欠けたる者達の女王(5)
「……うん」
シアンが気にならないわけではなかったが、まだ内心動揺もしていたし、気持ちもまとまっていなかった。だから、アダマント少年の好意に甘え、村の代表者に会わせてもらうことに決めた。
「なにしに来たの?」
三方を崖に囲まれた中心辺り、木で造られた簡素な建物群に向かいながら、アダマントがぽつりと聞く。ユウゼンは混乱気味の思考を落ち着かせようとしながら、答える。
「シルフィに……会いに」
「ふうん。好きなんだ」
「ぶふぅcぃあf」
この世には存在しない言語を発しながらいくつかの建物を通り過ぎ、辿り着いたのはほかのものよりも大きな平屋だった。入り口に掛けられた簾をどけながら、アダマントは奥に声を掛ける。
「おばさん。ソオラに会わせたい人がいるんですけど」
少しやりとりがあって、とりあえず面会の許可は下りたようだった。手招きされ、屋内に足を踏み入れる。指摘されたため靴を脱ぎ、なめらかな木で作られた廊下を進んだ。微かな香の香りがする。薄暗い建物内は、湖の深層のように静謐に包まれていた。
奥に引き戸があり、アダマントが前に立つと、ノックもしない内に中から「どうぞ」と、くぐもった声が聞こえた。
「失礼します」
アダマントに続いて中に入ると、二つの人影がある。小柄な一人は奥にある長椅子の一つに腰掛けており、もう一人はその脇に控えていた。
「こんにちは。ようこそおいでくださいました」
座っている──少女の方が言ったのだった。少女であると思ったのは、その声が高く澄んで美しかったからに他ならない。
彼女は目を閉じていた。眠っているかのようで、その目が開かれる気配はなかった。始めからそう創られたように。小さな顔は眉が薄く皺があり、そこだけ何年も時が通過してしまったように見えた。白い髪と小柄な身体。ゆったりした衣装からは足先は見えず、膝に乗せられた手は小さく張りがなく骨のように細い。
ユウゼンは控えていたもう一人の女性に促され、テーブルを挟んで少女と向かい合うところにある長椅子に腰掛けた。付添い人らしい女性は、顔や首に大きな火傷の痕らしきものがあった。左側に縁側があり、薄い簾を揺らすのは弱光と微風。
つかの間ユウゼンが放心していると、少女が目を閉じたまま口だけを動かす。
「わたくしはソオラと申します。年はもうすぐ成人をむかえるほどでしょうか。ユウゼン殿下にお会いできたこと、嬉しくおもいます」
「あ……いや、こ、こちらこそ。急に、急な訪問失礼しました」
柄にもなく緊張していた。シアンのことがあったからか。それに、一瞬わからなかったが、アダマントはこのソオラという少女に自分の名を告げただろうか。
ソオラは口元に申し訳なさそうな笑みを浮かべ、鈴のような声で続けた。
「先ほどは、シアンが失礼をいたしました。長老は、姿を変えぬまま長く時を過ごしすぎました。子どもである自分、老人である自分、長きに渡る排斥、寛容である一部の世界、そういうものたちと、調和をとることができないのです。矛盾しているからです。だから未来を信じず、その場の感情に任せるのかもしれません。どうかお許しください」
また。ソオラは知っている。
ユウゼンは自然と眉を険しくさせた。頭が冷静さを取り戻してきている。
「いえ、俺が悪かったんです。結局、シアンの気持ちを分かったふりをしてしまったから……ですけど、それ以外の言葉は、撤回しようとは思わない。いつか、禍根がなくなればいいと思う」
「……同じ世界に暮らすしかなく、守りたいものがあるのなら、ですね」
頷きながら小さなソオラは言った。やはり、その場にいなかったのにわかっていた。ここを訪れてからアダマントは訪問許可を取っただけだから何も話してはいない。
率直に尋ねた。
「あなたは、俺のことを、事前に聞いていたのですか?」
ソオラは小首をかしげ、曖昧に「自分で」と言った。
「伝言されたわけではないのです。例えば、シアンが不完全な不老不死であるように。わたくしにも傀儡としての特徴が。そこにいるアダマントも、とても力持ちなのですよ。おかげでいつも助かっています」
ソオラににこやかに名前を出され、アダマントは仏頂面をした。目だけ泳いでいるから、照れているのがよくわかった。
「わたくしは、目が見えないかわりに、耳がいいのです。だから、近くの声も遠くの音も、意識すれば聞くことができます」
「え。えっと、遠く、というと」
「頑張れば、アレクサンドリア、ティル・ナ・ノーグさえ」
「う、うへえー」
ソオラはそんなことをしないだろうが、どんな諜報も叶わないレベルだ。
一方で、納得してもいた。だからソオラはこの村の「守り手」なのだ。傀儡である能力によって、危険を聞き分けることも知識を蓄えることもできる。姿は枯れたように老いても、彼女は美しい。
声が沁みこんでくる。
「ユウゼン殿下。シルフィード様に、会いに来られたのですね」
「は、い」
「シルフィード様は、わたくしたちにとてもよくして下さいます。この村を与えてくれ、猫かぶりという架空の商人をつくりだして召抱え、わたくしたちが生活していけるよう手配してくれました。シアン長老がシルフィード様に出会わなければ、ここにいる者たちは死んでいたかもしれません。わたくしはシルフィード様が好きなのです。だから」
閉じられた優しい目が、ユウゼンを見つめているような気がした。
「どうか、シルフィード様に幸福を。あなたを信じています」
かがむようにして、ソオラは頭を下げた。