13、喧嘩
朝の八時過ぎ。普段であれば、眠そう、もしくはダルそうに、柊高校に向かって登校する優太なのだが、今日は違っていた。
歩く優太の足取りは軽く、目は爛々と輝いている。無意識になのか、体の横で振る手の動きも大きい。
「おっ」
そして生徒の波の中歩いていた優太は、その中に見慣れた後ろ姿を見つけて、声を上げた。
「よっ、柚莉香!」
走って近付き、後ろから肩を叩く。突然のことに驚いたのか、柚莉香は小さく叫び声を上げて、勢いよく振り返った。
「な、なんだ、優太か」
「なんだとはなんだよ」
「珍しいね、こんな早く。てか……」
柚莉香は優太を、頭の天辺から爪先まで見ると、不思議そうに眉根を寄せた。
「いいことでもあったの?」
「分かるか?」
楽しそうに聞き返す優太。唇は綻んで、頬は緩んでいた。どこからどうみても、いいことがあって浮かれている、ようにしか見えない。
「聞いてくれよ」
柚莉香と並んで歩きながら、優太は嬉しそうに話し出す。
「昨日俺、幽霊に会ったんだよ!」
「はあ?」
興奮を隠さず言った優太に対して、柚莉香が思い切り顔を顰めた。
「あんた何言ってんの。とうとう幻覚でも見た?」
「幻覚なんかじゃねえよ! 昨日舞潟駅の心霊スポット行ったんだよ」
「ああ、あそこね」
「そこで、初めて会ったんだ」
どこかうっとりとした様子で、優太は言葉を紡ぐ。
思い出すのは、昨日の廃墟病院でのこと。
背後から近付いてきた、ナース服を着た女性の幽霊。あのときは怖くて震えることしかできなかったが、今思えば、あれこそ世間一般に言う幽霊そのものではないか。
喉元過ぎればなんとやらで、優太は女性の幽霊に会ったときの恐怖心のことを、半分以上忘れていた。
そして幽霊といえば――時藤雪。桃音にユッキーと呼ばれていた彼女は、柊高校の七不思議である、桜の木の下で自殺した女の子の霊に違いなかった。
昨日詳しい話を聞く前に、雪はスッと姿を消してしまったので、直接そう聞いたわけではないが……。だが目の前で一瞬にしていなくなるあの芸当こそが、彼女を幽霊なのだと物語っていた。七不思議に関係なくても、幽霊であることに変わりはない。
一気に二人の幽霊を見た優太は、昨日の桃音との帰り道、興奮が治まらなかった。その興奮はずっと冷めず、おかげで優太は今日ほとんど寝ていない。しかし興奮しているせいで睡魔を感じることも全くなかった。徹夜明けのハイテンションと同じである。
「幽霊は本当にいるんだよ」
優太は呟く。
柚莉香は何も言わずに、呆れたように優太のことを見つめていた。
「だから……今でも俺の側にいてくれてるんだ、きっと」
楽しそうに、嬉しそうに、優太は言った。
途端、柚莉香の表情が変わった。
「っ……」
キュッと唇を強く噛み、柚莉香は眉尻を吊り上げる。キツい眼差しが優太の瞳を貫いた。
「いつまでそんなこと言ってるのよ! 幽霊なんかいないの!」
怒鳴るような柚莉香の声は大きくて、いきなりのことに、周りにいた生徒達の視線が集まってきた。だが柚莉香はそれに気が付いていないのか、それとも気付いて敢えて無視しているのか、優太を鋭く睨みつけていた。
「いつまでそんなこと信じてるの? あたし達もう高校生だよ? 本気でそんなこと言ってるの優太だけなんだから!」
「そんなことねえよ! それに俺は本当に……」
「いないの! 幽霊なんて!」
学校が見えてくる。歩く度に校門が近付いて、生徒の数も増えていく。優太と柚莉香に注目する視線が増える。それなのに柚莉香は怒鳴り続ける。
「もういい加減にして! 子どもみたいにそんなこと言ってないで!」
「な、なんだよその言い方! 俺は真剣なんだぞ!」
「真剣だから言ってるんでしょ!」
注目の視線を浴びたまま、柚莉香はそこで唇を閉じた。だが睨みつけてくる視線は相変わらずで、優太は反論する代わりに、自分も柚莉香を睨み返していた。
校門を潜り、下駄箱に向かって歩いていく。
すると、
「おはようございます!」
ふわふわの綿菓子のような、甘さを感じさせる声が、元気よく優太と柚莉香にかけられた。
優太と柚莉香は同時に振り返る。振り返った先に立っていたのは、にこにこと笑う桃音だった。
「朝から仲良しですね。羨ましいのですよ」
「仲良くなんか……」
ムッとして優太は、桃音からも柚莉香からも顔を背ける。だがすぐに、何か名案を思い付いたような表情をして、桃音に顔を向けた。
「……そういえばモモ先輩からも言ってやってくださいよ。幽霊は存在するんだって」
……ぴくりと、柚莉香の片眉が動いた。
「ふえ?」
桃音がきょとんと目を瞬く。
「こいつ信じてくれないんですよ。俺は昨日幽霊を見たって言ってるのに。しかも二人。でもこいつ、それを嘘だって言って信じてくれなくて」
「当たり前でしょ!」
反論は許さない、とでもいうように、ピシャリと柚莉香は言った。それから吊り上げた猫目で桃音を睨む。
「え、あ、あの……」
敵意丸出しといった感じの視線を向けられて、桃音は困惑したように俯いた。時折柚莉香と目線を合わせ、しかしすぐに背ける。きっとどう対応していいのか分からないのだろう。
柚莉香はそんな桃音を睨みつけ――そして不意に、優太と桃音、二人に背を向けると、下駄箱に向かって一人、行ってしまった。
桃音はぽかんと、怒ったように去っていく柚莉香の背中を見つめていた。今の状況がよく分かっていないらしい。
「……どうかしたんですか?」
そう言って桃音は首を傾げる。
桃音に目を向けられるものの、優太は桃音から視線を外し、
「……別に」
と、素っ気なく答えることしかできなかった。
* * *