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第一話 夏の小道

 視界が揺れる。

 目の前の光景がぐにゃりと歪み、後方へと流れていく。

 ああ、もう駄目だ。

 俺は腹部に感じる不快感に、眉を寄せた。

 ゆっくりと、傾いていく体は止めようもない。

 何とか体を捻ってみるが、うつ伏せが仰向けに変わった程度の差。

 そのまま、スローモーションに流れていく時間の中で、俺は自身の不遇を嘆いた。

 なんでこんな場所で。

 そんな言葉が頭を掠めたが、すでに頭は働くことを放棄している。

 吸い込まれるように地面へと倒れこみ、全身に感じた痛みに息を漏らした。


「くそ……」


 小さく悪態をついてみるが、如何ほどの意味もない。

 それでも俺は再度悪態をつこうとして、


 ぐぐぅ〜。


「……腹、減った」


 腹部から聞こえた音で、悪態は愚痴へと変わった。



 

 事の発端は二日前。

 田舎に住んでいる婆ちゃんからの電話が始まりだった。

 年に一度か二度、こっちの方に出てくる婆ちゃんだが、今回は違う用向き。

 営んでいる農業が少し大変で、人手が欲しいと、そう言われた。

 電話に出たのがお袋で、何で俺にその話を振るのか疑問に思ったときには既に遅い。


「ということで、よろしくね鷹志」

「はい?」


 それが、俺にかけられた言葉だと理解するのに数秒を要した。そして俺は、フリーズから立ち直るとお袋に詰め寄る。


「ちょ、何で俺なんだよ。お袋か親父が行けば良いだろ?」

「いいじゃない。どうせ学校も夏休みだし、アンタ暇でしょ? わたしや父さんはね、学生さんが夏休みでゴロゴロしていても仕事があるのよ。それに、どうせ二週間ぐらいなら大丈夫でしょ」

「いや、だからそのゴロゴロをしたいんだけど」


 折角の夏休みを、何故農業に費やさなければいけないだろう?

 そんなことを思いつつ、俺は何とか飛ばされる白羽の矢を避ける。だが、お袋は聞く耳を持ってくれない。


「そんな勿体ないことするんじゃないの。ゴロゴロするだけなんて無駄じゃない。だったら、お婆ちゃんのところで汗を流してきなさい」

「いやいや、その無駄を満喫するのが良いんじゃないですか」


 なおも食い下がる俺を見て、お袋はふっとため息を吐く。

 諦めたか? と俺が思った瞬間、お袋は切り札を使ってきた。


「そう…残念ね。お婆ちゃん、バイト代を出すからって言ってたのに……」


 小さく、俺に聞こえるか聞こえないかの声量で呟かれたその一言は、俺の中の天秤を傾かせる。


「バイト代って……いくら?」


 それ次第ではOKですよー、という雰囲気を出しながら尋ねる俺。

 そんな俺を見ながらお袋は小さく笑みを浮かべ、開いた掌を俺に見せた。


「五万円」

「行きましょう」


 即答。

 これ以上ないくらい、完璧で、完全な即答だった。


「そう、じゃあ明後日から行ってもらえる?」

「了解です母上」


 気分的に敬礼をしながら俺は返答する。 

 まだまだ夏休みは始まったばかりだし、そのバイト代で残った日々を遊び倒すのも良いだろう。

 そんなことを考えつつ、そのときは納得していた。




「ちくしょう……まさかスタートから躓くとは」


 蝉が大合唱をする中、俺はそこまで整備のされていない地面に寝転んだままで呟く。

 見上げた空には一片の雲すらなく、容赦ない照り付けをそのまま地上に送り届けてくれる。

 まあなんだ。

 一言で言うと、この上なく暑い。

 太陽の熱線は遠慮なく地面を暖め、殺人的な熱さになっている。

 周りの田んぼに植えられた稲の穂を風が揺らすが、風は風でも熱風。

 夏場は地面が一番暑いと聞いたことがあるが、実際かなり暑かった。

 遠くを見れば、陽炎どころか蜃気楼すら見えるかもしれない。

 背中が焼けそうだけれど、腹が減って動く体力もない。ついでに言えば、食べ物もなく飲み物もない。

 お金はあるが食料が買えないという、一種のサバイバル染みた現実に苦笑を浮かべた。

 ポケットに入っている携帯も、見事に圏外を示している。


「くそ。自動販売機どころか電柱一本ない道がこの日本にあったなんてー!」


 叫ぶ。

 電柱一本ない道自体は珍しくない。ただ、一面に広がる光景が田んぼだけで民家もないという状況が精神を追い詰めてくれた。

 俺はポケットに手を入れ、やや折れ曲がった紙を取り出す。

 婆ちゃんの家に行くための地図……のはずのソレは、何の恨みがあるのか、俺をこんな場所に案内してくれた。


「いや、恨みがあるのはお袋?」


 地図を書いたのはお袋だ。ならば、お袋が俺に恨みを持っている?

 暑さのせいか、はたまた空腹のせいか。

 破綻した思考はそんな被害妄想じみたことをつらつらと考え出す。

 考えている暇があったら先に進むべきだと思うが、行く道も来た道も、共に先が見えない。


「大体、駅の場所が間違ってるって……」


 自分が降りた駅を思い返して嘆息する。

 寂れに寂れたその駅は、無人だった。駅員もおらず、あるのはボロボロの建物一つ。

 周りには店どころか建物もなく、一瞬違う世界にたどり着いたのかと冷や汗を流した。

 それなりに田舎だとは聞いていたが、まさかここまで田舎だったとは誰も思うまい。

 そもそも、電車に乗っていたのが俺一人という時点で考えるべきだった。

 電車を運転していた運転手が、駅で降りる俺を見て不思議そうな目をしていたのも疑問に残る。

 そして最大の疑問は、


「どこが駅から徒歩十分でたどり着けるっつーんじゃー!!」


 紙に書いてある、婆ちゃんの家までの道のり。

 駅を出て、真っ直ぐに、徒歩で十分も歩けばわかる。

 そう書いてあるというのに、二時間歩いた今現在でも着く様子がない。

 田園風景広がる一本道を歩き、微妙に小高い山道を登る。

 そして山を下ると再び田園風景が広がる道を歩く。

 駅からの真っ直ぐな道は一つしかなく、間違っているということはないだろう。

 ならば、間違っているのはお袋に違いない、ええ今そう決めましたとも。


「どうしよう……」


 このまま地面に転がっていても、翌日の新聞に変死体として名前が載るだけだろう。

 それは限りなくご勘弁願いたい事態だ。だがしかし、実際問題腹が減って動けない。

 干乾びたらミイラかぁ……。

 そんな嫌な想像が頭を掠めるが、現在進行形でミイラに近づいている気がする。

 そんなことを考えていると、遠くから何かの音が聞こえてきた。

 何かが走る音……もちろん人なんかじゃない。

 俺はその音を訝しく思いつつ、寝たままで辺りを見回す。


「んー……?」


 僅かな砂煙を巻き上げながら、一台の車がこちらへと向かってくる。

 黒塗りのソレは、やけに高価そうだ。お金持ちが持っているような車に似ている。

 具体的に言えば、ロールスロイス……?

 いやいや待とう自分。

 こんな田舎の田舎を、何でそんな高級車が走っているというのだろうか。

 何千万円とする車が、こんな田舎の泥道を走るなんてないだろう。


「ああ、幻覚か」


 呟いて納得する。

 そうか、俺はどうやら幻覚を見ているらしい。

 だから、この聞こえてくる音は幻聴。

 迫る黒い車体は、死の淵に瀕した人間が垣間見る幻……。


「って、んなわけあるかぁっ!?」


 叫んだ。

 このまま寝転がっていては、トンを超える重量物に轢殺されるだけ。

 俺は全力で逃げようとして、絶句する。


「いかん。逃げようにも逃げる場所が無い」


 道は狭く、車一台通るのが精一杯。かくなる上は田んぼに飛び込むしかない。

 この場合は転がりながら飛び込むことになるが。

 そう覚悟したとき、黒塗りの車が減速する。

 そして、俺の数メートル手前で停止した。

 助かったと、俺は思う。地面に倒れ伏したままで。

 俺がそうやって地面に転がっていると、運転席の扉が開いた。

 それに次いで出てくる運転手。

 黒のパリッとしたスーツに身を包んだ、やけにがっちりした体格のその運転手は、ゆっくりと俺に近づいてくる。

 僅かに白髪が混じった髪に、柔和というか、落ち着いた雰囲気というか。どことなく人を安心させる雰囲気の人。

 小さな子供がいれば、まさに好々爺とでも言えるだろう。


「そこで何をしているのですかな?」


 不思議そうに俺を見下ろしてくる。

 まあ、確かにこんな場所で人が寝転がっていたら不思議だろう。


「……何をしているように見えます?」

「ふむ……五体投地ですかな?」

「いえ、俺は仏教徒じゃないです」


 ちなみに五体投地とは、仏教徒が行う最高の敬礼法だったはず。だけど俺は無信教だ。


「そうですか。なら一体何を?」


 覗きこむような視線を受けて、俺は白状することを覚悟した。

 今この状況で、軽い冗談を飛ばす気力もない。


「すいません、行き倒れです」


 白旗と言わんばかりに腕を振る。

 ぐぐぅ〜……。

 それに同調するように、俺の腹から情けない音が鳴った。


「それはそれは、大変ですな」


 そんな俺の様子を見た運転手の人は、苦笑めいた笑みを浮かべる。

 そして、俺に手を差し伸べてくる。


「これも何かの縁でしょう。私達の行く場所もこの先です。貴方さえ良ければ乗せていきますが?」


 そう言って、黒い車を指差す。

 ……間違いない、ロールスロイスだ。


「是非乗せていってほしいです、はい」


 しかし今は高級車など関係ない。

 関係あるのは、無事に婆ちゃんの家にたどり着くことなのだから。

 そうやって俺が返事をするのとほぼ同時、車の後部座席の扉が開く音が聞こえた。

 何だ? と顔をそちらに向ける。


「どうしたの広田さん? 人が倒れてるって……」


 そんな声と共に、一人の女の子が車から降りてきた。

 鈴のような声に絹のような黒の長髪。

 腰まで届きそうな長い髪をなびかせた女の子は広田さんと呼んだ運転手へと顔を向け、次いで地面に倒れている俺に顔を向けて、


「ひ、ひき殺したんですか!?」


 そんな、物騒なことを仰ってくれました。




どうも初めまして、池崎数也と申します。このような拙作にお付き合いいただき、真にありがとうございます。一応連載という形になるのですが、更新は不定期になると思います。こんな拙作ではありますが、今後ともお付き合いいただければ幸いです。

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