9、桜の木の幽霊
次に優太が案内されたのは、桜の木で首吊り自殺をした幽霊が出るという、裏庭の桜の木の下だった。
「ユッキー!」
半分以上花の散った桜の木を見上げながら、桃音が幽霊のものらしい名前を呼ぶ。
しかし先ほどのトイレと同じく、反応は何もない。
「ユッキー! ユッキー!」
何度か桃音は叫んだのだが、やはり何も起こらない。
スポーツ部の活動でランニングをしているらしい、体操服姿の生徒達が何人か、横目で桃音を見ながら通り過ぎていく。
「あれー……。こんなはずでは……」
桃音は眉尻を下げ、唇を噛んで俯く。
呟くその声が湿っぽくて、このまま泣き出してしまうんじゃないかと、桃音の隣で優太は慌てた。
「いや、七不思議なんて実際こんなもんですよ。俺も小学校中学校で試しましたけど、やっぱり何も起こらなかったですし」
フォローするように優太は言う。
「今日は皆様調子が悪いようなのです……」
優太のフォロー虚しく、桃音は目に見えて落ち込みながら、静かな声で続ける。
「……本当は部長というか、先輩らしくというか、そういうところを三鷹くんに見てもらおうと思っていたのです……。でも……。頼りない部長ですみません……」
「そんなことないですよ」
「頼りになるところを見せれば、尊敬してもらえて、幽霊部にずっといてくれると思って……」
肩を落としながら言う桃音に、優太は驚いた。七不思議を紹介するというこの活動に、まさかそんな理由があるとは思っていなかったのだ。
「そんなこと心配しなくても大丈夫ですよ」
「本当ですか?」
「はい。今日会えなかったからってやめるくらいなら、む……六道先輩に入部届渡してません」
名前で噛みそうになりながらも、優太はきっぱり断言する。
せっかく見つけた、本気で幽霊を信じている人による、幽霊関係の部活なのだ。ちょっとやそっとのことでやめようなんて、優太は全く思っていない。
桃音は顔を上げて、優太を見つめた。真っ直ぐに優太の目を見て、嘘をついているわけではないと判断したらしい。
その顔に、笑顔が浮かぶ。
「よかったぁ……」
心の底から安堵したような、蕩けるような甘い声。
「入部してくれたのが三鷹くんでよかったです。わたし、友達がいっぱいほしくて。人間でも幽霊さんでも。だから三鷹くんが入部してくれて、本当に嬉しいです」
細められた目と、曲線を描いた唇の形は柔らかく、優しい感じがした。桃色の頬にはえくぼまで浮かんでいる。
見上げてくるような、屈託のない優しい笑顔に、優太の胸がドキリと音を立てた。
「? どうかした?」
「え? あ、いえ……」
反射的に赤くなった優太の顔を見て、不思議そうに桃音が小首を傾げる。
優太は誤魔化すように、慌てて顔を背けた。
「それで、むちゅ……すみません、六道先輩」
「『むつみち』って言いにくいでしょ? モモでいいですよ」
「え?」
「モモって呼ばれるの、好きなんですよー。その代わりわたしも、優太くんって呼びます」
優太が肯定も否定もする暇なく、桃音は優太の横を擦り抜けて走り出した。
「次はプールで、ルミちゃんに会いに行きますよー! 優太くん、急いでください!」
振り返って、どこか楽しそうに言う桃音に、優太は一瞬ポカンとした。
優太くん。そうやって名前を呼ばれたのは久しぶりだ。最近優太のことを名前で呼んでくれるのは、柚莉香くらいだったから。
なんとなく胸の中がくすぐったくて、優太は一度俯いた。しかしすぐに笑顔を浮かべると、顔を上げて桃音を追いかける。
「待ってください、モモ先輩!」
名前で呼ばれるのが、呼ぶのが気恥ずかしいような。それでいて今の状況がなんとなくおかしくもあり、楽しくもなってきた。こうなったら七不思議の幽霊に会ってやろうじゃないか、とまで思えてきて。
「次こそ会いますよー!」
「おー!」
叫ぶ桃音に返事をして、優太は桃音と一緒に、体育館横に設置してあるプールへ、走って向かうのだった。
* * *