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操り人形と猫の戯曲(3)

流血シーンがあります。苦手な方はご注意下さい。

「それは……」


 それまで一切表情を見せなかったシルフィの気丈が崩れた。

 半ば呆然とした瞳がかろうじてユウゼンやシアン、ヘリエルのいる辺りを捉える。ユウゼンも、愕然としていた。シルフィは、何の理由もなく、特定の思いもなく、ただ、ただ不特定多数の人々を助けようとしていたと気付いたから。本当に、何も考えずに。迷いなく危険に身を晒す。


 ナンノタメニ?


 頭目は、シルフィードの動揺を誤解したらしく、唇をゆがめた。


「なるほど、あいつらを逃がすためか。健気な女だなあ」

「あぅ……」


 呆けていたシルフィードの首を掴むようにして、自分のほうへ向かせ、男は部下に命じた。


「そこの金髪と黒髪と傀儡を連れて来い。後は放り出しとけ、運がよけりゃ生きて街にもどれるかもなァ」


 下卑た笑い声、耳障りな台詞、乱れる心音、ざらつく思考。

 猫かぶりがシルフィードをひどく心配げに振り返りながらも、解放された人々と共に遠ざかっていく。

 盗賊とシルフィードとヘリエル、ユウゼン、シアンだけが、取り残されたように、観客のない舞台に忘れ去られたように。騙られる必要のない蛇足な台本、エピローグのエピローグ。


「こっ、この三人も解放してくれなかったら……!」


 喉を掴む赤毛の頭目の手から逃れながら、シルフィードが訴える。罪悪感に押し潰されそうな瞳の奥を見て、何を考えているのかわかった。

『ああ、自分が、視線を向けたりしたから、巻き添えに。ごめんね』


 腹が立つ。

 あなたはもう十分救ったじゃないか? 頼むから、もうそれ以上遠くへ行くなって──


 盗賊はシルフィードの頬を容赦なく打った。乾いた音がした。


「ふざけたことは言うんじゃねえぞ? 俺はお前のどうしてもってかわいらしいお願いを寛大な心で聞いてやってんだよ。信用なんかするわけねえだろうが? 素直に言うこと聞いてりゃダイジな人たちも──」

「!」


 全て言い切る前に、ヘリエルが踊りかかっていた。

 反応も出来ない素早さでシルフィードを平手打ちした頭目に殴りかかり、顔面に体重の乗った一撃を与えた。我に返ったシルフィードが悲鳴を上げた。


「ヘル! だめぇ!!」


 頭目が倒れ、何人もが大声を上げて武器を構え、逆上したヘリエルに、シルフィードは抱きつくように割って入った。そこだけに凍ったような別世界があった。



「君が、死ぬなら、私も死ぬ」

「……! ……っ」

「迷惑かな。迷惑だね。でも、そう思うんだよ。今更だけど、一人に、なりたくない。私に同情するのは、君だけで」

 


 ふざけるな。恥をかかされた頭目が喚き、部下たちが主従を引き離す。シルフィを地面に押し倒して押さえつける二人。ヘリエルは囲まれ、背後から頭を殴られる。集団暴行。ユウゼンは何も考えられず、飛び込もうとした。それを、シアンが足を掛けて止め、代わりにやけにゆったりと中心へ向かった。


「どうしてそう愚直」

「シアン!?」


 青の傀儡はシルフィードを拘束していた二人に近づき、二人の戸惑いの隙をついて剣を奪おうとする。だが振り払われ逆に切りつけられる。鮮血が飛び、シアンはそれでもその刃を奪い取った。肩から胸に掛けて、明らかに深い傷だというのに。

 シアンは自分でも言っていたように、武術に慣れない不器用な手つきで重そうに、しかしまるで怪我などないが如く、あっけにとられる一人を斬り捨てた。


「この、化け物が……!」

「      」


 何か、言おうとしたのかもしれない。

 だが、もう一人に胸を貫かれて、シアンは口から血を溢れさせた。その唇が苦しげに弧を描いたのは、気のせいなのか。シアンは胸を貫かれたまま、相手の心臓に手中の剣を突き立てた。盗賊の目が見開かれ、やがて倒れる。シアンの胸からずるりと赤く染まった刃が抜け、シアン自身もその後を追うように倒れて屍に折り重なった。


 空白。


 約束通りシルフィードを自由にしてその身代わりになったシアンを、信じられない思いで見ていた。本当に、そんなことをするなんて。


 シルフィードは半ば人形のようにシアンの手から剣を抜き取った。血で染まる手のひら。

 近づいていた盗賊の一人の片腕を斬り飛ばした。だが背後から別の盗賊が近づいていて、ユウゼンは今度こそ走った。

 もうこれ以上やめてくれ。祈りに近かった。


「後ろっ!」


 言いながら飛び掛かる。迫る凶器を掠めながらかわし、顎を殴りつける。拳の骨が折れそうな衝撃、不確かな感情。一人倒してもまだ盗賊はいて、殴られ、蹴られ、嫌になる程の人数差で、シアンは殺され、頭の中がぐちゃぐちゃで────シルフィードの叫び声だけが明瞭に聞こえた。



「どうしてこんな事するんだっ……!」



 野次と、頭領の詰りが悲痛な響きを掻き消していった。


「黙れ偽善者! 反吐が出るんだよ!」


 赤毛の頭目は狂気に染まった表情で拘束されたシルフィの前で剣を構える。


「やめろ! その人だけはっ、だめだ、だめなんだ、俺が、俺を……!」


 ヘリエルも獣のように暴れていた。ユウゼンも叫び声を上げ渾身の力で盗賊を跳ね除けようとした。殴られ、一瞬意識が飛び、絶望的な無力感の中、やけにゆっくりと、シルフィに向けて凶器が振り下ろされる映像が


「今日は忙しいです」

「ぐあ……?」

「え?」


 ありえない幻想にすり替えられた。

 なぜならその刃を肩口で受けたのは、シルフィードではなく。

 それどころか、さっき、殺されたはずの、赤に染まった、青。

 シアンだった。


 少年は、返り血や己の血で汚れた全身で王女の前に割り込み、刃で頭目の胸を突き刺した。あっさりと倒れ伏す頭目の、予想もしない末路。そして青の傀儡は、笑う。嗤う。


「何度身代わりになればいいのですか? あなたは」


 異常な事態に静寂が広がり、そして遠くから大きな気配が近づいてくるのが余計によくわかった。大勢の呼び声。猫かぶり、兵の集団。

 最後の寸前のタイミングで、オズの警備兵が救助に現れたのだった。

 頭を失った盗賊たちは浮き足立って次々と逃げ出し始める。


「シルフィ」

 

 ユウゼンはシアンを見つめて立ち尽くす王女の下に身体を引きずっていく。呼吸に血が混じっているような感触がした。ユウゼン様、と誰かが呼んだことで、密かについていた自分の影が助けを呼んでくれたのだと予想できた。どうせならもっと早く解決してくれればよかったのだと自分本位の最低な思考をする。この迅速さ、彼らとて必死だったに違いないのに。

 シルフィードは蒼白に泣きそうな顔をしていた。


「きず……」

「あまり驕らないほうがいい。シルフィード。いくらそうならざるを得なかったといっても僕は君のそういう所がとても嫌いだよ。これは僕の意思で、気まぐれでやったことなんだから、君にどうこう言われる筋合いなんてない」

「ごめんね」

「腹が立つね。いつまで変わらない気?」

「ごめんね……」

「これだけ言っても他人の気持ちが解らないなんて、どうかしてるよ」

「うん。そうなんだ。ごめん…………」


 シルフィードは赤黒く染まったシアンを躊躇なく抱きしめて、何度も何度も謝っていた。ユウゼンは理解できずにただ青の傀儡を見つめた。知り合いだったのか……

 目が合い、シアンは少しだけ悲しげに笑った。


「出来損ないの不老不死。著しく体力が無いかわりに大抵のことじゃ死なず、成長することもない。死がひどく美しく見える僕は狂っています。首を切り落として、身体をバラバラにして、しばらく放置していれば死ぬのでしょうが」

「軽蔑して欲しいなんて言うなよ……」


 ユウゼンが睨み付ければ、シアンはシルフィードの身体を引き剥がしてユウゼンに押し付けた。血まみれのローブを脱ぎ捨てながら初めと同じように言った。


「改めておかしな人だと思います。死ねなかったことが少し楽しくなりました」

「お前よりは変じゃないって」


 シルフィードが足を引きずりながらヘリエルのもとへ向かう。ヘリエルが倒れたまま腫れた顔で微笑み、壊れ物に触れるように王女の頬に手を添える。王女はその手を自分の首筋に触れさせた。生きているよ、君も私も。





 何も、知らなかったのだ。

 ユウゼンは、シルフィードのことを。

 だから、きっとこれは始まりの、胎動の声、がんじがらめの、鉄鎖の白刃。

 



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