対象との試合
闘技場の中央、対峙する二人。
ルミナスの手には、光り輝く細剣。
シオンの手には、一本の細い「鋼鉄の針」。
観客席の熱気は最高潮に達していたが、シオンの耳にはニーナの声援も、野次も、もはや届かない。彼女が意識しているのは、ルミナスの心臓の鼓動――かつて離宮で自分が「デバッグ」した、あの脈動の音だけだ。
(……心拍数98。魔力の循環効率は、前回の処置により200パーセント改善。……強敵だ)
「シオン、手加減はしない。君が救ってくれたこの命、君を倒すために使い切るつもりでいく」
「殿下。熱い台詞は、戦闘の際の酸素消費量を増やすだけ……無駄です」
「始め!」
審判の声が響くより早く、ルミナスが踏み込む。彼の魔力が爆発し、細剣の先から幾千もの光の矢が放たれた。広範囲、かつ超高速。回避不能の弾幕。
シオンは動かない。彼女は魔力を目(視覚神経)に極小集中させ、光の矢の間をすべて「ベクトル」として脳内に投影した。
(第一波、入射角30度。第二波、45度。……隙間は、ここにある)
光の粒子をミリ単位で見切り、最小限の動きで回避する。その姿はまるで、降りしきる雨の中を濡れずに歩く「バグ」そのものだ。
「……信じられない! 殿下の『光速剣』を、歩いて避けている……!?」
観客席がどよめく中、ルミナスの剣先がシオンの喉元へ迫る。
3ルミナスの剣先が、シオンの首筋の皮を一枚、薄く裂いた。だが、シオンは眉一つ動かさない。彼女が待っていたのは、ルミナスの魔力が最大出力に達し、心臓のバイパス回路に「最も負荷がかかる瞬間」だ。
「殿下。あなたのその光、少し『電圧』が高すぎる」
シオンの指先が、ルミナスの手首の関節を、ピアノの鍵盤を叩くような軽やかさで打った。二年目に習得した「魔力回路の短絡」の応用。シオンは、王子の心臓に刻まれた呪印の残滓を、逆に「逆流防止弁」として利用したのだ。
「くっ……!? 魔力が……止まった……?」
「止めたのではない。あなたの出力を、そのままあなたの『防具』へバイパス(迂回)させただけ」
ルミナスの光の魔力が、攻撃の手を止め、彼自身の周囲を包む眩い光の繭へと変わった。それは強固な防御だが、同時にルミナス自身の視界と動きを封じる檻でもある。
視界を奪われたルミナスの背後へ、シオンは音もなく回り込んだ。彼女の手にある針が、王子のうなじ――第一頸椎と脳幹の境界線へと、正確に添えられる。
「……チェックメイトです、殿下。これ以上動けば、あなたの神経系を一時的にシャットダウンします。……定時を過ぎました。これ以上の残業(戦闘)は受け付けません」
会場を包んだのは、耳が痛くなるほどの静寂だった。魔力ゼロの少女が、王立学園最強の王子を、指先ひとつの「調整」で制圧したのだ。
「……はは、まいったな。やっぱり君には、すべてお見通しというわけか」
ルミナスが光の繭を解き、苦笑しながら両手を上げた。その瞬間、割れんばかりの拍手が闘技場を包み込む。
その拍手の中、シオンは天井の梁の上で、不機謙そうに腕を組むジークハルトを見つけた。彼は満足そうに鼻を鳴らし、小声で呟いた。
「……フン。三秒遅い。だが、あの王子のバカ高い出力を逆流させた判断だけは、褒めてやらんこともない」
ジークハルトはそう言い残すと、祝祭に沸く学園から、誰にも気づかれずに闇へと消えていった。




