学園生活の始まり
王立エルシオン学園の正門。そこには、大陸中から集まったエリート貴族や、稀代の魔導の才を持つ若者たちが溢れていた。その中に一人、場違いなほど質素な、しかし一分の隙もない仕草で歩く少女がいた。没落貴族の令嬢という偽の肩書きを背負った、シオンである。
「次、シオン・ローウェル。魔力適性検査だ」
試験官の冷淡な声。目の前には、受験者の魔力量を測定し、その属性を色で示す巨大な「魔力測定水晶」が置かれている。周囲の貴族たちは、シオンの着古したドレスを見て、クスクスと嘲笑を漏らしていた。
(……この水晶は、内部の魔素密度を光の屈折率に変えて表示するアナログな装置ですね)
シオンは冷静に分析する。ジークハルトからは「目立つな」と言われている。しかし、「無能」と思われすぎると、今後の調査(仕事)に支障が出る。 彼女は水晶にそっと手を触れた。
(出力を0.001パーセントに固定。水晶内部の魔力回路の『抵抗値』を一点に集中させて……)
パキッ。
小さな、しかし不吉な音が響いた。水晶は光り輝くことも、属性の色を示すこともなかった。ただ、シオンが触れた一点から、蜘蛛の巣のような亀裂が入り、そのままサラサラと砂のように崩れ落ちたのだ。
「なっ……!? す、水晶が崩壊しただと!?」
「測定不能……? いや、魔力が皆無すぎて、水晶が反応を拒否したのか?」
試験官が慌てふためく中、シオンはスカートの裾を軽く持ち上げ、優雅に一礼した。
「申し訳ありません。古い装置のようでしたので、私の『静電気』が刺激になったのかもしれません。弁償が必要でしたら、後ほど請求書を」
実際には、水晶の構造上の「共振周波数」を魔力パルスで叩き、分子結合をバラバラにしただけなのだが、そんなことを知る者は誰もいない。かくしてシオンは、「魔力ゼロの異常者」という、最も目立たず、かつ最も不気味な評価を引っ提げて入学を決めた。
入学から数日。学園のカフェテリアで、シオンは一人、栄養バランスだけを考えた質素な昼食をとっていた。そこへ、取り巻きを引き連れた典型的な上位貴族の令嬢、クラリスが歩み寄る。
「あら、没落貴族のネズミが、どうしてこの神聖な庭に紛れ込んでいるのかしら? その汚い食事、見ているだけで気分が悪くなるわ」
ガシャァン! と、クラリスがシオンのテーブルを蹴り飛ばした。スープがこぼれ、床を汚す。周囲の生徒たちは、面白がってその様子を眺めていた。
(……非効率ですね。食事の妨害は、午後の作業効率を15パーセント低下させます)
シオンは表情一つ変えず、ナプキンで指先を拭いた。
「クラリス様。……その派手な香水、使いすぎです。成分に『月見草』の抽出物が含まれていますね。今のあなたの充血した目と、わずかな手の震えから察するに、今朝飲んだ『興奮剤入りのハーブティー』と化学反応を起こしています」
「は? 何を訳のわからないことを——」
「あと三秒で、鼻粘膜が限界を迎えます。三、二、一」
「ハ、ハッ……ハックション!!」
クラリスが盛大にくしゃみをした瞬間。シオンは椅子に座ったまま、目にも留まらぬ速さで「クラリスの靴紐」を隣の椅子の脚に結びつけた。
「失礼。汚れが飛ぶといけませんので」
「な、なによこれ! 離しなさいよ、このっ——きゃあああ!?」
立ち上がろうとしたクラリスは、自分の足が椅子と合体していることに気づかず、派手に顔面から床へ突っ込んだ。シオンは立ち上がり、呆然とする取り巻きたちに、冷たい、しかし礼儀正しい笑みを向けた。
「廊下のワックスが効きすぎていたようですね。……さて、定時までまだ時間があります。失礼して、もう一度配膳してきます」
一滴の魔力も使わず、ただの「観察」と「指先の工作」だけで学園の権力者を沈黙させた。その様子を、食堂の二階テラスから興味深そうに見つめる、金色の瞳があった。
「……面白い。あんな風に『世界を解体』する少女は、初めて見た」
王立学園の第三王子、ルミナス。シオンの「ターゲット」が、静かに動き出そうとしていた。




