5、春日柚莉香
学校へ財布を取りに行くという桃音と別れ、優太は夕日に照らされた帰路を歩いていた。
優太の住むアパートは、学校から徒歩十五分の位置にある。都会寄りは交通の便もいいし、買い物にも苦労しないが、優太は高校生という身を重視した。いくら交通の便や買い物が便利でも、交通費がかかることを考えたら、学校に近い方が何かといいだろう。徒歩十五分は、寝坊しても走ればどうにかなる距離だ。
アパートの家賃もそこまで高くないし、少し歩けばスーパーもある。
都会に住むのは、社会人になってからでも遅くない。
家が並ぶ住宅街を歩きながら、ぼんやりと優太は、地面に伸びる自分の影を見つめた。
予想よりも、帰宅がだいぶ遅くなってしまった。春とはいえ、夕方になればすぐに日は沈む。現に空は、徐々に藍色に侵食されつつあった。
家に帰ったら夕食を作らなくては。洗濯物はまだそんなに溜まっていないし、土日にまとめてやろう。そういえば宿題も出ていた気がする。
そんなことを考えながら、視界の端に見えてきたアパートに向かって、優太は進んでいく。
そのときだった。
「優太!」
後ろから声をかけられ、優太は歩きながら振り返った。
見れば柚莉香が、優太の元へ向かって走ってくるところだった。一度家に帰ったのか、着ている服は制服ではなく、ショーパンにシャツというラフなものだ。手には何やら袋を持っている。
「今帰り? 遅かったね」
優太の横に並び、一緒に歩きながら、柚莉香が小首を傾げた。長い黒髪が柚莉香の体をなぞるように流れる。
「まあな。でもちゃんと入部できた」
「ふーん……」
頷きながら、柚莉香は眉尻を下げる。優太が幽霊部に入部したことを、あまり快く思っていないのだろう。
「あたしあのあと、幽霊部のことについてみんなに聞いてみたけど、そんな部があるって知ってる人いなかったよ」
「まあそうだろうな。興味持つ奴の方が珍しいだろ」
「でもあんたみたいな人が何人かはいるんだねー。部活動できるくらいだし」
「いや、部じゃないらしい」
「え?」
「部どころか、人数が足りなくて同好会扱いにもなってないってさ。今のところ部員は、俺と部長である先輩」
「え、二人だけ?」
訝しむように、柚莉香は目を細めた。
「……部長って、女の子?」
「え? ああ」
「ふーん、二人きりで今日は話し込んでたんだー」
「変な言い方すんな!」
確かに柚莉香の言うことは、間違ってはいないけれど。部室がないから二人で可愛らしいカフェに行ったし、その状態は端から見ればデートだったかもしれないけれど。
「変って何がよ。あ、そう言うってことは、やましい気持ちがあったってこと?」
「ねえよ」
「どーだか」
「お前なあ……」
意地悪く言いながら顔を背ける柚莉香に、優太は肩を落とした。
「大体部員はもう一人いるって言われたよ。幽霊部員らしいけど」
「ふーん……」
ちらりと横目で優太を見る柚莉香。その眼差しからは、優太のことを疑っているのがよく分かった。
「ま、別にあんたが女の子と仲良くしようが、関係ないけど。でも一人暮らしだからって羽目外して、犯罪犯しちゃダメだからね」
「なんでそこまで話が飛躍するんだよ」
「例えよ例え」
アパートの前に辿り着き、優太と柚莉香は足を止めた。
優太が暮らしているのは、二階建てで、白い壁紙の木造アパートだ。部屋はワンルームで、決して広いとはいえないが、男の一人暮らしとしては充分だった。トイレとお風呂も部屋についている。
「……で、お前はどこ行く気だったんだ?」
一人で先にアパートへ入るわけにもいかず、隣で立ち止まった柚莉香に、優太は聞く。
柚莉香は一瞬きょとんとしたけれど、すぐにここまで来た理由を思い出したらしい。
「そうそう」
言いながら優太に、持っていた袋を差し出す。
「何これ」
反射的に袋を受け取って、優太は中を覗き込んだ。入っていたのはタッパーだった。
「肉じゃが。お母さんが作りすぎたからあんたに分けろって」
「いいのか?」
「いいんじゃない? その代わり今度お母さんに会ってよね」
「もちろん」
頷きながら優太は、幼い頃によく柚莉香の家へ遊びに行っていたことを思い出す。柚莉香のお母さんには昔からお世話になっている。お弁当のこともあるし、近々きちんと挨拶に行かなければ。
笑顔になった優太を見て、柚莉香も微笑した。
「じゃああたし帰るね」
用事は終わった、とばかりに、柚莉香は優太に背を向ける。
「柚莉香、ありがとな」
「だから、別にあたしがお礼言われる筋合いないんだってば。お礼ならお母さんに……」
「じゃなくて。わざわざ届けてくれてサンキューな」
肉じゃがを作ったのも、優太に分けようとしてくれたのも、すべて柚莉香のお母さんだろう。しかしわざわざ優太の元まで届けに来てくれたのは、柚莉香なのだ。
優太の住むアパートと柚莉香の家は、決して離れているわけではない。柚莉香が柊高校を選んだのは家から一番近いから、という理由だと聞いていたし、実際柊高校から歩いて十分くらいの距離だ。
けれどいくら離れていない、といっても、幼馴染みとはいえ他人である自分に、わざわざ歩いて届けに来てくれたのが嬉しかった。
振り返る柚莉香の顔は、驚いたようなものになっていた。目を丸くして、まじまじと優太の顔を見つめている。
だが不意に、くしゃりとした笑顔を、その顔に浮かべた。
「いちいちいいってそんなの。それより、いつまでも幽霊幽霊言ってないで、さっさと現実見なさいよね」
優太のお礼に、捻くれた返事をして、柚莉香はもと来た道を歩いて行った。
小さくなっていく柚莉香の背中を、優太は見送る。
長い時間一緒にいるから見慣れてしまったが、柚莉香の容姿は可愛いに分類されるものだ。何回か異性に告白されたことも知っている。それなのに何故今まで彼氏がいないのかは分からないが……。
憎まれ口を叩くし、ときどきお節介なところもあるけれど、可愛い幼馴染みに気にかけてもらえるというのは、結構嬉しい。
「……俺も帰るか」
柚莉香の背中を見送ってから、優太はアパートに足を向ける。
手に持った袋を見て、夕食として有難くいただこうと笑った。
いつの間にか日は沈み、空には星と月が光っていた。
* * *