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17、人間と幽霊さん

 今日の幽霊部の活動は、優太の家に出る幽霊さんと仲良くなろう。

 そういうことで、優太は桃音と並んで、優太の家であるアパートに向かって歩いていた。

「……あの、本当に来るんですか?」

 鞄を大きく振って歩く桃音に、優太は今日何度目かの質問をする。

「はい!」

 そして桃音は、にこにこと笑顔を浮かべて、同じ返答をするのだった。

 ……桃音が優太の部屋に泊まる。そのことに対して、さすがにそれはまずいのではないかと優太は言ったのだが、桃音に気にした様子はなかった。

『だって優太くんの家に行かないと、幽霊さんに会えないじゃないですか』

 きょとんとしながらそう言った桃音は、年頃の男女が一晩同じ部屋で過ごすということが、第三者から見ればどう見られるのかを、分かっていないらしかった。説明しようにも、どう説明しようか優太が悩んでいる内に、優太の部屋に行くことが決定してしまった。

 そのため優太は、桃音と並んで帰路を歩いている。

 ちなみにここに、雪の姿はない。といっても、雪が姿を視せないようにしているだけらしく、桃音は時折後ろを振り返って笑っていた。

 どうやら雪は、桃音にだけ姿を視せているらしい。それはまるで仲間はずれにされているような気がするのだが、だからといってわざわざそう言うのも気が引けて、優太は何も言わなかった。

「もうちょっと歩くの?」

「もう見えてきます」

「近いんだねー」

「そうですね」

 元々学校と近いところ、という理由で、今のアパートを選んでいるのだ。

 当たり障りのない会話をしながら歩いていた優太は……ふと前方から、見慣れた人物が歩いてくるのを見つけて、足を止めた。

 向こうも優太に気付いたらしく「あ」と呟くように口が動いた。

「柚莉香ちゃん!」

 立ち止まって何も言わない優太に代わって、桃音が名前を呼ぶ。

 見慣れた人物――柚莉香は、優太と桃音の一歩手前で、立ち止まった。

 なんとなくお互い立ち止まってしまったけれど、優太と柚莉香の間には、妙に居心地の悪い、気まずい空気が流れていた。

 というのも優太と柚莉香は、幽霊がいるいないの喧嘩別れをした日から、喋るどころか顔すら合わせていなかったのだ。廊下で擦れ違うことくらいはあったが、お互い顔を背けていた。そのため二人がこうやってお互いに顔を合わせるのは数日振りなのだ。

「なんで……」

 柚莉香は優太と桃音を交互に見ると、呆然としたようにそう呟いた。

 一瞬柚莉香の言葉の意味が分からなかった優太だが、すぐに気付く。

 同じ学校の女子生徒と、二人で並んで歩いている。しかも向かう先は、どう考えても自分の家。勘違いされてもおかしくない状況だ。

「いや、これは、違……」

 勘違いされていることに焦り、思わず優太は何故こうなったかを説明しようとした。しかしどう説明すればいいのかが分からず、言葉に詰まる。

 幽霊と仲良くなるために、今日桃音が部屋に泊まるんだ。事実を言おうにも、言ったら言ったで怒られそうだった。

「べ、別に。あんたが何しようがあたしは知らないわ!」

 言葉に詰まった優太を見て何を思ったのか、柚莉香はまるで吐き捨てるようにそう言うと、早足に優太と桃音の横を擦り抜けた。

「あ、ゆり……」

 呼び止めようとしたが、だからといって何を言えばいいのかも思い付かない。どうしようと考えている間に、柚柚莉香は優太達の前から姿を消してしまった。

「……柚莉香ちゃん、優太くんに会いにきたんですかね」

「え?」

「だって優太くんのお家、こっちなんでしょう?」

 眉尻を下げた表情で、桃音が言う。

 言われてみればそうだ、と優太は思う。柚莉香の家の方向は、優太の家の方向とは違う。柚莉香が現れた方向には、優太の住むアパート以外に、柚莉香が行きそうな場所はない。

「仲直りしないんですか?」

「それは……」

 仲直りしたくない、といえば嘘になる。だが今までこんな風に喧嘩をしたことがなくて、どうすればいいのか分からないのだ。

 何も言わない優太を、桃音はじっと見上げた。

「……優太くんは、柚莉香ちゃんのこと、好きですか?」

 唐突な質問に、優太は目を剥いた。

「す、好きって……。あ、あいつはただの幼馴染みで、そんな風に見たことは……」

 柚莉香は優太にとって、あまりにも近すぎる存在だった。異性という壁を通り越して、家族に近い。容姿を可愛いと思うことはあるが、だからといって特別な感情を抱いているかと言われれば違う。もちろん嫌いというわけではないし、好きといえば好きだけれど……。

「そ、そういう好きじゃなくて……家族っていうか友達っていうか……」

 顔が熱くなって、変な汗が額に浮かぶ。

 焦る優太を見て、桃音が微笑んだ。

「仲直りは、できる内にしておいた方がいいですよ」

 桃音の声にいつものような明るさはない。どちらかといえば、静かな諭すようなものだった。

 よく見れば微笑も、自嘲に近い。

 普段と違う表情を見せる桃音に、優太は瞬きを繰り返した。

「モモ先輩はそういう経験あるんですか?」

 思わず優太はそう尋ねていた。しかし聞いてから、失礼な質問だったのではないかと慌てる。

 慌てる優太を見て、桃音は笑った。

「この体質のせいで、少し苦労したんです」

「体質?」

 ゆっくりと歩き出す桃音につられて、優太も止めていた足を動かす。

「言ってませんでしたか? わたし、幽霊さんが視えるんです」

「……え?」

 優太に顔を向けて首を傾げる桃音に、優太は目を見開いた。

 幽霊が、視える……?

 驚く優太だったが、同時に納得した。幽霊部の由来である幽霊さんと仲良くなろう、なんて幽霊の視えない人が言うには似つかわしくないセリフだ。それに優太には視えないのに、桃音はいつも雪に気付いていた。それは雪が、桃音にしか姿を視せようとしていないからではなく、桃音がいつでも、雪を視ることができるからなのだ。

 ふと優太の脳内に、最初に幽霊部の活動のときのことが蘇る。七不思議のことを優太に教えてくれた桃音。あのとき話してくれた七不思議の幽霊は、視たことがあるからこその、説明だったのだ。

 幽霊が視える、なんて俄かには信じがたいことのはずなのに、桃音が相手だと優太は、すんなりと納得することができた。

「今は幽霊さんの友達ができたりして、この体質を悪いものだとは思っていません。でも昔は、この体質のせいでおかしな子扱いされてきました」

 そう言って桃音は苦笑する。細められた目はどこか遠くを見ていて、まるで昔のことを思い出しているようだった。

「人間と幽霊の区別がつかなくて、幽霊を指差して『あの人誰?』なんてよく言ってました。そのせいで友達はわたしのことを気味悪がって離れてしまいました。両親も……」

 そこで桃音は目を伏せた。長い睫毛が強調される。

「人間と幽霊の区別がつくようになって、視えないフリを覚えた頃にはもう、両親との仲は修復できないものになってしまいました」

 どこか暗さを感じる、静かな桃音の声。

 優太は何も、言えなかった。どう返事をすればいいのか思い付かず、ただ桃音の横顔を、見つめているしかなかった。

「両親はわたしに関心はありません。高校には通わせてはくれてますけど、内心ではわたしのこと、いらないと思ってると思います。学校でも同じ感じです」

「……」

「だからわたし、今嬉しいんです」

 不意に桃音は、にっこりと笑顔を浮かべて、優太を見た。明るい口調と表情は、先ほどの会話や口調には似合わなくて、優太は困惑する。

「優太くんが幽霊部に入ってくれて、わたし嬉しいです」

 花が綻ぶような、見ているこっちまで笑顔になるような、桃音のそんな笑顔に優太の心臓がドキリとする。心の底から嬉しそうな彼女に、顔が熱くなるのを自覚した。

「俺、そんな……」

「優太くんがいるし、ユッキーもいるし、幽霊さんのお友達もまだいますよ。その内紹介しますね!」

 屈託のない笑顔を向けられ、優太は頷くことしかできなかった。

「さて! 今日は帰らないですよー! 優太くんが視た幽霊さんはどんな幽霊さんですかねー? 絶対に視るまで帰らないですよー! 今夜は寝かさないぜー!」

 勢いよく拳を振り上げる桃音。その姿に、先ほど過去を語ったときの、暗さや静かさはない。今から遠足に向かう子どものようにはしゃいでいる。

「お家、もうすぐですか?」

「見えてますよ。あそこです」

「あれですね!」

 優太が指差したアパートに向かって、桃音が走り出した。優太も小走りで、桃音のあとを追う。

 自分の前を走る、小さな背中。

 桃音の後ろ姿に、優太は自分の胸が痛むような、チクリとした感覚を感じた。

 両親を中心に、人間からは相手にされない。だから桃音は、幽霊と仲良くなろうとしている。幽霊さんと仲良くなろうの部、なんて、普通では考え付かないような部活まで作って。

 アパートの前で立ち止まり、桃音が優太に振り返った。笑顔で優太を急かすように、手を大きく振っている。

 いつも桃音は笑顔を浮かべている。こっちまでつられて笑顔になってしまうような、そんな笑顔。

 しかしその笑顔の裏にある、暗いものに触れてしまったような気がして優太は、すぐに桃音へ笑顔を返すことができなかった。


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