二
グラスに浮かぶまあるい氷。
オシャレなキッチングッズ、球形製氷キットで作ったものだ。
球技大会がどうのこうのと彼は頻りに吼えているが、私はそれより思い返す事が有った。なぜこんな話を明瞭に覚えているのか、自分でもよく解らない。
あれは中学二年目のある一日。周りの連中の脳裏が、朝から恐怖で染まった。
とやかく言うべき事もない。
これが私から見た彼らの日常だった。私にしてみればはた迷惑な人々であるが、それでも一緒にいると楽しいのは確かで。
この日も朝から、教室でキャッチボールなんぞをしていた。しかし投げ合っている玉が、一般的なそれとはまるで違った。ウェイトボールとでもいうのか、エクササイズ用具っぽいその玉。中に砂鉄でも詰まっているのか、手のひらサイズでありながら1kgの重量があるという代物なのだった。
そんなものを教室内で投げ合っているのである。
そのボールは、確かに重量だけ考えれば1リットルのペットボトル程度で、投げ合うくらいは大した事ないかもしれない。しかし取りこ零すとけたたましい音とともに、教室の椅子や机を吹き飛ばしてしまうほどの威力をもって応酬が為される。
若い限りの膂力にまかせて放られている訳で、中に詰まっているのが砂鉄である故に、さながら凶器のようにも見える。この人たちはよく怪我をしないな、等と考えながら読書にふける私も私だったのだが。
人数は四人ほど。彼らはボールをわざと相手に取らせまいと、取りにくい位置に投げたりしている。つまり、取りこぼさせるのが目的なのだ。それではキャッチボールは成立しないのでは、と思う。
時刻は、まだ七時半というところか。朝から暇で暇で、仕方がなかったのだろう。そう、初等科を卒業して、私と彼は同じ中等科へ入った。小学校のクラスメイトのうち数人も同じ中等科校舎へ進む事になった。
都合のいい事に二年目のクラス分けで私たちは、離ればなれのクラスに振り分けられる事が無かった。彼とその腐れ縁である孝治、私と親友の葉月と雪乃の五人であった。
そしてこの日は、『彼』と孝治と新しい友人たちでなにやら危うげなキャッチボールが展開されていたのだ。
案の定、私が一番聞きたくなかった音が教室に響いた。
叩き付けるような打撃音。
硝子が軋む音。
こうなることは明白だった。と思ってても誰も決して口にしなかったが。おそるおそる振り向いてみると教室の扉――引き戸の窓ガラスが割れていた。
ここの窓ガラスは、こういうやんちゃな生徒がやらかす事を充分想定した上、並の強度ではない仕様にされているはずだった。その証拠に、窓のガラス片は床に散らばる事はなく、すべて枠に留まっている。
これで怪我の心配などがなくなった。よく出来た硝子だわ。とはいえ割れた事に変わりはなく、亀裂が入り無惨な姿になっていた。
そう、防犯の実演で、強化硝子をバットで打擲した時のような状態だ。これはこっぴどくお叱りを受けるに違いない、とその時は思ったものだ。
おそらくその場に居合わせている私も、何らかの証言を求められるだろう。ちょっとした事件に巻き込まれた感じ。ひとまず、この現状を隠匿しようと考えるものは居なかった。
隠し通せる訳がない。愚問である。それでも誰かが言わないものかと、私は密かに期待した。人並みに突っ込みを入れてみたいと思った。それぐらいのユーモアと余裕をもってこそ、学園の仲間と言えるのではないか、なんて。
「とりあえずこれ、隠せるわけないよな」と一人が口を開き言ったのだが、私が突っ込めるタイミングではなかった。これは、さすがにユーモアが通じる雰囲気ではない。私は大人しく空気を読む事にした。
教室で朝から玉を投げ合って遊んでいたというのも、私はどうかと思う。このままどうなるのだろうかと少し眺めていると、皆もそう思っていたようで、教室でボール遊びをしていた事実だけは、なかったことにしたいようだった。
――殴って割ったことにするか。いやいやそんなバカな事はないだろう。そしてこの硝子である。殴った役という生け贄が必要なのはもちろんだが、これが殴って割れるようなら拳もただでは済まない。それが無傷では話にならない。もう少し現実的なカモフラージュ案はないだろうか。あれこれ思案するうちにとんでもない案が出た。
「鬼ごっこをしていたら扉に激突して、硝子をブチ割ってしまったことにしよう」
そもそも何故鬼ごっこなのだろうか。と言うとこの人たちは、当時は日々鬼ごっこをして過ごしていた。よそからみてみれば、なかなかの強者たちである。それこそテスト前だろうと学校中を走り回り、注意をされまくった前代未聞の問題の集団。
――中二病。一種の憐憫である。もはや傍にいて恥ずかしくなってくるようなものである。
とはいえ、意外な事に実際関わった人たちの評価はなかなか良いクラスだった。彼らも人間として悪い連中ではないのだ。まさしく無邪気。邪気眼なのに無邪気。
そう言う訳で鬼ごっこをしていたという理由が、そこはかとなく腑に落ちない理由で正当化されることになる。
教室で敢行される鬼ごっこは鬼をかわす為に、「逃げながら机や椅子で障害を作る」などの高等テクニックが求められる。
鬼にはそれを軽く飛び越える瞬発力と反射神経が無ければ、後続へタッチすることができない。まず机や椅子に膝などをぶっつけて、怪我をすること必至だ。全力で走っていればなおさら大惨事も免れない。
それで教室外に出る時に、鬼を妨害する為に「扉を閉め時間稼ぎをする」ことも重要なファクター、テクニックだ。当然未熟者は、ストップをかけることができずにその扉へ牛のように突っ込むことになる。だからひとまず、そう言うことにしたのだった。
確かに普通に聞いたら突拍子もない。教室では走らないという禁を犯してまで鬼ごっこに興じ、「ついにやらかした」と思えば――教室でボールを投げるよりはいくらかマシ、という理屈になっているわけだった。
さらに言えば教室でのボール遊びは『厳禁』である、と予め私たちクラスは担任から明言されている。
幾らかマシなのだ。
それはおいといて、硝子の割れ方にも注目すべきだ。ただ走って激突しても、こういう割れ方にはまずならないだろう。
何か堅いものをぶつけていなければ、やはり怪我は当然だからである。しかし他に、堅いもの等は見当たらない。もちろん椅子が当たった等は洒落にならない。
どうするのか。と、やはり活路を見出したようだ。
彼らが持っているのは水筒。水筒を奪って走っていたら扉を閉められて、うっかり硝子に打ち付けてしまった。という奇妙奇天烈なシナリオが出来上がった。さすがにこんなことは有り得ないと思いたいが、もはや手遅れだった。
そろそろ教室も賑わってきた。刻限は迫っている。早々に案件を纏めなければ、辻褄合わせは非常に困難を極めたものになるだろう。
ついにホームルームが始まった。もちろん、扉の窓が割れてしまっている事に言及せねばなるまい。とりあえず割ったものが名乗りを上げる事に。そして、どういった経緯で硝子は割れたのか。
返答は「水筒をぶつけました」である。荒唐無稽な話ではあるが、先生の言動も奇妙だった。ちょっとよくわからないから実演してみろ、と言うのである。場が凍った。
彼や友人たちは(こいつ、気付いてやがるな・・・)とでも言いたげな表情をしている。先生を見て何か思っているのは当事者たちだけ。
私なども内心は相当ヒヤヒヤであるが、知らない周りからは温かい視線が。
「よくわからないから、実際に説明してみろ」
そして彼の手に水筒が握られたのだった。
実演開始。もはやわたしも、その光景には失笑するしかなかった。まさか朝のホームルームがこんなコント劇場と化すなど、誰が予想しただろうか。教室を走り回る様をおたおたと演じて、水筒を硝子に打ち付けるモーションを即興で試行錯誤である。
そもそも水筒などを打ちつけては居ないのだ、「再現」などではなかったわけだ。
それを承知で「再現させた」と言うのなら、担任の嫌がらせは感心するレベルだ。とりあえず、最強のおもちゃ、ウエイトボールの存在は完全に隠匿された。
このクラスの連中は普段は平気で他人を陥れるが、本気でヤバい時は全力で助け合う団結力を持っていた。その事には日々感謝せねばならないだろう。
とりあえず、あのウエイトボールの持ち主も、今はもう誰だったのか解らない。
それにしても、思えば時間が随分経ってしまったものだ。
彼の愚痴を一頻り聞きながら、グラスの氷が解けて行くのを、私たちの時間に喩え静かに眺めていた。