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一女官の退屈な日々...The latter part

 とまあ、そんなこともあり、やれやれとセクレチアはシルフィードの客室まで戻った。本当につまらない一日だ。部屋つきの侍女たちには「どうしたの?」と驚かれたが、適当に誤魔化して、この際丁度いいからシルフィードの身代わりのドレスを身に付けた。髪を結いなおす。姿見に自分の姿を映せば、見慣れぬ女が自分を見ていた。シルフィードになりきれない、絶対になれない女。見苦しい──


「なかなか似合っていると思いますよ。身代わりにしては」

「!」


 誰もいないはずの部屋で男の声が聞こえて、セクレチアは戦慄すると同時に身を伏せて身体を探った。煙草。一本指に触れる。飛び道具が顔のすぐ横を掠めて壁に当たった。

 刺客か。

 油断した。


「シルフィード様を殺しに来たの? だったら残念……」

「いや、そうじゃないよ。まだね。ただ、そろそろ警告をしなければいけない」


 刺客の姿を捉えた。黒服の男だった。随分と余裕だ。そうじゃなければとっくにどうかなっていたかもしれない。セクレチアを殺す気がないのか。

 会話を引き伸ばす。

「警告?」

「そう。警告。シルフィード殿下を傷つけたり、彼女が信頼している部下を殺したりすることだよ」

「愚かな──」

 

 言葉が続かなかった。そんな暇がなかった。与えてくれなかった。

 刺客は短刀を抜いて唐突に襲い掛かってきた。セクレチアは煙草を噛んだ。飲み下した。吐き気と揺らぎ。迫る鈍い銀光。セクレチアは、一秒で十分だった。


「何っ? お前は……!」


 風が吹いた。セクレチアの意思で。突如生まれた鋭い突風が刺客を跳ね飛ばした。驚愕を浮かべた男は床を転がり、裂傷から鮮血が舞った。

 そう。

 自然魔術の中でも風の魔術。

 煙草に仕込んだ麻薬とエレメントの破片。


 ──セクレチアは選ばれた人間だった。おそらく、かなり優秀な自然魔術師だった。シルフィードか、他の誰かの身代わりになるために拾われ育てられ、魔術の才能を認められ、他を押しのけ、生き残った人間だった。


「くっ……!」


 しかしまあ、油断していたわけではなかったが、そんなにすぐに動けるとは思わなかった。

刺客は傷をものともせずに素早く起き上がり、刃を投擲してきた。回避が遅れ、それはセクレチアの手首に半ば刺さって傷をつけた。取り出そうとしていた煙草が衝撃で吹き飛んだ。

 

 冗談じゃない。単純な身体能力ではセクレチアには誇れるところがない。もちろん訓練は受けたが、魔術師とはそういう生き物だ。特に自然魔術師は、肉体の限界を試し、生死の狭間で深層を見つけ出し、あるいは麻薬で限界を引き出し、健康など望むべくもない。


 セクレチアは非常手段、右手の指輪に仕込んでいたエレメントを飲み込もうとして、その寸前に男に押し倒された。

「いっ、う……!」

 頭だけは打たないように、それでも背中に強い衝撃があって、しかも思い切り体重を掛けられて、呼吸が出来なくなった。吐く。こみ上げる。詰まりそうになる。意識が飛びかける。だめ。堪える。


「いくら優秀な魔術師でも、守るものがいなければ無残ですね」

「……、下郎、が……」

「黙れ」


 どうにか、エレメントさえ口に出来れば。

 一秒で認識を呼び出せるのに。

 なのに。男は。足掻く私の右腕を、


 はずした。

 ごきりと、はっきりとした音が聞こえた。


「ぁぐgy───!!」


 あり得ない、くらい、痛み、激痛、痛烈な、痛み、痛い、痛い、痛い痛いイタイイタイイタイ憎い殺したい殺せ嫌い死ね死ね死ね───




 例えば、名前がなかった。気付けばそこにいて、誰かの立派な身代わりになるために魔術に明け暮れていた。手を抜けば排除された。手を抜かなくても魔術の訓練で心身ともにぐちゃぐちゃになった。他の名前のない子ども達は敵だった。それ以外の人間には蔑まれた。魔術師なんて気味が悪いと、あいつらは化け物だと、人間じゃないと────

 

 名前のない人間は何もかもを憎みながら魔術だけを研ぎ澄まして憎しみで生き延びて他の名前のない人間を時に殺して時に見殺しにして死に掛けて殺されかけてそれでも死なずに、ある日セクレチアになった。

 虚しくて、憎かった。



「シルフィード殿下についたことを後悔するんだな」

「か、ふ……」


 刺客の声は頭の中の水面に揺らめくように聞こえた。呼吸が出来なかった。どうやら首が絞められていて、血管が圧迫されて、目の前の色が変わる、意識が、歪んだ。



『ごめんね。でも、私はあなたが嫌いじゃない。セレア、どうかあなたに幸運が授かりますように』



 偽善だと思った。でも、よくわからなくなった。そのうち、そうじゃなければいいと、思うようになった。そうであればいいと思うようになった。そして、そうなのかもしれないと、思った。セクレチアは、世の中には自分を嫌う人間しかいないと信じていたから、例えそれが歪められた何かだったとしても、祈って、祈り、祈った。


「……、……──」

 後悔なんか、するわけないじゃないか。

 

 セクレチアは闇の中で笑い、ためらいなく進み、やがて、唯一無二の光を見つけ、そして────




「ぎゃあああ!!」

 盛大な悲鳴で目を開けると、真っ赤な炎が自分の上から転がり落ちるところだった。

 いや、火達磨か。


「か、はっ……はあ、はあ、げほっ……!」


 痛い。腕といわず肺といわず痛んだ。セクレチアはひとしきり咳き込んで吐いて呼吸をして、ようやくのろのろと立ち上がった。放った炎の魔術は見事に刺客を焼いていた。炎の認識は風の魔術のように命中させることが難しいのだが、さっきのように静止していてくれれば絶好の的で、威力は絶大だった。ああ、それにしてもなんと愚かなんだろう。


「あ、はは……」


 笑い、落ちていた煙草を拾い、床に移った僅かな火にかざして煙草を吸う。麻薬の成分で一瞬意識が曖昧になり、身体が少し軽くなるような恍惚感があった。噛んで、エレメントを飲み込み、ゆっくりと水の認識を引き寄せた。そして、床を転げまわって大体の火を消していた刺客の男や床に移った炎を消した。水の魔術は、まるで部屋の中に雨が降っているかのような幻想的な光景だった。


「な、ぜ……」


 呻き、黒焦げになった男が倒れたまま疑問を発する。きっと、どうしてエレメントを使用できなかった瀕死のセクレチアに、魔術が使えたのか聞きたいのだろう。全く、笑えるほど簡単な理由だ。


「自分で言っていたでしょうに。私が優秀な魔術師だと……。ねえ。エレメントは、魔術に不可欠なものというわけじゃなくて、ただ使用を“補助する”もの。私は優秀な魔術師だった」

 男が目を見開く。

「死に掛けることには、慣れていたの。むしろ、それは好都合だった。私は生死の境を彷徨う事で変性意識状態に陥り深層へ行けた。そこから炎の認識を見つけ出して引き上げた」

 並みの魔術師なら何時間もかかるのだろうけれど。

 皮肉?

 いや、謙遜だ。

「舐めてたでしょう。そんなことできっこないって。身代わり魔術師の勝機はどうやって即死を避けるか。即死させなかった、私の、勝ち……」

「だ……ま、れ──!」


 迂闊にも男はいまだ凶器を持っていて、力を振り絞ってセクレチアを襲おうとしていた。

 だめだなあ、とは思った。

 いつの間に、自分はこんなに甘くなっていたんだろう、シルフィードに感化されていたんだろう、と。以前の自分なら無駄口など一切叩かず殺せる瞬間に即殺していただろうから。

 本当に。

 でも、別に、惜しくないのだ。

 シルフィードのためなら、死んでも良かった。


「──セクレチアっ!!」

「あ……」


 突然。最後の抵抗で自分を刺そうとしていた刺客に、部屋に飛び込んできた何者かが飛びついて制止する。

 それは聞き覚えのある声と見覚えのある猫の毛皮。

 猫かぶりが、来てくれた。


「大丈夫っ?」


 猫かぶりは素早く刺客の刃を奪って手足を縛り無力化すると、セクレチアに駆け寄って問う。


「……大丈夫じゃないわ……」

「ちょっと、セクレチア! なんで逃げて来なかったのよっ」


 オズの侍女たちも駆け込んできて、涙ながらに一斉にセクレチアの介抱を始める。

 心配を、してくれる。


 それは、好意、だったらいいと、祈って、祈り、祈る。

 笑いがこみ上げた。









「大丈夫じゃないけど、……大丈夫よ」









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