欠けたる者達の女王(6)
ユウゼンがアダマントと共にソオラの住居を出ると、外部からの客を野次馬的に伺っていた村人たちの姿がちらほらとあった。不審と好奇心の瞳。ユウゼンが視線を向けると怯えた様子でさっと目を逸らす。その中で唯一、動じない人物がいた。
「……ヘリエル」
入り口で待機していた金髪の日焼けした武官は、深々とお辞儀をした。シルフィードの姿は側になかった。
何か言いたそうな表情を読み取り、ユウゼンは黙って彼の近くまで歩いた。
──シルフィード様のところに、ご案内致します。
ヘリエルは無声音でそう言って、背中を向けた。ユウゼンは一瞬怯み、だが、すぐにその後を追う。アダマントは本来の仕事へともどるようだった。
粗末な建物と建物の間を通り抜けると、ヘリエルは村の入り口から見て一番奥にあたる切り立った崖へと向かった。四つほどの穴居住宅があり、まだ距離のせいで中は窺えない。
途中に申し訳程度の畑があった。その脇に生える二本の広葉樹の下に、二人の少女がいるのが目に入った。一人は世にも鮮やかな明るい緑の髪をしていた。十代の前半程度にしかみえない緑髪の少女は、ユウゼンに気付くとあからさまに嫌な顔をして、もう一人の黒髪の少女を庇うような位置につく。
その行動に若干傷付きながらも、目は自然と黒髪の少女へと吸い寄せられた。
ひどく特徴的な雰囲気をしていたからだ。彼女は色白で、美しい。十代中頃か、腰の辺りまで伸びた黒髪をそのまま背に流している。顔立ちは大人びて無表情に近いのに、地面に集められた小石を一心不乱に並べているのだった。地面には並べられた小石の不思議な模様が出来ている。
「……あの子は」
ユウゼンがつい声を出すと、ヘリエルは少し長く喋った。
──彼女はマーテンシーという名で、傀儡の中でも内部を傷つけられ適切なコミュニケーションをとることが不得手なのです。側にいる緑の髪の子は、ライムといい、マーテンシーの世話を引き受けています。ライムは傀儡でない人間が好きではないので、察してあげてください。
「……そっ、か……」
マーテンシーは石を並べ終えたようで、ふらっと畑を突っ切り滝のほうへ歩いていってしまう。ライムは慌てたように何か短く言いながら彼女を追っていった。
ユウゼンは再び前を向く。奥の横穴に近づくと、犬の姿がちらほらと見えた。もちろんそれは普通の犬ではなく、異形であり……。かつて、敵としてこの手で殺したこともある忘れがたい記憶。
複雑な心境のまま漆喰で固めた穴居住宅の前まで来ると、ヘリエルが振り返って真っ直ぐにユウゼンを見た。
──シルフィード様は、この奥にいます。
「……うん」
──異形達の世話をしています。
「すごいな。シルフィは」
──はい。シルフィード様が今回急遽ここに来たのは、子どもが生まれたからです。
「子ども? 異形の?」
──そうです。ウォルナッツという犬で、片足がありません。今まで異形の子どもが生きて生まれたことはなかったのです。
「初めて、健康な子どもが?」
ヘリエルが、肯定するように頬と目元を緩めた。
ユウゼンはその柔らかい笑みに後押しされるようにして、穴の中へ足を踏み入れた。
日光が内部をほのかに照らし、ひんやりと、どこか暖かい空気が満ちていた。土の温度。白くざらざらとした壁。獣たちの匂いと息遣い。固められた地面の上を進むと、すぐに最深部に辿り着いた。
「─────」
部屋には、土を寝台として模りその上に寝具を乗せたベッドが一つ。
その脇に伏せて座るのは全身に包帯を巻かれた異形。目を閉じて眠っているのは、三頭の犬達。布の上に寝かされ、耳と腹だけを動かす斑のある一頭。
水の入った桶と白い布を側に置き、それらに囲まれた中心に、一人の少女が腰を下ろしていた。明り取りの小窓からの光が、細い神の吐息の如くその場所を照らす。小さな埃が光に舞っている。地面の土で白いドレスを汚しながら、小さな子犬を胸に掻き抱く一人の女。最後の、今にも零れ落ちそうな希望を愛しむように、あるいは祈り、縋るように、白い指が、今、子犬の頬に触れ────
「ぁ……」
小さな声で、急激に意識が引き戻された。いや、その映像の残像がいつまでも脳裏でざわめき、シルフィードの驚いた顔がぼやける。
なんて、
なんて、なんという、顔を、表情を、するんだろう────?
「ゆ、ユウ……? どうして、どう、して、……あ、ぁ……」
見ないで。
そう聞こえた。
シルフィがどうやって子犬を母犬の元に戻し、立ち上がって、ユウゼンの脇をすり抜けて飛び出していったのか、記憶が飛んでいる。ただ、シルフィは取り乱し、ユウゼンを避けて出て行った。吹き抜けた風とあの清涼な香りだけを覚えている。心臓が熱くなった。足が、勝手に動いて追っていた。
「シルフィっ! 待って……! 待ってくれっ」
心からいとおしむ、透明で淡い淡い笑みが、ユウゼンの心を掴んで揺さぶって、あの瞬間何も考えられなくした。悲しみと愛しさの境界線。やっと出会えたね──消えないでいて──わたしの こころ──
「シルフィ……!」
無我夢中で追いつき、その細い手首を掴んだ。
強い力で振り払われ、反射的に振り返ったシルヴァグリーンの瞳は涙を湛え、瞬きをした拍子に耐えきれず頬を滑り落ちた。汚れた手が顔を拭い、泥が跡をつける。拭っても、すぐにまた水滴は溢れて転がり落ちた。
「ぅ、ふっ……わ、わたし、わたしは、ただっ、」
「ごめん、違う、驚かせて悪かった。俺は、シルフィに会いたくて、どうしても会いたくて、シアンに聞いて、」
「うそを、うそつきでした、ひくっ……ユウも、国も、だまして、でも、わたしは、みごろしにはできなかった……!」
「わかってる。わかってるよ。軽蔑なんてしない。するわけない」
ユウゼンは顔を歪めて嗚咽を漏らすシルフィードに手を伸ばしかけ、その前にヘリエルが血相を変えて駆けつけてくる。シルフィードの手が彷徨い、縋るように武官の肘を掴む。
ヘリエルはユウゼンの目の前で、流れるように王女の身体を包み込んだ。強く、しかし決して押しつぶしてしまわない加減で。シルフィードは倒れこむように彼の胸に顔をうずめた。
そこが最後の居場所であるように、シルフィードの手は武官の服を掴み、微かに震えていた。




