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アドニスのオード(1)


 それからしばらく、ユウゼンは何も考えられずにぼんやりと木の下に座っていた。それは丁度、緑の髪の少女ライムと、黒髪のマーテンシーを見た場所だった。畑の脇でマーテンシーが並べていた小石は、風に吹かれて少しだけ歪んでいた。


「申し訳ありません……」


 声。

 顔を上げると、泣きはらして憔悴した顔のシルフィが立っている。少し離れた位置から、ヘリエルが心配そうに眉尻を下げて王女の方を見ていた。

 心配なら、もっと近くにいればいいのに。

 半ば自棄的な思考が過ぎり、ユウゼンはのろのろと立ち上がった。シルフィードはまだ謝罪の言葉を繰り返している。


「みっともないところをお見せしてしまい、本当に……」

「怒らなきゃいけないのか? 俺は、」


 違う、こんなことを言いたかったわけじゃない。

 口をついた言葉は本音でも嘘でもあり、ふせられたシルヴァグリーンの瞳には色濃く諦観が浮かんでいた。流されることがない薄い涙で、少女の顔はひどく曇っていた。


「ごめん……俺は、だから……俺のほうこそ、驚かせてしまって、……それに、異形のことも、全部決め付けて勘違いして、皆を傷つけたと思う」

「アツィルトの、ここの皆のこと、秘密にしておいてくれますか……」

「もちろん。俺にも出来ることがあれば、出来る限り援助するから」


 ユウゼンが答えると、シルフィードは口元を綻ばせた。しかしそれはぎこちなく、諦観の色は少しも薄れてはいなかった。


「いえ、気持ちだけで……。魔術国では傀儡の差別はひどく、異形に至ってはその被害から嫌悪の対象なのです。もし私が彼らを匿っていることが知られれば、マゴニアの民は私を許さないでしょう。オズでも、そうならないとは、言い切れません」


 シルフィの言うことは至極最もで、だからユウゼンが先ほど再会したとき、シルフィはあれほどうろたえてしまった。実際の傀儡や異形が危険でなかったからといって、許されることとは違う。自分たちとは違う、理解できないと思う心、優越、排他、又は嫉妬を持って、一度それが悪だと認識してしまったら、その社会意識を覆すことはひどく難しい。傀儡・異形を悪と見做す魔術国の内にあるマゴニア王国は、シルフィードが密かに彼らを匿っていることを認知すれば、相応の反感を覚えるのだろう。犯罪者を助けることと同義の意味さえ持つのかもしれない。

 じゃあ、自分は?

 

 ユウゼンは己がいつの間にか、知らない者のように感じていた。

 想像したことすらなかった立ち位置に立ってしまっている。これは、ずっと思い描いていた定められた範囲内なのだろうか? 


 きっと違う、と思う。

 目を逸らせない。届かなくても、足掻いて、手を伸ばしたい。その視界の先にちらつくのは────


「世間が間違ってるんだろ。アツィルトの皆は、危険じゃないはず」

「──皆、特別な所はあっても、素敵な人たちです……」

「だから、シルフィは、彼らを助けた。彼らは居場所を得た。シルフィが変えたんだ……俺が援助すれば、また何かを変えられる。オズならもっと受け入れられるはずだ。俺はそうしたい」


 言い切れば、シルフィードの視線が真っ直ぐにこちらを向いた。ユウゼンはともすればその美貌に気を取られそうになるのを堪え、彼女の気持ちを捉えようと見つめ返した。


 反射する。シルフィードの瞳の中に自分がいるような気がしてしまう。鏡のような光だ。その向こうにどんな感情があるのかが知りたい。シアンが言ったような人形ではないのだから。

 数秒の沈黙の後、シルフィードはどこか苦しそうに、笑おうとした。


「あなたがそう言うと、全てが上手く行きそうな気がする。でも、十分です。その言葉だけで十分、嬉しかったです。ありがとう」


  同じ思いを持っても、すれ違って同じ場所にはいられない。伝えることが難しすぎて、人の気持ちの前に自分の気持ちさえ整理できず、なんと答えていいのか分からなくなった。互いを傷つけたくないから拒絶ではなくとも、受け入れられない。これ以上どうしたらいい? これ以上どうしたい……?


「シルフィは、今でも、俺のことを、優しいから好きだと思っている……?」


 出会ったばかりの頃の言葉を、今でも鮮やかに思い出せる。病弱で純粋な王女の見舞いに行ったつもりだった。そうではなかったけれど、知るほどにますます惹かれていった。強いということとは紙一重の何かがシルフィードの中にあった。マゴニアのため、まだ若すぎる弟のために見知らぬオズを訪れ、ユウゼンに結婚を申し込み、自ら剣を取り、頭を下げ、笑顔を絶やさず、不遇な者たちも決して見捨てず手を差し伸べる。

 それなのに、彼女は時々孤独だった。孤独に自ら寄り添っているようだった。その姿が悲しく、あまりにも美しく、こちらを向いてくれないかと祈るような気持ちを抱いた。

 

 ユウゼンの問いかけに対して、シルフィードはすぐに口を開き、吐息を宙に混ぜた。流される前の涙を拭うように一度だけ左手の甲で目の下に触れた。緩やかで冷たい風に白いドレスを泳がせて、少女は呟くような声で答えた。




「人が好きかどうかって、どうやったらわかるんですか?」




 一際強い木々のざわめき。

 知らず喉の奥から短い呻きが零れて、ユウゼンは思わず自分の口元を手で覆った。

 信じがたい思いで、眩暈にも似た感覚に襲われていた。シルフィードは、本気で、


「それが、わからない、んですか? 好きだという感情が、どういうものか、そんなことが」


 少女は、ユウゼンの確認に対して肯定も否定もしなかった。

 視線を曖昧にこちらに向けたまま、寂しそうに微笑んだ。

 そして瞬きと同時に零れ落ちた涙にも気付かない様子で、優しく柔らかい、人形のような口調で言った。



 結婚を申し込んだことを取り消します。ご迷惑をおかけしました、と。

 

 

 


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