Vague memory .... 「雨の中に浮かぶ島から]
本話はシリアスとなっております。
ユウゼンが出てこないからでしょうか^^;
梅雨に合わせる形で書きました。雨の雰囲気を楽しんで頂けたら幸いです。
見える景色は、柔らかくぼやけていた。
少し、休んで行こうと言うシルフィードに、ヘリエルは小さくもなく、大きくもなく頷いた。
月毛と青鹿毛の馬の綱をそれぞれ引き、道を外れて短い草の覆う丘を登る。誰の姿もなく、まだ、町は遠く煙る。
ヘリエルはさらさらと降る、雨を気にしている。
シルフィードが濡れてしまわないかどうか。冷たい雨が身体に沁みこんで、その微弱な重さで、少女がいつか倒れてしまわないかどうか。
風に似た王女は、いつも笑ってヘリエルの心配を透明に押し流す。
大丈夫だ。
倒れたりしない。
君がいて、セレアがいて、猫かぶりが、あの子達が、レリウス、十二月卿や六月卿も──……
だから。
私はだいじょうぶなんだよ。
丘の、頂上に二本の木が、寄り添うように枝を広げていた。
シルフィードは少し足を速めて先頭に立ち、その木々の根元で足を止め、月毛の馬の手綱を放す。
手を広げ、笑って、ヘリエルの方を振り返った。
ここなら、あまり濡れないし、景色も美しい。しばらく雨の音を聞いていようか。
自由にした二頭の馬は、じっと遠くを眺めながら耳だけを動かし、彫像のように動かない。
その馬は、正確に言えばもう馬ではないのかもしれないが、誰もそんなことは知らない。
シルフィードが木の幹に背をつけて、ずるりと座り込む。
ヘリエルがその側に控えれば、少女は皮の手袋で包まれた手でヘリエルの手のひらに触れて、一緒に座るように促す。
ヘリエルは少し困って、それを失礼にならない程度に顔に出した。
危険があるといけませんから、見張っていたいのですと。
シルフィードは敏感に表情を読み取ったが、苦笑気味に首を振った。
喋ってよ。君の声で聞かせて。聞こえるから。だめかな?
ヘリエルは操られるようにふらりと腰をおろした。
業のように。ヘリエルの声帯はもうほとんど機能を果さない。随分前から、呼吸のような発声しか出来ない。いつか、それはヘリエルを少しだけ透明にした。
そんなヘリエルに、シルフィードは言う。
私は、君の声が好きだよ。
ヘリエルはシルフィードの何が好きだと、明確に答えることは出来ない。
それでもわかる。
いつか、この人のために死ぬ。
それまで、この人のためだけに生きる。
シルフィードが触れたままの手を確かめるように弱く握る。ヘリエルは、その手の温度が消えてしまわぬように、握り返す。
途切れぬ細雨と遥かな灰色の空。
身を寄せて、湿った幹に身体を預けて、子どもの頃の話を零した。
雨が降ると、窓を開けて、続く雲海を果てまで眺めた。誰かが、魔法使いが迎えに来てくれるのを、胸を高鳴らせて待っていた。いつまでも。
今でもね。
そんな夢をみているのかもしれない。
ヘリエルはいつの間にか、少女を抱え込むように、抱きしめていた。
シルフィードも、安堵して、縋るように大きな身体に身を預けて遠くを見ていた。
ねえ。
もし、私が朽ちたら、ここへ埋めて。
ヘリエルはシルフィードの体を抱きながら、音のない声で、囁いた。
そうしたら、私もその隣で眠ってもいいですか。
雨の中に浮かぶ島。
叶えられることのない約束をした場所を、そう名づけて、ゆっくりと消えゆく心の隅に覚えている。