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ストレンジワールド  作者: 埴輪庭


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第12話「野獣必殺 」

 ◆


 湯気は白濁し、天井の梁にこびりついた煤を舐めている。


 番台に座る鬼切殺(オニキリゴロシ)牙太郎(ガタロウ)は手元の文庫本に目を落としているふりをしながら、硝子戸の向こうに広がる地獄を睨んでいた。湿った空気には石鹸の香料とカビの臭い、それに混じって饐えたような男の体臭が漂っている。かつては労働の汗を流す神聖な場であったはずの「和居の湯」はいまや欲望の掃き溜めと化していた。


 男が入ってくる。


 また男だ。


 女湯は閑古鳥が鳴き、男湯だけが異様な熱気を帯びている。脱衣所の籠は埋まり、そこら中に衣服が乱雑に放り出されていた。入ってくる男たちは一様に目がぎらつき、あるいは粘膜のように濡れた視線を交わしている。彼らは風呂に入りに来たのではない。肉を求めて来たのだ。


「いらっしゃい」


 牙太郎は低い声で言った。


 男は無言で小銭を置く。


 チャリ、という音がやけに神経に障る。男の視線は牙太郎を素通りし、すでに脱衣所の奥、裸体の群れへと吸い寄せられていた。この銭湯はいつの間にか地図上の汚点となっていたらしい。インターネットという不可視の網の目において、ここは極上の「ハッテンバ」として祭り上げられていた。


 口コミサイトを見たときの吐き気を思い出す。


『昭和レトロな隠れ家。番台のオヤジは無関心で最高』


『昨日は大漁。奥の電気風呂あたりが狙い目』


『清潔感はないがそこがいい。生の男の匂いがする』


 星五つ。星四つ。絶賛の嵐だ。だがその評価は銭湯としての質に対するものではない。彼らが評価しているのは獣のように交尾ができる場所としての利便性だけだ。まともな客は寄り付かない。近所の隠居たちも、子供連れの父親も、この異様な空気を察知して姿を消した。残ったのは肉欲に憑かれた亡者どもだけである。


 牙太郎は溜息を噛み殺した。


 番台から見える景色はまさに地獄絵図だ。湯船に浸かることなく、洗い場の椅子に座り込んで周囲を品定めする男たち。サウナ室からは野太い喘ぎ声が漏れ出し、水風呂は白濁した汁で淀んでいるかもしれない。彼らは恥を知らないのではない。恥を愉しんでいるのだ。堕落を貪り、その底なしの沼に沈んでいく自分自身に陶酔している。


「オヤジ、石鹸ないの」


 不意に声をかけられた。


 見れば、腹の出た中年が立っている。


「切らしてる」


 牙太郎は素っ気なく答えた。


「商売っ気がないねえ」


 男はニタニタと笑い、濡れた手で頭を撫でつけた。その仕草の卑猥さに、牙太郎の奥歯が軋む。商売っ気だと。誰のおかげで商売が成り立たなくなっていると思っているのか。お前たちが落とすのは垢ではなく、人間としての尊厳だ。それを排水溝に垂れ流し、浄化槽を詰まらせる汚物だ。


 男は去った。


 牙太郎は引き出しから愛用の剪定鋏を取り出し、その冷たい刃先を指でなぞる。庭木を整えるための道具ではない。余分な枝を切り落とし、腐った果実を摘み取るための鋼鉄の爪だ。


 我慢の限界など、とうに超えていた。


 彼らが求めているのは快楽だという。ならば与えてやろうではないか。極上の、脳髄が焼き切れるほどの刺激を。肉体が悲鳴を上げ、魂が消し飛ぶほどの絶頂を。


 今日は客が多い。


 週末の夜、獲物は腐るほどいる。


 牙太郎は番台を降りた。


「ちょっと湯加減を見てくる」


 誰に言うでもなく呟き、暖簾をくぐる。


 男湯の扉を開けると、凄まじい湿気が顔を打った。視界が白む。その霧の向こうで数多の肉塊が蠢いている。洗い場の鏡は曇り、そこに映る亡霊たちの輪郭を曖昧にしていた。誰も牙太郎を見ない。彼らは互いの股間や尻にしか興味がないのだ。


 カラン、コロン。


 桶の音が虚ろに響く。


 一番奥の薬湯の浴槽。そこは漢方を煮出したドス黒い湯が張られており、視界が悪いことをいいことに、特に痴態が酷い場所だった。数人の男が身を寄せ合い、芋洗いのように重なっている。


 牙太郎はボイラー室への通用口へ向かうふりをして、配電盤の蓋を開けた。


 旧式の、錆びついたスイッチ類が並んでいる。


「電気風呂、強めにしておいてやるよ」


 指先がスイッチに触れる。通常ならば微弱な電流が筋肉をほぐす健康器具だが配線には細工がしてある。リミッターを外し、動力用の高電圧を直結させる禁断の回路。


 カチリ。


 スイッチを入れた。


 一瞬の静寂。


 直後、薬湯の水面が激しく波打った。


「ぎ」


 誰かの短い悲鳴。


 それは声にならなかった。湯の中にいた数人の男たちは一斉に背中を反らせ、魚のように跳ねた。筋肉が強制的に収縮し、骨がきしむ音が水中で反響する。白目を剥き、口から泡を吹きながら、彼らは痙攣する肉塊と化した。互いに抱き合っていた腕は硬直し、死の抱擁となって離れない。


 周囲の男たちは気づかない。


 湯気で見えないのか、あるいはそれもまたプレイの一環だと思っているのか。


 牙太郎は無表情でスイッチを戻した。


 ヒューズが飛ぶ寸前だ。


 薬湯にはピクリとも動かない塊が三つほど浮かんでいる。


「さて」


 次はサウナだ。


 狭い木箱の中は蒸気と男たちの熱気で飽和しているだろう。換気口を塞ぎ、温度調節器のサーモスタットを壊しておいた。バーナーは全開で火を噴き続けているはずだ。


 扉の前に立つ。


 中からくぐもった声が聞こえる。熱い、と誰かが言っているようだが出ようとする気配はない。我慢比べでもしているのか、それとも熱さに痛みを感じ、それを悦びとしているのか。


 牙太郎は扉の取っ手に、頑丈な鉄パイプを通した。


 つっかえ棒だ。


 中からは開かない。


「開けろ!」


 ドンドンと扉が叩かれる。


 気づいたらしい。だが遅い。サウナストーブの上には揮発性の高い油を染み込ませたアロマストーンを置いてある。温度が上がれば発火する仕組みだ。


「おい、ふざけるな!」


 怒号が悲鳴に変わる。


「熱い! 火だ、火が出た!」


 ガラス窓の向こうで赤い炎が揺らめくのが見えた。狭い室内は瞬く間に灼熱地獄と化すだろう。酸欠と高熱。皮膚が焼け焦げる臭いが扉の隙間から漏れ出してくる。焼肉の臭いだ。いや、もっと生々しい、タンパク質が炭化する臭いだ。


 牙太郎は顔色一つ変えずに、その場を離れた。


 洗い場ではまだ何も知らない男たちが体を洗っている。いや、体を触り合っている。


 一人の若者がシャワーを使おうとカランをひねった。


 通常なら温かい湯が出るはずだ。


 だがそこから噴き出したのは熱湯だった。ボイラーの設定温度は百度近い。加水弁を閉じてある。


「あぎゃああああ!」


 若者が顔を覆ってのた打ち回る。


 皮膚が爛れ、赤く腫れ上がる。


 騒ぎに気づいた周囲の男たちが何事かと集まってくる。


「どうした」


「火傷か?」


 駆け寄ろうとした男が足を滑らせた。


 ツルリ、という軽薄な音とともに、男の体が宙を舞う。


 後頭部から床に激突する。


 ゴッ。


 鈍い音が響き、男は白目を剥いて動かなくなった。頭の下から赤い血が滲み出し、白いタイルを汚していく。


 それを見た別の男が悲鳴を上げ、逃げようとしてまた滑る。


 将棋倒しだ。


 裸の男たちが次々と転倒し、ガラス片混じりの油にまみれて肌を切り裂かれる。手をつけば掌が切れ、膝をつけば膝頭が削げる。痛みに暴れれば暴れるほど、傷は深くなる。


 牙太郎は床に「ローション」を撒いていたのだ。無論ただのローションではない。工業用の強力な潤滑油に、微細なガラス片を混ぜ込んだ特製品だ。殺しのローションである。


「な、なんだこれは」


「ガラスだ、ガラスが!」


 地獄の釜の蓋が開いた。


 牙太郎は脱衣所に戻り、愛用の剪定鋏を握りしめた。


 逃げ出してくる奴がいるかもしれない。


 介錯が必要だ。


 脱衣所の扉が勢いよく開いた。


 全裸の男が一人、血相を変えて飛び出してくる。


「お、おいオヤジ! 中で人が!」


 男は牙太郎の姿を認め、助けを求めるように手を伸ばした。


 その手首を牙太郎は掴んだ。


「追加料金だ」


 冷たく言い放ち、剪定鋏を男の首筋に突き立てる。


 プシュッ。


 動脈が破れる音は炭酸飲料の栓を開けた音に似ていた。


 鮮血が噴水のように舞い、天井の煤を洗う。男は言葉を失い、喉からヒューヒューと空気を漏らしながら崩れ落ちた。


 牙太郎は返り血を浴びた顔を拭いもしない。


 血の暖かさだけが妙に生々しく肌に残る。


「次」


 短く呟く。


 中からは阿鼻叫喚が続いている。サウナからの絶叫は途絶え、代わりに肉の焼ける香ばしい臭いが充満し始めていた。洗い場では滑って転ぶ音と、うめき声が反響している。薬湯の死体は誰にも気づかれず、ただ静かに煮込まれているだろう。


 番台の電話が鳴った。


 ジリリリリ、ジリリリリ。


 無機質な呼び出し音が惨劇のBGMとして響き渡る。


 牙太郎はゆっくりと受話器を取った。


「はい、和居の湯」


『あ、もしもし。これから行こうと思うんですけど、混んでますか?』


 若い男の声だ。少し興奮しているような、甘ったるい声。


 牙太郎は脱衣所に転がる死体と、奥から聞こえる断末魔を見やった。


「空いてるよ」


 牙太郎は答えた。


「とても静かだ。貸し切りみたいにな」


『そうですか! すぐ行きます!』


 電話が切れる。


 また一匹、蛾が火に飛び込んでくる。


 牙太郎は受話器を置くと、足元の死体を跨いだ。


 仕事はまだ終わっていない。ボイラー室の裏手には古井戸がある。死体を処理するにはあつらえ向きの穴だ。だがその前にやるべきことがある。


 露天風呂だ。


 小さな庭に設えられた岩風呂。そこもまた、彼らの巣窟となっている。月明かりの下、風流を気取って淫行に耽る輩がいるはずだ。


 牙太郎は裏口から外へ回った。


 夜風が血の臭いを運んでいく。


 露天風呂の囲いの上から中を覗く。案の定、五、六人の男が岩場に腰掛け、あるいは湯に浸かって談笑していた。彼らは中の惨劇に気づいていない。厚い扉とガラスが地獄を遮断しているのだ。


「いい月だねえ」


 一人が言った。


「ああ、ここは穴場だよな」


「オヤジがうるさくないのがいい」


 牙太郎は足元のプロパンガスのボンベに手をかけた。配管は露天風呂の湯沸かし器に繋がっている。


 ゴムホースを引き抜く。


 シューッという音とともに、ガスが漏れ出す。


 ガスは空気より重い。窪地になっている露天風呂の底へと、静かに、確実に溜まっていくはずだ。


「なんか臭くないか?」


「硫黄の匂いじゃない?」


「温泉気分だな」


 馬鹿な男たちだ。腐った卵の臭いとガスの臭いの区別もつかないとは。


 牙太郎は懐からマッチ箱を取り出した。


 桃色の、安っぽい広告マッチ。


 シュッ。


 小さな炎が灯る。


「風呂は熱いのが一番だ」


 マッチを放り投げた。


 火種はスローモーションのように回転しながら、闇夜を切り裂いて落ちていく。


 男たちの頭上へ。


 そして見えないガスの海へ。


 轟音。


 爆発は一瞬だった。オレンジ色の閃光が夜空を焦がし、岩風呂の湯が水蒸気となって爆散する。男たちの体はボロ人形のように吹き飛び、あるいは炎に包まれて転げ回る。


 衝撃波が牙太郎の頬を打った。


 心地よい風圧だ。


 舞い上がった水しぶきが雨のように降り注ぐ。それはただの湯ではない。彼らの脂と、罪と、そして血が混じった聖水だ。


 牙太郎は空を見上げた。


 月が綺麗だ。


 これほど美しい月を見るのは久しぶりな気がする。


 世界は静かになった。


 いや、まだうめき声が聞こえる。虫の息のような、弱々しい声が。


 牙太郎は剪定鋏を握り直し、煙の晴れない露天風呂へと歩を進める。


 黒焦げになった岩肌に、焼けただれた肉塊が張り付いている。片足を失った男が這いつくばって逃げようとしていた。


「た、助け……」


 男は牙太郎を見上げ、涙で濡れた目で懇願する。


 牙太郎は男の前にしゃがみ込んだ。


「助ける?」


 問い返す。


「お前たちは俺の店を助けてくれたか? 俺の生活を、誇りを助けてくれたか?」


 男は答えられない。ただ震えている。


「ここは風呂屋だ。垢を落とす場所だ。だがお前たちの汚れは湯では落ちない。石鹸でもおちねぇんだ」


 牙太郎は鋏を振り上げた。


「血で洗うしかないんだよ」


 刃が振り下ろされる。


 断末魔は短かった。


 牙太郎は立ち上がり、周囲を見渡した。


 全滅には程遠い。まだ店の中には傷ついた獲物が残っている。息の根を止めなければならない。徹底的に、一人残らず。


 これは掃除だ。


 年末の大掃除のようなものだ。


 牙太郎は裏口から再び建物の中へと戻っていった。


 脱衣所は血の海だった。


 だが不思議と不快感はない。むしろ清々しささえ感じる。散乱した衣服、転がる死体、壁に飛び散った血痕。それらはすべて、牙太郎が取り戻した主権の証だ。


 鏡に映る自分の顔を見た。


 返り血で真っ赤に染まり、鬼のような形相をしている。


 いや、これが本来の顔なのかもしれない。


 客に媚び、世間に媚び、愛想笑いを浮かべていたあの頃の顔こそが偽りだったのだ。


「いらっしゃい」


 鏡の中の自分に言ってみる。


 誰も答えない。


 それでいい。


 風呂屋のオヤジは無口でいいのだ。


 カタン。


 物音がした。


 ロッカーの陰。


 生き残りがいる。


 牙太郎はゆっくりと近づいた。足音を忍ばせ、獲物を追い詰める狩人のように。


 若い男が縮こまって震えていた。まだ二十歳そこそこだろうか。恐怖で顔を引きつらせ、牙太郎を見上げている。


「殺さないで……」


 男は泣いていた。


「僕はただ……」


「ただ?」


「ただ、寂しかっただけなんです」


 男の言葉に、牙太郎の手が止まった。


 寂しい。


 その言葉が奇妙に胸に響いた。


 こいつらは肉欲に狂った獣だと思っていた。だがその根底にあるのは果てしない空虚なのかもしれない。穴を埋めようとして、穴に落ちていく哀れな生き物。


 牙太郎自身もまた、孤独だった。


 妻に先立たれ、子供は寄り付かず、守るべきものはこの古びた銭湯しかなかった。その銭湯さえも穢され、居場所を失いかけていた。


「寂しいか」


 牙太郎は呟いた。


「はい……」


 男は希望を見出したのか、必死に頷く。


「なら、逝けばいい」


 牙太郎は冷徹に言った。


「死ねば、寂しさも消える」


 情けなどかけない。理解はしても、共感はしない。それが無頼というものだ。甘えを許せば、また腐敗が始まる。徹底的な断絶だけがこの場を浄化できる。


 鋏が閃く。


 男の首が落ちた。


 首のない胴体がゆっくりと傾き、血溜まりの中に沈んでいく。


 牙太郎は息を吐いた。


 長く、深い息を。


 体中の力が抜けていくようだ。だが手の中の鋏だけは熱を持ったまま離れない。


 これで終わりか? 


 いや、まだだ。


 口コミサイトにはまだこの店が存在している。噂を聞きつけて、明日もまた新たな男たちがやってくるだろう。


 ならば、待ち続けるしかない。


 この血の風呂を沸かし続け、訪れる者すべてを葬り去る。


 それが「和居の湯」の新しいサービスだ。


 牙太郎は番台に戻った。


 血に濡れた手で読みかけの文庫本を開く。


 文字が赤く滲んで読めない。


 それでも構わない。


 物語はいまここで紡がれているのだから。


 外ではサイレンの音が聞こえ始めていた。遠く、微かに。


 誰かが通報したのだろうか。あるいは爆発音を聞きつけたのか。


 警察が来る。


 それもまた一興だ。


 彼らもまた、この風呂に入れてやればいい。


 牙太郎はポケットからタバコを取り出し、口にくわえた。


 マッチはさっき使い果たした。


 仕方がない。


 ボイラー室から種火を持ってくるとしよう。


 地獄の火はまだ消えていないのだから。


 立ち上がろうとしたとき、玄関の戸が開いた。


「こんばんはー」


 入ってきたのは常連だった爺さんだ。数ヶ月ぶりに顔を見せた。


「なんだい、今日は静かだねえ」


 爺さんは周囲の惨状が見えていないのか、それともボケてしまったのか、ニコニコしながら番台に近づいてくる。


 床の血を見て、爺さんは言った。


「おや、ペンキ塗りかえ? 派手な色だね」


 牙太郎はタバコをくわえたまま、ふっと笑った。


「ああ、改装中だよ」


「そうかい。じゃあ、今日は休みかね」


「いや、やってるよ」


 牙太郎は言った。


「とびきり熱い湯が沸いてる」


「そいつはありがたい」


 爺さんは小銭を置き、脱衣所へと入っていった。


 死体を跨ぎ、血の海を歩き、爺さんは服を脱ぎ始める。


 狂っているのは俺か、それともこの世界か。


 どちらでもいい。


 牙太郎は再び椅子に深く腰掛けた。


 爺さんが鼻歌交じりに風呂場へ消えていく。


「いい湯だなあ」


 しばらくして、そんな声が聞こえてきた。


 他の客の死体など、目に入らないらしい。あるいはそれもまた風景の一部として受け入れているのか。


 無垢なる狂気。


 それこそが最強の防具かもしれない。


 牙太郎は目を閉じた。


 瞼の裏に、赤い月が浮かんでいる。


 明日もまた忙しくなりそうだ。


 口コミを更新してやらねばならない。


『和居の湯。命の洗濯、できます。ただし、片道切符ですが』


 牙太郎は喉の奥で低く笑った。


 その笑い声は湯気に溶けて消えていった。


 夜はまだ、長い。


(了)

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