操り人形と猫の戯曲(1)
「はい出来ました。しばらく安静にしておいて下さいね」
「女王さまも、しばらく安静にしといて下さいね」
「…………。うん」
「わかったよ。ありがとう」
猫の顔が二人動き回っていた。
猫かぶり。
あれからすぐに、なぜか猫かぶりたちが馬車でやってきて、さっさと全員を連れてヘテロクロミヤ・アイディスに連れて行ってくれるということになった。ランザとヤヌートは辺境要塞へ帰るということで別れた。
ヘリエルの背中の怪我を一番に診て治療してから、シルフィードやユウゼンも治療を受けた。幸いたいしたことはなく、どうにか帰れそうだしよかったといえばよかった。でもなんで猫かぶり。
ユウゼンは率直に言った。
「なんで?」
「なにが?」
「猫かぶり?」
「猫をかぶっているから」
一人が淡々と返答をした。二人いるが違いはあった。小さい方と大きい方。毛並み。目の色とか。どうでもいいけど。
「いや、その、つまり、どうしてここに来たのかな、という、疑問を」
「通りかかったからです」
「通り、かか、れる?」
「通りかかれました」
「そ、そうか……」
大きくて黒猫緑目の方がかっちり返答して、ユウゼンは言葉に窮した。どうも上手く言葉が出てこない。シルフィードは広い馬車の中で布を敷いた上に横になっていた。ヘリエルは守るようにその傍に腰掛けている。
「猫かぶりは、商人なんだっけ?」
「商人です。女王さまの手助けもします」
「今も、そういうこと?」
「そういうことです」
「猫かぶりの一族って、多いのか?」
「多くても困りますが、少なくもありません」
「……みんな猫かぶりなのか」
「どうでしょう。一応種族名だけではなく個々人に区別名はありますが」
「なんていうの?」
「僕はドレスコスプラッシュです」
「…………。ドレ……?」
「ドレスコスプラッシュです」
「…………」
「御者をしている白猫黄色目がガターンジョレコです」
「…………。じゃあ、俺が、皇宮で会ったのは……」
「あれはボガゴンチャーミーです」
「……へえ……」
言及すると長丁場になりそうだったから沈黙した。人の名前にケチつけるのもあれだ。というより、元気が出てこない。
シルフィードの元気がないからだ。
あの戦いを終えてから、挨拶や必要事項以外口にしていない。怪我人に元気があるかという話とは別に、やはりシルフィードはどこか沈んでいて、ユウゼンはどう声を掛けていいのかわからなかった。
何か、きっかけがあれば──
という、願いを聞いてくれた神様がいるのだとすれば、その神は想像を絶する。
「止まれっ」「こっちに来い」
「ちょっと、やめてください──」
急に馬車が停車し、はずみにガタンと揺れ、御者をしていた白い猫かぶりの迷惑そうな声が聞こえた。ヘリエルが剣を掴んですぐに飛び出せるように構えた。シルフィードも足を庇うように起き上がる。どうやら荒っぽい男達に囲まれている気配がしたが、まさか。
「ガターンジョレコ、どうかした?」
黒猫緑目のドレスコスプラッシュが動じない声で話しかけ、白猫黄色目が淡々と返答する。
「盗賊」
※
仕方のない部分はある。
ユウゼンとて政治・治安の全てに関わっているわけではもちろんないのだ。それでも頭を殴られたような気分を味わった。自国の領内で盗賊の被害などと。ヘリエルもユウゼンも戦えたから正面突破しようと思えば不可能ではなかったがシルフィードが止めた。
襲われている馬車が他にもあったからだ。というより、そちらが本命で、こっちはその現場に偶然出くわしただけだ。
「なんだお前?」
「猫かぶりです」
「はあ?」
改めて猫かぶりが質問を受けている。盗賊も猫の顔には流石に不審がっている。猫かぶりはしゃあしゃあと嘘をついた。
「魔術です」
「魔術だと……?」
「ンだコラ文句あんのか? じろじろ見てんじゃねえぞ」
一瞬地が出た。
下っ端らしい盗賊はびくっとして、「まあいい」とかなんとか捨て台詞を吐きながら向こうへ戻って行く。いいのか? 猫かぶりすごい。
「と、言っても……どうするかな……」
他の被害者のもとへ連れて行かれながら、ユウゼンは一人ごちた。
実際まずい。非常に不味い。まさかオズの第一皇子とマゴニアの第一王女とは思いもしないだろうが、万一バレたら証拠隠滅のために全員即殺されてもおかしくない。他の被害者を気にしたシルフィードには悪いが、冷静に考えたら一旦突破して応援を呼んだほうが困難ではなかったかもしれない。その場合被害は出てしまうが……。
腫れている足が痛いのだろう、ヘリエルに半ば支えられるようにして歩いていたシルフィードがユウゼンの呟きを聞き取ったらしく、こちらを向いた。類稀な容姿を隠すために、フードを深く被っている。怪しまれたが、ヘリエルの無言の威圧に盗賊は怖気づいてそれ以上言わなかった。
「私が……どこかの、貴族だと言って、何とか皆を解放して貰おうと思います」
「そっ、そんなことさせるわけには……!」
「わがままを言ったんです。責任は取ります」
「そんなこと言ったって!」
見張りの盗賊に睨まれ、ユウゼンは仕方なく口を噤む。辺りには他に二十名ほどの人間が縛られて座っていた。そのうち、身体をローブで包み、フードを深く被っていた小柄な少年が盗賊の一人につかみあげられた。
「おい、怪しいんだよお前! 何か隠してたら殺すぞ!」
「隠してなんかないですって……止めてください」
声は高かったが、はっとするほど落ち着いた喋り方だった。盗賊も意表をつかれたのか眉をひそめ、髪を掴むようにして乱暴に少年のフードを剥ぎ取った。一瞬、皆が息を呑むのがわかった。
「なんだ、お前の髪の色……」
あらわになったのは空よりも明るい青の髪と目だった。通常の人間ではとてもありえないような非現実的な。成長しきれていない端正な顔に白い肌だったが、表情は大人びて、瞳は深淵を湛えていた。一種の神聖ささえ醸し出す近寄り難い雰囲気を纏いながら、少年は恐れの篭った疑問に答えた。
「傀儡」
それ、は。
「くぐつ? なんだ、そりゃあ……」
少年は歌いだしそうに和やかな声を紡ぐ。不気味なほどに。
「知りません? 魔術師の実験動物ですよ。そのせいでこうなりました。異形や奇獣なら知ってますか? それと同じことです」
「魔術師の、実験動物……? ……お前は、人間じゃねえのか」
「そうですよ。何かおかしいですか? 別に人間だろうが獣だろうが家畜だろうがたいして違いはないでしょ。魔術師は実験する。あなた方は襲って殺す。ああ、手間がちょっと違うかな」
笑っていた。
平然と、卑下するでも、見下すでも皮肉るでもなく、純粋に可笑しいと思っているように笑っていた。この状況で。背筋がぞくりとした。盗賊が一歩下がって剣を向けた。刃先が震えていた。
「やだな、止めてください。そんなことをしたら痛いです。僕には何も出来ないし、質問にも答えたし、抵抗もしてないのに」
「わけわかんねえ……異形ってのは、暴れるし強い。お前もそうなら、」
「僕は異形じゃないです。それに、便宜上傀儡って言いましたけど、正確に言えば違います。失敗作ですから。何の能力も持たなかった傀儡は失敗作ということで名前がなくて。ちょっと不便ですね。普通の人にも劣るんです。だから、勘弁してください。ね?」
少年が危機感のない口調で命乞いすると、盗賊は心底気味が悪くなったのか、背を向けて足早に去っていった。