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欠けたる者達の女王(3)

 そしてシアンに案内されユウゼンが辿り着いたのは、アレクサンドリアから遥か遠く、東の国境辺りだった。今はもう深夜を通り越し、夜が明けようとしている。人里離れた山中。一体このような場所に何があるのか、どう考えても何もないように思えて仕方なかったが、シアンは答えをはぐらかす代わりにシルフィードは絶対にそこにいるといった。嘘とも思えなかったし、巧妙に土の踏み固められた獣道も存在している。それならば、草木を掻き分けてでも進むしかない。ないが。


「ちょっ……むり……止まってくださ……ベホ、ベホ……」

「もうちょっとなんだろ? 頑張れって……な? 頼むから。進まないから」

「お、鬼……鬼がいる……いや、あくま……ころされる……しなないけど……生き地獄……ぜぇーぜぇー」

「はいはい。わかったから。キツイのは承知だから……場所が開けたら馬に乗せてやるから。頑張れ……ほら」

「う、ぐ、ぐすっ……ぐすん……ひっく……」

「泣き真似する体力があったら──いや、本気か……本気泣きでもなんでもいいから……こっちも疲れてんだから……とりあえず何でもいいから足を動かせ。お願いします。進んでください。先へ一歩でも」


 折り紙つきの血統書つきだった。

 シアンの体力の無さが。

 

 まず、アレクサンドリアの時点で馬車での移動を要求してきた。しかしそんな悠長な事をしている暇はなく、ユウゼンは嫌がるシアンを馬に括りつけるようにして山の麓までやってきたのだ。その間、文句は数知れず、ありとあらゆる手段でことあるごとに休憩を要求した。この年寄りをなんて扱いだ、とか、シルフィードに言いつけてやる、とか、今度流行の品を持っていってやるから、とか、脅しから懐柔までバリエーション豊かに。

 ユウゼンは、最初の方こそ聞き入れていたが、途中からは無視した。あまりに頻繁すぎてうざかった。というかシアンの要求通りに休んでいたら、目的地に着くまでどれだけかかるか気が遠くなったわけである。

 山登りに入ると事態は格段に悪化し、シアンが身体的にだとしたら、ユウゼンは精神的に同等なくらい参っていた。だって、泣かれても。きついのはわかるけども。体力と精神力の削りあい。過酷過ぎる消耗戦。ちくしょう。マジで早く着いて。目的地来ないかな向こうから。


「うっ……く……」

「シアン? おい……」


 背中を押すようにして進んでいたが、その内シアンは糸が切れたように崩れ落ちた。ユウゼンもつられて体制を崩し、地面に手をつく。手袋越しに石と土の感触がした。額の汗を拭い、ぴくりともしないシアンの身体を仰向けにし、強めに頬を叩く。


「シアン。起きろ、まだ着いてない……シアン? 大丈夫か? 目を開けろ……」


 呼びかけても揺すっても全く反応がない。おそらく本当に限界だったのだろう。仕方ない。目覚めるまで休むしかない。

 本当に?


「おい……いるんだろ……? いるなら、馬を、預かってくれないか」


 ユウゼンは呼吸を整えながら、夜明けの薄明るい周囲に呼びかけた。護衛がついているはずだった。すぐに二人現れる。彼らはユウゼンの馬の手綱を預かり、戸惑ったような視線を向けた。


「俺は、こいつを背負って上るから、馬を連れて戻ってくれていい……」

「ですが……」

「着いてくるな。待つなら麓に居ろ。必ず戻る……」


 返事は聞かなかった。

 ユウゼンは軽いシアンの身体を背負い、獣道を辿って上り始めた。背中の重みは静かで、まるで生き物じゃないみたいだった。呼吸が乱れる。自分のペースで歩けば、今までの行程が嘘のように体力が奪われていく。時折土が足元で滑る嫌な音を立てた。枝や草木が、行く手を邪魔した。

 なんだかんだ言って、シアンの愚痴も気が紛れていたのだろう。それも今はない。もう、朝日が昇る。追い越されるのが悔しくさえある。どうしてこうまでして急ぎ、一体何を目指しているのだろう。シルフィードに会って、一体、何を言いたいのか。

 辛いのだ。歯を食いしばって、霞みそうになる目をこじ開ける。辛い。どうにもならない不安定な状況が。苦しんで頭の中を真っ白にすれば、それだけですむ。なら、自分さえ良ければそれでいいのか。今こうしてここにいるのは、自分のためだけなのか。嫌だ。そうじゃなければいい。大体、どこに向かっているのか、さえも、知らないというのに──……


「は……う、ん……? あ、ぅ……Atziluth……」


 どれくらい経ったのか、獣道と左手の崖に沿って進むこと半時間は過ぎていただろう。背後でシアンが身じろぎし、不明瞭な呟きを漏らした。

 一気に疲労が襲ってきたユウゼンは倒れるようにシアンを地面に下ろし、荒い呼吸を繰り返した。青の傀儡はまるで今初めて世界を眼にしたんじゃないかというくらいぼうっと辺りを見回している。地面を見、森を見、自分自身を見、ユウゼンを見て、ようやく理性の色を取り戻し始めた。驚いたように目を見開き、それから少し咳き込んで、最終的になんともいえない顔をした。


「そうかそうか……ふむ……ついに存在しえぬ領域まで来てしまった訳だ。帰着……到来、無頼かな?」

「なに、言ってるんだ……はあ、はぁ……ごふごほ……いい加減、教えろ……」

「もう、すぐそこですよ」


 ああ、ひどい目に合った、と平気そうな顔で呟きながら、シアンは左手の崖を曲がって、見えなくなる。ユウゼンも半死ながらのろのろ着いていき────目の前に突如現れた光景に、一時思考が停止した。


「こ……れは、」

「驚きましたか? 一応、村です。不便なところにありますがね……名前はありません。僕は必要なときには勝手にアツィルトと呼んでますが。大丈夫だとは思いますけど、気をつけてください」


 確かに、村と呼べた。

 三方を崖に囲まれ、切り取られたような空間の中に、粗末な施設が並び、ある程度の生活空間となっている。近づけば、周囲三方の崖に横穴を掘って漆喰で固めた穴居住宅がいくつもあることもわかった。ユウゼンから見て右手の崖の高いところから、一筋細い水の流れが落ちていて、こちらの入り口まで小川を作っていた。

 圧倒されながら、シアンについて村へと向かうが、旅の疲れも相俟って上手く頭が回らずにいて……。


「この村は……? それに、気をつけるって、何を……」

「僕はね、一応この村では長老みたいなものなんです。ずっと昔、僕が出来損ないの不老不死となり、それから研究施設が破壊され、よくわからないまま彷徨い、僕らは随分死んで、新しい者も増えたりして、いつの間にか僕が彼らを率いているようになった……。ほら、彼らのことだよ。神の出来損ない」

「───………」


 簡素な柵があるだけの入り口から村に足を踏み入れ、人や動物の姿を捉え、シアンの話を聞いて、ユウゼンはすべて理解した。

 皮膚を覆う白い包帯。杖。顔の左半分が腫れた子ども。明るい緑の髪の毛。痛々しいまだらのある犬、一本足のない猫。

 ああ。

 そういう、ことか。

 ここは────





 

「ようこそ。傀儡と異形の村へ」


 シアンはユウゼンを振り返り、明るい青の目を細めて、笑った。





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