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酒屋の魔女(4)

 セクレチアは、出かけていったはずのシルフィードが部屋に戻ってきたのを見て、驚きに首をかしげた。ちょうど、寝具の準備をしていたところだった。


「どうかなさいましたか? 忘れ物ですか?」

「いえ、今日はやっぱり出かけないことにしました」


 尋ねる間にも、シルフィードは鏡台の前にある椅子に腰掛け、鏡を見ながら髪飾りを取り始める。あくまで丁寧な手つきだった。


「あ。私にお任せください……」


 セクレチアは一旦準備をやめ、急いでシルフィードの髪を梳きに向かった。美しい王女は、下ろされて丁寧に整えられる髪を鏡越しにじっと見ていた。

 多少憂いているような。珍しい表情。

 セクレチアは何かあったなと、鶏への殺意を密かに再燃させながら、聞いた。後でちょっとくらい絞め殺したほうがよさそうだ。


「何か、ございましたか?」

「こうして、着飾ったり手入れをして美しくしなかったら、――私は私ではないのかな」


 答えにならない返答。微かにため息が出た。


「シルフィード様はシルフィード様だと思います。仮定など仮定でしかありません」

「ごめん、そうだね。わかってるんだけど、上手く、言えなかった」

「いいのですよ。私にはどのようなことを言われても。例えばこれからシルフィード様が私と一緒に逃げ出したとしても、私にとっての価値は何も変わりませんから」

「それは、楽しそうだ」


 少女が笑う。

 セクレチアはそっとブラウンの髪を手にとって櫛を通した。少し癖はあるが、繊細で柔らかかった。


「……髪の艶が、綺麗ですよ。以前は痛んでいらしたのですが、だいぶ元気になられたのではないですか」

「オズに来てから、すごく楽しかったからかな。セレアの手入れが楽になるなら嬉しいよ」

「寂しいような、嬉しいような、ですね」

「あはは。私もセレアに髪を梳いてもらうのが好きだから、同じだね」


 シルフィードは明るく言いながら、もうすっかり暗くなった外を眺めていた。セクレチアは視線を一瞬追い、もう一度尋ねかけた。


「行きたかったんじゃないですか?」

「ん? ……」


 少女は別にいい、という風にあっさり首を振っている。

 シルフィードは期待しない。

 期待しないように、望まない。

 望まないように、自分を省みない。自分のことを口にしない。生まれ育ったテンペスタリ家の家訓が徹底的に刷り込まれていた。

 人ありて己あり。

 マゴニアでも、シルフィードは慈善家だと言われていたが、それはただ家訓を実行しているのに過ぎなかった。呼吸をするように。人のために。そうしなければ、許されなかったから。まるで奴隷のようだった。


「ユウゼン殿下はどうしたんです?」

「偶然、親しい方と再会していらしたから、私が遠慮したんだよ。魔術を使えるという、とてもかわいらしい方だった」

「は……? 遠慮? 女?」


 なんだか鶏を死なせる単語がいっぱい出てきた。丸焼き? もう丸焼きしかないか?

 セクレチアは火のエレメントの在庫を思い浮かべながら、櫛を持つ手に全握力を込める。シルフィードという存在がおりながら、よりによってそんなわけのわからない女と出かけて行ったとは。ありえない。死ね。即死ね。この世から失せろ。


「楽しんでいてくれたらいいよね」


 しかも、シルフィードは暢気な言葉を口にしている。

 怒りが一周して、セクレチアは脱力した。思わず口にしてしまった。


「シルフィード様は、嫉妬という言葉を……ご存知です……?」

「もちろん、知っているよ」

「では、そのユウゼン殿下と出かけた女に対して、何か思われませんでした……?」

「いや。よく知らない人だったしね」


 何か考えた方がよかったのかな。

 セクレチアはシルフィードに対して、ようやく口をつぐんだ。もう、傷つけてしまいそうだった。これ以上は言えない。

 王女は本当にあっさり譲ったのだろう。鶏にもようやく同情が芽生え、何をどう言えばいいのか悩んでいたところ、部屋のドアがノックされた。なんと鬱陶しいタイミングなのだろう。魔術で吹き飛ばしたい感情に駆られながら、セクレチアは扉を開けた。入ってきたのは武官のヘリエルと猫かぶり(三毛)だった。


「こんばんは、女王さま。いらしたのですね。いい知らせを持ってきましたよ」

「おや、いらっしゃい……!」

 

 シルフィードは全くの平常通り、にこやかに出迎える。猫かぶりは淡々と丁寧な礼をすると、珍しく感情のわかる声で、こう告げた。


「ウォルナッツの子どもが、無事に生まれました。元気そうでしたよ」

「えっ……」


 シルフィードが立ち上がり、絶句した。髪飾りの花が一つ、床の上に舞い落ちる。やがて少女は、どうしていいのかわからないと言う風に猫かぶりに近づき、すがるように、震えながら抱きしめた。


「そっか……そっか……! よかった……わたし、」


 生きていてよかった。

 セクレチアには、涙にかすれた声がそう聞こえた。


「行こう! 今すぐ、私も、見に行くから!」

「王女の役目はよろしいのですか?」

「……少しなら、私が引き受けますよ」

「ありがとうセレア! 早く、ね?」

「ではヘリエルと行って来て下さい。僕も来たばかりですし、久々のアレクサンドリアでセクレチアと商談でもしています」

「うん、知らせてくれてありがとうね」

 

 なんと危うく、切ない喜びなのだろう。


 セクレチアは部屋を飛び出すシルフィードを見送りながら、このまま全てが上手くいくようにと切実に願っていた。




 


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