風の王女とカカシ皇子の日課(1)
興味を引かれない学問を聞かされ、父王であるオルシヌス帝の庶務を手伝わされ、午後がだいぶ過ぎた頃、それがやっと終わる。
いつものようにどろどろしていたユウゼンは、仕事が終わるとようやくやる気を出し、執務室を出て最近話題だという画家の絵を見に行こうとしていた。ユウゼンにとって芸術は人生の潤い。
そして、
「カカシ兄さん!」
「カカシじゃねえ!」
早速邪魔が入った。
首都の東に位置する大都市ヘテロクロミヤ・アイディスのアカシア皇宮。
呼び止めて、その粛然とした廊下を歩いてきたのは、甘い容姿愛想抜群、第一皇子のユウゼンよりよほど話題沸騰の第二皇子、カラシウス・アルティベリス・アレクサンドリアだった。
貴婦人方曰く、「若いのに紳士的だしかわいいし最高!!」だそうな。
ユウゼンは正直、次期皇帝やってくれないかなと思っていた。
あと、変な愛称つけやがってうざいなと思っていた。
なので、適当にあしらってその場を立ち去ろうとした。
「カラシウス。今忙しいから後にしてくれ。あとカカシじゃないから」
「えー、何の芸もない否定は止めてよ。どうせならもっと丁重に丁寧に弁解してみせてよ」
どうしよう、うざい。うざいよ。
女性なら喜びそうな仕草で首を傾げる弟に、ユウゼンは殺意を覚えた。
忍耐力さんと相談して、結果、我慢して諭してみる。仕事が終わった後だから、多少余裕があったのだ。
「何か定着しそうな響きを感じるので、その呼び方は控えてくれないかな」
「いいじゃないか。事実を的確に表しているし」
即答だった。
真面目な顔だが確実に計算された言動に、ユウゼンは大人気なくあっさりキレた。
「表してない! だめだ!」
「じゃあなんて呼べばいいんだよクソッタレチキンが!」
え、逆ギレ? 意味わからないんですけど。まったくわからないんですけど。
なぜか手酷く罵倒され、思わず萎える。
一応尊敬すべき兄で、将来の皇帝でもあるって、知ってる、かな。これでも、人間なんだ。きっと、人権あるんだ。
「わかったよ、話が通じると思った俺が悪かったんだ……カカシの方がマシだし……」
「僕もそう思うよ」
兄の優しさで最大級の譲歩をしてやると、カラシウスが嘘のような笑顔で同意してきて、ユウゼンは泣きそうになった。何だこの確信犯。
※
もうあしらうことを放棄したユウゼンは、カラシウスに対して超だるそうに対応した。まるで寝たりないのに無理矢理起こされた可愛げのない子どものようだ。
「でー?」
「うわ兄さん、シルフィード殿下にもそんな受け答えしてるの? 嫌われるよ?」
「ガボベっ!!」
一瞬で叩き起こされたように奇声を上げ、ユウゼンは数秒咳き込んだ。
元々愛想も顔もいいくせに、妙に不意打ちが好きだったりさらっと嫌味を言ったり、悪辣で何を考えているのか読ませないのがカラシウスだ。そんなときでもさわやかに優しく見えるから騙されやすいが、今のは少々機嫌の悪さが混じっている。ユウゼンがあまりに興味を示さなかったからだろう。
「お前、いきなり何を……! そういうのは止めてくれ、全く親の顔が見てみたいわ」
「面白くない上に往生際が悪いのはよくないと思うんだよ」
「……ごめんなさい、心が傷付くからやっぱり許して下さい……」
「まあ、小さな動物の心だしねえ」
殺意だけはないものの、王宮で揉まれただけあって精神攻撃は鬼畜女官セクレチアにも勝る。
追い詰めるだけ追い詰め満足したのか、ようやくカラシウスは矛を収めて話を戻した。
「それでさ、最近兄さんがカカシ兄さんなのにあの神がかって美しいシルフィード殿下と仲良しだから、不思議だなあと思って」
「ま、まあ、あれだよ。それは別に第一皇子だし、俺だけじゃないかもしれないし、」
「いやいや、結構な人たち言い寄ったらしいけど、兄さんほど親しくされてる人もいないんだよねえ。究極にあり得ないと思うけどもしかして結婚でもするの?」
「ごぼばっ!!」「うえっ!?」
──どうか、私と結婚してくれませんか?
あの時の光景が一瞬にして蘇り、ユウゼンはこれ以上ないくらい赤面して固まった。今でも思い出すだけで衝撃なのだ。
カラシウスが素で驚愕したらしく、まじまじとその様子を観察しながら呟く。
「……マジで? 冗談で言ってみただけだったんだけど……もしかして、シルフィード殿下って、意外に、」
「ちちちがうから! そうではないから! あくまで可能性としてそういうこともなくもないというかまだあれその心の準備が!」
「…………」
「…………。えっと、うん……その、ごめんなさい、取り乱しました……」
急に黙り込んだ腹黒カラシウスが恐ろしくなり、ユウゼンはテンションを地の底まで下げる。
けれどカラシウスは特に機嫌を損ねたわけではなかったらしい。思慮顔をしていたが、目が合うといつものようににこりと微笑む。
「なるほどね。どうせ兄さんのことだから思い切れなかったんじゃない? どうするにしろ、早くしないと逃げられるかもね」
何故そのようにお見通しなんだろう悲しい。
感慨に耽っていると、さらににやりと笑って、こんなことを言ってきた。
「それでさ、知ってる? シルフィード殿下が訓練施設によく顔出してるってこと」
「は? 施設って、」
「だからヘテロクロミヤ侯の東方部隊の。あるでしょ」
「何で? 見学?」
「聞いてないんだ。まあ、秘密にされてるっていうか兵達が意図的に内緒にしてるから誰も気づいてないようだけど。違うよ。訓練してるらしい」
訓練? というとあの面倒で疲れるし怒鳴られるし身体痛いし疲れるあの訓練? シルフィが? よりによってあの華奢な美少女が?
「なあっ、そんなまさかありえねえ何でまたーーーっ!?」
「さあ?」
軍事や武術の方もやはり好奇心の持てない、残念な第一皇子は頭を抱え、第二皇子は言うだけ言っておいて無責任に肩をすくめた。