4、六道桃音
優太が案内されたところは、予想していた異様な雰囲気を漂わせる部室――ではなく、何故か学校近所の可愛らしいカフェだった。
「ここねー、スターボックスっていう名前なの。略してスタボ」
「……それ、訴えられません?」
「大丈夫だよー。一文字違うし、星の箱って素敵な名前じゃない?」
某有名カフェを思い出しつつ呟く優太に、明るく桃音は答える。
決して広くはない店内は、パステル色の壁紙や、女の子が好きそうな可愛い装飾で飾られていた。テーブル一つ一つに造花が置かれており、白いテーブルクロスを華やかに見せている。
店内のお客は、優太や桃音が通う柊高校の制服を着た少年少女がほとんどだ。
だがそれもそうだろう、と優太は思う。柊高校は都心から離れている。そのため寄り道をするような場所は限られているのだ。
いくら喋っても喋り足りない高校生達にとって、学校の近所にあるカフェは、絶好の寄り道場所なのだろう。
「三鷹くん、だっけ?」
「はい」
「三鷹くんは何飲む? わたしのオススメはキャラメルラテだよ!」
「あー、じゃあそれで」
「ケーキは? ここのケーキ美味しいんだあ」
「いえ……」
「あ、お金のことなら気にしないで。今日は先輩がどどーんと奢ってあげるから! 任せなさい!」
二人用の小さなテーブルで、優太の向かいに座っている桃音は、両手を腰に当てて胸を逸らした。
小柄な体系と裏腹な、柔らかそうな膨らみが、胸を逸らしたことによって強調される。
……だがほわほわとした柔らかな喋り方や、小柄で幼い容姿のため、どうも先輩という感じがあまりしない。胸を張って「任せなさい!」と言っていたが、任せてしまって本当に大丈夫なのか、と不安になってしまう。笑顔の桃音には申し訳ないが。
「ほら、どれにする? 今日のオススメはチーズケーキだって!」
テーブルに置かれているメニューを開き、楽しそうに文字列を眺める桃音。メニューに書かれた文字のフォントは丸くて可愛らしく、それを増長するかのように手書き風のイラストが描かれていた。
店内やメニューの様子から、このカフェが女性をターゲットにしているのだと分かる。デートをするにも最適なお店だろう。
「……先輩」
――しかしそんなこと、優太にとってはどうでもよかった。
「なあに?」
「俺、お茶をするためじゃなくて、幽霊部に入部したくて来たんですけど……」
首を傾げる桃音に、優太は冷静にそう言った。
大体何故学校外のカフェなのだろう。部室に案内してくれると思っていたのに。それともこれも部活動の一環なのだろうか。
桃音が睫毛を伏せて俯いた。そのことによって、化粧などで手を加えていない自然な、長い睫毛が強調される。
「その、まず注文して、そしたらお話します」
「……分かりました」
項垂れるような姿を見せられてしまえば、なんとなく自分が彼女を苛めているような錯覚を起こして、それ以上強く言うことが躊躇われた。
店員を呼び、キャラメルラテを二つ注文する。
「……では、改めまして」
注文を終え、店員が離れてから、桃音は顔を上げて、小さく咳払いした。
「『幽霊さんと仲良くなろうの部』略して幽霊部の部長をしています、二年三組の六道桃音です。好きなものは甘いもの。嫌いなものは苦いものです」
「え、えっと、一年二組、三鷹優太です。好きなものは……肉? 嫌いなものは不味いもの」
桃音につられてよく分からない自己紹介をしながら、優太は入部届をテーブルの上を置いた。テーブルの上を滑らせて、入部届を桃音の前に差し出す。
「幽霊部への入部を希望します」
やっと本題が言えた。
そのことに安堵しつつ、優太は桃音が入部届けを受け取ってくれるのを待つ。
しかし桃音は、入部届に手を伸ばす様子もなく、どこか申し訳なさそうに、差し出された入部届を見つめていた。
「先輩?」
「……その、わたし、謝らなきゃいけないんです」
「え?」
唇を引き結び、肩を落とす桃音に、優太は眉根を寄せる。
「お待たせしました、キャラメルラテです」
そんな二人の元へ、注文の品がやって来た。
桃音は自分の前に置かれたキャラメルラテに目を向けながら――どうも優太の目を見ることができないらしい――店員がその場からいなくなるのを待って、ゆっくりと唇を開く。
「『幽霊さんと仲良くなろうの部』略して幽霊部は、部と名乗ってますが、実際は部ではありません。いえ、同好会ですらないんです……」
そしてか細い声で紡がれたのは、そんな言葉だった。
「だ、騙すつもりはなかったんです。実際わたしは部活動として、幽霊さんと仲良くなれたらなあと思ってました。でも部として活動するためには、人数が五人必要だと言われて……。同好会も三人は集まらなくちゃいけないらしくて、わたしと幽霊部員だけでは、同好会としても認めてもらえないと言われてしまいました……」
ぎゅっと目を瞑る桃音。
「部員を増やそうにも、なかなか入ってくれる人はいないし……。だから新入生に賭けようと思って。でも同好会ですらないって分かったら、入部してくれる人だっていないかもしれない。幽霊部とは名乗っているし、どうにかなるかなって思って、だから掲示板にポスターを貼って……」
肩を落とし、桃音は唇を噛んだ。
優太は口を挟むことはせず、桃音の話が終わるのを待つ。
「だから、入部届も必要ないし、部室だってありません」
幽霊部は、桃音が勝手に名乗っているだけなのだ。だから入部届を受け取らないし、話をしようにも部室がないから学校近くのカフェに来るしかなかった。
そういえば、と優太は思い出す。入部届を職員室へもらいに行った際、どこの部活に入るのかと聞かれて「幽霊部」と答えたとき、教師はなんともいえないような顔をしていた。あれは「そんなおかしな部に入るなんて」ではなく、「そんな部活なかったはずなんだが」という意味だったのだろう。そこで優太を止めなかった先生もどうかと思うが。
「ポスターを書いておいてこんなことを言うのもおかしな話だとは思います。でもあとでこのことを知って、騙されたと思われるのも嫌で……。ごめんなさい」
そう言って桃音は頭を下げた。
優太はそんな桃音に対して、何も言えずにいた。
部でも同好会でもなかったことに、驚いたわけではない。部室すらないことに困惑しているわけでもない。
そんなこと、黙っていればいいのだ。嘘でも何でもついて、一時的に人を集めれば、部とまではいかないだろうが、同好会くらいにはなれるかもしれない。一度同好会になってしまえば、「騙された」とメンバーが辞めていっても、同好会として活動はできる。
それなのに桃音は、素直にすべてを話した。申し訳なさそうにしているその姿は、本心からそう思っているのだということが、ありありと分かる。
つまり桃音は、本気なのだ。遊びでもなんでもなく、『幽霊さんと仲良くなろうの部』を作り、同士を集めているのだ。
「ご、ごめんなさい……。騙すような形で……」
沈黙を続ける優太を見て、桃音は、優太が呆れているとでも判断したのだろう。
イスに腰掛けたまま、桃音は深く頭を下げる。
「入部届は受け取れません。お返しします。本当にごめんなさい、せっかく来てくれたのに……」
桃音は怯えた小動物のように肩を竦めて小さくなる。
優太は桃音をじっと見つめ――不意に、口を開いた。
「目的は?」
「へ……?」
「幽霊部の目的って、何なんですか?」
顔を上げてきょとんと目を瞬く桃音に、優太は尋ねる。
桃音は、何故そんなことを優太が聞いてくるのか疑問に思ったようだったが、それでもすんなり答えてくれた。
「『幽霊さんと仲良くなろうの部』なので、もちろん目的は、幽霊さんと仲良くなろう、です」
「それってつまり、むちゅ……すみません、噛みました……。六道先輩は、幽霊を信じてるってことですよね?」
その質問は、優太にとって大事なことだった。
その質問によって、これからどうするかが決定する。
桃音はしばらくの間、しぱしぱと瞬きを繰り返していた。丸い瞳が真っ直ぐに優太の顔を見つめている。
……唐突に桃音は、微笑んだ。
「そんなの、当たり前じゃないですか」
迷いのない、きっぱりした口調だった。
「幽霊さんは実在しますよ! 幽霊さんって未練があってこの世界に残っちゃったんですね。だから基本的に一人ぼっちで……。一人ぼっちは寂しいです……。せっかく同じ世界にいるんですから、仲良くなりたりたいと思いませんか?」
優太の顔を覗き込むように、上目遣いになる桃音。キラキラと輝く目に見つめられて、優太は自分の心臓が、大きな音を立てるのを自覚した。
彼女は、本気だ。
優太はごくりと喉を鳴らして唾を飲み込む。心臓がドキドキしていた。ときめきではなく、喜びからくる高鳴りだ。
優太は今まで、怪談やオカルトが好きだという人に出会ってきた。だがそのほとんどが「いたら面白い」とか「いたらいいよね」と思っている人ばかりで、「絶対に存在する」と断言した人はいなかった。
目の前にいる桃音が、嘘をついているようには到底思えない。
つまり彼女は、優太にとって初めて出会った同士ということだ。優太は幽霊を見たことがない。けれど絶対にいると信じている。その思いは今までずっと、否定され続けてきたものだけれど……やっと、肯定してくれる人に、出会えたのだ。
それが嬉しくて、優太の唇には笑みが浮かぶ。
「先輩、俺」
優太はテーブルの上の入部届を引っ掴むと、イスから立ち上がり、桃音に向かって手を伸ばした。入部届けを差し出す。
「幽霊部に、入部します」
「え……!?」
桃音の目が、これ以上ないほど大きく見開かれた。
「ほ、本当にですか? 部活じゃないんですよ? 同好会でもないんですよ? 部室もないし、第一わたし、君のことを騙して……」
「そんなの関係ありません」
部活だろうが、同好会だろうが、逆にそうじゃなかろうが、優太にとってはどうでもいいことだった。
幽霊のことを本気で信じている人がいる、それだけで充分だった。
躊躇うように伸ばされた桃音の手に、優太は入部届けを握らせる。
「これからよろしくお願いします!」
そしてイスに座り直すと、桃音の返事も聞かず頭を下げた。
桃音は呆然と、頭を下げる優太と、手の中にある入部届を交互に見て……
「はい!」
嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ早速ですが明日、最初の部活動をしますので、放課後は下駄箱前に集合してください」
「はい」
「あ、あと入部届なんですけど……」
入部届を眺め、桃音が呟く。部でも同好会でもないから、必要ない。そう言いたいのだろう。
優太は首を横に振る。
「必要ないって言ってますけど、先輩が持っててください。仮にも名前は幽霊部なんですし」
「あ、いえ、それもそうなんですけど、そうじゃなくて……」
言いながら桃音は、入部届の内容を優太に見せるように、顔の横で掲げた。
「判子がないんです。別に入部届は必要じゃないですけど、どっちみちこのままでは入部届として意味がないので……」
指摘され、優太はそういえば、判子を押していないことに気が付いた。
本来であればそれは、両親に判を押してもらうべきなのだろうが……。
「先輩、貸してください」
優太は桃音から入部届を受け取ると、鞄の中を弄り、筆箱を取り出した。その中から判子を取り出し、指定の箇所へポンと押す。
「これでいいですか?」
「え……! そ、そりゃ判子はこれですけど……でも普通ここは、お父さんかお母さんが押すべき場所では……。というか判子、持ち歩いてるんですか?」
「細かいこと気にしないで下さい。どうせ形だけの入部届ですし」
口元に手を当てて、どうしようか悩み出す桃音に、無理やり優太は入部届を渡した。
これ以上何も言われないようにと、優太は温くなってしまったであろう、キャラメルラテに、そこで初めて手を伸ばす。
「うぇッ、甘!」
そして一口飲んで、絶句した。
ただのキャラメルラテではない。どちらかといえばこれは、キャラメル味の砂糖に近いのではないだろうか。甘いものは決して嫌いではないのだが、この甘さは異常すぎる。一体どんな作り方をしているのか。というかお客はこれを飲んで、何も思わないのか?
思わず優太は周囲の客を見回した。
……キャラメルラテを飲んでいる人は、パッと見、見当たらない。
「甘いでしょう? そこがいいんです」
あまりの甘さに苦渋の表情を作った優太に対して、桃音はにこにこと笑っていた。
「もうちょっと砂糖足したらさらにグッドなんですよ! 今入れても溶けないと思うので、今日はしませんけど」
甘すぎるキャラメルラテを美味しそうに飲む桃音に、優太は頬を引き攣らせた。
甘すぎて、一口飲んだだけで喉が渇いた。正直もうこのキャラメルラテは飲みたくない。けれど明日からお世話になる先輩の手前、飲み残すこともしたくない……。
その後優太は、なんとか頑張って、桃音オススメのキャラメルラテを飲み干したのだが――飲み干すためだけに、一時間も費やした。
* * *
ちなみに。
キャラメルラテを飲み終え、優太は桃音と一緒に店を出ることになったのだが。
「お会計、六百円です」
「はーい」
最初の宣言通り、桃音は優太の分のお金も払う気満々らしく、レジの前で鞄の中を漁っていた。
ここは自分で払うべきか、それともお言葉に甘えるべきか。
桃音の一歩後ろで、優太は悩んでいたのだけれど……。
「…………三鷹、くん」
「はい?」
「ごめんなさい。お財布、学校に忘れました」
「……」
涙目で振り返る桃音を見て、優太はこの先輩を、部長としてこれから頼りにしても大丈夫なのだろうかと、少しばかり不安になった。
* * *