第三話 田舎暮らし
田舎の朝は早い。
それが、一日泊まった俺の感想。
「早く起きんね!」
そう言って、“文字通り”叩き起こされ目をこする。
眠気が多分に残るのをこらえつつ、時計に目を向けた。
―――午前五時。
「なんだ、夢か」
にこやかに、笑顔すら浮かべながら布団にダイブすると、すかさず婆ちゃんが手に持っていた丸めた新聞紙を振り下ろしてくる。
頭を叩かれて、俺は渋々目を覚ました。
「婆ちゃん、ぶっちゃけ早すぎると思う」
いくら夏で日が昇るのが早いとはいえ、今まで健全な高校生活を送っていた俺としてはちと厳しい。
要約すると、すこぶる眠い。
「早めに水を撒かんと、暑くなってからじゃいかんとよ」
「あー……了解」
そういえば、そんなことを聞いたことある気がする。
小学校の頃に、朝顔の水やり当番の説明でそんなことを担任の先生が言っていたと思う。
俺は寝間着から動きやすい服装に着替えると、洗面所で軽く顔を洗って畑へと向かった。
「婆ちゃん、ぶっちゃけ広すぎると思う」
寝起きに言った言葉に似た台詞を吐きつつ、俺は目の前に広がる畑を見渡した。
目の前には青々と生える野菜の群れ。
大根、人参、トマト、トウモロコシ……他多数。
そして、驚くべきは畑の広さだろう。
「えっと、一辺が100メートルの正方形が1ヘクタールだったよな……」
目測で広さを測り、感嘆の息を漏らす。
「まあ、この歳になるとすることもないでな」
俺の様子を見た婆ちゃんは、どことなく嬉しそうにそう言った。
俺はそんな婆ちゃんに頷き返しつつ、手に持ったじょうろに目を落とす。
これで水を撒くのか……この広さを。
「大変だ、こりゃ」
婆ちゃんが応援を呼んだ気持ちが少しわかった気がする。
「鷹志はそっちの大根畑のほうから水を撒いておくれ。水の量はほどほどにの」
「わかった」
婆ちゃんの指示に従い、大根畑のほうに足を向ける。
少しくらい水をやりすぎても、きっと蒸発してしまうだろう。
俺は畑の横を流れる溝からじょうろに水を汲み、端の列から水を撒いていく。
朝露に濡れた大根の葉が水を弾き、見ているだけで涼しく感じられた。
「うーん……たまにはこういうのもいいかもしれない」
まだ日が昇りきらない早朝。
僅かに明るいとはいえ、日が顔を見せるまであと幾ばくかの時間があるだろう。
昼間と違い、ひんやりとした朝の空気は清清しい。
「こんな中を散歩するのもいいな」
浮かべたのは苦笑。
婆ちゃんの家にこないで、自分の家でゴロゴロしていたらこんな気持ちになることもなかっただろうから。
バイト代のためもあるけど、そんなに卑下することもない。
都会には無い、穏やかな雰囲気がここにはあった。
少なくとも、朝の間は。
「暑い……」
朝の涼しげな気候はどこに行ったのか。
日が昇ってからの作業は地獄だった。
水やりを終え、朝食を食べてからの作業は草むしり。
始めはまだ涼しかったのだが、徐々に気温が上がって今ではまさに炎熱地獄。
滝のように流れる汗が、この上なく鬱陶しかった。
しかも、まだ午前中というから性質が悪い。
午後はまだ暑くなると婆ちゃんが言っていた。
遠くを見渡せば、同じように農作業をしている人たちがちらほら見える。
見えるのだが、それらが霞んで見えるのは俺の目の錯覚だろうか?
「おお、これが噂の蜃気楼か」
激しく間違ったことを呟きながら、俺は足元の雑草を引き抜いて後ろへと投げる。
俺の後ろでは、引き抜かれた雑草が小山を形成していた。
「というか、雑草が多すぎる……お、またミミズだ。今度釣りにでも行こうかな……」
ここの土壌はきっと栄養満点なんだろう。
雑草を引き抜けば、ミミズとのエンカウントする可能性が非常に高い。
「ふぅ……この日差しさえなければ、まだマシなんだろうけどな」
きっと今夜は日焼けのせいで眠れないだろう。
そんなことを考えながら、俺は雑草を抜き続けた。
俺は疲れた肢体を投げ出し、ひんやりとする畳に寝転がる。
「……疲れた」
ぽつりと、天井に向かって呟く。
ついでに腕を上げて見てみれば、朝に比べて真っ赤になっている。
窓の外を見てみれば、太陽もようやく西の空へと下りてきていた。
「いや、ありえないって……」
寝転がったままで愚痴る。
二週間で五万円貰えるんならいいかな、と思っていたけど、これは少々割が合わない気がした。
今日は量が多いだけで少ないときは昼ぐらいに終わると言われたけれど、それでも六時間以上は太陽に晒されながらの労働だ。
なにより、早起きが辛い。
そして、早起きも辛いのだが、それ以上に辛い問題がある。
「うーむ、することが無い」
暇を潰すものがまったくない。
ゲームは持ってきてないし、携帯は電波の状態がいまいち悪い。
使えないことはないが、流石にずっと携帯にかじりつくのも馬鹿らしかった。
「婆ちゃん、この辺に何か店はないの?」
転がりながら婆ちゃんに聞いてみる。
太陽に焼かれた体には、ひんやりとした畳が実に心地良い。
「駅付近に何件かあるくらいじゃの」
「何件か、さすがにゲーセンはないだろうけど、少しは暇つぶしになるかな」
俺は畳から体を起こすと、とりあえず財布をポケットに入れた。
「じゃあちょっと行ってくるよ。一時間もすれば戻るから」
そう伝えると、俺は靴を履いて外に出る。
外はまだ暑かったけれど、昼間よりは少し涼しい感じがした。
「夕立は……降らないか」
俺は空を見上げてそう判断する。あと少ししたら太陽も山に隠れるだろう。
いくつか浮かぶ綿雲を数えつつ、のんびりと道を歩く。
遠くからは子供のはしゃぐ声や蝉時雨が耳に聞こえ、我知らず笑みを浮かべた。
「喧騒がないって、けっこういいもんだな」
車の音や雑踏の音。
そんな、俺が住む場所では当たり前の音がここにはない。
そこまで都会ではないとはいえ、田舎と呼ぶには発展しすぎた俺の町では雑音が多すぎる。
きっと、だからだろう。
こんなにも心が落ち着くのは。
俺はそんな落ち着いた心のままで、周りを見回す。
「うん。なんだこの無駄に古ぼけた場所は」
十分もかからずたどり着いた駅で、俺はそう呟く。
店は確かに数件あった。
いかにも閑古鳥が鳴いていそうな喫茶店らしき建物。
八百屋なのか雑貨品屋なのかわからない建物。
タイムスリップしたかのような錯覚を受ける駄菓子屋。
置いてある本全ての製本日付が昭和になっていそうな古ぼけた本屋。
俺はいつの間にかタイムスリップしたんだろうか?
目の前の光景にそんなことを考えつつ、古ぼけた本屋に向かう。
この中では一番暇が潰せそうだという願いを胸に、自動ですらない扉を横へと引き開けた。
それと同時に漂う、古本特有の香り。
当たってほしくない予想が当たってしまったのか、漫画の類は置いてなさそうだ。
「おお、ジーザス」
呟きに意味はない。
暇を潰せそうにないと判断した俺は、回れ右をしようとして足を止める。
狭い店内の、さらに端。
白を基調とした服装に流れる黒髪が、目に映る。
手に持った本を真剣に読むその姿には見覚えがあった。
「よお、奇遇だな」
「……え?」
かけた声に反応して、その子は振り向いてくれる。
そこには、本を手に持ってきょとんとした顔で俺を見る、牧原の姿があった。