序章
第一章にいくと、全然話が違ってくると思います。まずは、主人公とその相棒の会話からスタートです。
序章
「オラこのボケナス!いつまで寝てとんねん!!」
男の日常は、決まってこんな怒号を聞くことによって始まる。
虚ろな目の先に映るのは、ペンギンのぬいぐるみが流暢に口を動かしているというシュールな光景。
ムクっと起き上がると、男はペンギンのぬいぐるみを抱きかかえ、そっとその場に置いくと、おもむろに口を開く。
「・・・・・・おまえ酒臭い」
「なんやねんその腑抜けた声!!大の若いもんがほんまだらしなっ!しゃきっとせい、しゃきっと!!」
関西弁口調で言葉を捲し立てる気の強そうなペンギンのぬいぐるみと、そのぬいぐるみの言葉を右から左に受け流す青年。
なぜこんなことになったのか?
それは、今から数か月前のことにさかのぼる―――
事の発端は、青年・村山一樹の行動から始まった。
村山は、ブラック企業さながらの残業手当てがほとんどない会社からの勤めを終え、疲労困憊で帰路につこうとしていた。
「あ~~~・・・今日もつかれた・・・・・・ったく。契約書の内容とぜんぜん違うじゃねぇかよ・・・なにが手当てはしっかり出すだよ・・・まともに守ったことなんかいままであったか?」
大学時代の地道な努力が実り、見事新卒で内定をもらって勝ち得た職場は、彼にとっては期待外れの環境だった。
彼自身が今の会社での仕事にやりがいを感じていないかと言われれば、そうではない。大学で入念に行ってきた自己分析に基づき絞り込んだ会社だ。それなりに遣り甲斐は感じている。
しかし、それとは別に、職場待遇には人並みの文句をつけたくなった。上司からは姑のような陰湿なパワハラを強要させられ、契約書に書かれている内容を平気で破る。おまけに一か月汗水働いて稼ぐ給料も同期と比べると少ない方だ。会社の経営は順調に言っている。だがそれは会社側の利益が上がっているというだけであり、従業員への配慮は毛ほども感じられない。
業突く張りな職場の悪態ぶりをグチにするのは、彼にとっての日常であり、これと言って趣味の無い彼のストレス解消法だった。
今日も今日とで、いつものようなグチをこぼし帰路につこうとしていた村山だったが―――
その日、彼の日常的な運命を変える出会いが、唐突に訪れる。
「ん?」
何気なく捨てられてあった粗大ごみに見たときだった。
不法投棄された電化製品の上に乗っかっていた、一体のペンギンのぬいぐるみが目に留まる。
ごみとして捨てられているにもかかわらず、外見は非常にきれいで、新品同様だ。
(へぇ~。まだキレイなのにもったいないのー)
そう思って、特に気にする様子もなく家へと向かって歩き出そうとした矢先―――村山は引き換えし、ぬいぐるみを手に抱える。
両手に持ったぬいぐるみのつぶらな瞳を凝視する。なぜかぬいぐるみを見ていると、自分の中で強く訴えかけてくるような感覚を味わう。
―――オレをひろえ・・・。
「え」
―――オレをひろうんや・・・小僧。
謎の声は耳から入るものとは違った。直接、村山の頭に入り込んでくる。
不気味な感覚を味わい、村山は辺りを見渡す。だが、闇がふけた周りからは犬の吠える声さえ聞こえない非常に静謐だ。
いよいよ怖くなって、ぬいぐるみを無造作に置いて足早に家へと向かって帰った。
それで、村山はこの非日常的な恐怖から逃れられると思った。
家に戻った村山は、真っ先にシャワーを浴びた。
先ほどの恐怖心を取り除くため。言い知れぬ恐怖が染みついた自分自身を清めるため。
浴室から出ると、バスタオルに顔を伏せながら先ほどの事を考える。
(きっと・・・きっと疲れているんだ。だからあんな幻聴なんか聞こえたりしたんだよな・・・)
幻聴なのだ、そうに違いない―――そう言い聞かせて、村山は寝室へと戻った。
そしたら・・・・・・
「そこの小僧!!!俺の声が聞こえんかったのか!?」
ペンギンのぬいぐるみが、当たり前のように村山の部屋に上がり込み、この部屋の主である彼を怒鳴りつけて来た。
突拍子もない出来事に直面した村山は硬直。目を点にしてぬいぐるみを見つめる。
「・・・・・・へ?」
長い沈黙の末に飛び出た、拍子抜けした声。ペンギンのぬいぐるみは、テチテチと村山に歩み寄り、強烈なアッパーパンチを喰らわせる。
「何が“へ?”や!!!ドアホ!!!」
「あべぶ!!!」
ぬいぐるみのそれとは思えない異常な力。下顎に走る強烈な痛みと、今起こっている非日常的な光景が、村山の思考回路をぐちゃぐちゃにする。
(え~~~・・・!これって夢!?やっぱ相当に疲れてるんだ・・・・・・大体なんでものの五分も話していないのに、ぬいぐるみの方から殴られるわけ!?)
ツッコミどころ満載の非日常的な出来事が立て続けに起こるたびに、村山の中で様々な日常的な憶測が飛び交った。
だが、今起こっているのは紛れもなく現実であり、それは村山が一番慣れしたしんでいる日常の中に溶け込んでいる。
「あ~あ・・・やっとの思いで見つけたねぐらがこんな狭苦しいムサイ男の部屋やと思うと・・・・・・ほんましょうもな!」
村山の部屋に勝手に転び込んでおきながら、ぬいぐるみは心にもない言葉を連発。そして、村山の許しを得ずに彼の部屋の冷蔵庫を開きはじめる。
「はぁ!?なんやこれ・・・!酒が一個も無いってどういうことや!?」
ぬいぐるみはバタンと冷蔵庫を強引に閉め、凄まじい剣幕で村山に物申す。
「小僧!!!酒が一個も無いやないか!」
「ぼ・・・僕は酒は飲まないんだ・・・!大体さっきからなんだよ!?いきなりアッパー喰らわせたり、人んちの冷蔵庫見て酒がないだの騒ぎやがって・・・ツッコム暇ぐらい与えろや!!」
これ以上相手のペースに嵌められるわけにはいかないという村山の自己防衛本能が強く働き、圧倒され気味だった雰囲気を払しょく。ぬいぐるみをガムテープでイスに括り付けて固定した。
「こら!!!なにするんやドアホ!!離せ!!」
「だからツッコム暇ぐらいはくれって言っただろう!こっちの質問に答えるまでしばらくそうしてやるよ!」
「ふざけるな!オレをただのぬいぐるみやと思ってるのか小僧!いっとくがな、オレはそんじょそこいのらぬいぐるみとはワケが違うんやで!高級品なんやからな!!もっと丁寧に扱え!!」
「じゃかしい!関西弁で失礼なことばかり喋るくせして、なにが高級品だよ!高級品なら高級品らしく、お上品にできないのか?!」
「く~~~~~~わかった!!おまえの言う通りにするさかい、さっさと質問してこい!オレは自分の話をするのは好きやけど、他人の話を聞くのは大嫌いなんや!」
「自慢していうなよバカヤロウ・・・」
仕事のストレスに加えて、このぬいぐるみとの会話をするたびに膨れ上がる村山のフラストレーション。今にも爆発しそうな気持ちを必死に抑え込み、なんとか平静を保つことで、漸くこのぬるいぐるみと正面から話すことができる。
「質問はベターにいこう。おまえ、そもそも何?なんでぬいぐるみの癖に喋れるの?」
「はぁ!?なんやねんそのクソもオモシロくもない話!そんなしょうもないこと聞きたいんか、お前・・・!べつにええやないか!ぬるいぐるみのひとりやふたり喋れることがそんなに悪い事でもないし」
「そうじゃなくて!!僕が聞いてるのは、どうして喋れるかってことと!おまえが何者であるかどうかだよ!!」
早々に話の腰を折ってくるぬいぐるみに腹を立てるだけで、村山は職場で受ける嫌がらせ以上に強い精神的な負荷を与えられる。
耳に溜まっていたホコリを落としたぬいぐるみは、不承不承といった具合に村山の問いかけに答える。
「セミ丸」
「はい?」
「せやからセミ丸!オレの名前やって!なんや、悪いか!?仮にもペンギンの名前がセミ丸で!文句があるなら容赦なくぶちのめしたろうか!」
「いや・・・遠慮しとくよ・・・」
予想だにしなかったぬいぐるみの名前。見た目のかわいさからは想像もつかない奇怪なネーミング。
セミ丸は、不貞腐れた様子で顔の筋肉を動かす。その様子が大変気色悪く、とても子どもには見せれないものだと、内心村山は呟いた。
「ああ、そうかい・・・そんで、セミ丸はなんでごみ捨て場にいたんだ?」
「そんなの捨てられたからに決まってるやないの!ええ加減アホみたいな質問はやめぇ!」
「え?捨てられたって・・・持ち主がいたの!?」
そう。
セミ丸には以前、持ち主と呼べる人間いたのだ。それがどうしてこうなってしまったのか・・・村山は更に話を掘り下げる。
「何があって捨てられワケ?」
「まぁ話せばいろいろあるんやけど・・・・・・オレの持ち主やった小さな女の子は、あるとき星に願ったんや。ぬいぐるみと話せるようになりたい(・・・・・・・・・・・・・・・・)って―――そしてその願いは通じ、オレの中に魂が宿った!ここまでは順調だった!!!それですべてがうまくいく・・・はずだった」
「はずだった(・・・・・)?」
セミ丸のトーンが一気に落ちた。暗い表情を浮かべながら、セミ丸は拳を強く握りしめ、声を震わせながら続きを話す。
「せやけど・・・・・・オレの中に宿った魂は、メルヘンチックなものやのうて、こんなオッサンや!!女の子はオレをかわいがってくれたけど・・・両親はオレを煙たがり、挙句の果てにオレをゴミと一緒に捨てた!!ひどいはなしやとは思うわないか!?オレが何したというんや!!」
余程悔しい思いを抱いているのか、セミ丸の目から垂れる涙が止まらない。
だが村山は、確信にも似た強い悟りに到達する。
こいつが捨てられたのは、この性格だからこそなんだ。もしも自分の子どもがいて、こんなぬいぐるみを見せられたら、子どもには悪いけど捨てるに決まってる―――間違いなく村山はそう結論付ける。
「まぁ事情はわかったけどさ・・・・・・だからって、僕の家に上がりこむのは止してよ!行く場所なら他にもあるだろう?」
「アホか!今話したやろう!こんなぬいぐるみ、拾ってくれる奴なんかおらへん!だからしゃーないからお前で妥協したんやないか!!」
「誰がお前を拾ったって!?妥協もするなよ!!僕はお前を拾ったつもりはないんだ!!ムカつくんだよ、出てけ!!」
「嫌や!こうなったらなんとしてでもここに居座るからな!一生面倒懸けてやるからな!出て行けって言われても、出て行かないからな!!」
こいつは新手の疫病神にでもなったつもりか―――
平凡を愛する村山一樹の日常は、セミ丸との出会いによって、唐突に終わりを告げたのだ。
セミ丸が村山の家に住みついてから、三カ月のときが経過した。
以前はセミ丸を煙たがり、同居を頑なに拒んでいた村山の心境にも、変化が生じた。
「おら!さっさと飯くわんと!遅刻してしまうがな!」
セミ丸が来てからというもの、村山は朝ごはんをきちんと食べるようになった。
不思議なことに、セミ丸というぬいぐるみは器用にも料理をすることができるのだ。しかも、栄養バランスが考えられたその場に適した料理。料理経験が少なく、卵を割って焼くことぐらいしかできなかった村山にとって、思わぬ収穫だった。
「ほれ!飯はこんなもんでええか?」
「いや・・・朝そんなに食べれないし・・・」
「なに一丁前にぬかしてんや!朝飯は一日のはじまりやぞ!!ちゃんと食わな今日一日生き残れるかどうかわかったものやない!!」
「大袈裟なんだよイチイチ・・・」
「口応えするな!!まったく、おまえって奴は人の揚げ足ばかりとりやがって!!」
「ぬいぐるみじゃんか、おまえ・・・」
互いに憎まれ口を叩きあいながら食事を摂る。それが今の二人の日常だ。
既にぬいぐるみが食事を食べるということ事態が、日常から逸脱した行為ではあるのだが、村山は否応なくこの光景を見ることに慣れを覚えてしまった。
「いっだ!!く~~~・・・・・・アジの骨がノドにひっかって・・・げっほ!げっほ!!」
「バカッ!こっちまでご飯粒とんでるじゃねぇかよ!!」
喧騒とする朝食。
平凡な日常を愛する男の前に唐突に現れた、非日常的なぬいぐるみ、そして少しの時を隔てて邂逅する者が織り成す、奇妙な交響曲。その上昇が―――ゆっくりと奏でられる。