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デラウェア

作者: 木下秋

 金曜の夜にバーが賑わったのも今や昔の話で、店内は閑散としている。その証拠に耳を澄ませば店に流れている流行りのポップの歌詞までちゃんと聴こえたし、ここは無人(・・)バーだから、店員がせわしなく歩き回る音もしなかった。


 個室の中には僕を含めて六人がいた。僕が部屋の入り口から一番離れた所に居るのは、タバコを吸うからだ。隣には男友達が二人。向かい側には女の子が三人。すごくオーソドックスな、古き良き合コンスタイルだ。


 僕の隣に座ってる松田ロンドは高校時代からの友人で、その隣の三国みくに(たかし)は松田の大学時代の友人だった。(タカシ)、だなんて漢字の名前は今時珍しくって、彼に初めて会った時は僕も驚いたけど、今や主流となったカタカナの名前だって流行り始めの頃はバカにされてたみたいだし、そんなものなんだろうと思う。その前には女の子といえば『◯◯子』って付けたみたいだし、その昔を辿っていけば『◯◯衛門』なんて名前が普通だった時代もあったわけだ。名前を始めとして、あらゆる普通(・・)は時代の流れに合わせて変わってゆくものだ。


 薄灯りに照らされて、女の子は増してかわいく見えた。リモコンの音声認識で頼んだ酒が部屋に届き、天井からゆっくり降りてくると、僕の正面に座っていたコが気を効かせてみんなに配った。


 髪の長いコだった。明るい茶色で、若く光っていた。輪郭は顎に向かって先細っていて、整形しているのかもしれない、と僕は咄嗟に思う。一重瞼がそのままなのは、気に入っているからだろうか。確かに、少し吊り上がった目は妖艶で、そのままでも十分綺麗に思える。彼女はテーブルに着くと、まず正面の僕を値踏みするような目で見た。心まで見透かされそうなその視線に僕は反射的に目を逸らして、タバコを一本取り出すと咥え、火を点けた。一口目を吸って顔を上げ、換気口に向かって煙を吐き出す所で彼女を一瞬、盗み見ると、彼女はもう僕の隣の松田を見て微笑んでいた。僕は少し、胸がチリつくのを覚えた。


 自己紹介をしているとロンドが孝の名前が漢字であることに触れ、少し盛り上がった。毎回お決まりの流れで、僕はもう聞き飽きている。女の子は僕から見て右からルーナ、ミニー、ベニと名乗った。名前を知り合って乾杯をすると、僕から見て右奥のルーナーーすごく短い髪を刈り上げた、中性的なコだーーが、早速質問を放り込んだ。


「ねぇ、君たちはみんな『タネナシ』なの?」


 ハッキリ、サッパリしたコだな、と僕は思う。なんせ、人によっては気にする質問だ。その質問をしても良いのか、するとして、どのタイミングでするのか。それとも、自分から言うべきなのか。それは、人によって意見は分かれる。


「俺はナシ」


 ロンドがこともなげに言う。孝が少し複雑そうな表情で「アリ」と言うと、みんなが僕を見たので、


「ナシ」


 そう言った。


「孝くんだけ、『タネアリ』なんだ」


「そう。名前もそうなんだけど、両親は俺を昔の人みたいに育てたいみたい」


 ヘェー。女の子は口々に言った。「すごいね」「でもやっぱり普通に昔みたいに子ども産みたいってコ、いるもんね」「ウン」



 ーー人間の好奇心、探究心も、度を過ぎると褒められたものではない。異常なスピードを保って進化を続けたコンピュータ、人工知能【AI】は、人間からあらゆる仕事を奪った。世界規模で広がる格差。なんせ、経営者はコストもかからず問題も起こさないAIを好んだ。巨大な企業はより大きく。弱者はより弱まり、見向きもされずに人知れず消えていった。週休三日が世界の常識になっても、それでも人間に残された仕事は少ない。仕事があるのは億万長者の経営者達と、人間に唯一残された、クリエイティブな仕事を持った作家達だ。しかし、漫画、小説、映画、音楽……どのメディアにおいても、完全に飽和しきっている。巷では自称小説家、自称音楽家で溢れている。かくいう俺も、ロンドも小説家を名乗っている。まぁ、稼げる金は雀の涙ほどしかないけれど。


 三十年前に若者達によるAI破壊活動『人間革命』が世界各地で起こったことにより、多数の若者達が刑務所に押し込められて、また『ニュー・ヒッピー』を名乗った若者たちが公園や道路を占拠してそこで生活を始め、これらの問題によって新時代の口減らしが始まった。これが俗に言う、『タネナシ人間』の登場である。生まれてくる人間の数は、国連によって調節させられている。ここ日本では、遺伝子操作によって生殖機能を除かれた男が、年三十万人生まれている。かくいう僕も、その『タネナシ』の一人だ。



「私は子ども、産みたいんだよね」


 ミニーが意味ありげな視線を孝に向けながら言うと、ルーナは「私は『タネナシ』の男の子の方がいい」といった。


「だって、わずらわしいんだもん」


 そう言って、ヘラヘラと笑う。


 ベニはと言うと、細く長い煙草をふかしていた。僕と目が合うと「何吸ってるの?」と聞いた。


「アメリカン・スピリット」


 僕はそう言って箱を見せた。ベニはあぁ、と言うと今度は自分の吸っている煙草の箱を見せて、銘柄を僕に教えた。女性に人気のある、細長い箱だ。


「でも今度、一箱二千円になるんだって?」


 ベニが言った。「うん、らしいね。アメスピは千九百八十円。でも僕、そんなに吸わないから」


 一日に三本くらい。そう言うとベニは頷いてみせた。マナーだから年齢を聞いてなかったけど、すごく若くも見えるし、でもひょっとしたら僕より歳上なのかもしれない。目といい、肩に流れる髪といい、煙草を持つ指といい、テーブルに肘をつくその姿勢といい、なんとも言えず妖艶で、アルコールのせいなのか、もしくはタールなのかニコチンのせいなのか、僕はなんだかぼぅ、っとして、我を忘れてベニに見惚れてしまうことがあった。



 店の外に出ると雨の気配を感じた。道は一面に広がるロードルーフのお陰で濡れていなかったけれど、吸った空気の質感でわかったし、見上げればやはりロードルーフに静かに打ち付ける雨粒が見えた。零時を回ったところだった。都会とは思えないほどに街は静かで、歩いている人も少ない。コストカットを極めて食事を安く提供できたとしても、満足に金を稼げている人なんて少ないんだから外食をする人もほとんどいないのだ。


 大方の想像通り、孝はミニーに連れられてどこかへ消えた。敬遠されがちな『タネアリ』だけど、ミニーは子どもが欲しいと言っていたし、孝の実家は実は二百年続く酒蔵で、経済的にも安定している。ロンドとルーナはこれからどうしようか外で何やら話しこんでいる。どうやらルーナは歌手志望のようで、カラオケBOXに行きたいらしい。すると突然、黙っていたベニが僕の腕を取ると、


「ねぇ、私たちは私たちで行くわ」


 そう言って、バイバイと手を降って僕を引っ張った。呆気にとられるルーナとロンドを見ながら、僕はなされるがまま、夜の暗闇に引きずり込まれていった。



     *



 駅の近くの駐車場にはベニの古そうなグランド・カーが置いてあって、助手席に乗るとベニがエンジンをかけた。やかましい音と振動に全身を揺さぶられると、ベニは慣れた様子で車を発進させた。


「随分古い車だね」


「父からのお下がりなのよ。五十年前の型なの」


 ロードルーフを抜けると雨粒がフロントガラスを濡らした。ベニがハンドル近くのバーを操作すると、ワイパーがそれを拭う。映画でしか見たことのないような画だ。


「どこに向かうの?」


「ホテル」


 ベニがあっさり言うので、僕はドキリとした。僕は童貞だったのだ。


「タネナシってことは、あれだね。財布にゴムとか入れてないんだね」


 そう言うとハハと笑った。多分、僕はタネアリだったとしても、コンドームは財布に入れないタイプだ。


 ベニの運転する車はきらきら光る都心を突っ切ると、郊外へ向かった。自動操縦はもちろん、速度調整機能も付いてないからベニは荒くも、楽しそうに運転をしている。僕はその綺麗な横顔を見ていた。おでこも、鼻も、女性の持つ曲線というのはなんて美しいんだろうと感心する。それは、バイオリンのそれに似ている。構成する、全ての曲線が美しい。その背景では街の持つ明かりが残光を伴って走り、消えていく。一瞬で儚く、命そのものを想起させた。



     *



 暗い部屋の中、その中のベッドの中で、僕とベニは向かい合っていた。目を凝らすと彼女の顔には髪が何本か、汗を伴って張り付いていたので、僕はそれを指で剥がした。


「ありがとう」


 「こちらこそ」。僕は言った。僕は行為の前に、正直に童貞であることを告げていた。


「どうだった」


「ウン」


 暗闇に溶ける輪郭の中で、ベニの眼球だけは、くっきりとそこにあった。心を見透かすような目で、僕を射抜いていた。


 僕は火照った頭の中の、冷たくなっている芯が言葉を発させようとする衝動を抑えることができずに、呟くように言った。


「ねぇ、あまりこういうことは他人には言ってこなかったんだけれど、どうして僕って生きてるんだろう」


 笑われてしまうことだけは恐れていたが、ベニは笑わなかった。


「どうして?」


「だって……生殖は生物の生物たり得る一つの確実な証拠だったわけじゃあないか。でも、僕は産まれる前から生殖機能を奪われてしまうことを運命付けられて産まれてきてしまった。じゃあ、僕はどうして、何のために生きてるんだろう、って……時たま、そんなことを考えてしまう」


「人間はただ子孫を残すためだけに生きてる?」


「そうじゃない。そうじゃないけど、大きな理由になる」


「どうしてあなたが産まれてきたのかといえば、両親に望まれたからでしょう」


 「そうだね」それは分かっていた。生殖機能のない子を、どうして家族として迎えたのか。両親は、子を望んだのだ。僕を。


「でも、ずるいよ。僕も正直、子どもが欲しい」


「あなただってわかってるんでしょう」


 ベニは僕が思っていたよりも、ものを考えているらしかった。「もうこの世界に、未来はないわ」。


 煌びやかに、便利になっていく世界の中で、人間は自分の首を絞めている。恍惚とした表情で。それを望んでいたかのように。


「世界が自殺するのが先か、僕が自殺するのが先か……」


 今、二十代の若者の四割は自殺をしている。テレビはそれを伝えない。社会は高い建物の窓は開かないようにしたり、電車の線路や道路に柵を造ったり、長いロープを売らないように……そんなことに躍起になっている。


「死んじゃあダメよ。せっかく産まれてきたのに」


「そんな……」


「こんなこと言ったらあなたは怒るかも知れないけど、あなたは考えすぎなのよ。ただそれだけ」


 考えすぎることが人を殺しているのよ。彼女はそう続けた。


「考え込めば考え込むほど、その最終地点には死しかないことがわかってしまうわ。だから考えちゃあダメよ。そして、せっかく産まれてきたんだから幸せに生きるのよ。それから、自分がされて嫌だったことは、大切な人にはしちゃいけない」


 ベニはベッドの中で僕の手を取った。


「……どうして僕にそんなに優しくしてくれるの」


「顔がタイプだから」


 僕は咄嗟に動いて、初めて自分からキスをした。そして、彼女の言ったことを頭の中で反芻にて、彼女の言いたかった意味を咀嚼した。


 終わりが近づく世界の中で、最後の世代になる決心がようやくついた僕は、考えることを忘れて身体を動かした。


 耳を澄ませば、小鳥の鳴き声が聞こえる。近くの海から、波飛沫の音がする。


 部屋は濃紺に染まり、新しい朝を予告していた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  生きることの意味を、未来社会という特殊な舞台装置を借りて見事に浮き彫りにしていると思います。  煌びやかに、便利になっていく世界の中で、人間は自分の首を絞めている。恍惚とした表情で。そ…
2015/12/04 18:40 退会済み
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