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14、時藤雪

 その日柚莉香は、優太のクラスに顔を出さなかった。なんとなく険悪なムードになってしまったこともあり、優太も柚莉香を訪ねることはしなかった。昼食を食堂で済ませた優太は、一日のほとんどを一人で過ごした。

 そして迎えた、放課後。

 優太は裏庭の、桜の木の下にいた。

 裏庭の桜の木は、今までに見たことがないほど、大きくて立派なものだった。現在花は散っていて葉桜の状態だが、この一本の花が満開になるだけで、お花見ができるんじゃないかと思うくらいだ。それくらい立派なものだった。

 しかし七不思議の噂のせいか、校舎裏で、しかもグラウンドや校門から離れているせいか、裏庭に生徒の姿はない。

 優太は半分以上花の散った桜の木を見上げながら、ぼんやりと、幹に背中を預けて立っていた。

「優太くーん!」

 待っていた人の声が聞こえてきて、優太は桜の木から目線を外して、声の聞こえてきた方向に顔を向けた。

 見れば校舎から、桃音が小走りにやって来るところだった。

「お待たせー」

 桃音は優太の前に立つと、にっこりと笑う。

 今日の幽霊部の活動は、時藤雪を紹介してもらうこと、だった。昨日雪が消えたあと、桃音がそう言ったのだ。だから七不思議の桜の木の下で待ち合わせ、となったのだが……。

「あれ?」

「? どうしたの?」

 周囲を見回す優太を見て、桃音が聞く。

「いや、てっきり一緒に来るものだと思ってたので」

 周囲には、自分と桃音しかいない。

 辺りを見渡す優太に対して、桃音はきょとんと、丸い目を瞬かせる。

「いるじゃないですか」

「え?」

「あそこ」

 そう言って桃音が、頭上を指差す。その動きにつられて、優太は視線を、桃音が指差す方向――先ほどまで見上げていた桜に向けた。

 そこには、太い枝に腰掛けて優太と桃音を見下ろす、一人の女子生徒の姿があった。

「!」

 優太は驚きに目を見開く。

 女子生徒――時藤雪は、驚いている優太と、笑顔の桃音を見て、不機嫌そうに鼻を鳴らした。そしてなんと、木の枝から飛び降りた。

「危な……っ」

 思わず叫ぶ優太。

 しかし雪が勢いよく地面に落ちることはなかった。

 まるで背中に羽が生えているかのように、雪の動きは優雅だった。空中でふわりと、後ろで一つにまとめた長い黒髪が揺れる。スカートがはためく度に、スラリと伸びた足が、惜しげもなく晒された。

 音もなく雪は、優太と桃音の横に着地した。

 飛び降りた高さは校舎の二階程度。しかし優太と桃音の横に飛び降りた彼女の様子からは、無理をした様子も、怪我をした様子もない。まるで飛び降りる瞬間、彼女の周りだけ重力がなくなったかのようだった。

「え、え……?」

 呆然と優太は呟く。

 まるで初めから自分達の横に立っていたような、それくらい自然に、雪は立っていた。

「け、怪我は? それにいつの間にいたの……?」

 腕を組んで立つ雪を見て、優太はぽかんとしているしかない。

 ついさっきまで優太は、この桜の木を見上げていた。そのとき雪の姿はなかった。もし木の枝に座っていたら、絶対に気付くはずだ。

 優太がここに来て桜から視線を外したのは、桃音が来たついさっきだけ。しかしその間に、幹に背中を預けている優太に気付かれないよう、木に上るなんてありえない。さすがの優太でも、木に上る女の子に気付けないほど鈍くはない。

 それなのに……。

「もう、ユッキーったら」

 呆然としている優太の前で、桃音は雪に対して頬を膨らませる。

「優太くんに意地悪しちゃダメだよー。同じ幽霊部なんだから。優太くんは普通の人なんだよ?」

「……だから今、視せてるだろ。というかその呼び方やめろ」

「どうせわたしが言わなかったら、ずっと視せなかったくせにー」

 唇を尖らせた桃音に何も答えず、雪はそっぽを向いた。

「あ、あの……」

 そんな二人の話に割り込むように、おずおずと優太は口を開く。

「どういうことですか?」

 雪は優太から見えないように姿を隠していたということなのだろうか。だが木の上に、女の子一人が隠れられるようなところはない。しかも雪は、女の子にしては背も高い。姿を見せないように隠れるなんて、ほぼ不可能だ。

 尋ねる優太に、桃音は「説明するね」と笑う。

「もう気付いてると思うんだけど、ユッキーは、柊高校の七不思議『桜の木の下で自殺した幽霊の女の子』なの」

 それは予想していたことだけれど――やはり改めてそう言われると、驚きを隠せない。

 優太が思わず雪を見れば、そっぽを向きながらも横目で優太を見る彼女の目と、目が合った。

「この学校に入って、初めて仲良くなった幽霊さんなんだよー」

「へえ……」

「男の子にフラれて自殺したんだってー」

「言うなッ!」

 明るく笑いながら言った桃音に、顔を真っ赤にして雪が怒鳴った。不機嫌そうに、何にも興味なさそうにしている表情しか見ていなかった優太は、顔を赤くした雪を見てびっくりした。

 しかも男の子にフラれて自殺、というのが、蹴り一つで幽霊を追い払ったときの第一印象と、ひどくかけ離れていて……。

 結果優太は、まじまじと雪を見つめていた。

「なんだ」

 そんな優太の視線に気が付き、低く雪が唸る。

「文句でもあるのか?」

「え、いや……」

「幽霊なのが悪いか? ああ?」

「そんなこと思ってないです」

 街中で不良が絡んでくるように、雪が眼光を鋭く光らせて肩を怒らせながら、優太に一歩近付いてくる。反射的に一歩後ろに下がりながら、優太は必死に、雪に否定の返事をした。

 ……しかし、幽霊といっても、反応そのものはどこにでもいる普通の子と同じなのだなあ、と優太は思う。男にフラれて、というのを知られて顔を真っ赤にするのは、別段不自然な反応ではないように思えた。まあそれを誤魔化そうと突っかかってこられても困るのだが。

「むしろ俺、幽霊に会えて嬉しいんです」

 優太の言葉を聞いて、雪が眉根を寄せた。

「ずっと幽霊に会いたくて。存在するって知りたくて。だから幽霊部を見つけて、すごく嬉しかったんです」

「……」

 雪は幽霊だ。それは昨日の廃墟病院での出来事を目の前にして分かっている。先ほど突然姿を現したのもそうだし、軽々と桜の木から飛び降りたのも、普通の人間にはできないことだ。

 雪を真っ直ぐに見つめ、優太は嬉しさに頬を綻ばせた。

「……おかしなやつだな」

 雪は赤い頬のままそっぽを向くと、何故か小さく舌打ちした。

「私が本当に幽霊だと思っているのか? モモと一緒になってお前を騙してるのかもしれないぞ」

「可能性はないこともないですけど……。でも違うでしょう? モモ先輩もユッキーも、嘘つく人には見えないし」

 優太は桃音と雪を交互に見る。

 桃音は笑顔で、優太の言葉に頷いていた。きっと嘘なんかついていない、とでも言いたいのだろう。

 対して雪は、目を丸くして優太を見ていた。ここまで断言されてしまうとは思っていなかったに違いない。

「本当のことだもん。嘘のつきようがないよねー」

 桃音が明るく言う。

「……変なやつ」

 その横で、雪がぽつりと呟いた。

「あとユッキーと呼ぶな。私はそう呼ばれるのは好きじゃない」

「なんでー? 可愛いのに」

 桃音が首を傾げる。

「可愛くなくていい。それに私は、お前らよりも歳は上だぞ」

「え? ということは三年生ですか?」

 年上だろうと予想はしていたけれど、改めて本人から言われて、思わず優太は聞き返した。

 しかし確かに、雪の雰囲気は大人っぽい。少なくとも、桃音よりは先輩らしく見える。

 ぶっきらぼうだけれど頼れるお姉さん。雪に対して、なんとなくそんなイメージが浮かぶ。

 聞き返す優太に、雪はちらりと視線を向けた。そして、

「……死んだときはその歳だった」

 と、小さく言った。

「幽霊は歳をとらないからな。大抵のやつは、死んだときの姿そのままのことが多い」

「……まず聞いていいですか?」

「なんだ?」

「幽霊ってそもそも、何?」

 例えば、優太のイメージする幽霊は、死んだ人の魂、だ。だがそれはあくまでも優太の想像上でのことでしかない。せっかく目の前に本物の幽霊がいるのだ。この際色々と聞いておきたい。

「そうだな、どう説明するればいいか……」

 ふむ、と顎に手を当てて雪は唸った。

「簡単に言えば『死んで肉体から離れた魂がこの世に残ったもの』だ。普通肉体が死ねば、魂は成仏する」

「成仏?」

「私もよくは知らない。何せ成仏してないからな。本やテレビによく出てくるものを想像しておけばいいだろう」

「ふーん」

「未練が残った魂は、成仏できず地上に残る。ただ肉体がないから、基本的に幽霊は普通の人間には視えない。幽霊同士だと視える。お互い魂同士だからな」

 雪の説明に、優太と桃音は黙って耳を傾けていた。

 風が吹いて、優太の髪や桃音の髪が揺れる。ただ雪の髪は、風には反応を見せなかった。代わりに雪の動きに合わせて、髪や制服が揺れ動く。それは見ていてなんとも奇妙な光景で……優太は少なくとも雪が、自分とは違う存在のものなのだと、改めて感じた。

「……あれ、でも昨日のあれも、幽霊、でしたよね? それに今……」

 ふと疑問が浮かび、優太は口にする。

 雪は、幽霊は普通の人間には視えないもの、と言った。だが昨日優太は、ナース服に身を包んだ幽霊の女性に会っている。

 それに何より、今優太は、幽霊である雪を目視している。

「普通は視えないだけだ。方法はある」

 優太の疑問に、あっさりと雪は首を縦に振った。

「例えば、夜。夜は幽霊の存在を、昼間よりも強く感じることができるようになる。暗闇の中は、肉体で見るというよりも、心で視るかららしい。私も人から聞いた話だが」

「うーん……」

「さらに幽霊が生きているものに危害を加えたい場合、幽霊が空間を隔離し、人を取り込む。取り込まれた人間は幽霊を視ることができるし、声を聞くことも、触れることも可能になる。大体の場合は幽霊が人間に悪意を持っているときだが。昨日そうなっただろう? 空気が変わらなかったか?」

 問いかけられ、優太は、昨日女性幽霊に会ったときのことを思い出す。そういえばあのときは、幽霊の姿を見たし、足音も聞いたし、妙に気温が低くなった。スマートフォンのライトが消えたのも、その、空気が変わる、というのに関係あるのだろうか。

「それが俗に言う怪奇現象だ」

「うーん……?」

 分かるような、分からないような。曖昧に優太は頷いた。

「あと視る方法は、こちら側が視てほしいと思ったときだ。例えば今なんかがそうだな。私は今、お前に自分の姿を視せようと思っている。さっきは、私が視えなかっただろう?」

「はい」

「それは私が、お前に姿を視せたくないと思っていたからだ。だがまあ、そうするとモモがうるさいからな」

「だって今日は、ユッキーを紹介するためにここに来たんだよー! それなのに姿視せないなんておかしいもん」

「だからその呼び方は……」

 明るい桃音と、ぶっきらぼうな雪。対照的な二人であるが、友人同士が喋るようにじゃれ合う二人の姿は、なんだか微笑ましくもあった。

 二人を見ながら、優太は今の雪の話を頭の中で整理する。

 つまり幽霊は、夜になると視える確率が高くなって、尚且つ幽霊が自分の存在を認識してほしいと願えば、視ることができる。そういうことだろうか。どういう理屈なのかは分からないけれど……。

 とりあえず優太は、そんなものなのか、と自分を納得させた。

 ――幽霊は、実在する。

 その事実に、優太の胸が興奮で高鳴った。

 それは優太がずっと知りたかったことだった。それが知りたくて、色々調べてきた。行動してきた。今やっと、それが報われたのだ。

 死んで肉体のない魂。未練があって、成仏できない魂。それが、幽霊。

 そう考えて――未練という文字に、心が痛んだ。

 幽霊としてこの世に残っているということは、成仏したくないほど強い未練があるということ。

 ということは――……。

 そこまで考えて、優太は首を横に振った。

「……」

 今はそんなこと、考えなくていい。いや、考えたくない。

 幽霊が存在することを知った。これで第一の目標は達成した。この二人と一緒にいれば、幽霊部にいれば、他の幽霊に会うこともできるだろう。つまり……。

 優太は拳を握り締める。

「あれ、どうかした? 優太くん」

 自分の考えに没頭していた優太は、桃音のそんな声で我に返った。顔を上げれば、桃音が不思議そうに、優太の顔を覗き込んでいた。雪も、優太の顔を覗き込んだり真正面から見つめているわけではないものの、一瞥するように腕組みをして優太を見ている。

「なんでもないですよ」

 優太は慌てて笑顔を取り繕って拳を開くと、両手を体の線に合わせるように、添え伸ばした。

「これからよろしくお願いします。モモ先輩、ユッキー……」

 頭を下げてそこまで言って「あっ」と優太は思う。 

 案の定少し目線を上げて雪を見れば、怒気を含んだような表情で、優太を見ていた。優太が頭を下げた状態なので、雪が優太を見ている様子は、まるで見下ろしているようだった。だからこそ逆に、怒っているかのような雪の顔が、怖い。

 年下のくせに、ユッキーなんて馴れ馴れしく呼んではいけないだろう。桃音とは仲がいいから許しているのだろうし――文句は言っているけれど――突然やって来た男にそんな呼ばれ方をされたら、雪が怒るのも当然だ。だったら……。

「よろしくお願いします、ユッキー先輩!」

 元気よく言った優太の頭に向かって、雪の振り上げた足先が落ちてくる。ただその足は優太の体に触れることはなく、すごい勢いで優太の体の中を通り抜けていった。


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