一
春先の週末だった。
夕刻、私が北関東南部に位置する別荘でくつろいでいると、懐かしい顔の男がやってきた。
「こんな事、今の生活がずっと続くとは思えない」
それは、諦めだろうか。彼は時々こうだ、意外と脆い。
でも、彼の愚痴には私は何時も妙な期待をしてしまうのだ。その理由は一つ。今となっては彼が私と会うことなど、愚痴をもらしに来る時以外はあり得ないのだ。
なんとも哀しい付き合いになってしまったものだ。
「全部こんな感じだったよなぁ今までさ。なにやったって、何も変わらん、無駄、無意味。何度も言われた。そりゃそうだ、俺たちはちっぽけだもの。でもそれでも、やりたいことを探して、何か一つそれだけで、そうそれがあるだけでいい、俺の目的はこれだ、これに尽きる、と言えるような生きがいを探すのが、今までの俺のすべてだ」
知ってるよ―――
なんて野暮なことは言わない。
ただグラスを傾けながら、酔いのまわった彼の愚痴を聞いていれば、自ずと彼の求めるところはわかるだろう、長い付き合いだもの。
「最初は些細なことだったよな、あぁ、憧憬だ。あの先生、お前は小学校三、四年かそころだったか、担任だったあいつ。あれは三年から六年まで俺たちをしっかり牽引してくれた」
……教室でただ騒いでいた。
なにしろ、六年生になるのだ。
小学校最後の年――まぁ、私らはそのあともエスカレーター式に上がっていけることになっていたんだけど。
早いものでもう、初等科抜けてからはン何年経ってしまった訳だけれど、あの頃は今の日々があっという間とは思っていなかっただろう。
年をとると日々が速くなるものだ。
楽しみがないからかもしれない。
毎日が延長で年の区切りなど歯牙にもかけず、その毎日の密度ときたら、朝夕の登下校中の寄り道など大変な冒険であった。
それでいてかなり長い時間外にいようと、必ず5時には帰宅していたと言うのだから驚きだ。夜まで外にいることなんてなかった。そこは個人差か、ともかく形式的には健全路線だったわけであるが。
あっという間に駆け抜けた青春という概念については、どうしてそんなに――となると哲学的考証に過ぎなくなるので、ただ今はあの頃は眩しかった、としておこう。
「あの担任なぁ、みんなあいつの話には夢中になった。何で学校の先生なんかしてるのかとも思ったが、今になって思えば単純な話だったな。あいつにはずいぶん世話になった、叱られて反抗することがあっても、ちゃんと理解を示してくれる人だった」
彼は続けて呷る。
四年間も担任してくれてたと言うが、もちろんクラス替えも幾度かあった。それが彼は運よくずっとその担任お抱えのクラスにいることができたのだ。
こんな感じで彼の愚痴は、昔話に花を咲かせることが多い。懐古趣味、いや、酔いが回っているからこうなのだ。そしてこの愚痴は本題ではない場合がほとんどだ。
彼は担任に憧れた。とにかく要点だけ言えばそうだ。彼の友人が事故で亡くなった時の話など、心痛堪え難いものが有ったが、その担任が全ての力になってくれたのだそうだ。
そういう人がいてくれると大変安心する。
だがどうやら、初めは彼も担任の事を完全に信頼しきっていた訳ではないのだそうだ。
当時のクラスメイトたち、三年四組は見事に悪ガキが集まっていて、最初は担任への悪戯もことさら酷いものだったようだ。新任の、若い先生だったから。
彼は別段、イタズラを煽動したなどとは言っていなかったがもしかすると、相当なイタズラをしかけていたのかもしれないと内心私は疑っている。
私が彼と出会ったのは、そんなクラスもだいぶ落ち着いていた小学校六年の時分だ。編入先での運命的な出会いというやつ。
自分で言うのもなんだけれど、私は編入初日は「マブい」などと言われて、けっこーはやし立てられたものだ。
だから彼もそうやって、編入生への質問タイムでいの一番私のところへやってきた――ということもなく、ただ教室の窓から空を眺めていて、私のことなどまるで関心のなかった連中のうちの一人であった。
私が年度初めに転校してきたこともあって、クラス替えの人たちに交じってクラス全体にはあっという間に打ち解けたのだが、彼と私がまともな会話を交わしたのは一学期初めての席替えの時だった。
五月終わりごろに控えた運動会の選手登録などを兼ねた学級活動。
もしかすると総合の時間を割いていたかもしれないが、その中で席替えもやってしまったわけだ。
小学生は席替えが好きだと思う。もちろん私は楽しみだった。仲良くなった女の子、葉月や雪乃とはできれば近くの席になりたかった。
それに席替えのときのなんとも言えないガヤった空気、あれでなんだか奇妙なほどウキウキしたものだ。
しかし私はその当日、風邪をこじらせ登校することができなかった。
こういうときに風邪をひくやつが一人はいるものだが、残念なことにその時は私がその役を天から言い渡されたのだった。風邪は一日で何とか治ったので翌日は勇んで登校した。
ありのまま起こったことを話すと私は、席替えをしたと思ったら自分の席は変わっていなかった。何がおこったかわからなかった。
くじ引きで例の担任が、私の分を親切にも代わりに引いてくれたらしいのだけど、結局席の位置が同じになったという事らしい。経験のある人もいることだろうと思う。まさに貧乏くじを引いたのだ。
そのときに私の隣の席になったのが彼なのだが、言ったとおりその時までまともに会話などしたこともなかったわけで。でも子供なので気まずいという感覚はなかった。子供のころの私は人懐っこさを武器に生きていたと思うのでさっそく彼と会話をしてみようと思ったのだ。
「今までお話したことあんまりなかったよね。せっかく隣の席になったんだし、これからよろしくね」
さりとてさても返事がない。
まぁ最初から、こういうやつだとは思っていたわけだから、時に気にも留めずに私はしつこく話しかけ続けた。
はっきり言ってうざかったことだろう、当時そんなことを口にする子供はいなかったものだが、恐らく『彼』は間違いなく十中八九そう思っていたに違いない。
担任が教室に入ってくる頃になって、やっと『彼』は溜息交じりに口を開いた。
「あぁ……よろしくな」
その時私は――勝った、と心の中で密かに腕を挙げつつ思っていただろう。それから彼と私は仲の良い友人になっていったのだ。
運動会の定番競技であるクラス対抗二人三脚で、いきなり私たちのペアが優勝に貢献するなど、ちょっと目立つ存在になったりして。
もちろん、それ以前の彼に友達がいなかったというわけではない。
私たちに共通する話題も何もなかったのと、『彼』にとって私はただ「うるさい女だ」なんて程度にしか思われていなかったのだ。ずっと疎んじまれていたという始末である。
それでも私たちが良き友人となれたきっかけは、やはりあの担任が手引きしていたのではないかと今では推測できるのだ。
彼が私と関わろうとしないのを不思議に思っていたりもしたのだろう。それで私が欠席の連絡を入れたのをいいことに、私たちの座席を隣同士にしたといったところかと。
想像に過ぎないが、妙な確信が今の私にはあるのだ。
私にとっては担任と過ごした時間は一年余り。
だが『彼』にはそれ以上の時間で培ってきた信頼関係があったのだから、担任が横槍で私と話すきっかけを与えてきた事にも渋々納得したのだろう。
「ねぇ、宿題やったの。算数の。もう、うちの担任たら計算ドリルの答え回収しちゃってるんだもん、確認しようにもできないわ。自分の答えにあんまり自信ないのよね」
「そう言うが、俺にはお前が――まず自力で解いてから答えを見て訂正する。という手順を踏むとは思えない」
「失礼ね、私が答えをまる写しすると思ってるわけ。こう見えて私。算数好きなのよ。成績だけで判断しないでほしいわ」
「へー。お前分数の計算はどうやって指でやるんだろうな。俺にはちょっとわからないんだが。教えてくれ」
「うるっさい、カエル池に沈めるわよ」
「残念だな、この気温じゃあ今の時間、池の水面に氷が張ってるよ。まぁ、上で遊んで滑って転んで、氷叩き割って池ポチャして風邪ひくバカは、必ず毎年出るんだが」
「なんでそういう言い方ばっかりするかな、あんたってばもう少おし、人生楽しんだほうがいいと思うけど」
「ああ、それにしても寒いなあ、早く春が来ないもんか。吐く息が白いの見てると気分まで重くなる」
「そうは言ってもさ、春が来ちゃったら私ら卒業だよ」
「そうだな。エスカレーターだが、この校舎とはお別れだ――」
――懐かしいな、つい最近のことみたいだ。本当、あっという間の一年だったなぁ。まさに駆け足で通り抜けたって感じ。と、そんな話を思い出してる場合でもなかったか。しかし私の想像は懐かしい日々へとただトリップするばかりである。今は愚痴へ耳を傾けてもただ通り過ぎて行くだけ。