第十話 田舎暮らし・その3
「んー……」
目の前に広がる光景を見ながら、俺は何度も目をこする。しかし、結果はいつも変わらない。目の前の光景は、嘘偽りない真実なのだから。
「藤倉さーん。どうしたんですかー?」
俺に向かって手を振ってくる牧原。
いや、それは良い。別に大した問題じゃない。
何が問題かと言えば、牧原の服装が問題だった。
動きやすそうな薄目の長ズボンに、白のTシャツ。手には軍手を装備し、頭にはいつかの麦わら帽子をかぶっている。
まあなんだ。TシャツにGパンの俺よりも、かなり合っているだろう。
―――野菜を収穫するための服装としては。
「いや、ちょっと待て」
「はい?」
俺は右手を額に当て、左手で牧原を制す。
夏の日差しが眩しい炎天下の下、俺は今に至った理由を必死に思い出そうとする。
朝起きた。
いつも通りに婆ちゃんの手伝いをしていた。
牧原が来た。
よし、ここまではOK。ただ、問題なのは牧原の服装だ。
「……その格好はなんだ?」
とりあえず聞いてみる。すると、牧原は笑顔で頷いた。
「広田さんが、農作業をするならこの格好が良いと言っていたんですが……変ですか?」
Tシャツの裾をつまみ、自分の格好を見下ろす牧原。それを見た俺は、なんとなく足元に生えていた人参を力任せに引き抜く。
「いやね、別に変ではないですよ? ただ、なんでその格好でここに来たのかなー、なんて思っただけですよ、ええ」
意味もなく敬語で喋る。だが、牧原はそんな俺に構わず笑顔で頷いた。
「藤倉さんのお手伝いをするためです」
花が咲いたように微笑む。
あーなるほどねー。俺の手伝いをしてくれるんだー。だからそんな格好なんだー。
「いや、何故に?」
頭の中をクエスチョンマークが飛び交う。
昨日、あの後はそんなこと一言も言ってない。日が暮れるまで一緒に色々と話してはいたけれど、俺が手伝ってほしいとも、手伝いに行くとも聞いてなかったはずだ。
すると、牧原は少し照れたように下を向く。
「いえ……本当は藤倉さんと遊ぼうと思ったんですけど、広田さんが『藤倉様は昼間の間は農作業の手伝いをしているのです』と言っていたから、それならわたしも手伝おうって思ったんです」
さきほど引き抜いた人参を弄びつつ、俺は言われたことを整理した。
牧原は俺と遊ぼうとした。だが、俺は農作業をしている。なら、その農作業を手伝おう。
そして、結論に達した牧原が本当に来てしまった、と。
「というわけで、お手伝いさせてください」
どこか楽しそうに言ってくる牧原。俺はそんな牧原を見て、小さく笑った。
「断る」
一刀両断に告げる。
「えっ!? な、なんでですか?」
断られるとは思っていなかったのだろう、牧原は驚いたように俺を見た。俺はその視線を受けながら、相好を崩して肩を竦める。
「すまん、冗談だ。そのリアクションが見たかっただけなんだ。許せ」
正直に言えば、猫の手も借りたい……ほど忙しいわけではない。しかし、楽しそうにしている牧原を見たら、つい冗談を言いたくなっただけだ。
当の牧原はといえば、俺の台詞にむくれてそっぽを向いた。
「……藤倉さん、意地悪です」
「悪い。わざとだ」
とりあえず、引き抜いた人参をすでに収穫した野菜の場所へと置く。
しかし、あの広田さんは何を考えているのだろうか? 仮にもお嬢様が畑仕事など、いや、仮と呼ぶには大富豪すぎるが。
俺は常に慇懃な執事の顔を思い浮かべ、軽く頭を振った。
「まあ、別にいいか」
深くは考えない。
広田さんのことだ。きっと、牧原のためになると思ってのことだろう。
そう判断して、なにやらやる気に満ち溢れた目をしている牧原を見る。
「それで、わたしは何をしたらいいんでしょうか?」
「あー……どうしようかねー」
周りを見るが、婆ちゃんはいない。俺に指示を出してから、どこかに行ってしまった。
「よし、それならトマトを収穫してくれ。きちんと熟れたやつをな。青いのは取るんじゃないぞ」
人参みたいに土中に埋まっているのは、一見しただけではわかりにくい。だが、トマトならば色で熟れているかがわかるから、牧原でも大丈夫だろう。
「わかりました」
俺の言葉に、楽しそうに頷く牧原。俺は近くに転がっていたカゴ手渡すと、人参の収穫に戻ることにする。
牧原は大丈夫だろう、多分……。
少しばかりの不安を胸に抱きつつ、俺は足元の人参に目を向けた。
牧原とのんびり雑談をしつつ、俺は人参を引き抜いていく。すでにその数は百を軽く超え、小高い山を築きつつあった。
「そんなにたくさん収穫して、どうするんですか?」
トマトを丁寧にもぎ取りながら、牧原が聞いてくる。
「いや、そりゃ売るに決まってるだろ。収穫したら、町のほうに持っていくんだよ。今年は野菜が高く売れるしな」
「持っていくって……徒歩でですか?」
素でそんなことを聞いてくる牧原に、俺は苦笑する。
コイツ、頭は良いくせにどこか抜けていやがる。
「徒歩か。ああ、そりゃすごいな。これを全部徒歩で持っていける体力があるのなら、フルマラソンで世界記録を狙えるかもしれないぞ?」
持って行くのは人参だけではない。今牧原が収穫しているトマトなども持っていくのだ。
とてつもなく重いし、なにより大量の野菜を一人で運べるわけがない。自分の体積の何倍あるのだろうか?
「持っていくときはトラックだよ。他の家の人も町に持っていくからな。それに便乗して持っていく」
俺の言葉に、牧原は感心したような声を漏らす。そんな牧原に、俺は手元のカゴを指差した。
「ほら、手が止まってるぞ。トマトと人参の収穫さえ終われば今日は自由だから、さっさと終わらせようぜ」
「あ、はい」
元気良く返事をして、牧原は再度トマトの収穫に戻る。俺はそれを横目で確認すると、自分の仕事へと意識を集中した。
さて、これが終わったら何をして遊ぶかな、なんて最後に考えて。
麦茶がなみなみと注がれたコップを手に持ち、俺は一気に飲み干す。そして、おおげさに息を吐いた。
「ぷはぁー、うめえ」
農作業も終わり、いつも通りに麦茶を飲む。その傍らには、同じようにコップを持つ牧原も一緒だ。
「美味しそうに飲みますねー」
「ああ。俺はこの一杯のために生きてるんだ」
酒に溺れたおっさんのようなことを言いながら、俺は空になったコップに再度麦茶を注ぎ足した。
「そうなんですか……藤倉さんって、この一杯のために生きてるんですね」
牧原は手に持ったコップに視線を落とし、何やら俺と麦茶を交互に見交わす。そして、おずおずとコップを俺に差し出した。
「よろしければ、わたしのもどうぞ」
「ごめん、ストップ、待て。何かすごい勘違いをしてそうだから言っておく。麦茶のために生きてるっていうのはもちろん嘘だぞ?」
苦笑を浮かべてそう言うが、牧原の目を見て俺は笑いが凍りつく。
「え……嘘、なんですか?」
マジだった。本気と書いてマジと読むくらい、牧原は本当に俺の言葉を信じていたらしい。愕然という言葉が似合う表情を顔に貼り付け、牧原が俺を見てくる。
「ちょ、なんでそんな罪悪感が沸く顔をするんだよ!? やめろって! そんな目で俺を見ないでくれ! 土下座で謝りたくなってきただろ!」
そう言いつつ、正座する俺。
イカン。体が勝手に土下座しようとする。お代官様に対する平民の如く平伏してしまいそうだ。
俺が葛藤していると、ようやく牧原は反応を返してくれた。
「やだなぁ……冗談ですよ?」
「目を逸らしながら言っても説得力ないけどな」
とりあえず、地面に手をついて謝っておきましたとも。
休憩が終わった俺と牧原は、とりあえず田舎道を歩いていた。当てなどなく、時折会話を交わしながらのんびりと歩いていく。
そんな道の途中で、遠くから元気の良い声が聞こえた。
「おにごっこするひとこのゆびと〜まれ!」
子ども独特の高い声。そして、その声に群がるように聞こえる幾人かの笑い声。
そちらに目を向けてみれば、こじんまりとした学校らしき建物があった。
こういった田舎では小学校と中学校が一緒になっていることもあるが、あの学校もその類だろうか?
「藤倉さん?」
俺の様子を見て取った牧原が、小さく首をかしげる。そんな牧原に対して、俺は少し考え込んでから笑いかけた。
「今日の予定が決まったな」
そう言って、俺は学校へと歩き出す。
「え? 予定が決まったって、何をするんですか?」
歩き出した俺に、不思議そうながらついてくる牧原。
なんというか……ピョコピョコとついてくるその姿は、親ガモについてくる子ガモみたいで可愛らしい。おかしな意味でなく。
「何をするかって?」
幸いにして、現在の牧原の服装は長ズボンに白のTシャツ。それに麦わら帽子をかぶっている。
うん。運動するには実に丁度良い服装だ。いつも着ているようなお嬢様チックな服じゃないから、汚れを気にする必要もない。
「おにごっこするひとこのゆびと〜まれ!」
再度聞こえる子どもの声。俺はそちらを指差し、
「ほら、おにごっこする人って言ってるだろ?」
そう言って笑いかけた。
お久しぶりです。いつの間にやら300日近く更新が止まってました。読んでくれていた方には申し訳ないです(いるのかどうか不安ですが)。
チマチマながら更新していきたいと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。