第二話 出会い
「ふぅ……生き返った」
俺はクーラーに当たりつつ、運転手……広田さんから受け取ったスポーツドリンクを飲み干してそう呟く。
別に死んでいたというわけではないが。
「しかし、何故このようなところを歩いていたのですかな?」
そんな俺に、広田さんが聞いてくる。
それと同時に車を発進させ、ちらりと視線を向けてきた。
「何故って言われても、俺自身さっぱりで。この紙に書いてある通りに歩いていたんですけどね」
ポケットから取り出す一枚の折りたたんだ紙。
お袋によって書かれたそれは、見事に俺を行き倒れさせてくれた代物だ。
広田さんが見たそうな視線を向けてくるので、開いて渡す。
「では失礼して」
紙を受け取り、片目で読んでいく。
ハンドルをきちんと操作している辺り、もう片方の目は前を向いているのかもしれない。
だとすれば凄い特技だと思う。俺はいらないけど。
「ふむ……」
読み終わったのか、広田さんは一度頷いて紙を手渡してくる。
俺はそれを受け取りつつ、口を開いた。
「えっと、何かわかりましたか?」
「はい。どうやら降りる駅を間違われたようですな」
「…………え?」
思わず固まる。
「紙に書いてある駅は、貴方が降りた駅の一つ先の駅の名前です」
「え、いや、ちゃんと駅名を確認しまし……」
そこまで言って言葉を止め、記憶を掘り起こしていく。
思い出すのは俺が降りたボロボロの駅。
そして、それに見合うくらい看板もボロボロだった。
木で作られたであろうその看板は、長年風雨にさらされていたのだろう。
頭文字辺りが読めなかった。
「……もしかしたらっていう願いとか願望を込めて聞きます。この紙に書いてある駅名の頭文字に、何か一文字足した駅名がさっきの駅だったりしますか?」
そうやって尋ねると、広田さんは口元に苦笑を浮かべていた。
「願いと願望はあまり変わらぬ気もしますが、たしかに紙の駅名に西という字を加えればそうなりますな」
その言葉を聞いた瞬間、一瞬気が遠くなった。
「……というか、何であんなところに駅が……」
自分のボケっぷりに軽い絶望を味わいつつ、小声で尋ねる。
「駅を出て右の道を行けば町がありますからな。まあ、その町からしても外れの位置にあったわけですが……」
「さいですか……」
肩を落とす。
そしてふとミラーを見てみると、後部座席に座った少女と目が合った。
やけに楽しそうにしているのは、きっと俺の気のせいなのだと思いたい。
「くすくす……」
思いたかったが、それでも、後部座席の少女は笑っていた。
歳は俺と同じか少し下くらいだろう。
口元に手を当て、なにやらお上品に笑っている。
その様子はまさにお嬢様というに相応しい……って、あれ?
不意に行き倒れていたときのことを思い出す。
何故こんな田舎の中の田舎をこんな高級車が走っているのだろうか?
「どうかしましたかな?」
広田さんが声をかけてくれるので、俺は頷いて質問することにした。
「いや、さっき思ったことなんですけど……」
僅かの間、ミラー越しに少女へと目を向ける。
「何でこんなところを、こんな高級車が走っているのかと思いまして」
「おかしいですかな?」
「おかしいわけでは……いや、やっぱりおかしいということで」
言いかけて言い直す。
すると、今度は後ろから声がかかった。
「ふふっ……正直なんですね」
僅かに楽しさを含んだ声に、俺は肩を竦めてみせる。
「実は狐に化かされていました、だと嫌だし」
「狐ですか?」
「狸でもOK」
そう言って俺は笑う。
流石に、この時代に狐や狸に化かされるなんてことはないと思う。
俺がそんなことを考えていると、広田さんが口を開いた。
「残念ですが、そういったものではありません。今日は町のほうに用事がありまして、お嬢様をお送りしたまででございます」
「成程。何が残念なのかは触れないとして、その町に行った帰りの途中で俺が行き倒れて……て、お嬢様?」
なにやら聞き逃せない単語に反応する俺に対し、広田さんは微笑む。
「後ろに座っていらっしゃるのがお嬢様でございます」
「はぁ、お嬢様ですか……え、マジで!?」
肩越しに振り返ると、お嬢様と呼ばれた少女は照れ臭そうに笑う。
ただ、その笑顔に陰があるのは見間違いだろうか?
「牧原グループは御存知ですかな?」
「え、ええ。まあ」
俺は驚きつつも頷く。
牧原グループとは、様々な商品を幅広く扱っている企業のことだ。
車や電化製品、果ては日用品などを取り扱っており、大企業と呼んでも差し支えないだろう。
「じゃあ、この子は……」
「牧原グループの社長である牧原幸之助様のご息女、牧原美雪様でございます」
広田さんの言葉を肯定するように、後部座席の少女が頭を下げる。
「初めまして、牧原美雪です」
「あ、うん。俺は藤倉鷹志。よろしく」
下げられた頭に戸惑いつつ挨拶を交わす。
いきなり俺を見て、『ひき殺したんですか!?』なんて言ってくれたけど、気にしないようにしよう。
「しかし、えーっと……何て呼んだら良いんだ? 牧原? あ、さんづけで牧原さんがいいか?」
「二択ですか?」
「二択ですか? って聞かれてもな。流石に初対面の女の子を名前で呼ぶ度胸はないぞ。そんな恥ずかしい……もとい、馴れ馴れしいのは駄目だろ」
「うーん……お嬢様じゃないなら何でも良いですよ」
「そうか。もしお嬢様と呼べって言われたら困るところだったな。そもそも名前じゃないし。じゃあ、牧原って呼ばせてもらおうかな」
俺がそう言うと、牧原は僅かに目を見開く。だが、すぐに表情を変えた。
「はい。だったら、わたしは藤倉さんって呼ばせてもらいますね」
そう言って、牧原が柔らかく微笑む。
今まで見たことある女の子の中にはなかった、安心できるような笑み。
俺はその柔らかい笑みに、思わず見入ってしまう。
「……どうかしましたか?」
そんな俺を訝しく思ったのか、牧原が首をかしげた。
俺は慌てて手と首を振る。
「いやいやいや。なんでもないですよ?」
「何で疑問系なんです?」
「そこはやんごとなき理由があるかもしれないだろう? だから突っ込まないで」
俺は軽く混乱しつつそんなことを言った。
すると、そんな俺を見ていた牧原が口元を押さえて笑い出す。
「……ふふっ。おかしな人ですね」
「こ、好意的な意味だと捉えておくよ」
もし頭がおかしいと言われたら、流石に凹む。
俺はなんとか精神的ダメージから立ち直ると、今度はこちらの番と質問することにした。
「よし、それじゃあ今度はこっちから質問していいか?」
「はい。どうぞ」
「俺のお袋が女性に歳を尋ねて失礼なのは二十歳からと言っていたから尋ねるんだけど、君何歳?」
「わたしは十六歳ですけど……二十歳からだと失礼になるんですか?」
「いや、そこは深く突っ込んじゃいけないところだとも言っていたな」
ちなみに、以前俺がお袋に歳を聞いたときは殴られた。しゃもじで。
「十六ってことは、高校一年?」
「いえ、二年生です」
「あれ? ということは同い年なのか」
同じ学年だが、通っている学校の場所が全く違うのだろう。
俺の通っている学校や、近隣の学校に牧原グループの娘さんが通っているなんて話も聞かないし。
「ということは、藤倉さんも二年生なんですか?」
「そういうこと。常盤台高校ってとこに通ってるんだけど、牧原は?」
「わたしは私立香南学園に通っています」
そうか、と俺は頷く。
香南学園と言えば有名なお嬢様校だ。
イメージとしてもピッタリ……
「ってちょっと待った! 香南学園ってここから行ける距離じゃないだろ!?」
納得しかけたのを慌てて翻す。
俺の記憶が正しければ、ここから県をいくつもまたがないと行けなかったはずだ。
むしろ、俺が住んでいる家のほうが十倍は近い。
慌てた俺に対して、牧原は至極落ち着いた表情で頷き返す。
「流石にこっちから通うことはできませんよ。夏休みの間だけ、こっちの別荘に住んでいるんです」
「なんだ、別荘か」
うんうんと頷いてみる。
別荘と言われても、生憎俺とは無縁すぎてピンとこなかった。
まあ、今乗っているこの車も無縁すぎるものだけれども。
「さて、見えてきましたぞ」
広田さんの声に、俺は前を向く。
牧原と話していたせいで気づかなかったが、ちらほらと民家が見えるようになってきた。
「うわ、田舎だ」
民家があると言っても、それより目に映るのは田んぼの海。
その中に家がぽつんと浮いているようにも見える。
俺の呟きを聞いた広田さんは、再度苦笑していた。
「よろしければ家までお送りしますが、いかがですかな?」
「え? いや、流石にそこまでしてもらうのは……」
「はっはっは。駅に行くよりも、そちらのほうが近いのですよ。お嬢様、それでよろしいですか?」
「はい。藤倉さんの家の前まで送りましょう」
「……なら、お願いします」
頭を下げる。
今更ながら、地獄に仏ってこのことだよな、と内心で苦笑した。
ゆっくりと減速し、車が止まる。
俺が窓越しに辺りを見回すと、すぐ傍に一軒の家が見えた。
「ここか……」
いかにも田舎です、と言わんばかりの造りの一軒家。
俺は何とかたどり着けたことに安堵すると共に、広田さんと牧原に頭を下げた。
「ここまで乗せてきてもらって、どうもありがとうございました」
「いえ、困ったことはお互いさまですから」
そう言って微笑む牧原。
今度は見入らず、俺も笑い返した。
「それでも、だよ。本当に助かった。ありがとう」
そんな言葉に、牧原はくすぐったそうな表情を浮かべる。
「旅は道連れ世は情け、とも言いますしな。ところで、藤倉様はいつまでこちらに滞在するのですかな?」
「様は止めてくださいよ。背中がかゆくなっちゃいます。こっちには、一応二週間くらいいると思いますけど」
広田さんの問いにそう答えると、牧村が楽しそうに頷いた。
「そうなんですか。だったら、また会う機会もありますね」
「あるんだろうな。見たところ、この村もそんなに広くなさそうだし。あ、暇があったら遊ぶか?」
冗談混じりに、そんなことを尋ねてみる。
もちろん冗談の割合が大きい。九対一くらいの割合で冗談だ。
牧村グループのお嬢様が外で遊ぶ姿というのは想像できないし。
「え、いいんですか?」
しかし、その一の可能性に喰らいついてくるお嬢様がここにいた。
「え、本気!?」
思わず聞き返す俺。
「……何で言った本人が驚くんですか?」
「いや、そこはホラ、ねえ?」
何がねえなのかはわからないが、俺は広田さんに救いを求めて目を向ける。
だが、広田さんは頷いていた。肯定の意味で。
「それもいいかもしれませんな」
思わず絶句。
まさか、肯定するとは微塵も思わなかった。
「ま、まあ、機会があったらってことで……」
なんとなく逃げられない気がしたので、そう言って俺は一歩後ろに下がる。
「はい。その機会を待ってますね」
頷き、微笑む牧原。
その笑顔を見て、俺はふと思う。
少し面倒だけど、小遣い稼ぎになると思って来たこの村での生活は、思ったよりも、面白いものになるんじゃないか、って。
何の根拠も無い。
だけど、このときの俺は何故か自然にそう思えた。
牧原や広田さんと別れたあと、婆ちゃんの家に行って『遅すぎる』と叱られたのは余談である。