深窓の姫君と二人の紳士(1)
中洲の中腹に造られた重厚な大門をくぐれば、そこはもうアレクサンドリア城下だった。黄と深緑を基調にした石造りの建築物が放射状に走る通りの間を彩り、シンボルめいた大聖堂が頭上にそびえる。大広場には街人、露店、商人、馬、彫刻と、あらゆるものが入り乱れた。
「夕日が、建物の色に……、」
日が沈む時間、明るい斜陽があったときにだけ、建築群は黄金に輝いて見えた。シルフィードが思わず馬車の窓から身を乗り出すと、沿道を囲んでいた人々から歓声が上がる。ようこそ。ようこそ。窓から見下ろす子どもがこちらを指差している。手を振る夫人と叫ぶ青年。天に溶けるような高い口笛の音。マゴニアの美しき王女と愛すべきカカシ皇子の帰郷は、どこから噂になったのか、一大イベントと化していた。豊かで、陽気で、情に厚い人々の歓迎。それが王城までの道標となった。
「見えますか? この通りの建物には壁画が描かれているんです。アレクサンドリアの歴史が。あれが牛の家、隣が果実の家、向こうが、王冠の家」
「本当だ……すごい……!」
街人の歓声の中を進みながら、シルフィードは馬車の窓から精一杯身を乗り出した。迎えてくれる全ての人へ、笑顔で大きく手を振る。
夕陽に染まる金緑の都に、いっそうに熱烈な声援が沸き起こった。
※
「あ、カカシ兄さん。五体満足?」
「心以外は健康です。ハイ」
「それはなにより。にしても流石シルフィード殿下、すごい人気だったね」
「俺の人気もちょっと含まれていたと信じたいです」
「せいぜい一パーセントくらいじゃないかな^^」
というわけで、久々の王城で交わした兄弟の心温まらない会話でした。
カラシウスはどうやら軍の調練のためにアレクサンドリアにいたようで、かっちりと鎧を纏い剣を佩いた姿は見るものの目を奪う華麗さと冷たい苛烈さを兼ね備えていた。確かに、こんな外見をしている上に接してみると愛想がよく紳士的なら大抵の女は憧れるに違いない。けど性格悪いからむかつく。
口でも勝てる見込みはないので、ユウゼンは大げさに肩をすくめてやれやれと首を振り、その場を立ち去ろうとした。
「セラストリーナにはもう会った?」
したけど早速失敗した。
話題が話題だけに、思わず尋ね返した。
「さっき着いたばかりだからまだ。今から行くけど、相変わらずか……?」
セラストリーナとは、ユウゼンとカラシウスの妹で、アレクサンドリア王城に暮らす第二皇女のことだ。今年で十六歳なのだが、薄金の絹のような髪をした美少女なのに、とにかく控えめで人見知りが激しいのである。そろそろ社交の場にも出た方がいいのだろうが、奥手すぎて心配になってしまう。ラティメリアのように破滅的でも困るが。
「もったいないよねえ。せっかく母様に似て綺麗なんだから、堂々としてればいくらでも相手選び放題試し放題なのに」
「アホか! お前じゃあるまいし……」
こいつは清らかで純粋なセラストリーナに対してなんて野暮なことを言うのか。
「セラは、こう、優しくて知的で根性があって頼れる男が苦労して苦労してやっと手に入るようなお姫様でいいんだよ」
カラシウスが白けた目をして一歩離れる。
「なにその重度のシスコン。ちょっと引くんだけど」
「変態的末期的シスコンのお前に言われたくない!!」
どう考えても姉のラティメリアが好きなカラシウスの方が重症だ。しかしセラストリーナにはただ単に妹としてドライに心配しているだけなのだから、世の中よくわからない。
実を言うとユウゼンとカラシウスの母親は別の人で、それぞれラティメリアとユウゼンが同じ生母、カラシウスとセラストリーナで同じ生母となっている。まあ、そういうことでもないのだろうが。とりあえず皆美系なのにユウゼンだけは父親の血を濃く引いたような疎外感はあった。
「ユウ、──あ、お久しぶりです、カラシウス殿下」
そのときシルフィが姿を現し、こちらに向かって微笑んだ。もう紫色に近い空の光と廊下の明かりが、王女の柔らかく生き生きとした表情を照らし出していた。アレクサンドリアに着いてからの彼女はこれまでになく元気に笑い、驚き、喜んでいた。
なぜだろう、出来るならいつまでも見ていたいと思う。胸が軽く疼き、ユウゼンは何度か深く呼吸を繰り返した。
「御見苦しい格好で申し訳ありません。ようこそ、アレクサンドリアへ。心より歓迎申し上げます」
「ありがとうございます……! 素晴らしい街で、とても、感動しています」
カラシウスの愛想にシルフィもにこりと笑う。
「オズの軍服ですか? かっこいいですね!」
「おや、これはこれは……身に余る光栄」
カラシウスは甘いマスクで微笑み、余裕たっぷりにちらっとこっちを見た。やばい。すごい張り倒したい。と思えば、シルフィは予想外のことを口にする。
「私にも似合うでしょうか? 着てみたいですね〜」
「え……っと、それじゃあ、ぜひ──」
「あはははは!」
「カカシ兄さん? 何笑ってるのかな? シルフィード殿下がご所望だと仰っているんだけれど?」
「いっ! コラ蹴るな馬鹿!」
カラシウスの美貌に感心したのじゃないとわかり、ユウゼンは思わず弟を指差して笑っていた。が、カラシウスはその指を折る勢いで払いのけ、シルフィードに見えない角度でガンガン脛を蹴ってくる。素で痛いんですけど。でもやっぱりざまあみやがれ。
その辺の女官に頼んで軍服を用意してもらうと、シルフィは茶目っ気たっぷりに男装して再び姿を現した。深緑と金の刺繍のそれが似合いすぎていてちょっとびっくりした。
「どうです? ドレスより落ち着くんですよね、なんて……」
「いやいや……なんというか、凛としていて」
「負けました。貴方の為なら戦場の神も微笑むでしょう」
「…………」
完璧な台詞で遮るなよ。
シルフィードは、たそがれるユウゼンを見てくすりと笑い、不意に目の前に立って右手を胸に当てた。そして、魅惑の瞳でこちらを真っ直ぐに見つめ、
「それなら、私は、あなたのために戦場にも立ちましょう」
「ぶふっ……!?」「げほっ!!」
兄弟は同時に激しく咳き込む。「シルフィード殿下、それでいいんですか!?」と、珍しくカラシウスが必死な表情で確認し始める。いや、けなされてるんだけど、なんとなく否定できない……。
限界まで赤くなった顔を必死に冷まし、ユウゼンは深呼吸をした。嬉しくないわけじゃないんだけれど。でも、やっぱり──
「それなら俺は、シルフィのために、どんな争いも起こさせないから」
「え……」
守りたい。
照れ隠しにぽんぽんとシルフィの頭を撫でていたから、少女がどんな表情をしたのかはわからなかった。シルフィードは俯いてしきりに頬を擦っていた。何かついていたんだろうか。
カラシウスが呆れたように肩をすくめ、半眼を向けてくる。
「兄さんのそれって、わざとじゃないんだよねぇ……」
「は? 何がだよ」
「嫌だな、天然のたらしって……しかも、伊達に姉さんの弟してないよ。隠れた色気って言えばいいのか……やれやれ」
「何それ褒めてんのか?」
「さあねえ。自分で考えたら? 一生わかんないかもしれないけど」
何かよくわからないことを言われ、首を捻っていると、ふと思い出した。そういえばセラストリーナのことを話していたんだった。どうせだから社交の第一歩として優しいシルフィードを紹介したらいいかもしれない。将来の義姉という希望も込めたりして。
「シルフィ。頼みがあるんだけど」
「は、はい? なんでしょう……」
「もしよかったら俺の妹の、セラストリーナに会ってもらえないかなと」
「──あ。セラストリーナ皇女ですね……! それは、ぜひ」
シルフィードは笑顔で快く頷いた。