清廉道化(3)
で。
「シルフィード殿下……まず、なぜ、女官の格好をされていたんです?」
現在、一旦状況を整理するためにシルフィードと偽物は格好を入れ替え元に戻ってもらい、改めて部屋の中で向き合っていた。
偽物の女はシルフィードがマゴニア王国から連れてきた異例なほど少ない従者二人のうちの一人だった。今も側に控えるセクレチア・ハシムというこの女官は、さすがにシルフィの偽者ができるだけあって美人ではあるが、中身は似ても似つかない。
ユウゼンの先ほどの行動を根に持ったらしく、ありとあらゆる方法で復讐してやろうという意思が見え隠れしていた。正直あのときの自分を殴り倒して止めてやりたい。こんな狡猾鬼畜女官に目を付けられるとはこの先死にたくなる。
「すみません、少しアカシア宮を離れていたのです……公式に動き回ることは出来ませんし、ご迷惑もおかけしたくありませんでしたから」
王女は申し訳なさそうにしながらも、潔く問いに答えた。
その様子に少し違和感を覚える。
シルフィード殿下は、こんなにしっかりした印象だったろうか? こう、もっと病弱という話なのに──
「離れていたって……一体どちらへ。まさか諜報でもあるまいし」
「信じていただけないかもしれませんが、そうではありません。この身に掛けて誓います」
「私も信じてはいますが、」
「マゴニア付近まで、様子見に行っておりました」
「マゴニア!?」
シルフィードの言葉にユウゼンは瞠目する。
ここから国境までは馬車で四日はかかる。王女がそんなに王宮を離れていたはずがない。
「何かあったのですか?」
混乱してそれだけ口にすると、王女は事情を聞かれたのかと思ったらしく、神妙な顔をして話し始めた。
「実は、今、私の父であるタルタ二世は臥せっているのです。正直に申し上げますと、長くはないでしょう。まだその事実は隠されていますが、そのせいで王宮が多少不安定なのです。ご存知でしょうが現在生きている正式なマゴニア国王の子は私と11歳の弟のみ。マゴニアでは基本的に王は男性ですから、もしものことがあれば弟のレリウスが在位しなくてはなりません。私としては出来る限りレリウスが負担なく王となれるよう支援するつもりなのですが、やはり幼いですから口を挟まれやすいのは事実。私は動きすぎたため一部から警戒されるようになってしまったのです……だから一旦距離をとるために、この度は急遽オズ皇国を訪問させて頂きました」
「つまり、避難してきたって事ですね……?」
政治にあまり興味を持たないユウゼンには頭の痛くなる話だった。南の大国ティル・ナ・ノーグとの海上権争いなどは偶に起こるが、基本的にはオズは豊かで平和だ。
シルフィードは曖昧に首を傾げ、それからおもむろに席を立つ。
え、あの?
何事かと動けずにいると、王女はすっとユウゼンの隣に膝をつく。その蠱惑的な瞳でこちらを見上げ、優雅に自身の胸に右手を添えた。
「ユウゼン様。どうか、私と結婚してくれませんか?」
「ゲボゴッ!!」
「ごふっ!?」
ユウゼンも、つまらなそうに煙草を吸っていた鬼畜不良女官セクレチアも、同時に何かを噴出した。
いや、いやいやいや。
だって仕方なくないか。
「けっ、結婚……!?」
好きになった文句なしの美少女に跪かれ上目遣いで求婚されて、一気に顔が赤くなる。
いやえっと結婚って、恋や愛などの最終的なアレじゃなかったっけ。何この展開。ちょっと落ち着いて。いやでも別にいいかも。全然いい。ここは早まるべきところだ。さあ、早く早まれ自分!
ユウゼンはつばを飲み込み、口を開いた。
「そ、その、……ええーと、あー、うん。どういうことでしょうかー」
早まれなかった。
「けっ、このチキンハートが。ざまあみやがれ」とセクレチアの視線が物語っていた。さすが、傷口に丁寧な塩。チキンハートというよりブロークンハート。もう旅に出てもいいかな。
しかし旅立つ前に引き止められる。
「私のこと、お嫌いですか……?」
「……!?」
「なんてこと言ってますかあ!?」
シルフィードが衝撃的な台詞を吐いた。この王女を嫌いな野郎がいたらむしろ拝ませてほしい。
もはや湯気でも出そうで言葉にならないユウゼンのかわりに、セクレチアがスパァンと王女の頭をはたいてつっこんでくれる。ありがたいが、主人相手にその行為はどうなんだろう。でもほのかに納得できる衝撃クオリティ。
とにかく、少し悲しそうなシルフィードの表情がなんというか、そそった。
柔らかそうな唇。
抱きしめたくなるような揺れる瞳。
滑らかな鎖骨のラインが──って、変態じゃないそんなことはない今日も健全に日々を過ごしています。
そうしてユウゼンが無我の境地を追い求め、セクレチアが主人の肩を揺すりつつ「早まったらおしまいですなんならあの下種鶏を殺して私は死にませんまんまと逃げおおせますから事故に見せかけますから!」などと言っている間にも、シルフィードは一人冷静に考えをめぐらせていたようだった。
おもむろに頷くと、
「──そうですか。分かりました。セレア、心配はいりません。ユウゼン様も。突拍子もないお願いをして申し訳ありませんでした。ですが、これは私の偽りなき気持ちなのです。婚約だけでも結構ですし、結婚後別の好意を抱かれる方と過ごされて頂いて全然構いません。今すぐにオズへメリットを与えることは難しいと思うのですが、将来的には約束いたします。前向きに検討していただけないでしょうか?」
ああ、そうかと、一瞬で頭が冷える。
言葉の示すところは単純で、シルフィードは何もユウゼンのことを好きになったわけではなかったのだ。
先ほどの、避難してきたという話。
豊饒の大国オズと僻地の小国マゴニア。
貴族、王達に当然のように付きまとう政略結婚。
国同士の結婚。
それだけの話。
わかっているのに────どうしても、頷けない。身分がつりあい、自分は確かに恋をしていて、望まれて、それだけでも奇跡なのに。
少し、声が掠れた。
「あなたは、俺のことが好きなわけじゃない」
シルフィードが微かに苦笑をするのが見えた。きっと呆れたのだろう。それさえ、こんなにせつないのに。
「好きですよ。あなたはとても優しい」
「そういう意味じゃなく────」
「努力しますし、迷惑は掛けません」
「違う! そういうことじゃなくて、俺は、あなたの本当の気持ちが知りたいんだ」
ユウゼンが噛み付くように言うと、不意に王女は立ち上がった。
少しも動揺しない穏やかな表情。
強い人なのだと、思った。
シルフィード・フリッジ・テンペスタリは、森の軽やかな風のような雰囲気のまま、笑顔で宣言した。
「私は、嘘しか申しません」
「え゛」
ユウゼンは一瞬奈落まで沈んだ。
それから、ちょっとだけ這い上がった。
だって、嘘しか言わないって、おかしくないか。なぜなら、それが本当ならシルフィードの言動は全て嘘ということになる。したがって「嘘しか言わない」という言葉自体も嘘になる。だとすると嘘の反対は本当のこと。本当のことしか言わないということになる。だがそうすると、「嘘しか言わない」と、すでに嘘をついているから本当のことしか言わないという図式は成り立たない。
何この有名なパラドックス。どうしろと。
「え、えーと……」
だらだらと冷や汗を流していると、シルフィードが一歩こちらに近づく。
って、元々側にいたのだからさらに接近したわけで。
ユウゼンは座ったまま、絶世の美少女に斜め前から見つめられて、動悸が激しくなる。白く柔らかそうな肌。しかもなぜかさらにさらに頬に手を伸ばされ。いやいやちょっと自然に甘い女性特有のいい香りが、じゃなくてあああれ!?
「ま、待った、ちょっ……」
「すみません。ですが、貴方がいいのです」
耳元で、囁く優しく柔らかい響き。
背筋がぞくっとして、身体の奥から熱くなるような。
思わず細い肩を掴んでわずかに引き離すと、王女は狙ったかのように視線を絡め取って、息を呑むほど妖艶に微笑んだ。
「だからどうか、好きになって下さい。手を伸ばさずにはいられないほど。溺れるほど」
『●☆%#!?』
ガターーーン!!
ユウゼンとセクレチアは同時に奇声を発し、セクレチアは神速で振りかぶってユウゼンの座っていた椅子を蹴り飛ばした。天まで届け、そして帰ってくるなとばかりに。
浮遊感とブラックアウト。
たぶん、セクレチアが止めを刺さなくても、ユウゼンは気絶していただろうけど。