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胎動の声 鉄鎖の白刃(4)

 適当に装備を身に付け、質素な旅人に扮したユウゼンが馬を連れてアカシア宮を出ると、どこからかシルフィードの武官ヘリエルが現れて、仕草で道案内をした。そういえばユウゼンは彼が声を発するところを見たことがない。理由がありそうだがいつも聞くタイミングが掴めない。


「お待たせしました」


 シルフィードは先ほどの地味な格好のままで、いくらかの荷物を持ち、背に弓を背負っていた。他には月毛と青鹿毛の馬が一頭ずつ大人しく控えているだけだ。シルフィはユウゼンの声に振り返って何度か瞬きをし、硬くもなく柔らかくもない表情で、頷いた。

「出来るだけ急ぎます。不都合があれば、言ってください」


 シルフィは月毛の馬上に跨り、ヘリエルは青鹿毛の馬に乗った。ユウゼンが準備を整えたと同時に、短い気合と共にシルフィードが勢いよく馬を疾駆させた。


「シルフィ──」


 躍動感。

 心音。

 急ぎます、という言葉通りといえばそうなのだが、本当に速かった。まぎれもない全力疾走で、整えられた景色が流れ、あっという間にアカシア宮が遠ざかる。身体を伝う揺れを感じながら、ユウゼンは正直ついていくだけでやっとだった。


 荒々しい風のようだった。

 優雅だとか美しいだとか、そういう表情を一切無視して、ただ速く駆けるためだけの馬術。この間散歩に誘ったとき王女がマナーを知らない、と言っていた理由がようやく分かった。彼女は娯楽で馬に乗ることがないのだろう。そんな風に考えたことがなかったから、あの時は少しもわからなかった。そういえばシルフィはダンスも不慣れで、あまり文化に詳しくないし、礼儀作法もどこかぎこちない感じがある。以前からの定説で「病弱」だというのは今のように方便なのだと思う。そういう事柄達は、一体何を示しているというのか。

 

 どうにか馬を制御しながら、引き離されないように必死で細い背中を追った。土を抉る音や息遣いや風圧が身体を満たしていた。大体の地理は分かるが、あまり人通りのない道を駆け抜け、一路東へ────


 そうしてどれくらい時が過ぎただろう。出立したときはほぼ真上にあった太陽も、もう盛りを過ぎて空の色を変え始めていた。さすがにユウゼンの騎乗する馬が遅れがちになり、シルフィードに声を掛ける。いくら質がいいといっても限界だ。


「すみません! 休憩を取るか、出来れば近くの駅に寄りたい。今日中に辿りつけても夜になってしまいます」


 シルフィードは馬を止めて振り返り、少し眉を顰めた。斜陽が彼女の半身を照らし、ブラウンの髪に影のある煌めきを与えていた。


「そう……ですね。でも……いえ、あと一時間ほど行けば宿場町があったように思いますが」

「ええ。そこで構わなければそうしたい」

「……分かりました。大丈夫です。私が──いや、ヘル、先に行って用意を頼む」


 シルフィはヘリエルに短く命じた。忠実な金髪の武官は頭を下げ、再び馬を駆けさせてあっという間に見えなくなってしまう。シルフィと二人になったユウゼンは、急にその事実が意識されて、意味もなく手綱を強く握り締めていた。


「よかったら、ルカ……私の馬に乗り換えますか?」


 シルフィはヘリエルの行ってしまった方向から視線を引き剥がすようにして、声を掛けてきた。平生を保っていたが、どこか心細そうな響きがわずかに混じっていた。

 ユウゼンは気付かない振りを心がけ、いつものように笑って見せた。

「いや、大丈夫。その馬、ルカって言うんですか。素晴らしい馬ですね。まだ疲れていないようにみえます」

 二人で馬から下りて、手綱を引きながら土の固められた道を東へ辿る。

 シルフィはぎこちなく口元を笑みの形にした。


「シモン・マグス殿をご存知ですか……炎の認識を得意とする、精霊魔術師ですが」


 もう、急ぐように、夜に追い立てられるように、時折旅人や商人たちが通り過ぎていく。足元のわだちの跡を見ながら夕暮れに紛れてしまいそうな王女の声に耳を傾けていた。精霊魔術師とは世界に三人しかいない魔術師の最高峰だ。


「二度、拝見しました。一度目は、私が王宮の紛争を避けて母の生家テンペスタリの領地にいたときのことです。かのお方は貧しい旅人の格好をしておられ、夜中に屋敷を訪ねてきました。名乗ることもしなかったので、私はまさかあのシモン・マグスだとはわかりませんでしたけれど……馬を、二頭ほど無担保無期限で貸してくれと頼んできたのですよ」

「それはまた、変わった人だ」

 普通は追い返しそうな内容である。

「ええ。ですが、流石に精霊魔術師だけあり、どこか超越した深い人柄で……信用したくなりました。それに我がテンペスタリ家の家訓は“人ありて己あり”。幸い馬は何頭かいましたので、役立ちそうなものを二頭提供しました」


 あっさりと言うが、なかなか信じられない懐の深さだ。人ありて己ありとは、他人が存在してこそ自分が存在できる、というような意味だとすると、どこかの救世主のような家訓ではないか。

 シルフィは止めることなくつらつらと続けた。


「それから何年か経ち、そのことは忘れていたのですが、私が王宮に復帰した年の誕生日に……シモン・マグス殿が私に会いに来られました。驚きましたね。祝いの言葉とお礼と、あの時貸した二頭の馬を返しに来て。それが今ここにいるルカと、ヘリエルの乗る青鹿毛のリオです。本当に、どれだけ助けられたかわからない」

 シルフィは、愛おしげに月毛の馬の腹を撫でた。ルカは心地良さそうに耳を動かしていた。


「奇獣なんです」


 ユウゼンは、シルフィードが発した、聞いたことはあるが聞きなれない単語の意味を、しばらく頭の中で探っていた。奇獣。確か、魔術の。魔術の中でも自然魔術ではなく変革魔術の。変革魔術とは、特定の生き物に直接認識を刷り込む魔術で、魔術儀式によって検体の深層へ入り、生物の認識を操作する。そうすることによって、本来ありえない能力や力を持つ生物を作り出す。そうだ。奇獣とは、変革魔術で認識を強化・付加させた動物のことだった。


「そうなのか……! こうして見ても全然気付かないのに──確かにどんな馬より優秀だ。……でも、シモン・マグスは変革魔術を?」

「そうですね……詳しくはないのですが、精霊を作り出すという過程は、自然魔術はもちろん変革魔術にも精通していなければいけないのだと思います」

「なるほど……精霊。人格を持つ特定の強い認識、か……それにしても」


 奇獣。

 これから掃討に向かうのは、その奇獣の失敗作である、異形と呼ばれる生物たち。急に実感が沸き、肌が泡立った。


「星が、見えてきました。少し急ぎましょうか」


 遠くの空を見て、曖昧な声でシルフィードが呟いた。

 


 



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