遊女の成れの果て(三十と一夜の短篇第2回)
「俺のこと、愛してる?」
男は、隣で眠る女に、囁くように問い掛けた。
その問いに女は、何も答えず優しい微笑みで返した。沈黙に咲く美しい華に、男は見惚れる他なかった。
これがいつもの手段なのである。
男が見惚れて何も言えなくなることがわかっていて、女はこうはぐらかしているのだ。
愛している、はずがなかった。
だけどそんなこと、言えるはずもなかった。
本心を口に出すことは許されず、嘘をつくことも心が阻むので、曖昧にするしかないのだ。
答えを強要されたときに、適当に愛の言葉は送ってやれば良い。……願われてもいない愛の言葉を囁くほど、あたしゃサービス精神旺盛じゃないよ。
そんなふうに、女は思っていた。
実際、その女は美しく、誘わなくとも男の方からやってくるのだ。
基本的に早い者勝ち、つまり先に申し込んだ人と、女は夜を過ごす。だからその美しい女を求めて、男たちは通い詰める。
しかしいくら美しかろうと、その美しさは永遠ではない。
だれにだって終わりは訪れるし、それ以前に、歳を取ってしまう。
若いうちは注目の的だし、多くの男がときに喧嘩をしてまで、奪い合っていた。
それなのに、三十路を越えたあたりから、その勢いはなくなっていってしまう。それでもまだ、求めてくれる人はいた。
少なくとも三十代のうちには、一人で夜を過ごすことなどなかっただろう。
四十路を越えると、独りの夜が徐々に増えてくる。それが彼女にとってのストレスだったのだろう。美しい女は、美しかった女へと変わっていく。
五十路を越えると遂には、醜い妖怪のような姿にまで変貌を遂げていた。
そもそも、女は遊女である。四十路を越えたならば、大人しく引退すれば良かったのだ。
客だって若い女を欲しているわけだし、それくらいの歳になれば体力にだって衰えが見えてくる。
それでも美しかった女は、美しくありたくて、引退を頑なに拒んだ。
「何よ。あたしゃ、一番の美女なのよ。どうしてそんな女を選ぶのよ。あたしのほうがきれいよね?」
死後も女は、やってくる男に問い掛けるけれど、だれも見向きすらしない。
美しいと言われ続けてきた彼女にとって、これほどの屈辱はなかった。
「あたしより美しいやつなんか、存在しないのよ。…………そうだわ。なくしてしまえば良いのよ」
嫉妬に燃えた彼女は、人気の遊女の部屋へ、包丁を持って訪ねていった。もちろん、目的は一つである。
自分より美しいものがいるというのなら、それを消してしまえば良い。そうすれば、もう一度自分は一番に戻れるのだ。
罪悪感などなかった。悪いことだとすら、思っていなかったのだろう。美への執着が、狂おしい嫉妬心が、女の理性など消し去ってしまっていた。
「あたしが一番、よね?」
女は、満足そうな顔で笑った。