あぁ、ああぁ────

 無我夢中で助けに行こうとしたユウゼンを護衛が羽交い絞めにするようして止めた。もうこれ以上は危険です、どうかおやめ下さい。

 うるさい、行かせろ、許さない、これ以上シルフィを傷つけるなと、悔しさでぼやける視界の中で叫んだ。悲痛な泣き声は止むことがなかった。護衛に引きずられ、力が抜ける身体に無力感が満ちていく。


「──何をしている! 今すぐ止めろ!」


 遠ざかる風景の中で、凛とした少年の声を聞いた。いつの間に到着したのか、マゴニア兵に守られた身なりのいい影が見えた。あれは、──シルフィの弟であるマゴニアの王子、レリウス・オージン・スヴァジルファリ・デ・マグーヌス……?


 燃える村が遠ざかる。

 希望も見つけられないまま、少しずつその輪郭がぼやけていく。


                     ※

 

「ユウゼンさん!?」


 護衛によって無理矢理離脱させられたユウゼンは、暗い森から呼びかけられた声に、はっと顔を上げた。昼間聞いた少年の声だった。


「アダマント? 無事なのかっ?」

「うん、ヘリエルが来てくれて、大体皆何とか……それより、村へ行っていたんだよね? ソオラとヨウさんはっ!?」

「…………」


 顔の半分を腫らした少年は、ユウゼンの沈黙の意味を読み取り、たちまちくしゃくしゃと顔を歪めた。強く強く唇を噛み締めて必死で堪えようとしているようだったが、それでも小さくしゃくりあげる声が暗闇に響いた。

 ユウゼンは彼の身体を抱きしめて、何度も背中をさすった。


「あぁあ……嫌、だ、ぁあ、ああぁ……!」

「立派だった、彼女は、最後まで守り手だったよ……シアンも、粘っていたんだ。ごめんな。もっと早く到着していれば」


 彼をなだめるふりをして、本当は自分を支えていた。そうでもしなければ保てなかった。シルフィ。慟哭が耳から離れない。


「殿下」


 護衛の一人に短く呼ばれて、意識を繋ぎとめる。落ち着いているようなふりをして辺りを確かめる。ヘリエルの姿が見えた。それから、アツィルトにいた傀儡たちも。だから? だから、そう、助けるんだ。助ける、たすけて、タスケテ……


「山を、降りてオズの方へ。安全な場所を提供する。馬車を用意するんだ。出来る限り急いでくれ」


 アダマントを抱え込むように歩かせ、ヘリエルにも頷いてみせ、ユウゼンは無理に忘れようとした。夜の山を必死に下っている間だけは頭の中が真っ白になって、何も考える必要がなかった。全部で二十三名の避難できた傀儡達を馬車に乗せ、とにかくアレクサンドリアを目指した。道中疲労が襲ってきて、夢もみない泥のような眠りに落ちた。朝になって目覚めたとき、全部覚えている自分に絶望した。悪い夢だとさえ思うことが出来なかった。

 しっかりしなければ。

 今は、彼らを守ることだけを考えろ。

 村を焼かれ、一番不安で、それでもユウゼンを信頼するしかないアダマント達のために精一杯の虚勢を張る。アレクサンドリアの王城に到着し、ふらつく足で地面に降り立ったとき、丁度外へ出てくる人影があった。

 気を使った服装と若々しい顔、どこか不釣合いの白髪であるところの西方の森の伯爵、モデストゥス・フリッグ・シンダリアだった。


「おや、ユウゼンではないか! どこへ行っていたのだい? 帰る前に挨拶しようと思ったら不在だったからなんてつまらないのだと思っていたのだがね」

「ハルジオン伯爵……、」


 懐かしさと安堵で、胸に詰まった感情の塊が決壊しそうになった。なんでこんな人に。震える深呼吸をして不要な弱さを押し込める。それでも少し、視界がぼやけた。


「お帰り、なのですね……ご苦労様です」

「ああ。ユウゼン、どうしたんだ? お」

「──待ってマーテンシー!」


 そのとき、二人の少女が馬車から飛び出していた。モデストゥスの目の前。黒髪の少女マーテンシーが先で、それを追って緑の髪のライムが鮮やかに日の光を浴びた。

 マーテンシーは相変わらず人の目を意識しない様子でぼんやり歩き回っていたが、ライムはモデストゥスとばっちり目が合い、はっとして身体を硬直させた。人間嫌いのライムは一目で傀儡と分かる容姿をしているのだ。ユウゼンは焦りで頭が真っ白になった。


「ん? ……うん、うん?」

「あ、そ、の、伯爵、この子は、つまり」

 つまり、傀儡、ではあるのだが。果たして西方の森の伯爵はその存在を知っているのだろうか? 知っていたら? 知らなかったら?

 混乱して何も言えないうちに、モデストゥスはぽんと手を打って声を上げていた。

「実に綺麗でかわいらしいではないか! どこの子だい? あの果実の色に似ているな」

「え?」「へっ?」

「もっと手入れをすればいいのに、惜しいじゃないか?」


 にっこり笑いライムの鮮やかな髪に手を伸ばすモデストゥスに、流石の人間嫌いの少女もしばらくぽかんとして固まっていた。それから我に返ったらしく、顔を真っ赤にしてマーテンシーの側に逃げていく。マーテンシーは城の前でくるくると踊るように回っている。ハルジオンの伯爵は、少しの偏見もなく眩しそうにそれを見ている。

 

「……伯爵。少し、話を聞いていただけませんか?」


 彼なら理解してくれるかもしれない。誰か協力して、分かってくれる人が居てほしい。

 ユウゼンは彼の人柄を見込み、意を決して彼らの正体をモデストゥスに話した。変革魔術のこと、傀儡のこと、アツィルトの存在、そして昨晩の出来事……。


「──なるほど。それで、アレクサンドリアまで来たということかい」

「そう、です」


 モデストゥスは微かに眉を寄せながら聞いていたが、一つ頷く。そしておもむろに傀儡たちが身を潜めている馬車の中を覗き込んだ。二人の少女を除いた二十一名がはっと息を飲む様子が伝わってくる。

 回復して目を覚ましていたシアンが代表して馬車から出てきた。誰も守れなかったと絶望していた少年は今、何を思っているのだろう。ユウゼンはその原色の青に、僅かに緊張して汗ばんだ右手を握り締めた。


「私は、シアンと申します。ここにいる傀儡達の代表と考えていただければ」

「初めまして。ハルジオンの伯爵をしているモデストゥス・フリッグ・シンダリアという。ユウゼンの伯父に当たるのかな? 君たちの事情は大体聞かせてもらったよ」

「……それで、どう思われたのです?」


 シアンは冷たい印象さえ与えるほど無表情だった。ただ、あの突き放して拒絶するような空気は纏っておらず、ただモデストゥスを見ているだけという感じがした。

 ハルジオン伯爵はにこりと無邪気な笑みを浮かべ、ユウゼンの予想以上のことを言ってのけた。



「行く予定がないのなら、ハルジオンへ来ないかい?」



「はい……?」 

 オズの西方にある、広大だが深い森林に覆われたハルジオン地方。青の傀儡は目を見開いて聞き返していた。

 伯爵は得意のマイペースで領地自慢を始める。

「我が屋敷はそう貶すほどのものでもないのだがね、何しろ田舎なものだから、人手が足りなくてね。来てくれるのなら大歓迎するよ。何、慣れれば実に風光明媚で長閑(のどか)で豊満で──」

「待っ……同情、ですか。そんなに簡単に我々を受け入れて、後々後悔を」

「気に障るようなことを言ったかい? 私はどうも少し人とはずれているのかもしれない。ちなみに、思ったことを口にしただけでそのときの感情に名をつけたことはない。思ったこと、感じたことをする以外に何か生きる方法があるのならいいね。後悔したとしても同時に満足しているのだ」


 シアンはまるで自分と正反対の人間を見つめて、その持論に反抗すべき言葉を探しているようだった。しかしもう、どこかで縋るような光が生まれていた。

 助けて欲しい。

 長年封じ込めて砕いたはずの気持ちが焦燥、疲労によって、ソオラの死によってあふれ出したのかもしれなかった。

 差別し、迫害し、仲間を殺したのは人間。矛盾したように手を差し伸べるのも人間。世界を分かつことはできない。自分もまた人間以外にはなりきれないのだ。

 少し、疲れたよ。

 顔をゆがめて、苦しそうに、ぎこちなく、青を纏った少年は頭を下げた。


「お願い、します……出来るのならば、彼らに、居場所を与えてください……」


 もちろんだよ、君にもね、とモデストゥスは笑った。

 あまりにも気軽に、明るく了承する伯爵を、ユウゼンは改めて敵わぬ存在として認めていた。気負い張り詰め、守らなければと焦っていた自分とは全然違った。シルフィともまた違うそのやり方が、立場が、きっと彼らを救うだろうと想像することが出来た。理解者が得られればと思わず事情を零してしまった幸運を噛み締める。




「さあ、行こう! ハルジオンに着くまでに自己紹介でもしようじゃないか?」




 朝日の中、西の新たな地へ向かう彼らの馬車を、ユウゼンは見えなくなるまで見送っていた。


 










気付けば50話、なんとか後半まで書けました…!

最後までお付き合い頂けると嬉しいですm( )m

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